認定NPO法人かものはしプロジェクトとして長年子どもが売られる問題に向き合っていた青木健太さん。カンボジアでの事業に関わり続けて今年(2019年)で17年!そんな青木さんが2018年4月にNPO法人SALASUSUとして独立したということで話を聞きにいってきました。意外にも独立は初めて自分自身のやりたいことに向き合って出した決断だそうです。そんな新しい事業に込められた青木さんの「想い」に迫ってきました。
《プロフィール|青木健太氏》
2002年にかものはしプロジェクトを仲間と共に創業し、16年間同団体で活動。2008年からカンボジアに渡り、貧困家庭出身の女性たちを雇用し、ハンディクラフト雑貨を生産・販売するコミュニティファクトリー事業を統括。2015年にかものはしプロジェクトがカンボジア事業からの撤退を決定した時に、独立を決意。現在は新法人SALASUSU の代表を務める。
かものはしプロジェクトからの独立が初めて自分のやりたいことだった
ー現在されていることについて教えてください。
2002年に創業したかものはしプロジェクトに所属していたのですが、2018年4月にSALASUSUという形で独立をしました。そこの代表を務めています。
SALASUSUは、かものはしプロジェクトのカンボジア事業を、僕が引き継ぐかたちで独立させた組織です。4年前の2015年にかものはしがカンボジア事業から撤退することを決定し、当時カンボジアで仕事をしていた僕は、ここに残るか、カンボジアを去って引き続きかものはしとして日本やインドで仕事をするか、二つの選択肢がありました。
様々なプロセスを経てカンボジアに残ってかものはしから事業を引き継ぎ、独立することに決めました。かものはしプロジェクトは、共同代表である村田の思いに賛同して始めた事業。一方で、今回の独立の意思決定は自分自身のやりたいことに向き合って出した結論でした。
3年の準備期間を経て、2018の4月に独立をしました。現在は、「ものづくりを通したひとづくり」を活動コンセプトに新たに掲げ、ライフスキルを主軸とした独自の教育プログラムを開発。現在は、そのプログラムを工房からカンボジア全土、そして世界に広めるべく事業を実施しています。
ー長くやられているので、独立のタイミングで自分自身のやりたいことと初めて向き合ったというのは意外ですね。
多くの人は「自分が何をやりたいかわからない」「どういう世の中にしたいかわからない」ことが多いと思うのですが、僕はそれでもいいと思います。僕だって学生の頃はなんか面白いこと、社会に役に立つことをやりたいなくらいの感覚はあったものの、これといったテーマはなかった。
自分が本当にやりたい、これがしたいって始めた訳ではなくても続けられることはあるし成長もできる。やっていく中で自分が今の自分の人生をかけてやっていきたいって思えることが見つかることもあるんだなと思いました。
ーかものはしプロジェクトから独立して、引き続きカンボジアで事業を続けていくことを決断したとき、他の人から言われたからとかではなく、自分自身で強くやりたいと思ったとおっしゃいました。それはいきなり思ったのですか?積み重なってきたものですか?
どちらかというと後者です。最初はパッと、「やっぱりカンボジアで続けたいから独立します」と言ってみたのですが、「本当に独立してやりたいの?」と問いを投げてくれた仲間もいて、そこから1年間くらい時間をかけて仲間や家族と対話を重ねて、どうして独立したいと思うのかという問いに向き合いました。
ある人には「独立したいのはうまくいかなくて悔しいから?申し訳ないって思ってるから?そういうネガティブな気持ちだけなら絶対続かないからやめたほうがいいよ」と言われました。それは良いアドバイスだったと思います。自分や他人に対する怒りのような、ネガティブなエネルギーは、使いすぎると後で恨みに変わります。でも彼は「自分でやりたいと思ったからには自分の中で繋がる何かがあるんじゃないかと思う」とも言ってくれました。
自分の嫌なことって見たくないじゃないですか。でも仲間と手を繋いで自分の深いところに落ちてくみたいなことができたのは感謝しています。より自分のことがわかったから今はエネルギーが自分の中から湧いてくる感じがしています。
ー 一年の対話の旅の中で、具体的にどのようなことを感じたのですか?
対話の旅の中で家族とも向き合って、やりたいことをやれる時にやるってすごい大事だなって思ったんです。みんなが前向きにワクワク生きて欲しいなってすごく強く思っていて、そういう自分の人生を前に向けていく力をライフスキルとして提供したいと思う。
対話のプロセスの中で色々あったのですが、自分が何者かとか、何を恐怖とするかとか何が自分を苦しめてきたとかいろんなことに向き合いました。その中でやっぱり今のテーマである「ものづくりを通した人づくり」は自分と繋がった感じがしています。
「自分は何者か」に向き合う
ー何かを始める時に、大切にしていることはありますか?
