2017.01.16
あなたは海外74か所に拠点を持ち、綿密な情報収集を実施し、日系企業の海外展開を最前線で支えている組織があることを知っているだろうか。時にひとりで日本を代表し、現地政府と対等に交渉する仕事を”ASEANで働く”ことの一つとして考えたことがあるだろうか。”ASEANで働く”をサポートすることに職業人生を賭ける人々を見たことがあるだろうか。
今回はJETROプノンペン事務所を訪問し、勤続20年目を迎える所長の河野将史氏と、カンボジアの地で若手女性職員として活躍する岸有里子氏にお話を伺った。
《プロフィール|河野 将史(こうの まさし)氏》
1974年生まれ、神奈川県出身、東京外国語大学卒業。1997年、JETRO入構。
東京、新潟等勤務の後、2006年-2009年にてインド・ムンバイ事務所所長。2010年の上海を経て、2014年8月よりプノンペン事務所所長、現在に至る。中小企業診断士の知見を活かし、主にアジア・アセアンへの日系中小企業支援に注力する。
《プロフィール|岸 有里子(きし ゆりこ)氏》
1990年生まれ、東京都出身、上智大学卒業。2012年、JETRO入構。
約4年間、JETRO本部(東京)の農林水産・食品部にて、予算・総務および日本産食品・盆栽や花き等の輸出促進事業に従事。2016年3月よりプノンペン事務所で勤務、現在に至る。中小企業のカンボジアでの海外展開をサポートする「プラットフォーム事業」や「カンボジア輸出入一州一品展示会」等、事業全般を担当する。
目次
Amazon・IKEAの日本進出はJETROの支援!JETROの役割とは?
―まずJETROという組織について聞かせてください。
(河野さん)JETROは経済産業省の外郭団体で、職員は1769名おり、そのうち1033名が国内勤務、736名が海外勤務です(2016年10月1日現在)。また海外55ヶ国に74か所、国内には43か所の事務所があります(同年4月1日現在)。加えてアジア総合研究所(以下アジ研)があります。JETROとアジ研は元は別の組織で、1998年の行政改革の一環で統合された経緯があり、現在は同じ組織として活動しています。
JETROの業務内容としては第一に中小企業の海外進出支援があります。第二に農産品の海外展開支援、日本ではまだまだ農業がさかんですので。第三に対日投資の促進で、海外の製造業を地方に誘致し雇用確保に繋げたのがはじまりで、今やAmazon、家具のIKEAがJETROの支援で日本に進出したように、製造業のみならず多様な企業が事業を展開しています。
この三つに調査と情報発信を加えてJETROの四本柱という言い方がされます、特にアジアに関していえば、アジ研がバンコクに独自の事務所を構えて広くアジアをカバーする調査を実施しています。
ちなみに職員は外国語学部出身が多く、例えば私は大学でインド・パキスタン語を専攻していました。
―企業の海外展開支援に関して、同様に支援を実施する民間企業と比較して公的機関ならではの強みはありますか?
(河野さん)民間のコンサルティング会社などが行う支援は基本的に現地の情報提供にとどまります。対してJETROは現地で許認可が必要になった際に、現地政府とのコネクションがあるので、時に大臣級の方との面会までお手伝いできます。トップダウンで非常に早く話が進むこともあります。
JETROには公的機関として、お客様たる支援先企業を平等に扱わなくてはならない面もあります。私どもの事業に「中小企業海外展開支援プラットホーム」とあるように、大企業には自力で進出していただき、JETROとしては日本国内の全企業数の99%を占める中小企業を中心に支援を進めています。
(岸さん)私が日本で農林水産食品部(食品の輸出支援を実施)に所属しているときに、日本からブラジルへ食品を輸出する際には衛生証明証が必要となるにも関わらず、なかなか発行されないという声が日本企業からありました。企業一社ではどうにもできない状況ですが、JETROがその声をまとめ、問題改善を水産庁に働きかけたことにより、2013年11月にブラジル向け輸出水産物の衛生証明書発行対象が拡大しました。
