成功の鍵は先駆者であること。シンガポールでエシカルファッションブランドEtricanの代表を務める宇野有実子氏

2018年に、シンガポールで成功している外国人起業家に贈られる、Expatpreneur Awardsを受賞された宇野有実子氏。幼い頃から海外との関わりを求め、実際に自身がルーツを持つシンガポールで、エシカルファッションのブランドを立ち上げました。順風満帆に思えるキャリアですが、「自問自答と軌道修正」をしていたから築けていると言います。満足のいくキャリアを選択するには?また、彼女が成功した理由にも迫りました。

《プロフィール|宇野有実子氏》

エシカルファッションブランド「エトリカン」の設立者兼デザイナー。母親がシンガポール人で、高校はシンガポールのインターナショナルスクールに通うなど、シンガポールとの繋がりを深く持つ。イギリスの大学への入学やオックスファムでのインターン、People Treeへの就職がきっかけで、オーガニックやエシカルへ理解を深めていく。その後、シンガポールでブランドの立ち上げ。シンガポールで成功している外国人起業家に贈られる、Expatpreneur Awards 2018を受賞。

 

広く興味を持って国際関係を勉強した学生時代

ー現在宇野さんがされている活動について教えてください。

2009年に設立したエシカルファッションのブランド「エトリカン」の代表を行なっています。エシカルファッションとは、社会問題・環境問題などに配慮して生産や販売が行われているファッションのことです。

立ち上げてからもうすぐ10年目になるので、今はBtoCよりもBtoBに力を入れています。例えばアイスクリームショップの、ベンアンドジェリーズの商品を提供し始めました。彼らは原材料にもフェアトレードのものを使っていたり、フェアトレードやエシカルに興味があったんですね。スタッフのユニフォーム作りの話も出ていて、これから取り掛かります。

それと、The Green Collectiveというエシカルやエコなブランドを取り入れている、セレクトショップとも去年(2018年)から提携しています。

好評により、ショップスペースが拡大したエトリカン。

ーどのようにしてブランドの立ち上げをされたのですか?

シンガポールでオーガニックコットンを広めたいっていう気持ちがきっかけです。

イギリスの大学卒業、そしてオックスファムでのインターンシップ後に、日本のPeople Treeで働きました。People Treeでオーガニックコットン工場の生産管理を担当していて、自分で勉強する機会があったんです。

そこでそれらの知識を活かして、シンガポールでブランドの立ち上げを決めました。「なにかオーガニックなものが欲しい」っていうニーズがあった時に、シンガポールでオプションがあるようにっていう意味も含めて。

その頃は2009年だったので、オーガニックの認知度は低かったです。シンガポールの人たちにオーガニックのTシャツと説明しても、「食べれるの?」っていう質問が来たり(笑)。オーガニックといえば食品という認識しかなかったので、そこからブランドとしての認知度を上げていきました。

 

ーたしかに、オーガニックというと最初に食品を思い浮かべますよね。
エシカルファッションなど、国際関係に興味を持ったきっかけはなんだったのですか?

小学校の頃のざっくりとした興味から始まって、シンガポールでの先進的なインターナショナルスクールや、大学で国際関係を専攻したことがきっかけです。

小学生の時は、母親が国際関係という教科として公立の小学校で教えていました。だけど海外と触れるきっかけが今ほどなかったり、クラスメートも日本人ばかりだったり。そういう意味で、もっと海外と触れられる、橋渡しのような仕事がしたいと思っていました。

シンガポールで通ったUWCというインターナショナルスクールは、国際関係や国際理解にすごい力を入れてる学校だったんです。課外授業でカンボジアの地雷の除去に関連しているNGOから職員や実際に地雷の悲劇にあった学生の方がお話に来ることもあり、そのようなプログラムがたくさん活用されているインターナショナルスクールでした。

そこから大学の専攻を選ぶときに、まだ自分が社会人になって何をしたいかがあやふやな10代で決めるって難しいじゃないですか。その時にイギリスの大学フェアが開かれていて、ざっくりと色んなことに興味があったので、いくつかに絞ったんです。

カウンセラーに相談した時に、「国際関係の方が幅広く役に立つし、卒業した後にもし何か関心・興味があることが変わった時に、適応しやすいのでは」と言われて、大学では国際関係を学ぶことに決めました。

ー小さい頃から思っていたことを学び続けているとは、驚きです。
大学ではどんなことを学んでいたんですか?