この図(下に記載)をよく使っています。やりたいこと(want)、できること(can)、世の中が必要としていること(need)。理想は、真ん中の全部あるところが一番いいじゃないですか。でも問題は自分のやりたいことがわからないっていうケースが結構ある。
そんな時に僕がおすすめしているのは、「need → can → want」の順番でやってみること、そしてneedの中では、「誰に必要とされたいか」という部分は自分の意思を使う方がいいと思うんです。パートナーや友達かもしれないし、自分が大切にしている人かもしれないけど、この子たちのために何かやりたいとか、この人たちと一緒に働くために何かやってみたいとか。
自分がやりたいことかもよくわからないし自分が何者かもよくわからない時に、その人たちが必要とすることから始める。そうすると、仕事をやっていく中で自分がやれること(can)も広がっていって、改めて自分に気づくことが結構あると思います。
何か興味があることに向かうときに、このやり方で行こうというのはあまり決まってなくてもいいと思います。カンボジアが好きすぎてカンボジアに来たっていう人がいてもそれはそれでいいじゃないですか。カンボジアで働くこともそれなりに大変ですから、そこでやれることを増やしていく中で改めて自分のやりたいこと気づくみたいなそういう流れを推奨しております。
ー青木さんは上記のcan, want, needの図をどのように使っているんですか?
今は歳もとったし自分のこともわかってきたので、自分のwillを一番大事にするようになりました。役割とか関係性が自分に要求するものってあるじゃないですか。例えば家族がいると食べていかなければならないから良い給料が必要だよねとか。そのneedとかcanみたいなことを先に考えないってなった。自分の経験を通して、自分のwillがわかってきたので何がやりたいのかをまずは考えて、needとかcanはその次にどう作っていくのがよいか考える。
ーかものはしプロジェクトをやっているときに印象に残っている考えなどはありますか?
当時マッキンゼーでコンサルをされていた藤沢烈さん(現在は一般社団法人RCF 代表理事)が僕たちの活動に定期的にアドバイスをしてくださっていたのですが、印象的だったのは、「最初にちゃんと計画を作ったり、調べたりしなさい」、と言われたことですね。「学生は思いやエネルギーはあるんだけど、計画や調査をしないから場当たり的なことで終わってしまう」と言われたんです。たしかに調べてみると最初に僕たちが考えていたこととは現状が違いました。
ー「思い立ったらすぐ行動するのが良い!」と言われると思っていたので、とても意外です。
子どもが売られる問題って社会課題じゃないですか。まだ社会に出ていない学生が、心を揺さぶられるくらい大きな重い社会課題に出会い、その問題を解決するために実際に行動を起こすことは確かにすごいことかもしれません。
だけど、社会課題が社会課題である所以は必ずある。ちょっとなにかしたら解決するわけでもなければ、ビジネスで解決しようとしても儲からないから社会問題になっているわけで。だからしっかり調べて自分たちが本当にインパクト出せることを考える。その後も事業は何度か軌道修正していますが、その考え方は変わらないです。
ー先ほどの独立を決めたプロセスで、対話の旅をする中で自分が何者かに向き合ったとおっしゃいました。「自分は何者か」とはどういう意味ですか?
自分はどういう呪いがかかっているかということがわかると、自分が何者なのかわかってくると思います。例えば自分の好みとか得意不得意とかもだんだん見えてくるじゃないですか。それに対して「なんでこれができないんだろう」とムカついたり嫌だったりすることもある訳ですね。それに気付いた時に、目を背けずにみてると、意外とどこからそれが来たのかっていう話にたどり着きます。
よくあるケースは親との関係です。それは人によって痛みやトラウマになっていることもあるから、克服するのは簡単なことではない。だけど「自分が生きるためには仕方なかったんだ」と客観的に見て、親や兄弟も一人の人間だって思えたときにはじめて許せるというか、「しょうがないよな、よく頑張ったよな自分」と思えることが大事。そこからは生きるのがすごく楽になります。
ー就職活動時の自己分析でも似たようなことを思ったことがあります。どういうところで生きるのが楽だと感じるんですか?
