しくじっても挽回する “逆転力” で不確実な時代を生き抜く 社内起業家、MBAを経てシンガポールで活躍する女性起業家【ExpertConnect Asia 中村有希氏】

大企業内で新規事業の立ち上げを行うイントラプレナーとしての経験を活かし、シンガポールでスタートアップを立ちあげた中村さん。現代の働く女性の理想を体現している彼女ですが、その裏には紆余曲折がありました。今回は逆境に負けない中村さんの人間力とその原動力に迫ります!

《プロフィール | 中村有希氏》

東南アジア初の “業界有識者マッチングプラットフォーム” ExpertConnect Asia創業者(www.expertconnect.asia。ウォルト・ディズニー・ジャパンでの新規事業立ち上げ実績をもとに、2010年後半からシンガポールを拠点に、ベンチャー・多国籍企業のアジア新興国参入や新規事業立ち上げを支援。ハンズオンでの実務経験から、欧米や日本と大きく異なる“情報”アクセスの難しさを痛感すると同時にビジネスチャンスと考え、現地で起業。MBAやコンサルティングで培った人的ネットワークを軸に“知見とノウハウのエコシステム構築”の実現を目指している。起業後は、”Intrapreneur(社内起業家)” と ”Entrepreneur” 両方の経験を活かし、Raffles Instituteやシンガポール国立大学、南洋工科大学での講演・寄稿等で次世代育成にも携わる。UCLA-NUS Double Degree MBA(日本人初の卒業生)、慶應義塾大学文学部卒。

 

揺れる時代の中で広げた選択肢

中村さんが立ち上げた事業について教えてください。

ExpertConnect Asiaは東南アジア初の”業界有識者マッチングプラットフォーム”です。東南アジアでは言語の壁をはじめビジネス環境が日本や欧米先進国と大きく異なるため、企業が進出する際に現地の業界に精通した専門家の知識やネットワークは不可欠なんですね。先進国と大きく異なる情報アクセスの困難さをビジネスチャンスと考え、シンガポールでの起業に挑みました。弊社では各界の第一線で活躍する業界有識者(Expert)の高品質なネットワークを軸にクライアントと業界有識者を結び、主に企業の新規事業やB2Bリサーチを通じてアジアビジネスを支援しています。起業に際して、自分がイントラプレナー(社内起業家)として大企業で新規事業の立ち上げた経験を活かし、ントレプレナー(起業家)としてスタートアップを起業したことは、私自身のユニークな点だと思います。

 

ー大企業を辞めた理由は何だったんでしょうか??

ディズニーで新規事業に携わる機会をいただき、イントラプレナーまた新商品の企画等で約10年勤務する中で、次のブレイクスルーが欲しくなったんですね。ディズニーは素晴らしい企業でしたが、外資の日本における現地法人ゆえ、求められているのは日本のスペシャリストでした。自分のキャリアを考えた時にジャパンスペシャリストでは狭すぎると感じ、MBAをきっかけに北米や他アジアオフィスに移籍して事業を立ち上げたいと思いました。何が起きるか分からないこのご時世で、日本に何かあったとき、日本のみのスペシャリストでは厳しいですし、何より日本国内での仕事はやり尽くした感がありましたので、純粋に変化したいという気持ちもありました。

ディズニー時代、LA本社出張中にハリウッドにて

ーアジアに目を向けるきっかけは何だったのでしょうか?

私の場合は最初からアジアに興味があったとよりは、広げていた選択肢の中から結果的にアジアだったというべきでしょうか。リーマンショック以前は欧米に目を向ける人が大半で、私自身も先進国への移籍に向けたMBAプログラムを探していました。そんな時に、たまたまアメリカ人の友人がディズニー本社に近いUCLAとアジアのリージョナルハブNUSのダブルディグリー(2つの学位を一度に取得できるプログラム)を紹介してくれたことで、それをきっかけにディズニーの違うオフィスでアジアのプロとして活躍する未来を描きました。日本人というラベルを貼られること無く海外マーケットで新規事業を立ち上げることを目標に、MBA留学を決意しました。

 

ーMBAでの経験をふりかえって、今のキャリアに繋がるものはありましたか?? 

