50代早期退職後ベトナムで少数民族の文化保全を行う小倉靖氏「愛する土地で今だからこそできること」

特集「“ひとのため”になる国際協力ってなんだろう?」では、東南アジアの教育・医療・文化保全・森林保全・平和構築の現場で奮闘する4名と一緒に、アセナビメンバーが“実際にひとのためになる国際協力活動”を考えていきます!

本特集の第3弾は、ベトナムで個人として文化保全活動をされている小倉靖氏。小倉氏が惚れ込んだハザン省には多くの少数民族が住み、秋には蕎麦、春には桃の花が咲き誇るベトナムでも有数の景勝地だ。

その土地を愛し、だからこそ現地の人にも愛されている小倉氏は少数民族の文化を守るために奮闘する。ベトナム最北端の地にカフェをつくり、その活動は次第に現地の行政にも理解され、観光産業を盛り上げていく。そんな小倉氏が語る、のんびりしているように見えるベトナムで日本人が持つべき「スピード感」とは、何を意味するのだろうか?

《プロフィール|小倉靖氏》
1956年生まれ、東京都出身。東京理科大学卒。大手食品会社に30年以上勤めるかたわら、46歳で初めて訪れたベトナム・ハザン省の美しさに感銘を受け、毎年ベトナムを訪問するようになる。56歳での早期退職後はベトナム・ハザン省で少数民族のカフェを立ち上げる。現在は一ヶ月の半分をベトナム北部で過ごし、より民族と地域に密着した景観・文化保全活動を志す。

自分のハザン省への愛情と少数民族の欲求が一致した


(美しいハザン省の風景、Vietnam Package Travelより)

 

ー 小倉さんはもともと日本の大手食品会社で30年間以上勤められていたそうですが、そこからベトナムでカフェを開業するにいたったきっかけは何だったのでしょうか?

39歳の時に初めてベトナム旅行に行き、ベトナムを大好きになりました。それから56歳で早期退職するまで、毎年夏休みにベトナムに行くようになりました。特に好きだったのがベトナム北部のハザン省。自然が豊かで、多様な少数民族がいて、文化が面白い。ハザン省で何かをやろうという気持ちはサラリーマンの時からありましたが、年に1回の渡航で何かをできるわけでもないので、早期退職を決意し、思い切って単身でベトナムに渡ることにしました。

ー カフェの開業を計画し始めたのは何歳くらいでしたか?

漠然と何かをやりたいと思い始めたのは50歳くらいで、少数民族の伝統文化保全のための活動をするビジョンが明確になったのは、会社をやめて頻繁にベトナムに行くようになってからですね。私はベトナム各地を旅行しましたが、自然景観と少数民族衣装の美しさはハザンが一番です。

また、私は古民家が好きなんです。古い家が取り壊されて文化や伝統が失われていくことが悲しく、古民家を守るひとつの手段として、100年以上の歴史がある古民家を改造したカフェを開業し、そのカフェを民族文化紹介の拠点にしました。


(ベトナム北部では茶葉の栽培も多く、美しい景観をつくっている)

 

ー ハザン省の方々とのコミュニケーションはどのようにとっているのでしょうか?

ベトナム語です。10年くらい前から自分で勉強していて、なんとか自分で話していますね。読み書きはある程度自信があるのですが、発音が難しいので、会話は半分くらいしか通じていないと思います。

現地語でのコミュニケーションも重要でしたが、初めの段階は言葉でまともにコミュニケーションを取れなかったので、現地の人たちと仲良くなるためには、毎日現地の人と一緒に飲み明かしていました(笑)。ベトナムでは飲みニケーションが大事ですからね!

ー 小倉さんの現地の伝統文化への尊敬や、文化保全に対する熱意をハザンの人たちにベトナム語で伝えていたんですね!その気持ちは現地の人たちの共感を得ることができたのでしょうか?

私の気持ちを理解してくれる人は一定数いました。ただ、外国人がいきなり少数民族の村に来て何かをやるためには、現地の多くの人の協力が必要です。特定の人だけがいいと言っても、「突然来た外国人に生活を変えられたくない」と反対する人もいます。私や現地の賛同者の気持ちを理解できない人に対しては、個別に何回も説得する機会を設けました。「文化をアピールする拠点を作ると、観光客が来るようになるんだよ。その拠点をもとに、カフェだけではなく農産物や工芸品も売ると、少数民族の文化の認知度が上がって、村の発展に役立つんだよ。」と何度も言い続けました。

ー 現地の人たちにも、観光客が来てほしい、観光業を盛り上げたいという思いがあったんですか?