一つはその人なりのリーダーシップのスタイルとか生き方とか仕事の仕方が確立しやすくなります。グレートリーダーみたいなのものになろうとすると、必要によっては怒ったりもできるし柔らかくもできるし、「なんでもできます」みたいなことが本とかに書いてあるじゃないですか。
僕は多分これからもずっと苦手だし、でも自分にしかできないリーダーシップスタイルがあることも理解していると、自分らしいリーダーになろうみたいな話になります。そうすると、できる経営者と自分を比べるみたいな不必要なことで苦しまなくて済む。
もう一つは本当の自分らしいwillが見えるようになるんです。昔は「僕は大物になりたい」とか「すごい何者かになりたい」って思ってましたが、実は親に負けたくないだけだったとか。そうするとそれを手放すことができて、自分の本当のやりたいことに気づける。親への恨みとかでかき消されてたから自分の本当の意思が見えてこなかったとか、実はこんなことがやってみたかったとか。
それがわかるのに20年くらいかかる人もいるかもしれない。そういう準備ができないのにあなたの夢はなんですかみたいなことを問うてもわからないですよね。
ーかものはしプロジェクトは立ち上げ当初や独立時など準備が長いですが、その中で見失いそうになった時はどう乗り越えていましたか?
20歳の時とかに思う3ヶ月は長かったけど、35くらいになると一瞬ですよ(笑)
でもその質問は結構大事なことで、見失うって何を見失うかって言うと浅いレベルだと調査自体が目的化してしまってディスカッションとか調査とかしてみるけど全然前に進んでないみたいな。そういう調査にはまらないとか抜け出す勇気をつけるルールを作りましょう。
深いレベルとしては本当に自分はこれをやりたかったんだっけみたいに自分を見失うってことですね。それはずっと働いていてもおきる話。基本的には不安がぐっと来た時になんとなく無視するとよくなくて、ちゃんと向き合ってみる方が良いです。広い意味でセルフケア、セルフマネジメントっていうんですけど、自分の心の声みたいなものにちゃんと目を向けて向き合うタイミングを意識的に持たないと。それは人によってどこか旅行に行くことかもしれないし、お世話になってる人にアドバイスをもらいにいくことかもしれないし、全然違うことかもしれないけど、大事。
ー自分の声を無視するのはよくないのですね。
そうですね、やっぱり恐怖なんですよ。本当に興味ない自分がわかったら怖いじゃないですか。目を向けること自体が恐ろしい。でも目を向けないとどんどん成長していって、もはや目を向けられなくなっていく。それはやっぱり少しずつ自分の心が傷ついて無理してる。でもいざ目を向けてみると意外と解決可能だったりすることが多いので、立ち止まって勇気をつける癖をつけると良いですよ。
「自分」と「もの」がもっと繋がる世界に
ー2016年にSALASUSUを立ち上げて、その中でうまくいったこととか、期待とは違って意外と思うようにいかなかったことはありますか?
日本でもやっていくことに苦労しています。カンボジアでお土産物として売りますって話と、日本でアパレルブランドとして売ってきますって話が全然違う事業なんです。どっちが簡単とか難しいって話ではなくて、違うビジネスだから。
質をとっても場所をとってもアフターケアをとっても、いろんなものをとっても日本でもビジネスとまとめられるものとは全然違います。それを今絶賛体験中で、日本でものを売るってことは全然うまくいってないとも言えるし、すごい苦労しているんです。楽しいけどね。
ー性別も生まれた国も違うカンボジアの女性と関わっていらっしゃると思いますが、彼女たちの気持ちを理解することは難しいですか?
そこはチームとして、カンボジア人スタッフと働いたり、そういうのを受け止められるスタッフと共に働いています。僕はカンボジア人の女性と1対1でそんなに深い話をしないけどずっとカウンセリングをして支え続けているうちのスタッフがいたりとか、工房を卒業して市内の企業に就職したものの、うまくいかずに苦労している工房の卒業生たちを支えてくれる人がいたりとか。教育プログラムを作ってもなかなか上手くいかないことも多いけど、辛抱強く関わり続けてくれる日本人のスタッフとか色々いるんですよ。
僕は女性たちのことなんでもわかってると言いたいけど、何にもわかってない。彼らの方がよっぽどわかってる。
ー全部自分でやろうとしなくていいんですね。
そうそう。それは手放しました。自分で得意なとこ不得意なところがあって、さっきの話ではないけど、自分が何者かが見えた時に、とてもじゃないけどここをできるとは思えないというところが出てくると思う。その時にそこを埋めてくれる人が自分がそれなりに謙虚になれば出てくると思う。それでチームでやるのがいい。
僕だって、ある面によってはインターン生よりもできないところもある。リサーチとか得意じゃない。もちろん俺の得意なところもある。だからそれはそれでいい。人間関係の複雑なところを見るとかうちの7歳の娘の方が得意だもん(笑)
ー時代の変化をカンボジアで長く暮らしてきて感じたりしますか?
