インドネシアのゴミ問題を通して人々の意識を改革し、より良い社会を築く!ジャカルタお掃除クラブ代表、芦田洸氏 【後編】


インドネシアの "三大悪名物"といえば?

渋滞・汚職・ゴミ・・・この3つが挙げられます。インドネシアを訪れたことがある方なら道端に落ちているゴミの多さに幻滅してしまったことがあるのではないでしょうか?日本にもゴミが落ちていることはありますが、正直あそこまでひどいとは・・・今回はASEANの中でも特にインドネシアが大好きなアセナビ副編集長の長田が、インドネシアのゴミ問題を全力で解決しようとする芦田氏の活動を紹介します。芦田氏がジャカルタお掃除クラブを始めるに至った経緯、インドネシア社会に与えてきた影響・・・インドネシアに特別な想いを持っている方、ハンカチの準備をおすすめします。【前編】はこちら

《プロフィール|芦田洸 氏》

インドネシア人の父と日本人の母の間に生まれる。中学校卒業までは日本で生活し、高校からインドネシアへ。高校卒業後は再び日本へ戻り専修大学に入学。卒業後は商社等でインドネシアと日本を繋ぐポジションとして活躍。2009年以降はジャカルタで会社を経営すると同時にジャカルタお掃除クラブの代表として日々インドネシアのゴミ問題を解決することに人生を捧げている。国籍はインドネシアで、インドネシア名はデワント・バックリー。

インドネシア人と日本人のハーフである自分にしかできないこと

長田:芦田さんの幼少期から現在に至るまでのことを聞かせていただけますか?やっぱりインドネシアと日本のハーフということで悩みとかはあったのでしょうか?

芦田氏:小さい頃からずっと日本で育ったので自分がインドネシア人だと自覚する時がほとんどありませんでした。唯一近くにいたインドネシア人である父も日本語を話していましたので。しかし1977年、私が中学校を卒業した後に父の仕事の都合でジャカルタに移住しました。今はたくさんの高層ビルが立ち並んでいますが、当時は片手で数えるくらいしかありませんでしたよ。

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(ジャカルタでは "今"まさに地下鉄が建設されている・・・)

インドネシアの高校に行くことになったけど突然環境が変わってしまって、うまく適合できなくて登校拒否した時期もありました。そして高校卒業後は、日本に戻り専修大学に入学しました。すると日本とインドネシアを比較する中での自分に混乱したこともありましたね。大学卒業後は転職をしながらもインドネシアと日本の中間的なポジションで仕事をしてきました。

するといつの間にか、自分がインドネシア人だとか、日本人だとかを意識しなくなってきた。ハーフとして悩んだことは、若いころから何度かあったけど、その共通点はインドネシアと日本を比較していることが原因だと気が付いたんだ。逆に、いきいきと仕事やプライベートな生活を送っているのは、インドネシアでも日本でもなく、1人の人として対応している時でした。

長田:昔からインドネシアのことを知っておられるのに、なぜ3年前に突然ゴミ拾いをしようと決めたのですか?もっと前からしようとは思わなかったのでしょうか?

芦田氏:1997年アジア通貨危機の1年前まではインドネシアで働いていたんだけど、日本で再就職したんだ。それからはしばらく日本にいて、インドネシアにはほとんど行っていませんでした。

そして再びインドネシアに戻ってきたのは2009年だったね。その1997年から2009年の間にインドネシアでは激しい変化があった。独裁者がいなくなり、民主化され、法律が改正されて、経済も急成長・・・要はこのようなインドネシアの変化を日本で間接的に知っていたんだ。だからその時は日本にいながら「ああ、これでインドネシアが良くなっていくんだろうな。きっと人々は自由になり、差別や格差がなくなっていくんだろうな。」と期待していました。

