マレーシア・クアラルンプールで語学学校 A to Z Language Centreを立ち上げ、社長兼校長を務める西尾亜希子氏。この道20年の校長は、「声を大にしてマレーシアで日本語教師をおすすめしたい!」と語る。マレーシア・ダマンサラ本校にて、その理由を詳しく伺ってきた。日本語教師として新しい環境にチャレンジしたい人、マレーシアと日本を繋ぎたい人、必読です!
《プロフィール|西尾亜希子 氏》
A to Z Language Centre社長兼校長。1975年生まれ。岐阜県多治見市出身。島根大学法学部卒業後、インターカルト日本語教員養成所にて日本語教師の資格を取得。求人一覧にあった国の中で「国名が唯一カタカナだったこと」で興味を持ったマレーシアに渡る。非常勤講師として3年半キャリアを積んだ後、2004年に A to Z Language Centreを設立。現在はマレーシア国内で5校を運営しながら、自身も教壇に立ち続けている。
柔軟で寛大なマレーシアだからこそ、思い切って挑戦できる
ー西尾さんご自身のキャリアについてまずお伺いします。ネットの記事で、マレーシアを選んだ理由は求人広告の中で「国名が唯一カタカナだったから」と書かれていましたが、本当なのでしょうか?
はい、本当です。(笑)「見たことがないものが見たい」という想いがありましたね。こちらに来てからは3年半、非常勤講師として働きました。その後、他の国に行くか日本に帰るか悩んでいたところ、知人から「語学学校をやってみないか」とお誘いを受けました。
正直なところ、全く乗り気ではなかったです。教師以外の経験もない人が学校経営なんてできるわけない、と思っていました。最後まで断っていたつもりだったのですが、気が付いたら書類に自分の名前が載っており、思いがけず始めることになっていた、というのが本当のところです。
今思えば、それまでの経験の中で「こうしたほうが生徒のためになるはず」とか、「私ならこうしたい」という想いが、頭の片隅に少しはあったのかもしれませんね。
ーそうだったのですね。言い方はよくないかもしれませんが、「ビジネス」として始めたわけではないのに、今や国内に5校を展開し、これだけの生徒数を抱えていらっしゃいますよね。
ひとえに周りの方々のおかげです。私にとって何より大切なのは「人」なんですよね。これまで支えてくれた人たちに恩返しをしたい。その一心で動いています。
ー「人」でいうと、一緒に働いている日本語教師の方々はどのように募集しているのですか?
みなさん現地採用で働いてもらっています。それぞれが決めた任期を終えると、旅立つ方が多いかな。
ーいっしょに働くうえで、大切にしている共通認識などがありましたら教えてください。
私が目指すのは、いい意味で寛大で、自由な学校です。例えば、飛び込みで授業を見学に来た方がいれば、できる限りの調整をしたうえでご案内するようにしています。他の語学学校だと、スケジュールや規定によって実現できない場合もあるのかもしれませんが、私たちはできるだけ柔軟な対応を心がけていますね。このやり方に納得できなかったり、そこまでして人の想いを汲み取ることの大切さが理解できなかったりする人には合わないかもしれません。
ーマレーシアに住むことを考えても、フレキシブルでいることは不可欠ですよね。私もこちらに来て1か月半経ちますが、柔軟で寛大なマレーシアの国民性から学ぶことは多いです。
そうなんですよ。たとえば授業中に、こちら側が予想してなかった質問が飛んでくるとする。そこで先生が答えられず「今の私には分からないから、明日答えるのでもいい?」と正直に答えても、熱意さえ伝わっていれば彼らはとても寛大に受け止めてくれます。「こんな質問も答えられないんだ。」と言われることはありません。
この点から見ると、新人の先生にとっては必要以上に身構えることなく挑戦しやすい環境だと思います。
日本語教師の醍醐味 「ありがとう」が何年経っても返ってくる
ーこれだけ大きな語学学校を運営しながらも教壇に立っていらっしゃるのは、やはり西尾さんにとって特別な想いがあるからなのでしょうか?