ブランドを立ち上げるのは社会人になってからなので、そこまでエシカルにはこだわりがなく色々なことを勉強していました。大学自体が大きかったというのと、いろんなプログラムを選べたので、結構活発に色々やってたと思います。当時外国人学生が一番多かった大学だったので、とても国際的な環境に自分を置くことができました。

例えば自分のルーツとなるシンガポールと日本という2つの文化に触れる機会もあったり、中国語やスペイン語を1年間ごと学んでいたり。

学部の掲示板を見て、セミナーやディスカッションなど興味のあるものは友達と一緒に参加して、フットワークは軽かったです。

 

ーでは、オーガニックコットンやエシカルファッションは、オックスファムでのインターンシップで興味を持ち始めたのですか?

大学の売店がエシカルのものを取り入れていたので、その時から目には入っていたと思います。あとは、イギリスでは、学生グループ主導でデモンストレーションをするんですよ。

国外で起きている紛争とかのトピックのディスカッションやプレゼンでは、日本の大学よりも自分の意見をはっきり言うことを求められてたので、その観点からも国際問題への問題意識は興味がありました。そういうところからも影響を受けて、「エシカルって何?」「オーガニックって何?」と興味を持ったんだと思います。

エトリカンのホームページ。

ーその時に持った問題意識と今も思ってることは同じですか?

大学の時は、もっとざっくりしていました。オーガニックは環境にも地球にも良くて、エシカルは公平な賃金や人のために良いとか、社会問題を解決するとか。

実際に企業の一員として、People Treeで働くまでしっかりとした問題意識を持つことは難しかったです社会の一員として、大学で勉強したことを実践するまで実感が湧かないこともあるじゃないですか社会人になるまで、「エシカルやオーガニックがどういう風に、実際に人々や環境に影響を与えているのか」というのが理解できていなかった部分がありました。

 

ー働いてみると、実際にわかることが増えるんですね。

そうですね、実際に働くことによって、あらゆる社会問題の観点を知ることができ、ブランド立ち上げへの想いに繋がっていきました。

BBCの記事で、インドでは小さな農家の人たちの自殺率が高いという記事があったんですね。コットンの栽培を始めたが、農薬を買うためにローンを組まなければならず、そのローンが返せなくて自殺に追い込まれるという話でした。

生産管理を担当することになって、自分からオーガニックとノンオーガニックのコットンの違いはなんだろうって調べるようになり、初めてそういう記事を読むようになりました。オーガニックの良さと、そこには相対で浮き彫りになった社会問題もあって。そういうことを知ってから、起業やブランドの立ち上げに繋がっていったと思います。

もうちょっとその社会問題を掘り下げると、例えばファストファッションですね。ファストファッションは月に何回も新しいスタイルを出しているので、破棄する服も多くて、それがゴミ問題だったり別の社会問題になっています。対照的に、日本の改善システムというか、必要以上のものは作らないということに興味が出てきて、ブランドを立ち上げようっていう方向になったんですよね。

 

軌道修正を続けて、自分のキャリアを築いていく

ー学生時代から、ずっと止まらずに進み続けている印象を受けました。将来の選択において、迷うことはなかったのですか?

それは常に迷い続けているのですが、自問自答を繰り返していたからこそ軌道修正がしやすかったんです。

就職して2〜3年はみんな仕事に慣れていくのに精一杯だと思うので、自分の軌道に沿っているかと考える時間はないと思います。だけど、20代真ん中くらいになってから振り返ってみたり、自分の中でも2〜3年に1度くらいの割合で「自分のやりたい仕事ができてるか」とか、「自分の築きたいキャリアや方向性を修正していく必要があるか」というのを自問自答しながら、修正し続けて満足のいくキャリアは築けると思います。

 

ーやりたいことを実際事業として長く続けていくのはとても難しいと思うのですが、どうしてこんなに長く続けてこれたと思いますか?