その時機を捉え、2014年3月にブラジル水産セミナーを開催して同国よりバイヤーを招へいし、その結果ブラジルバイヤーだけで1億円超の成約見込みになりました。
このように企業と現地政府の橋渡しをするという部分はJETROだからこそできることでしょう。
外資規制がほとんどない?カンボジア進出の魅力、そして課題
―続いてカンボジアに話を移したいと思います。まずカンボジアのビジネス環境についてお聞かせください。
(河野さん)カンボジアの一番の魅力は、投資先として外資規制のハードルが低いということです。
例えば隣のタイでは外資規制がありますし、インドのように外資100%の小売業を完全に禁止している地域もあります。カンボジアは外国企業に来て何かをやってもらいたい、というスタンスなので、武器等禁止されているビジネスを除いて、たいていのビジネスは可能ですし、発電・送電など通常は国策で賄われる事業も一部を外国企業に開放しています。
他にもワーカー1人あたりにかかる人件費はまだ低く、最低賃金は上がりつつあるものの、ボーナスは給与の1か月分が相場で企業が負担する福利厚生も比較的安価である等の理由で、一人当たりにかかる年間総額はタイやベトナムの半分以下ともいわれています。
またカンボジアはワーカーの平均年齢が20歳程度であるため、最低賃金で雇える若年層が非常に多いです。逆にタイやベトナムはワーカーの平均年齢は30歳代であり、最低賃金で雇えるワーカーの数は限られています。
ミャンマーを見てみても住居代もヤンゴンに比べてかなり安いので、拠点を置いた場合のトータルコストはかなり低くなります。
JETROのウェブサイト内の「投資コスト比較」も参考にしてみてください。
参照|投資コスト比較:世界の主要都市への進出関連のコストを比較 |JETRO
また日本からの支援の歴史もあってカンボジア人は非常に親日的で温かいので、実際に住んでみても暮らしやすいです。こちらの人は良くも悪くも素直なので、何かを丁寧に教えればそれに沿ってやってくれます。そういったカンボジア人の気質を理解すれば、仕事も生活も楽しくなります。
―逆にカンボジアの課題はなんでしょうか?
(河野さん)規制は比較的緩やかですが法整備は遅れているので、実際に投資を進めるとなると法律があっても参照すべき判例がない、法律はあっても運用が曖昧という事例が多く見られます。
またいわゆる“袖の下文化”も根強く、特に物流関係でそれが顕著です。
さらに電力も問題です。2015年の時点で国の電力の4分の1をベトナム等近隣国から輸入しており、ベトナム国境に近い工業地帯では週に一度計画停電まで実施されています。電気不足に加えて電気料金も高く、ベトナムの2倍でラオスの3倍ともいわれています。
こうしたメリットとデメリットをタイ・ベトナムなどと比較衡量して進出を決定する企業が多いです。
熟練工はタイ・ベトナムの方が多いので、モノによってはそういった地域が適しています。
また最初からカンボジア、というより中国・タイ・ベトナムの企業が人件費の高騰に直面して「タイプラスワン」「ベトナムプラスワン」の形で、タイなどの工場の労働集約的な部分、ヒトが手で作る部分を持ってくることによるカンボジア進出のパターンが多く見られます。
―カンボジアの産業についてもお願いします。
(河野さん)カンボジアでは電力をあまり使わない労働集約型の繊維・縫製・製靴業が主力となっています。逆に半導体などの先端産業はまだ来づらい状況です。
政府は2015年から10年間の産業政策(IDP)の中で繊維製品等の労働集約型産業からの脱却を掲げ、電気・電子部品や自動車部品の製造等の技術集約型にシフトしつつあります。
例えば自動車のワイヤーハーネスという部品を製造する日系企業はカンボジア国内に現在3社あり、そのうちの1社はカンボジアで製造した製品の100%を日本に輸出しています。
また精密部品製造のある企業はタイで一万人規模の工場を持っていたのですが、5年前にカンボジアに分工場を設け、ワーカーが手作業で行うラインのみをカンボジアに持ち込みました。さらに2016年12月、プレス加工等を含む付加価値の高い製品の製造にも乗り出すことを発表したところです。
―カンボジアには中国・韓国の企業も盛んに進出していますが、こういった国々及び日本とカンボジアとの関係はどうでしょうか?