そんな希望を抱いて2009年、12年ぶりにインドネシアに来たものの、実際はそんなに変わってなくてショックを受けました。

やっぱり人の意識はそう簡単に変わるものではない。その頃から、本気でインドネシアの人たちの “意識”を変えたいと思ったんだよね。正確には、共に成長していこうということかな。私も紆余曲折を経てインドネシアに成長させてもらったと思っているし、日本だって昔はポイ捨てが横行していた時期はあった。

でも日本では、みんなが考えて、行動して、成長しながら変わってきた。その日本の流れを知っている私が、インドネシアの人々に体で示すことによって、何かを感じてもらい、結果として、意識が変わって行き、人も社会も成長していく。これが私の理想の社会です。

実現には100年くらいかかるだろうけど、自分が持って生まれた、他の人にはないインドネシアと日本のハーフという“特徴“を活かすことが、自分の使命であると気が付いたんだ。大袈裟かもしれないけど、それが”何のために生まれてきたのか“という普遍的な人類のテーマに対する私なりの答えだと思っています。

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 (小学校で紙芝居を使いながら「ポイ捨てすることは恥ずかしい」というメッセージを伝える芦田氏)

インドネシアは本当に親日なのか?

長田:インドネシアは親日国として有名で、アセナビとしても以前「インドネシアが世界最大の親日国家なワケ」という記事を発信したのですが、芦田さんはどうお考えですか?

芦田氏:「親日」の解釈は色々あると思うけど、簡単に言うと「親しみを感じる。」っていうことだよね。逆に長田君は日本にいる外国人のうち、どこの国の人に親しみを感じる?

長田:それは・・・まずインドネシアですかね・・・

芦田氏:確かにインドネシアの人達が日本人に親しみを感じていないかというと、それはないと思う、日本食やアニメの人気さが裏付けるように、もちろん親しみは感じていると思う。ただ一方で日本人側がちょっと勘違いしている面があるんじゃないかなと思っている。

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 (ナルトのコスプレ)

 長田:浮かれて良い気分になっているということでしょうか?

 芦田氏:さっき、インドネシアの人達は “寛容”だって言ったよね。それには色々な背景があります。インドネシアは大きな国で、約1万3千もの島から成り立っていて、2億5千万もの人がいて、民族や宗教も多様。だから “違い”が大前提で、 “違い”を受け入れることなしではやっていけないわけです。

例えば、ジャワ島の人とスマトラ島の人が結婚すると両方のご飯が出てくるんだ。そういうのは昔からで、というのも国が広ければ色々な特産品があって、商人が海を渡って持ち帰ってきたり、持って行ったりしてたから色々な食べ物や文化が混ざってきた。だからそのように生きていくのが体に染みついているのかな。誰にでも優しくて、フレンドリーに接する。それに南国の人特有のスマイルがあるしね。(笑)

インドネシアでは日本語を勉強する人がけっこう多いから、日本人と会うと「こんにちは。ありがとう。」って言ってくれるでしょ?だから日本人としてはすごく親切にしてもらえているように感じる・・・

長田:確かに、僕も “Hello, nice to meet you!”と言うと、「コンニチハ、ワタシノナマエハ○○デス。ドウゾヨロシクオネガイシマス。」って何度も言われて驚きました。(笑)

芦田氏:そうそう。日本はインドネシアにODAの援助をかなりしているしね。税金だよ?昔はそういった援助の話を持ち掛けるとインドネシア政府はすぐに飛びついたんだ。でも最近は断るようになったんだよ。断ったわけじゃないけど、投資や援助をするなら、ジャワ島以外でやってくれと。やっぱりジャワ島以外の島は発展が遅れているから理に適っている。

必要なところに、必要なお金を使ってくれと、はっきり物申すようになった。でも日本としてはジャワ島に新幹線を通したいと思っている。

最近の若いインドネシアの子に「日本は今まであれだけ援助してきたのに、なんで断るの?」と聞いてみたことがあります。すると「それは昔の政治的な話で、今は関係ない。」とあっさり言われてしまいました。結局のところ、「親日だからと過信していると足元をすくわれちゃうよ。」ってことだよね。別に日本人を特別に受け入れているわけではなく、誰でも受け入れるのがインドネシア人の特徴かな。