やはり突破力ですね。MBAって行く前はファイナンスとかマーケティングとかストラテジー等のビジネスのフレームワークを学ぶ場所だと思っていたんです。もちろん、そういったものも重要ですが、本を読んだり短期講座に参加したりすれば、大枠は理解できます。最も価値ある経験は、自分が唯一の日本人だった中で、アジアや欧米で幹部経験がある優秀な人々に囲まれて、どうにかサバイブしていくことでした。やっぱり英語のハンディキャップもそうですし、ビジネス的な経験の幅も違うわけです。当時の私と彼らではレベルが全く違いました。MBAでは貢献できない人はつきあってもらえないんですよ。グループワークが多いのでお荷物な人の面倒を見るボランティアな人はいなくって、何かしらの貢献が求められます。当時の私は組みたい対象ではなかったんです(笑)。

でも、やっぱりどうにか挽回しなければならないんです。当時、このダブルデグリーMBAはまだ新しく、教授と企業のパイプが弱かったので、必修科目にも関わらず、企業へのコンサルティングプロジェクトの数がとても少なくて、皆から不満の声が上がっていました。たまたま私はディズニー本社とパイプがあったので、本社のVPにピッチしたら運よくOKされて、そこから周りの私への評価ががらりと変わりました。みんな誰も知らない工場のプロジェクトよりディズニーやりたいじゃないですか(笑)。

結果として面白いプロジェクトを私が創ったことがすごい自信になりましたし、自分のバリューををはっきり示せば、一目置かれるのが分かったことが今の仕事にも活きてますね。MBAの学びは、会計やマーケティング等のスキル的な部分は大前提として、多国籍な環境で自分の価値を明確にして成果を出すことだと思います。自分のバリューを常に考えるきっかけになりました。

ビジネススクール卒業式

無事MBAを取得し、経験を活かし海外オフィスで活躍と思いきや、リーマンショックでその夢は崩れ去りました(笑)。世界中がリストラの嵐の中、日本人が新しいポジションで海外に移籍するような機会は全く無くなってしまったんです。

 

ー思わぬ人生の転機ですね!!どう対処されたんでしょうか?

自分で解決できる問題ならまだしもリーマンショックは1人ではどうする事もできませんから、起こったことに柔軟に対応し、まずはアメリカにしがみついた考えをやめようと決めました。時代が大きく揺れ動く中で目に止まったのがシンガポールでした。当時シンガポールはリーマンショックの傷が浅く回復が早かったので、2009年頃から早くも雇用状況が好転し始めていたんです。MBAを取った時はシンガポールで働くことはあくまでも選択肢の一つでしたが、結果的にシンガポールになりました。ヨーロッパ人がオーナーのコンサルからオファーがあり、第一希望ではありませんでしたが、来たチャンスをまず掴みに行きました。この時に様々な大企業からのオファーもありましたが、全て日本勤務だったため、自分の人生のポートフォリオをどう作るかを考えた時にアジアの引き出しは必須と考え、シンガポールの誰も知らない小さなコンサルの仕事を選びました(笑)。「狂っている」と言う人も沢山いましたが、後悔はしていません。日本の経済的な衰退の可能性を考えると、投資と同じように、自分の人生の選択肢を日本株のみに絞るのはリスクが高いと思ったんです。

 

ー新たな環境で苦労されたことはありましたか?

大企業と異なる様々な難しさを身をもって痛感しました。ディズニーは誰もが知るブランド企業ですから、例えば営業の際に門前払いされることは皆無でした。一方、新しい職場では、ほぼ全てが新規開拓で、誰も知らない会社のことを一から説明しなければならず、一度断られてもめげずに二度三度アプローチしていくのがほとんどでした。知名度の無い会社では営業が非常に重要です。したがって、社内でも営業職の立場は非常に強く、自分にとってはカルチャーショックでした。日本では業種や会社にもよりますが、一般的に経営企画やマーケティング職の立場が強いですが、アジアでは直接お金を持ってくるセールスの地位がとても高く、それはコンサルのような業態でもそうで、かなり驚きました。

 

ーカルチャーショックの連続だったんですね!その後シンガポールでもお仕事の転機はありましたか?

苦労しつつも、私の担当分野は大きく成長し、2年弱でパートナーへの昇進を打診されました。と同時に、新しい発見もありました。コンサルや投資の仕事はリサーチの比重が高く、情報が命です。業界や企業の情報がなければ戦略立案どころか、何も出来ません。ですが、東南アジアでは信頼出来る情報が非常に少なく、政府のページでさえイマイチな場合が多いんですよ(笑)。日本や欧米のように、専門会社にお金を払えば業界の情報が簡単に得れるような環境が無いんです。また、東南アジアではシンガポールとマレーシアを除き基本、英語が通じにくいため、ホームページ等で英語の情報はあったとしても、現地語の欄と比べると明らかな情報格差があります。「東南アジアでは知りたい情報を調べる手段が無い!」この状況をビジネスとして逆手に取り、現在の ”業界有識者のプラットフォーム”を作る事業の構想を得ました。将来的には、アジア版のリンクドインのようなイメージを模索しています。

 

アジアに学び、アジアで起こす

 ー新たな環境から今の事業へのアイデアを得られたんですね!ずばりアジアで働く、起業するとは??