(河野さん)やはりカンボジアは中国・韓国を強く意識していると感じます。日本に対しては「次はどんな支援をしてくれるのかな」という態度が感じられるのが残念なところです。
その一方で現地の日系企業の要望をJETROやカンボジア日本人商工会が取りまとめてカンボジア政府に報告する、「日本カンボジア官民合同会議」が年に二回開催されています。そこで提起されたことはほぼ全てカンボジア政府として検討の対象になります。これは日本だけに対しての試みであり、日系企業のことを「税金をちゃんと払ってくれるお客様」と評価して特別な試みを設けてくれているのだと感じます。
―お二人がカンボジアで生活している中での実感をお聞かせください。
(河野さん)外資系企業が多い国柄で、特に2014年の6月にイオンが進出してからは日本食品の調達も容易になり、2015年には日本人学校もできました。
そのため元は単身赴任が多い地域だったのですが、今や家族とともに駐在できる場所に変わりつつあります。その一方で参入障壁の低さゆえ、若い人が単身で訪れていきなり起業する、又は現地採用されるケースも多いです。
(岸さん)私は東京で4年勤務した後の初の赴任地がプノンペンでした。カンボジアにいくとなって身構えて、髪も切れないかと思って事前に短くして黒く染めました(笑)。
ところが来てみると日系の美容院も少なくとも6件は見つかり、ネイルサロン・マッサージ ・エステなども充実していました。女性でも暮らしやすい環境です。
(河野さん)こちらに渡ってくる若年層はむしろ女性が多いですね。カンボジアでは日本人の男性はバーやラーメン屋などの飲食業に従事することが多い印象です。
(岸さん)女性で有名企業に現地採用されることもよくあります。またカンボジアの人の温かさに惹かれて来る方が多い印象です。日本で働くことにややストレスを感じていて、カンボジアの東南アジア独特の時間の流れやカンボジア人の親日的なところが好きで、現地採用なら安心感も増すとのことで滞在する方が多いのかもしれません。
イオンは2号店を2018年にオープンする予定、現在急ピッチで建設が進む
JETROに入るきっかけと、印象に残っている仕事
―続いて、お二方のこれまでのお話にフォーカスしたいと思います。まず就活時のお話を聞かせてください。
(岸さん)就活は「日本に貢献でき、利潤を過度に追求しない」かつ「国際的な活躍の場があること」を軸に進めました。メーカーも考えましたが、自分の心の入った商品を担当できるとは限らない点がやや気になったのです。
結局、それなしには人々が生活できないような医療機器・物流・航空・インフラ等の社会貢献度の高いメーカーに絞りました。そして、JETRO・JICAにも応募しました。ESは50社ほど出しましたが、ポリシーに最も合致していたのがJETROだったのでJETROに決めました。
入ってみて企業支援の平等性を保つ必要があることや、書類作成等がやや煩雑である点にギャップを感じましたが、いずれも公的機関ゆえのことですのですぐに納得しました。
―印象に残っているお仕事はありましたか?
(岸さん)1つは2014年にメキシコで和牛の輸入が解禁となり、安倍首相の中南米外遊のタイミングに合わせてプロモーションイベントを実施したことです。和牛を調理し現地在住の皆さんに食べてもらい、そこを安倍首相・夫人が訪れトップセールスを行いました。国家規模のスケールが大きい仕事ができたという実感が得られました。
もう1つは「中小企業海外展開支援プラットホーム」の一環で、カンボジアでサッカーチームを所有している企業様の依頼を受け、ホームスタジアムをプノンペンからシェムリアップへ移転させる案件を担当したことです。
(河野さん)カンボジアにサッカーチームは10チームで、うち1つが日系、そして全体のうち9つがプノンペンにあります。
(岸さん)さらなるビジネスの拡大とカンボジアでのサッカー文化の振興を目指されていて、こうしたプノンペン一極集中という状況を脱し、地方振興を図るとともにJリーグをまねたモデルを実現したいというのがご移転の理由です。
参照|「カンボジアの夢と勇気の象徴として国民の生活に欠かせない心の潤いとなる」カンボジアでサッカークラブを経営する加藤明拓氏
当初、「どこに働きかければよいかわからない」とのご相談をいただき、JETROの看板を活かして教育・青少年・スポーツ省(日本の文部科学省にあたる)にアプローチしたところ、いきなり同省の大臣との面会に漕ぎつけたのです。
会談ではその場でゴーサインが出て、その後着実に移転手続きが進んでおり、まさに本日(編集部注:取材時の2016年12月2日)、シェムリアップで初の親善試合が行われています。
