特集「ASESNで働く、その先へ」はじめます。

アセナビライターの小尾篤史です。

「“ASEANで働く”を近くする」ために、アセナビではこれまで、ASEANで働く方を中心に200名以上の方々にインタビューをさせていただきました。リアルな場においても、東南アジアで活躍されている方をお呼びしたイベントを開催し、累計300人以上の方々に足を運んでいただきました。

このようなアセナビの活動を通じて、実際にASEANで就職して活躍されている方もいらっしゃいます。

アジアの熱気を感じられるなら今。新卒でベトナムのプラント製作会社に就職した ソルテックグループ長谷川裕磨さん

しかし、ASEANで働くことに興味があっても、なかなか一歩踏み出せない方もいらっしゃるのではないでしょうか。私も、その中の一人です。

私は大学1年の夏休みにバックパッカーでASEANを周遊しました。そこで、ショッピングモールや地下鉄の建設現場を見て、今まさに経済成長をしていることを肌で感じました。毎年のように所得が上がって、明るい未来のために頑張っている人たちが多くいることを知り、ASEANが非常に魅力的な地域であることを知ったんです。

それから、大学を休学してタイで生活をしたり、復学してからはアセナビに加入したりと、ASEANととても関わりのある大学生活を送ってきました。

これからも、死ぬまでASEANと関わっていくだろうと確信しています。

2014夏、ラオスで出会った子どもたち

海外で働く=優雅な暮らし。だけじゃない?

タイに住んでいた頃、タイで現地採用で働いている方や駐在員の方、ビジネスをしている方とお会いする機会がたくさんありました。

そこで、大きな目標に向けて現地で活躍する日本人や、現地でビジネスをして定期的に孤児院へ行って支援をしている日本人がいることを知りました。これまで、海外で働くに対して優雅なイメージ持っていたのですが、現地のために本気でアクションを起こしている人たちを知り、私の中での“海外で働く”の意味合いが、大きく変わったんです。

これが私が死ぬまでASEANと関わりたいと思った原点です。ASEANで働き、現地で活躍したいという思いが強くなりました。

ASEANで働きたいという想いが高まった一方で、不安なことも見つけてしまいました。

というのも、タイで就職をしたはいいものの、給料や仕事内容、職場環境への不満といった理由で、すぐに退職して帰国してしまった人を、何人も見てきてしまったからです。これがきっかけで、安易に日本を飛び出すのではなく、長期的なキャリアプランを考えてからASEANへ行くべきだと思い始めました。

私が、ASEANで働く際に不安になる点は主に2つあります。

まずは給料の問題です。

多くの場合が日本の給料よりも安くなると言われています。たとえば、タイで働く場合、日本人の最低賃金は5万バーツ (約15万円) と言われています。そこから、生活費や交際費、年金などを差し引くと手元にはあまり残らないかもしれません。また、会社によっては、最低賃金以下で雇うことも可能な場合があるので、もっと安い賃金で働いている日本人も多くいると言われています。

生活コストが安いからと言って誰もがプール付きのコンドミニアム (タワーマンション) には住めませんし、毎日のようにレストランで日本食を食べることもできません。

そして、ASEANのキャリアが日本や他国でどのように活かせるのかという問題です。

ASEANで働きたいと思っている方の中でも、死ぬまで現地に住んでいたいと思う方や数年間働いたら帰国したいと考える方など、さまざまな方がいるのではないかと思います。特に短期的にASEANで働きたいと考える方にとっては、ASEANで働いたキャリアが日本や他国でどのように活かせるのかといった情報は気になります。

ASEANで働いた後の人たちなら、ヒントになることを知っているのでは?