20代の優秀なカンボジア人に会う機会はすごく多い。受けてる教育の質が違うから、40前後くらいのカンボジア人と考え方が違う。フレキシブルさやロジカルさ、素直さなど。一般論として、どっちにも素晴らしいところはあるけれど。
常にどこか工事中で、首都のプノンペンはビルがどんどん建っていたり、ブランドがオープンしたり発展みたいなものも感じます。でも農村はそんなに変わらないです。みんな都会に行くようになったから、昔より若者がいなくなった感があるかもしれない。農村だけある程度ゆっくりとしか変わらなくて、都市部だけ急激に変化していて、別の国のように感じます。
ーこれからやりたいことや気になってることはありますか?
アパレル・教育・NGO・ITって結構いろんな分野に今も足を突っ込んでいる感じがあって、なんでもやりたがるうちらならでは、っていうこともあると思うんですよ。そういう特殊なところを活かしてそれぞれの業界でインパクトを出したい。
例えば2018年9月の最初に、香港のファッションサミットというファッション業界向けのイベントに参加しました。そこで作り手と買い手の深い関係を作っていこうとしてるとか、ここまで教育にエネルギーを使ってる話、アパレル業界ではほとんど誰もやってないことを話しました。ファッション業界や教育業界の人が見るとめちゃくちゃ非合理なことやってるかもしれないけど、僕は人間らしいものづくりの世界を取り戻そうというのを信じている。もうちょっと世の中全体に影響できたらなあと思っています。
地理的な制限ってあるのかなって思ってたのですが、意外となさそうだなって気がしています。スリランカの政府から問い合わせが来ていたり。だからご縁があれば色んなところにいけるんじゃないかなと思っています。ライフスキルは人間に必要なものだと思っているので、展開する場所にはそんなにこだわっていないです。
2030年くらいに人類は火星行くっていう話もありますよね。火星に移住してもライフスキルは残ると思うんです。だからそういう時にも必要なものだと思ってやっています。
ーものづくりと聞くとファッション性を意識していない印象を受けるので、新しく感じます。
もっと「もの」と自分が繋がるみたいな感覚を持ってものを使っていく世の中になって欲しいなと思っているんです。今は毎年シーズンごとに色んなブランドでものを買うみたいな時代じゃない。買ったものが最初はたまたまかもしれないけど、いかにそれが自分をhappyにさせてくれるかとか、自分らしいと思えるかとか、そういうものを作っていけるようなブランドになりたいなと。。
だからSALASUSUは買った人全員に工房見学のチケットを渡しています。そのチケットを使ってカンボジアの工房にくる人がいるんです。そういう色んな行動変化みたいなことを取り合って、バッグがバッグ以上のものになっていく。誰かがあなたを想って作る、だから大事に使おうって思える。それがものづくりの喜びだと思っています。
教育は教育でチャレンジをしていて、SALASUSUで作った教育を今年からカンボジアの企業や政府などに提供を開始しています。僕たちで作ってきた人を変えるトレーニングは、他の企業や政府、NGOも必要としている。カンボジア中にこれからライフスキルトレーナーが育っていく予定です。
ー最後に読者にメッセージをお願いします。
とりあえず海外に来てみるのはすごく良いと思います。海外で働きたいっていう憧れや想いがあるなら、海外に行きたかったけど行けなかった自分と同居するのは辛いじゃないですか。そんな簡単なことではないかもしれないけど、絶対無理だなと言われるようなことでも、15年やればなんとかなるぞと僕は思います。。始めた時に15年かかりますよと言われたらやらなかったと思うけど、意外と今になってくると、俺は120年生きるつもりだからそう考えると15年あと何回か刻めるぞって思う。
インターンもオススメですよ。社会人になってもインターンにくる人もいる。ちゃんと立ち止まるって話をしたけど、親とも離れられるし、冷静になれるし、そういうのに海外って良かったりするから。
海外に行っても大事なのはそれこそライフスキルだから、人に感謝されて、価値を出して金を貰う、といったビジネスの仕組みは変わらない。だからこそなんで海外に行きたいのかと改めて見つめて、自分をより理解していくプロセスがあったら良いだろうなって思います。
カンボジア人は優しく、興味持って来てくれた人ならあたたかく迎え入れてくれるから、その中で時間やチャンスをもらって頑張ったらいいのではと僕は思います。。
<編集後記>
シェムリアップに訪れた時にSALASUSUを発見し、個人的にインタビューしてみたかった方なので、じっくりとお話を聞けてとても嬉しかったです!「独立が初めてやりたいことだった」「自分にかかっている呪い」「人とものがより繋がる世の中へ」など、長い間カンボジアで活動を継続している青木さんだからこその深い話を聞けたので、これから何か道に迷った時は読みたい、大事にしたい記事になりました。