そうですね。彼らは経済的に豊かになりたいという気持ちを強く持っていて、観光がその手段として有用だということは知っていました。


(カフェでの民族衣装試着体験)

 

少数民族が一体となって行う文化保全活動

ー カフェの開業にあたって、小倉さんは経営ではなく投資をされていたそうですね。

基本的にカフェからは収入を得ていません。一番大事なことは現地の人が自分の手で伝統文化を保存することなので、私は投資をしてサポート役に徹していました。実際にカフェを経営しているのは少数民族のロロ族です。

ロロ族は他の少数民族と比べても人口が少なく、ベトナムに約6,000人しかいないため、何か目立つことをしないと、彼らの文化も含めて埋没してしまいます。私の活動に対してロロ族の首長が共感してくれていたため、民族が一体となって文化保全活動に取り組むことができました。

現地の少数民族の人たちはカフェでコーヒーを飲む習慣がないので、カフェのお客さんはハノイ・ホーチミンからの来る観光客や、バイク旅をする欧米人などが多いです。カフェのお客さんはカフェの雰囲気や民族衣装からロロ族の伝統文化を感じ、ロロ族のみんなは自分自身の文化に誇りを持つようになってきましたね。


(カフェには多くの外国人観光客が立ち寄る)

 

ー ロロ族の方々が表に立って、経営もされているということで、小倉さんは現在どのようにカフェを手伝われているのでしょうか?

今はカフェが軌道に乗っているので、私が手伝っている分野は少ないです。時々現地に行って状況の確認や掃除、細かいサービスのチェックや、カフェ近郊のホテルやレストランと一緒に地域一帯の観光業を盛り上げるための宣伝活動をしています。

ー カフェをオープンするまでにどれくらいの時間がかかったのでしょうか?

カフェをやると決めてから、7,8ヶ月のハイスピードでできたのですが、その期間は色々なことがありましたね。まず、識字率の問題がありました。学校教育を受けている子どもたちと違い、年をとったロロ族はベトナム語を話すことをできても、読み書きをできない人たちが多いです。そのような人たちとはベトナム語を一緒に勉強することから始めました。

またハノイでボランティアを募集して、キン族(ベトナムの約90%を占める民族)の女の子を2人ハザン省に連れて行きました。若いベトナム人はボランティア精神の旺盛な人が多いですね。ハザンで民族保存を経験してみたいという人が何人か応募してくれ、面接をしました。若者が文化の保全に興味を持っているのは、素晴らしいことですよね。彼女たちにも手伝ってもらって、一緒にサービスの仕方やメニューを考え、カフェをつくっていきました。

カフェをつくるにあたって特に気を遣ったのは衛生面。外国人も来客するため、安心して使用できるトイレを目指しました。うちのトイレは、その集落では初めての洋式トイレだったんですよ(笑)。

 

最初は1人だった活動が行政にも認められるように

ー カフェを開業するにあたって、苦労したことはありましたか?

カフェを始めるにあたって、村の人に受け入れられても、役所などの行政からは、そう簡単に受け入れられなかったことですね。外国人が慈善事業やビジネスを始める際は通常、組織を通して行政機関にお願いして進めるのですが、私は組織に属さず個人でやっていました。

ベトナムの行政を通しての手続きは、非常にやっかいで、時間もかかります。そのことが、私にとって煩わしかったので、本来行政に望まれていた工程をすっとばして、直接村の人とやりとりをしていました。活動の名義はあくまで村の人で、私は形式上支援していたというわけです。

そのこと自体は法律上問題はありませんが、行政を通さないで進めたので、彼らは当然よく思わない。カフェをオープンしたときの記念パーティに警察、軍隊、村の役人、県の役人を招待したのですが、あまり来てくれませんでしたね。ベトナムの難しいところです(笑)。

ー それからも小倉さんは行政によく思われていなかったのでしょうか?

