『イブラヒム』として生まれ変わる。本当のイスラム とは?

こんにちは!東北大学農学部応用生物化学科3年の菅野翔です。

僕がどんな人間か。それを一言で表すなら、「ムスリム」だと思います。
イスラム名にするなら僕の名前は”Kakeru Ibrahim(イブラヒム) Sugano”
生まれつきそうだったという訳ではなく、大学に入ってから改宗をしました。

日本ではまだまだポピュラーではないイスラム教。
僕がどうしてそんなイスラムに興味を持ち、改宗することになったのか紹介していきます!

初めての国際交流、インドネシアとの出会い

イスラムに出会うきっかけは本当にただの偶然でした。

大学1年生の夏。留学生が行う行政手続きなどのサポートをする通訳アルバイトをしていた時でした。
来日して間もない留学生を数人引き連れて市役所で転入書類を準備したり、銀行口座開設の際に銀行員との会話を補助したりするといった業務でした。

この時、担当として“インドネシア人留学生”に出会ったのが全ての始まりです。

英語は中学からずっと勉強していたので多少なりとも自信はあり、通訳アルバイトに申し込んでいたので、「同年代の外国人なら流石に話せるだろう」そう思い込んでいました。しかし現実はそんなに甘くありませんでした。それまで全く国際交流なんてものをしたことが無かった”純ジャパ”の自分にとって、通訳はおろか英語で話しかけることすらできずに、完全に ”Hello, nice to meet you” のヘビーユーザーに....
正直、英語もできない奴に支援されているのかと煙たがられていたと思います(笑)。

それでも担当していたインドネシアの子たちは、他の国の留学生に煙たがられていた自分に対しても
「好きなアニメは?」「日本のトイレは勝手にフタが開くんだろ?」
と気さくに話しかけてきてくれました。

そのおかげで少しずつですが、緊張もほぐれてちょっとディープな話ができるようになりました。気がつけば周りにはインドネシア人がたくさん集まってきて、10人ほどでの日本語のレクチャーも始まりました。

最初は英語が全く話せなかった自分に対しても、インドネシアの留学生は真摯に向き合い、親切にしてくれました。自分に優しくしてくれた彼らと、自分もしっかり向き合わなくてはいけないと思うようになりました。


(通訳アルバイトで担当したインドネシア人とのランチ)


そうしてインドネシア人の友人たちと向き合ううちに、自分達との違いに気づき始めました。

それは"イスラム教"という宗教でした。

1日に何度もお祈りをして、豚肉やアルコールを避けた食生活をしている。
これくらいのことは当時の僕でもなんとなく知っていました。
ただ僕が見て驚いたのは、お互い肩を組みながらゲラゲラ笑うインドネシアから来たムスリムの友人たち。ニュースなどで見ていたイスラム教徒のイメージが強く、もっと無口で無愛想で危険な存在だと心のどこかで勝手に思っていました。

インドネシアの陽気でフレンドリーなムスリムと友達になって、ムスリムの友人たちの優しさに感動し、「自分が知っているイスラムは本当のイスラムではないのかもしれない?」と思うようになりました。

インドネシア で気づいた “ゆるい” イスラム

それから偶然が重なり(本当に運命を感じました)、その次の春にはジャカルタにあるインドネシア大学に留学兼インターンシップができる短期プログラムに派遣されることになります。

初めの2週間はインドネシア大学でインドネシアに関する一般知識のインプットとインドネシア語の授業を受け、後半2週間はAEONジャカルタガーデンシティーで新規事業立案インターンをしました。

(AEON ジャカルタ ガーデンシティでのインターンシップメンバーと共に)

国際交流の道へと自分を導いてくれたインドネシアに行くことになり、本物のイスラム社会に実際に足を運んでみて感じたのは、イスラム教の寛大さでした。

詳しくは他の記事で紹介しようと思っていますが、インドネシアではイスラム教徒であってもヒジャブを被っていない女性の方もいれば、平気で他宗教について議論し始める男の友人もいました。むしろその点は日本人よりオープンです。

厳格で抑圧的だと思っていたイスラム教社会において、「こんなことが許されているのか?」と思いました。とはいえ、平等や寄付といったイスラム的な道徳的価値観はしっかりと根付いているわけで。
そんな彼らを見て、「一体、本当のイスラムとは?何が大切なのだ?」とより一層イスラムの魅力に取り憑かれていきました。

帰国後はインドネシア人留学生団体に日本人として1人で飛び込み、一緒に断食に挑戦してみたり、ラマダン(断食の月)明けを祝ったり、自分なりにイスラム文化を身を以て体験していました。