正直に言うと、教師不足であることは一つの理由です。とはいえ、その問題が解決されたとしても、私は教壇に立つことをやめないと思います。ひとつは語学学校の上に立つ者として、現場を離れたくないからです。他の先生方から遠いところにはいたくない。いつでも寄り添える距離でいたいというのはあります。あとは純粋にこの仕事が好きだからでしょうね。
ー日本語教師のお仕事がそこまで西尾さんを惹きつけるのは、どういったところにあるのでしょうか?
毎回の授業が本当に面白いんです。「こうくるか!」と予想外の質問や回答が返ってくるので、何年経っても飽きることはありませんね。また、そのような質問をしていた生徒がいつの間にかとても上手に日本語を話せるようになっていて、「先生のおかげで日本の大学に入れました。」「日本の企業に入って今はこんなことやってます。」と話してくれるんです。
どんなお仕事であっても誰かから感謝されることは間違いありませんが、教師の仕事というのは何年経っても「ありがとう」が返ってくるんですよ。こんなに嬉しく、やりがいに感じることはありません。「あの一瞬も、誰かの人生の一部に関わっていたんだな」と思うと感慨深いものがあります。
もちろん感謝されるのは当たり前のことではないので、毎回の授業を始めたくさんの工夫を凝らさないといけません。生徒一人ひとりの「スイッチ」をいれるため、手を変え品を変えながら体当たりでぶつかっています。
「~ようにしています」の構文。これを説明するのがプロなのです。
両国を繋ぐために 教師+αの活動も
ー西尾さんは語学学校以外でも、マレーシアと日本を繋ぐ活動に取り組んでいらっしゃいますよね。少し取材のテーマからはズレますが、それらの活動についても教えていただけますか?
ひとつ例を挙げると、日本語を学習しているマレーシア人に向けて「日本語プレゼンテーションコンテスト」を主催しています。登壇者は日本語を使って「仕事について」のプレゼンを行います。
日系企業で働いた経験や、日本人と一緒に働いた経験から、仕事の向き合い方・お互いの文化の違いをどう乗り越えるかに言及していたり、新しい事業を提言をしたり。プレゼン内容はバラエティに富んでいます。
私たち日本人とマレーシア人が、どのようにしたら仕事上でうまく付き合っていけるのか、事業内容としてどのような可能性が残されているのか。これらの示唆をマレーシアの彼らの視点から聞くことができ、どれもとても興味深いですよ。
このコンテストを開催して一番嬉しかったのは、登壇者の方から「プレゼンの練習をきっかけに、日本人の上司と話しやすくなりました。」と感想を頂いたことです。些細なことではあるけれど、大好きなマレーシアと日本を繋ぐ橋渡しになれたかなと思うと、とてもやりがいを感じましたね。
ー現地の人々と交流し、視野を広げられるからこそ、他の活動にも取り組むことができる。これもまた、海外で日本語教師として働くうえでのひとつの魅力だと言えそうですね。
ー最後に、日本語教師として新しい環境に挑戦しようとしている人、海外で仕事をしたいと考えている人に何かメッセージをいただいてもよろしいでしょうか?
語学学校とひとくちに言えど、細かく見ていくとそれぞれ校風や雰囲気が違っているので、自分に合う場所を探してみてください。本校は見学から受付けておりますので、いつでもご連絡いただければと思います。
日本人に出会ったことさえなかった生徒が、だんだんと日本語を上手に話せるようになるのを見るのは、育て親のような気持ちになれます。両国の懸け橋になれるという点でも、とても挑戦しがいのあるお仕事だと思うので、ぜひ一緒にマレーシアで日本語教師として働いてみませんか?
編集後記
「人が好き」の想いを軸に、日本語教師として日本とマレーシアを繋ぐ西尾氏。この道20年の氏が「マレーシアで日本語教師をおすすめする理由」を語る姿には、確かな自信を感じ取ることができた。国を飛び出し視野を広げることで、より教師として豊かな経験を得られることは間違いなさそうだ。
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