いえ、行政の態度は徐々に変わっていきました。先にカフェという形ある実績をつくってしまったのがよかったみたいです。それが少数民族の文化保全と村の経済の活性化につながっているという評判が現地で広がり、ベトナムのマスコミでもよく取り上げられるようになりました。結果的に、私たちの活動は役所にとって認めざるを得ない存在になったんです(笑)

はじめは「外国人に生活が変えられるのは嫌だ」と村人に反対されるような状態だったのですが、「ハザンの文化を守ろう」「そのために観光を盛り上げよう」と現地の人びとを巻き込みながらカフェを成功させ、なんとか力づくではあるけれども役所に認めてもらえた。そのときは達成感がありました。


(ベトナムのマスコミの取材を受ける小倉氏)

 

ー 他にやりがいや嬉しかったことはありましたか?

来てくださった観光客がカフェの「雰囲気がいい」「気持ちが安らぐ」と喜んでくれるのがとても嬉しいですね。

私は空間を創るのが昔から好きで、木で机を作ったりなどの工作が趣味でした。お店の雰囲気をロロ族や周りの景観にマッチした雰囲気にしたいなと思って、瓦や土、木を駆使して空間創りをしました。100%自分の好きな空間を創ってしまいましたね(笑)。

 

ベトナムの文化保全のロールモデルをハザン省でつくる

ー 現地で活動される中で、大切にしていた軸は何でしたか?また、今後は何に取り組みたいとお考えでしょうか?

私の大好きなハザンの自然の景観や伝統を守ることです。そのことが多くの観光客をハザンに呼び寄せ、観光客がハザンでお金を落とすことによって、現地住人の所得水準の向上にもつながるということを、現地の人たちも理解してくれました。

発展途上のベトナムでは、どうしても経済発展が優先され、伝統や自然景観を守る意識は、とても低いです。今後はハザン省全体で、「守る」ということの大切さについて理解を広めるとともに、伝統文化の保全活動をしていきたいと思っています。

カフェはハザン省の最北端の立地を選びましたが、今度はロロ族よりも人数が多いモン族と一緒に古民家を改造してホームステイやカフェをつくり、モン族の伝統文化と景観が一体となった文化村をつくりたいですね。今は私個人の収入にはなっていないけど、これからやることは現地の人の生活改善につながる方向で、自分のビジネスにもしていきたいと思っています。

ただモン族はロロ族よりも閉鎖的な民族で、一般的に社交性がありません。その人たちにどうやって、集落全体の文化を守るためにみんなの協力が必要だということを理解してもらうか。今取り組んでいる課題です。

このことは資金面も人的パワーも一人じゃ無理ですので、共通の考えを持っているベトナム人の仲間と共同でやっていきたいと思っています。

 

日本人だからとあぐらをかかずに、スピード感を持つ!

ー 最後の質問になりますが、東南アジアで国際協力をしたい学生にメッセージをお願いします!

東南アジアは発展途上で、経済の仕組みができあがっていません。日本では経済のあらゆる分野が大企業によってコントロールされています。大企業が中心の社会では、若い人たちがなにか新しく始めるチャンスは比較的少ないと思います。

しかしその一方で、発展途上の東南アジアの国にはいろんなチャンスがあります。

そこで気をつけなければいけないことは、スピード感です。一般的に東南アジアの人々はのんびりしています。仕事のペースも遅い。ただ、私たち日本人がベトナム社会に来た時に、そののんびりした環境に染まって行動が鈍化してしまうのはよくありません。なぜなら、ベトナムの社会は日本の何倍も変化が速いからです。

またベトナムでも、前向きで目的意識を持っている若い人はスピード感を持って仕事をしています。思いついてから事業を計画するまで、そしてそれを実行するプロセスも、ものすごく速い。国際協力もビジネスもどちらもスピード感が大事です。

 

編集後記

小倉さんの活動は、自分の欲求を起点にして、それが結果的にも現地の人々の生活向上にも繋がっている、理想的な国際協力の形ではないでしょうか。7,8ヶ月というハイペースでカフェをつくりあげられた小倉さんのお話には説得力があり、情熱があれば組織に属さず個人としても、自由に国際協力のビジョンを実現することができると教えられました。

小倉さんの活動は“地域密着型”の文化保全活動として、現地のメディアで数多く取り上げられています。そのことが未来の日本のイメージ向上に繋がり、今の若者の国際協力の土壌をつくっていくことでしょう。国際協力の選択肢が多いことも東南アジアの特徴。国際協力でもビジネスでも、余白のある東南アジアの社会では、若者が活躍する機会が多いはずです。