近年、ASEANで働く人が増えている中、アセナビも含めて海外就職に関する情報はインターネット上にたくさんあります。しかし、ASEANで働いた後にそのキャリアをどのように活かして活躍されているのかといった情報はあまりありません。

このような経緯から、今回はASEANでキャリアを積んだ後に、さまざまなフィールドで活躍をしている方に焦点を当てた特集をはじめることにしました。

その名も「ASESNで働く、その先へ。」です。今回の特集では、計6名の方に取材をさせていただきました。

取材をさせていただいた方の中には、現地で駐在員をされた方、日本語教師をされた方、エンジニアをされた方など多岐に渡ります。国も、タイやマレーシア、インドネシアやなど、さまざまです。彼らは、ASEANでの経験を活かして帰国後も活躍されていたり、現地で更に活躍されています。

毎回のインタビューでは、「あなたにとってASEANとは?」という質問もさせていただいています。長期間働いた場所をたった一言で表すのは難しいですが、ASEANで働き終わって一区切りついたからこそ言語化できるのではないかと思い、質問をしました。そちらも合わせてお楽しみください。

この特集を通して、私自身が抱えるASEANで働く上での不安を払拭したいという想いと共に、同じような悩みを持っている方々にとってのASEANへ一歩踏み出すきっかけになったら、と思います。

それでは「ASEANで働く、その先へ。」、はじめます。

 

青年海外協力隊を経てやりたいことはビジネスだと気づき、2度目のインドネシア勤務へ。インターネット広告アフィリエイト事業会社 ジャカルタ駐在員 山本瑞穂氏

《プロフィール|山本瑞穂氏》
大学在学中にタイに留学し、雑多な東南アジアの空気に魅せられる。卒業後は、インターネット広告事業の株式会社インタースペースで3年間マーケティング職に就いたのち、2014年11月から2年間、JICAの青年海外協力隊としてインドネシア・ロンボク島で観光業に従事。2016年12月からインタースペースに復職し、現在は海外戦略事業部としてジャカルタに駐在中。

 

タイで自分の教室を持つ。自分を成長させてくれたタイに恩返しをするためにわが道をゆく。大石忍氏

《プロフィール|大石忍氏 (おおいし しのぶ) 》
1989年生まれ、千葉県出身、聖心女子大学卒業。一橋大学大学院在学中。2012年、青年海外協力隊日本語教師隊員としてタイへ派遣。帰国後、国内の日本語学校に非常勤講師として勤務。2016年、一橋大学大学院言語社会研究科入学。

 

37歳で日本を飛び出し、タイとマレーシアで就職をした先に見えたものとは?末吉史夫氏

《プロフィール|末吉 史夫氏 (すえよし ふみお) 》
1975年2月、東京生まれ。大学卒業後は、IT系の会社へ就職。2012年にタイの首都、バンコクにある日系のIT企業で勤務。2013年にマレーシアの首都、クアラルンプールにある外資系のIT企業で勤務。2016年に帰国し、現在は再び東京在住。

 

楽しさをキーワードに、「澤村信哉」を演じる私

《プロフィール|澤村信哉氏(さわむら しんや)》
1976年、北海道生まれ千葉育ち、横浜国立大学卒業。1999-2006年はフィリピン、ミンダナオ島にて、2006-2008年はブルガリア共和国ルセ市にて日本語教師として働き、教科書作成や教員育成にも注力。2008年からフィリピンに戻り、児童養護施設ハウスオブジョイの運営に携わる。現在は約20人のこどもたちと一緒に暮しながら、こどもの自立支援や就学支援のためのプロジェクトを手掛けている。特技は20種類以上の楽器演奏と、主たる収入源でもある似顔絵描き。

 

作り手の自分がタイでの経験で見つけたこと、角森智至氏

《プロフィール|角森智至氏(つのもり さとし)》
1987年生まれ、島根県出身、文化服装学院バッグデザイン科卒業。2009年 株式会社土屋鞄製造所入社。1年間ランドセル製造の経験を経た後に他社メーカーへ出向。2012年、土屋鞄製造所へ戻り革小物チームの責任者に就任・2013年、 タイの他社メーカーへ出向。通算8ヶ月タイのワーカーと共にOEM事業を経験。海外工場で革小物の生産指示を経験。帰国後、土屋鞄の代表的な製品「OTONA RANDSEL」の生産責任者を務め、計画、調達、管理など製造に関わる全ての業務を経験。同年12月に退職し、2017年から自身のバッグブランド「objcts.io」の立ち上げ準備中。

 

インドネシアで経験した新規事業立ち上げとコーチング。そこから見えた人材の可能性とは? 下釜創氏