もう1つインドネシアの人の寛容さを表すエピソードとして、インドネシアで日本の占領時代を背景にした映画があって、物語の中で、日本の兵隊さんの蛮行が描かれているものがあるんだ。目を覆いたくなるような酷い場面で、純粋な日本人だったら「えっ」と一瞬思ってしまうだろうと思う。日本にも戦争を描いた映画は沢山あるけど、こういう直接的な蛮行のシーンは、ほとんどないと思う。そこにギャップが生じるんだ。もちろん、その時代に生きたわけではないから、このシーンが本当なのかどうかわからない。それは今の若い人たちなら尚更で、誰にも真実はわからない。

でも、仮にあったとしたならば、現代のインドネシアの人たちが日本に対してわだかまりを持っていても仕方ないと思う。中国や韓国との関係を見ると一目瞭然で、今の時代まで引きづってぎくしゃくしている関係が続いているよね。もしも万が一インドネシアが日本に対してそんな態度を示していたなら、今の親日という言葉もないし、アジアの勢力図はどうなっていたか。日本はインドネシアの人に助けられていると言っても過言ではないと思う。その大元がインドネシアの人達の“寛容”さということだと思う。

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日本と外国を意識する必要はない。どこに行っても人は同じ。

長田:そこに甘えていた自分がいたのは否定できないですね。では最後に海外に関心がある読者にメッセージをお願いします

芦田氏:すごく根源的だけど、日本だとか外国だとかをあまり意識する必要はないと思います。特に若い人達は。最近日本の若い人が海外に行きたがらないって聞くけど、過剰に海外だということを意識するからだと思います。すごく具体性に欠けて、分かりにくいと思うけど、長い人生の中でだんだん分かてくると思う。海外で生きていくためには、仕事をしないといけないし、勉強もしないといけないし、辛いこともわれば、嬉しいこともある。これは日本にいても同じこと。結局みんな同じ人間なのだから起動哀楽を感じるポイントは同じだよね。

だからそう悩み過ぎないで、東京から大阪に行くような感覚でインドネシアに来たらいいと思う。そう簡単ではないけど、日本を意識し過ぎて比較する必要ってあるのかな?ある意味、日本を意識することは、上から目線になりかねないし、同じ人であるということを強く意識して、悪い所も良い所も全部みてやろうという気持ちが理想かな。同じ人である以上、勝っているも、劣っているもなくて、常に「対等な友人、パートナー」であってほしい。

 長田:僕も比較してましたね・・・

 芦田氏:まあ最初はしょうがない。私だってそんな経験したしね。インドネシアには駐在員、現地採用、起業、留学とか色々な形で多くの日本人が来ているけど問題にぶち当たるのはやっぱり日本と比較しているからだよ。時間もかかるし、難しいけど最終的には “グローカル”の意識を持って欲しいかな。

 長田:「郷に入っては郷に従え。」と言いますもんね。

 芦田氏:そうだね、「なんだこのやろう!」って怒りたくなる時もあるけど、インドネシアの人達は基本的に優しいから。

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( テレビの取材を受けることも頻繁に・・・)

 長田:そうですね。今日はありがとうございました。

 芦田氏:一つお願いがあるんだけど、いいかな? 私はもう年だから、30年後や50年後のインドネシアを見ることはできない。でも長田君はまだ20歳で若いから、未来のインドネシアを見てきてほしい。ジャカルタお掃除クラブの活動がインドネシア中に広まって、インドネシアの道がきれいになっているかを将来確かめに来て欲しいんだ。渋滞や道端のポイ捨てがなくなって、人々が快適に歩けるジャカルタを実現しないとね!

 長田:わかりました!

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 (アセナビ副編集長の長田も記念撮影)

 《他にもインドネシアと日本のハーフであることを活かしておられる方が!》

日本とインドネシアの架け橋に!PT. OMIYAGE Inc Indonesia CEO バスメレ河野力樹氏