海外にいる日本人にローカル情報をお届けします。『週刊ライフネシア』創刊者、三好辰也氏


「日本人は海外で日本人と固まってばかり・・・」そんなネガティブな声もあるが、海外にいる時の苦労や不安を共有できるコミュニティーがあれば、先輩が後輩をサポートするという好循環が生まれていく。そんな世代を超える "恩"を繋げていきたいと語るのはジャカルタで週刊フリーペーパーを創刊し、アジアで活躍する日本人を応援する三好辰也氏である。三好氏には、アセナビファウンダーの鈴木が伺ってから2年が経ち、三好氏とアセナビにはどんな変化があったのでしょうか。

《プロフィール|三好辰也氏》

1983年山口県生まれ。株式会社アイレップを経て、2011年1月、ベトナムの週刊ベッターに参画。ホーチミンとハノイで広告営業を担当。2013年1月、インドネシアのジャカルタでPT.Kiuplat Mediaを創業し、同年4月に『週刊ライフネシア』を創刊。

 

フリーペーパーの収益構造に迫る!


ー三好さんは『週刊ライフネシア』という日本人向けフリーペーパーを発行されているとのことですが、そもそもフリーペーパーの収益構造はどうなっているのですか?

 フリーペーパーに広告を載せて広告収入を得るというシンプルな構造です。インドネシアにいる日本人をターゲットに広告を出したいレストランや日系・インドネシアの企業などが私達のお客様です。

 

ーなるほど、お客様は読者じゃなくて広告主なのですね!

 もちろん読者もお客様ですよ。ただ、フリーペーパーの目的は広告主に広告の効果を還元することなので、お金をいただいているという意味では広告主がお客様なのです。そしてその広告を読んだ人が行動を起こしてくれることでフリーペーパーが成立します。やはりビジネスとして収益を上げていくには長期的に広告効果を還元し、お客様に喜んでいただく必要があります。

 

―アセナビはWeb媒体で情報を発信しているのですが、『週刊ライフネシア』は紙媒体ですよね。紙媒体にこだわる理由は何でしょう?

日本だともう紙媒体のフリーペーパーはもう成り立たちにくい一方、まだインドネシアでは成り立ちます。日本だと何もしなくても自然とテレビや新聞から情報を過剰なくらい入ってきますよね。でも海外にいると受動的に入ってくるローカル情報がかなり少ない・・・

自分が必要な情報をネットで調べることになるんですけど、ローカル情報が日本語で発信されているというのはまだまだ限られています。だから紙媒体のフリーペーパーがあれば皆さん手に取ってくれるのだと思います。

 

パートナーとの出会いが人生を変えた。


ージャカルタで起業する前はベトナムでフリーペーパーを発行していたそうですが、それまでの経緯を教えてください。

大学生の頃は普通の大学生でしたね。(笑) ただ親も自営業だったので漠然とですがいつか自分で商売をしたいなとは思っていました。大学卒業後はアイレップというインターネット広告の会社に入社しました。

するとなぜか自分で何かをしたいなという想いが強くなってきたのです。でもお金もアイディアもない・・・どうしようか、と色々考えていたところ、ニューヨーク、上海、ハワイでフリーペーパーを発行していた今のパートナーにベトナムで一緒にやらないかと声をかけてもらいました。当時はASEANに行ったことなんかなくて、完全に彼に引っ張ってもらいました。

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(ベトナム共同創業者の岡本氏とハノイにて)

m3(ベトナム人の従業員と)

 ー突然ベトナムに行くことになって大変でしたよね?

はい、かなり過酷でした。(笑)もちろんベトナム語も話せませんでしたし。でもベトナムにいる日本人先輩方に助けてもらいながらなんとかやっていました。その頃、"人に助けられて生きている"と心から実感しました。

日本で仕事をしていた時は、仕事をなめていたのだな、と感じました。もしこれから若い方がASEANで新たな挑戦をしたいと思っているのなら、失敗を恐れず挑戦してほしいです。

困っても、愚直に頑張っていればきっと大学の同窓会、また〇〇県人の会といった日本人コミュニティーの先輩達が助けてくれます。実際、私もお金が底をついていたときに、多くの日本人の方たちがご飯をご馳走してくれたり、仕事を紹介してくれるなどで助けてくれました。

皆さん共通して、昔海外に来たばかりの頃の苦労を知っているから、新たに来る若い世代を応援したいという好循環があるものなのです。そういう気持ちは、日本にいる日本人よりも、海外にいる日本人の方が強いです。

今までは助けてもらう側でしたが、これからは少しずつでも新しく海外にやってくる日本人を応援できる側になれるよう「ペイフォワード」的なものを受け継いでいきたいです。

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(ベトナムとインドネシアの両国に滞在経験のある人の会)

 

ーそこからなぜジャカルタに移ってすることになったのですか?

 先ほどの「ペイフォワード」に関連するのですが、海外にいる日本人を応援できるビジネスをしたいなと思っていたところ、今すぐ自分にできることはその時やっていたフリーペーパーかなと。

さすがに同じ国ではできないので他の国でしようと色々検討していたところ、ジャカルタになりました。2012年7月、3日間ジャカルタに視察にきたのですが、右も左もわからないしどんな飲食店があるのかも全然わからず、すごく困ったのを覚えています。

そしたらベトナムでやっているフリーペーパーをジャカルタでもやったら、インドネシア在住の日本人にも役に立てるのではと思い決断しました。2012年12月末にベトナムの方を辞めて、2013年1月末にジャカルタに来て4月に創刊しました。

 

日本人というシンプルな繋がりを大切にしたい


ーベトナムとインドネシア両方で働いた経験から、これから“ASEANで働く”若い世代にメッセージをお願いします。

やはり覚悟はしておいた方がいいですね。

いわゆる成功した人は実は裏ですごい努力をしています。死にかけるくらいの経験でも修行だと思ってポジティブに頑張れる人が成功しているんだなと感じます。

 

 ー2年目にアセナビ創設者の鈴木がお伺いした際はまだ三好さんも『週刊ライフネシア』を創刊したばかりだったんですよね。あの時から比べてどうですか?

2年前鈴木君が来てくれた時、ぼくは目の前のことに必死で、それだけで精一杯でした。しかし今は「ペイフォワード」のことも改めて強く思うようになってきました。来週で記念すべき100号を迎えます。創刊号から広告を出し続けてくださったお客さん方にお礼を言いにいきたいですね。

そしてスタッフにも感謝です。やっぱり1人ではここまでこれなかったですからね。アセナビはなんか上からになってしまいますけどホームページとかを見ると成長したんだなって・・・創業した人達が卒業しても、次の人達が引き継いでいるからこれからも頑張ってほしいです。

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ーありがとうございます!では最後に今後の展望をお聞かせください

会社としては、いまジャカルタでやっている日本人を応援する事業に厚みを増していきながら、インドネシアだけでなく他の国にも展開して、アジアにいる日本人の役に立ち喜んでもらえる、アジア最大の日本語メディアネットワークを築きたいと思っています。

個人的な目標としてはパートナーが僕にしてくれたようなことを若い人にしていきたいです。若くて、やる気はあるけど何をやっていいかわからない、ノウハウもお金もない。こういった人から相談してもらえて「サポートはするしASEANでこれやってみたら?」と言える様になりたいです。 “日本人”というシンプルだけど貴重な繋がりを、世代を超えてつなげていきたいです。