アジアには成熟した先進国と異なる観点でのビジネスチャンスが沢山ありますし、特に日本人にとって東南アジアは活躍しやすい環境だと思います。日本人と分かった途端に日系以外の企業が日本とのビジネスチャンスを求めてアプローチしてくることも多いですし、私のスタートアップも「大企業出身の日本人女性が立ち上げた」という点で、興味を持って下さる方も少なからずいらっしゃいます。欧米と比べると、まだ日本ブランドが効きやすいように感じます。お蔭様で、どうにか事業も軌道に乗り始め、東南アジアのアクセスの難しい情報を身近にするという方針は間違っていなかったと確信しています。

また、近年難しくなってきたとは言え、外国人が就労ビザを取りやすいという根本的な環境もあります。日本人は、国外では「外国人」ですから、合法的に働ける就労ビザ(起業家ビザ等を含む)が必要です。北米などの先進国では、日本からの駐在や結婚以外の方法で外国人がビザを取得するのは不可能に近い国も多いので、外国でやりたいことにチャレンジしやすい、少なくともスタート地点に立ちやすいのもアジアの利点でしょうか。

 シンガポールを代表する起業家コミュニティ”BLK71”にて、話題のAIスタートアップ”ViSenze”のOliver Tan氏と対談

 

第二希望を第一希望以上に

 ー困難な状況でもターンアラウンドできる中村さんの原動力は?? 

新卒採用の大失敗が原点ですね。当時は文学部出身ということもあってビジネス的な視野が狭く、なんとなく想像しやすいマスコミ関連、具体的にはジャーナリストになりたいなと思っていましたが、ご縁がなく。。。このままでは、下手すると無職になってしまう。そんな状況を変えてくれたのは国際交流サークルで知り合ったアメリカ人の友人の視点でした。

アキ、そんなこと気にしなくていいよ。アキはむしろビジネスをしたほうがいい。広告とかマーケティングに転身してみたら??」このような自分にない視点を持ち、大局から客観視できる友人のおかげで、視野が広がり、その後のディズニーでのキャリアに繋がっていきました。

人間力は、しくじった時、物事が上手くいかない時にこそ発揮されます。いつも全て思い通りになる人はいないですから。そのような時に重要なのが、周囲のサポートネットワークです。家族や友人以外で、幅広い視野と経験を持つビジネスメンターや、気軽に相談できる第三者の人的ネットワークを持つことが非常に重要です。”メンター” は北米では大学でも職場でも一般的ですが、私の新卒時の日本には無かった概念です。あったら、全く違ったキャリアパスだったかもしれませんね(笑)。

 

ー最後に読者の方にメッセージをお願いします!

人生って、達成したい目標を明確に持つべきではあります。ですが、しがみつきすぎると他の可能性、見えていない可能性を消してしまうことになりますので、特に不確実性の高い時代では、プランA、B、C・・・と絶えず複数の選択肢を持ち、狭めすぎず、状況に応じて対応できる柔軟性を併せ持つことが重要かなと思いますね。アジアは本当にいろんなチャンスが広がっていて、自分次第でやりたいことに挑戦できるところです。特に学生の方はインターンやワーホリ、もしくはボランティア等でも、勉強だけでなく “働く” と言うことも加味した上でアジアに出るといいと思います!

※ExpertConnect Asiaではインターン生を通年採用しています。

勤務地はシンガポール、シンガポール以外の東南アジア・日本(リモート業務)で、出来るだけ長期で働いてくださる方を歓迎しますがプロジェクトに応じて短期も検討いたします。興味のある方は、hello@expertconnect.asiaまでご連絡ください!

 

<編集後記>

変化の激しい時代の中で、ご自身のキャリアを強く描いてきた中村さん。日本のスペシャリストにとどまらない先を見据えたアジアのスペシャリストという選択は、より自分たちの世代の選択肢としてニーズが高まっていくように感じました。

中村さんが代表を務めるExpertConnect Asiaはインターンを募集していますので、興味のある方はぜひご応募ください!

 




ABOUTこの記事をかいた人

Hazuki Takano

明治大学3年。明治大学国際交流団体元副代表。タイに短期留学ののち、シンガポール南洋理工大学に長期留学中。アジアとEDMに取り憑かれてます。大学内での留学生支援や国際交流促進に関心がある方はご連絡くださいね。