細く長く続けてきたんです。シンガポールは不動産が高いので、オンラインショップに力を入れてきたのもその理由の1つです。

たまにシンガポールの学校のワークショップや社会人向けイベントのパネルディスカッションに招かれる機会があって、その時にブランドを立ち上げたい20代の人からアドバイスを求められることがあります。

いきなりショップスペースを確保して、賃貸で何十万と投資するよりは、オンラインでコレクションの数も年間数回だけ投入していくとか、長い視野で行えるようにとアドバイスをしていますね。私も9年以上ブランドを続けていると、初期投資が大きすぎて続けられなくなったり、資金繰りで大変になったりする人たちを何回も見ているので。

でも2009〜2010年の立ち上げ当初は、オンラインで買い物するということが今ほど浸透してなかったので、難しかったんですよ。「自分で試着した後返品する際、返金はスムーズに行くのか」とかいう質問もすごい多くて。

ここ2〜3年はシンガポール人一般の考え方が変わってきて、オンラインで買い物することに躊躇しなくなりました。それは政府の方針とか、社会的な考え方がシンガポールで変わってきたっていうのと、シンガポールって変化がすごい激しい国なので、みんながどんどん変化に慣れていかなければいけない。ネットでのお買い物とかアプリの使用率も浸透性がすごい変わってきてるんですよ。

 

ー先ほどおっしゃっていたキャリア選択における軌道修正の途中で、迷った時に軸としている考え方はありますか?

結局、分野とか業界とか職種で特定するのってすごい難しいと思うんですよ。なので、すごい素朴なところから考えていきます。

例えば絵を描くのが好きだからといってアートであるのか、マーケティングであるのか、どういう風にヴィジュアルを通してコミュニケーションを取って行くのかとか。本当に分解してそれくらい小さなレベルというか、基本的なところから考えていかないといけないと思うんですよね。

 

ーものすごいシンプルですね。

どういうところに自分がモチベーションを感じるのかとか、何をやった時に達成感とか満足感を得られるのかとかが大事ですね。

私はエトリカンを立ち上げた他に、フリーランスで通訳もしてるんですね。結局自分は何が好きなのかなって振り返って見ると、人を助けることなんですよ。

海外の企業との会議で緊張されている企業の方々が、終わってから「宇野さんのおかげで助かりました」と言ってくれるのが通訳の仕事の好きなところなんです。エトリカンを立ち上げたのもオーガニックのオプションを与えるということで、社会のために役立ちたいからです。

でも大学の頃って人を助けるのが好きというと「カウンセラーになりたいですか」って言われるじゃないですか。キャリアテストをした時にカウンセラーに向いてるというのも一度出てきたんですよ。でもそういうテストって与えられる結果が限られてる。その時には私も「じゃあカウンセラーが向いてるのかな」って考えたこともあったので。答えって本当にすぐにパッと見つかるところにあるわけじゃないんですね。

 

「先駆者」であることのアドバンテージ

 

ー宇野さんが今夢中になっていることはなんですか?

デジタルに興味がありますね。通訳の仕事でもデジタル関係の通訳は多々あります。私たちの生活が変わり、携帯なしの生活が想像できないくらい本当に幅広く浸透しているパワーを感じます。次のアプリはなんなのかというと、それは業界を問わない。シンガポールが国全体でデジタル系のスタートアップを誘致していたり、テストベッドとして使ったりというのもあるので、目に触れる、体感する機会も多いですね。

 

ーエトリカンを立ち上げて、予想以上にうまくいったことと、うまくいっていたはずのことがあれば教えていただきたいです。

とりあえずブランドとしての認知度を築くことができて、着々と成長しているビジネスを築けたので、「あれがもっとうまくいってほしかった」というのはないです。

でも、先駆者であることのアドバンテージというメリットが本当にあったんだなって思います。起業やスタートアップという観点から先駆者であることが大事とはよく認知されていると思います。そういう意味では、シンガポールのエシカルファッションやオーガニックの業界では先駆者だったので位置づけすることができました。

それはエトリカンとしてのブランドタグにも「シンガポールのエコファッションの先駆者」と明記したり、その他にも新聞や雑誌記事に取り上げられると、必ずパイオニア・オブ・エコファッションと出てきたり。

これは日本国内でも東南アジアに関わらず、何かスタートしたいと思う人たちは、「市場の中でまだ繰り返されていない初めてのものは何であるか」というところがしっかり確立できていると、良いアングルになるんじゃないかな。

 

 

ー2009年の立ち上げ当時は流行りそうってのは全くなかったんですか?

