「旅するように記事を書く」バンコク在住のスポーツライター・本多辰成氏が語る、サッカーがつなぐ日本とタイ

近年、日本のサッカー選手の活躍する舞台は欧州のみならず、アジアへ、世界へと広がっている。それは選手や指導者にとどまらず、サッカーとタイをこよなく愛するフリーライター・本多辰成氏もその一人。タイを拠点にサッカーや野球などのスポーツを取材し発信する同氏に、タイ就職を決断された経緯、タイのサッカー事情をお伺いした。

※こちらの記事は、ASEAN FOOTBALL LINKよりご提供頂きました。

 

《プロフィール|本多 辰成》
日本の出版社に編集者として約7年勤務した後、タイに渡る。バンコク・バンケーンにある高校に日本語教師として勤務。現在はフリーライターとしてサッカーや野球などのスポーツを中心に東南アジアを取材してまわる。

 

-もともと出版社で編集者をされていたとのことですが、なぜタイでの転職を決断されたのでしょう?その経緯を教えてください。

タイに来る前は日本でスポーツ関連の雑誌を発行する出版社にいて、編集者として7年程働きました。もともと海外で働くことに興味があったので、前の仕事を辞めるタイミングで海外の日本語教師の仕事を探しました。その中で、たまたまタイで日本語を教える仕事をみつけて2011年6月にタイにやって来ました。

初めての日本語教師の仕事は、バンコクのバンケーンにある高校。校内の寮に住み込みだったので、朝起きて寮内の食堂で他のタイ人先生達と一緒にご飯(もちろんタイ飯)を食べて、寮の敷地内の校舎で授業をするといった生活をしていました。タイ語もほとんど分からない状態で来たんですけど、いきなりぶっつけ本番で授業をやりましたね(笑)

タイ人の生徒は真面目に授業を聞いてくれなかったので苦労しましたが、みんな純粋で本当にかわいかったですね。日本語教師の仕事は一年ほど続けました。

 

ライターとしての取材を通し、タイと日本がサッカーでつながるのを肌で感じる日々

-タイサッカーについて書いてみようと思ったきっかけは?

日本語教師としてタイ人と触れ合う中でますますタイが好きになりました。ちょうど当時のタイでは、サッカーのプレミアリーグが盛り上がってきた頃でした。私の出身だった静岡県ではサッカーが盛んだったことから、プレー経験がなくても、サッカーを見るのは大好きでした。タイへの興味、サッカーへの関心、そして編集者としての経験が重なったことから、タイサッカーについて書いてみようと思い始めました。

また同じ頃、チャンスにも恵まれました。タイで日本人向けのメディアを運営されている方に出会い、丸山良明さん(現ランシットFC監督)の動画コンテンツ制作に携わったのをきっかけに、週一回のペースで連載記事を書くチャンスが巡ってきました。その他に日本のメディアにもタイサッカーの記事を書いて寄稿するなど、タイサッカーについて書く機会が増えてきました。

 

-具体的には、どのような記事を書いているのですか?

記事の内容は丸山さんや木場昌雄さん(一般社団法人JDFA)のサッカースクールの様子や、ブリラムユナイテッドのアジアチャンピオンズリーグ(以下、ACL)での試合の様子を書いていました。あとはタイで活躍する日本人選手へのインタビュー記事などですね。選手へのアポは全て自分でやりますよ。Facebookを使ったり、知り合いに紹介してもらったり……。幸い日本と違って取材依頼に所属チームを通さなくていいので、いろんな方への取材が実現しています。

タイでライターを始めた頃は選手との面識がないので、とりあえずスタジアムに行って選手に直接コンタクトをしていました。取材にはタクシー、バス、ロトゥ(タイの乗り合いワゴン車)を乗り継いでいろんな所に行ってます。遠いとこはブリラム(バンコクから北東400kmのところにある、タイ東北部の県)までACL(アジアのクラブ頂点を決める大会)の取材に行きました。ブリラムのスタジアムはアクセスがあんまり良くなく、周りに何にもなくて、行きはバイクタクシーかトゥクトゥクでなんとかなるんですけど、試合後スタジアムからの足がなく、仕方なくブリラムサポータに声かけて車に乗せてもらったことも(笑)

最近では日本のメディアからの記事の依頼が来ることが増えましたね。2014年シーズンから岩政選手や茂庭選手といった元日本代表クラスが加入したことで、日本からの注目度も格段に上がったんだと思います。

 

-タイサッカーの取材のおもしろみは何ですか?