イスラム教徒として生まれ変わる決断

正直に言うと、当時はイスラム教に魅了されていたというものの、最初はイスラムとムスリムの単語の違いすらわからない状態でした。

そんな状態においてもイスラム教に改宗したいと思った理由はたくさんありますが、「イスラムをより近くで学びたい。感じたい。」これが特に大きかったです。

「勉強するだけなら、別に改宗しなくても図書館で書籍をあさっていれば大丈夫でしょ。」
「わざわざ改宗して元の生活に戻れなくなるようなことしなくてもいいでしょ。」
(ちなみに信仰を破棄することはコーランでは死を意味します。)
なんてことを言ってくる人は今でも沢山います(笑)。

確かに知識を勉強するだけなら文献を読むだけでも十分かもしれませんが、イスラム教は家族よりも宗教としてのコミュニティーを重んじる宗教です。イスラム教徒でなくては関わることができないことも沢山あります。何より改宗する前は、一緒に過ごしていても心の距離がほんの少しだけ遠く、どこか壁を感じていました。


自分も同じイスラムに入信することで初めて、真の仲間として受け止めてもらい、自分にしか気づくことができない価値観があると感じ、改宗を決心しました。


そんなこんなで、インドネシアに初めて行ってからちょうど1年程経った2019年の1月に、東京・代々木上原にある日本一大きいモスク”東京ジャーミイ”でシャハーダ(信仰告白=洗礼)をしました。シャハーダを行ったことにより、穢れのない清純無垢な存在としてイスラム名 ”Ibrahim” を頂き、新しい自分に生まれ変わりました。


(東京ジャーミィ。日本最大のモスク。コーランの勉強会なども行っています)


ちなみにIbrahimとは、旧約聖書にも登場する
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する”啓典の民”の始祖のことで、イスラム教では、ユダヤ教もキリスト教も存在しない時代に唯一神を信じ帰依した"完全に純粋な一神教徒"とされています。

一神教というものに関わり、生まれながらのイスラム教徒ではなく、他の一神教についても接点を持ちながら、その中でもイスラムに選んだという自分のストーリーと照らし合わせて、”Ibrahim” をイスラム名に選びました。

まだまだムスリムとしては赤ちゃんのようなものですが、早く一人前のムスリムになれるよう、毎日お祈りの練習などに励んでいます。

交換留学で見つけた自分なりのイスラム

改宗してしばらく経った時、ふと初めてできたインドネシアの友人達のことを思い出しました。自分の考えを変えてくれた友人達の優しさ、そんな彼らの生まれ育ってきた環境・イスラムをみたくなり、2019年8月から2020年3月までインドネシア・ジョグジャカルタにあるガジャマダ大学に留学しようと決意しました。

留学では実際に生活しながら現地の方とモスクでお祈りをしたり、ムスリム学生団体に参加したりしながら実社会におけるイスラム文化のあり方を見てきました。


・”信仰” とは何なのか

・宗教と社会の仕組み&関係性がどういったものなのか

・日本社会と宗教の親和性

・これからの宗教のあるべき姿


これらのことについて、授業や座学ではなく、現地の友人などディスカッションを重ね、宗教行事に足を運んだりすることで、「イスラムにおける大切なものとは?」という自分の問いに答えるためにも、理解(自分なりの解釈)を深めていました。


(ムスリム学生団体の活動でジャワ島中部最大のイスラム学院跡を訪れた。)


そんな留学生活の中で自分の中で見つけた答えとは、
イスラムとは神と自らの関係に過ぎず、自分という存在が不完全であるが故に努力する。それが信仰である。”というものでした。

少し難しく抽象的にまとめましたが、簡潔にいうと
”人間は誰しもが間違うもので、イスラムは人生に迷った時の教科書だ”ということです。

例えば、「嘘をついてはいけないのか?」という問いがあったとして、自信を持って回答を出すことは非常に難しいですよね。しかしながら宗教でなら簡単に答えを出すことができます。
”なぜならアッラーがそういっているから。”
短絡的ではありますが、答えとしては軸がぶれることがありません。
これが人に対する思いやりについても同じように捉えることができた時、屈託のない優しさを持つことができるのだと感じました。

私たちは不完全な存在だからこそ、自分の意見も正しくなければ、他人の意見も絶対正しいなんてことはない。

このような考え方を持つことで、インドネシアのような多様なバックグラウンドを持った人々が暮らすところでも、認め合い互いに優しくなれるのかもしれません。

もちろんあくまでも自分の中での解釈ですが、この考え方は非常に重要だと考えています。自分たちがコーランにあるアッラーのメッセージを完全に理解できる存在ではないから、常にコーランの意味を考え続ける必要がある。
だからこそイスラムなら平和や愛、平等など難しい概念を実現できると信じていますし、自分と他人の人生を深く考えることができる。それがイスラムが平和の宗教であると言われる所以であるとも思いました。

これが僕の考えるイスラムの魅力です。

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