いずれそういう波が絶対来るなって感じていたのですが、それ以上に日本でファッション業界やPeople Treeというエシカルファッションに関わることができ、ブランドとして社会貢献とか、透明性とかがすごい重要だなって思ったのが第一でした。

ヒアリングとしてシンガポールの友達に、「こういうブランドを立ち上げようと思ってるんだけど、どう思う?」と聞いたんですよ。そしたら「シンガポールではまだこういうことは認知されてないから、3〜4年後に始めたらどうか」って言われたんです。それでは先駆者としてのメリットがないので、今始めなきゃいけないと思って。だから最初の2〜3年はすごい大変でした。

でもここまで早くシンガポールが発展するとはもしかしたらシンガポール人も思っていなかったと感じるんですよね。これほどテクノロジーやIT環境、そして企業等が誘致される国になるとは想像できてなかったと思います。

 

ーでは、時代の変化をどのようなところで感じますか?

エシカルの商品に興味がある人たちが、問題解決にたどり着ける簡易性が変わってきたんじゃないかと思います。

昔はニッチなものという考え方があったと思うんですけど、社会問題とか社会定義もインターネットを通して、みんなが簡単に検索できたり、FacebookやSNSを通して簡単に共有できるようになりましたよね。

でも本当はわからないですよ。オーガニックという考え方が浸透してこういうビジネスが成長してきているということは、恐らく興味や関心が増えているとは思います。

それが果たして人数的に興味が増しているのか、オーガニックに興味がある人が、簡単に検索できるようになってそのブランドと繋がることができるようになったから成長してるのかっていうのが。もっと大きな企業だったら定量的なリサーチもできると思うんですけど。

 

ーシンガポール以外に進出する予定はありますか?

海外からBtoBで問い合わせが来ていたりするので、これからはもっとシンガポール国外にも目を向けて成長していくかなと思います。

商品自体はオーストラリアでのショップだったり、アメリカのオンラインショップだったりに卸していた経験もあります。あと、エシカルファッションフェアで日本のデパートでも取り扱われたこともあります。いつも国外には目を向けていて、どちらかというとボーダレスのような感覚でずっとエトリカンをやっていますね。

ーこれからの展望を聞かせていただきたいです。

いろんな可能性や、様々なニーズがある中で、オーガニックとかエシカルに関心を持ってもらえた消費者に答えていけるようなブランドになっていきたいです。

その中でH&Mがコンシャスコレクションを出していたことなどに対して、「大量生産して販売するファストファッションがそのようなことをして、矛盾をしていないか」とネガティブに捉える人たちもいます。でも相乗効果みたいなのがあって、ちょうどH&Mがコンシャスコレクションをシンガポールで導入してきたときに、私たちのブランドとしても認知度が上がったなって思ったんですよ。

大きなブランドがあって、小さなブランドがスポットライトを当てられることがあるので一概に悪いとは言えない。エシカルファッションが盛り上がっていく中で、メッセンジャーとして国内・国外で、エシカルやオーガニックに焦点を当てられるようになっていければいいなと思っています。

 

ー最後に、読者にメッセージをお願いします!

最初からキャリア形成において、答えを持ってる人はすごく少ないと思うので、試行錯誤、軌道修正、悩みながら繰り返して少しづつ築き上げるものだと思います。あまり深く考えずに自分が何をしている時が一番楽しいか、それが仕事になることはあるかって考えながら、自分のキャリアを考えていくほうが、満足のいく仕事にたどり着ける可能性が高いかなって思います。

 

編集後記

私自身、「エシカルファッション」という言葉を意識しなくても日本で聞く機会が増えてきたので、実態が気になっていました。まさかそこにインターネットの普及が関係していたとは、驚きです。ファッションとテクノロジーは一見関係していないように思えますが、深く繋がりあっているのですね。

また、宇野さんの「先駆者としてのアドバンテージ」と「自問自答を繰り返して軌道修正を繰り返す」という言葉が印象に残りました。当時オーガニックは食べ物という認識しかなかったシンガポールで、「今やらなければ意味がない」という判断は、自分や周囲の状況をきっちりと把握しているからこそできたものではないのかなと感じています。私もキャリアに迷うことがあると思いますが、自問自答を繰り返して自分の理想に近づけたらと思いました。