旅感覚でサッカーの取材が出来ます。ブリラムみたいな田舎に行くのも小旅行みたいで楽しいですよ。あと、Jリーグとの提携が始まるなど、日本とタイがサッカーで繋がり始めるのを肌で感じることができます。日本人選手がヨーロッパで体験するのとは違う、アジアならではの経験に触れる事ができるもおもしろいですね。

あくまでファン目線ですが、タイのサッカーのレベルも年々上がっていると感じます。選手に話を聞いても同じように感じているようです。昨年まではブリラムユナイテッドとムアントンユナイテッドがひとつ抜けている感じでしたけど、今年は接戦が続いてます。またチョンブリーFCのように日本人が中心となっているチームが出てきたり、非常に面白いリーグになってますよね。お客さんもたくさん入るし熱狂的。タイ人は本当にサッカーが好きなんなど感じます。

 

日本人選手のタイでの活躍が、タイのサッカーに「世界」を伝える架け橋となる

-印象に残った取材はありますか?

チョンブリーFCのヴィタヤ氏(2013年までチョンブリーFC監督)です。チョンブリーFCは“日本流”を掲げて、日本のプレースタイルから多くを取り入れている、ユニークなクラブチームです。取材では、チームの「日本化」の立役者であるヴィタヤ氏に、なぜタイ人が日本人を求めているのかをタイ人の視点から話して頂きました。

「規律」をキーワードのように何度も言っていて、タイ人選手には日本人の規律意識が必要と感じていらっしゃるようでした。ヴィタヤ氏は日本でプレーと監督の経験があり、自身が現役でプレーしていた時代、日本代表とタイ代表の能力差は小さかったにも関わらず、今では大きく差が開いてしまったことを肌で感じています。だからこそ、彼の話は説得力がありましたね。

 

-タイサッカーの発展のために、今後必要なことは何だと思いますか?

タイのサッカー選手たちが、自分のプレーが世界とつながっていることを認識することだと思います。タイのサッカーは「内弁慶」と言われることがあります。ホームでは強いけれども、アウェーで強さを発揮できず、積極的に海外に出て行こうという雰囲気が弱い。しかし、以前築舘範男氏(現ラオス代表監督)にお話を聞いたとき、内弁慶というよりは、単に外の世界を知らないだけと仰っていたのが印象的でした。

加藤好男氏(チョンブリFCコーチ)も、自分が現役の時、海外の話を聞いてもいまいちピンとこなかったと言っておられました。タイでもこの先に世界が繋がっていることを認識することが必要なのではないでしょうか。そういう意味では日本人選手や指導者がタイ人に世界を見せる役割も担っているのではないかと思っています。

 

-今後の目標は何ですか?

書く仕事は続けていくつもりです。タイ好き・サッカー好きのライターとして、拠点はどこになるか分かりませんが、今後もタイのサッカー情報の発信に貢献出来ればと思っています。私はサッカージャーナリストではないので、タイに関する情報を幅広く発信していきたいですね。本の出版も目標のひとつです。

 

-日本の若者へ海外で働く先輩としてメッセージをお願いします。

当たり前ですけど、海外に出ないと分からないことがたくさんあります。日本では考えもしなかったことがいろいろありますから。一回は外に出てみること。
日本人であることにも誇りを持てますし。まずは行動してみることですね。

 

Article contributed by ASEAN FOOTBALL LINK




ABOUTこの記事をかいた人

ASEAN FOOTBALL LINK

日本とアジアを繋ぐフットボールマガジン ASEN FOOTBALL Linkは東南アジアで活動するサッカー選手・指導者・チームスタッフなど、アジアで奮闘する全てのサッカー関係者の生の声を発信したいとの思いから始まったウェブマガジンです。http://aseanfootball.biz