―タイムリーですね!河野様はいかがでしょうか。
(河野さん)JETROは国内事務所の仕事も多く、私も国内の事務所立ち上げを何件か担当し、例えば2014年4月には静岡県の浜松事務所を立ち上げました。
それから2年経った2016年夏にカンボジアから浜松へ、カンボジアの有力企業を束ねるカンボジア商工会議所の代表者3人を派遣する事業があり、同年秋には浜松市からカンボジア視察団が派遣されました。その際にJETROが音頭を取り、両者のネットワーキング会を実施しました。浜松事務所の立ち上げに携わった縁が活きて関係者と非常にいい関係を築け、事業も成功に終わりました。
個人としてビジネス交流のとっかかりを作れた、日本の仕事とカンボジアの仕事が結びついた点でとても感慨深かったです。
キャリアを通してだと、2008年にムンバイ事務所にいたときのことが思い出されます。当時はブリックス(BRICs、ブラジル・ロシア・インド・中国の頭文字を取った呼称)という言葉が初めて使われてインドが非常に注目され、一日に6社ほどが事務所を訪れていた時期で、私が一人で大量のお客様と対応しました。
その後ビジネスニーズの拡大をうけて「ビジネスサポートセンター」の立ち上げ話が持ち上がり、インドへの進出を検討する企業向けのレンタルオフィスを用意し、アドバイザーも配置して企業のインド進出を支援する体制を作ることになりました。許認可等のためにJETROの名前をフルに活用して現地の大臣級と交渉したり、日本側の要人を迎えるための下準備をしたりと苦労しましたが、最終的に無事に立ち上げることができました。その結果、日系企業のインド進出がかなり進み成果もあがりました。
各国のJETRO事務所は現地国と対等に対峙できますし、個人的に国内勤務よりもやりがいを感じられます。
日本企業の代表として働くこと
―総括として、JETROの魅力について伺えればと思います。
(岸さん)人にはそれぞれ性格がありますが、縁の下の力持ちになることにやりがいを感じる方はJETROを選択肢に加えてくれればと思います。
私は「自分でビジネスをやりたい」というよりは「お金にならなくても社会的に必要とされる」仕事がしたいと思っていました。
例えば、よくJETROと比較される商社はどうしても短期的に大きな利益になるような企業同士のマッチングが多く、しばしば中小企業は対象から外れます。逆に私は中小企業を”広く”支援したかったのでJETROを選びました。人と人とを繋げることにやりがいを感じる方はぜひ!
(河野さん)申し上げたようにJETROには74か所の海外事務所がありますが、そのうちの3分の1がいわゆる “一人事務所”(本部から駐在員として来ている職員が一人のみの事務所。現地採用の所員がいるなど、必ずしも日本人ひとりを意味しない)です。そうした地域は現地国の政府と対等に交渉できるのがJETROの所長のみ、という状況です。
私が10年ほど前にインドのムンバイにいたとき、30歳そこそこで “一人事務所” の所長を任され、マハラシュトラ州の州政府と直接、国の看板を背負って交渉しました。業務内容としても稼いでナンボというのではなく、日本の企業全体の役に立つ仕事ができる、それが海外事務所を多数有するJETROの魅力だと思います。
カンボジアでも官民合同会議という形で日系企業の意見を取りまとめてカンボジア政府に伝えており、カンボジア政府としてもJETROは日本企業の代表だとはっきり認識して対応してくれています。
我々は違うことを言っているようですが、根本にあるものは似通っていて、そうした発想の人が多いのがJETROという組織だと思います。
基本的に海外で起業ないしビジネスをすると一ビジネスマンという立場にとどまり、制度の枠組みの中で仕事をすることになります。逆に、JETROではそれより高次のレベルで日系企業のための地ならしができる、それが魅力です。
編集後記
公務員になる人が周囲に多いこともあり、公務員自体は身近であったがJETROについてはあまり明るくなく、ましてやカンボジアで働く職員の方となると全くイメージが湧かなかった。
ただお二人に実際に会ってみると、カンボジアで働く人に通底する鷹揚さを感じた半面、公的セクターを担っている方々に特有の落ち着いた雰囲気も感じられ、何かしら腑に落ちた感じがあった。特にカンボジアのビジネス環境についての話は興味深く、ミクロでもマクロでもカンボジアを熟知していることに畏敬の念を抱いた。
また個人で自由に働きたければやはり起業するのが近道だと考えていたが、公的機関の一員でありつつも”一人事務所”で国を背負って働くことができるとのお話を聞き、キャリア選択に関する幅が広がった。