"ちっぽけな命と向き合う旅" インドネシア芸術留学の軌跡【絵描き・北林みなみ】

インドネシア・ジャワ島中部に位置する古都、ジョグジャカルタ。今も王宮の残るこの街は、伝統芸術と新たなアートがひしめく "芸術のハブ" だ。そこに飛び込んだひとりの日本人画家がいた。彼女の名前は北林みなみ。バティック、ワヤン、壁画に伝統宗教、興味のあることは何でも取り組んだ。彼女はなぜジョグジャに住み、そこで何を感じたのだろうか。"命と感情" を見つめ続けた留学の記憶について聞いた。

《プロフィール|北林みなみ氏 》
1993年生まれ。絵描き。神奈川県出身、幼少期はタイ、シンガポールで暮らす。2016年武蔵野美術大学油絵学科卒。​2019〜20年、インドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校にてダルマシスワ国費奨学生として短期プログラム修了。

Profile: KITABAYASHI MINAMI
Instagram: minami0imanim

子供の頃の記憶を探りに、インドネシアへ

ー まず、インドネシアへ留学した理由を教えて下さい。

私は幼少期に、親の仕事の都合でタイとシンガポールに計6年間住んでいました。その時の経験が自分の制作活動のルーツにあります。

自分自身を理解するために、そして大好きな絵とより深く向き合うために、もう一度同じような環境に身を置いてみたいと学生の頃から思っていたんです。東南アジアの国々の中でも、留学奨学金がとりやすかったインドネシアを選びました。

”Piece of pool”
2019 / 和紙、アクリル、色鉛筆/ 71cm x 71cm

ー 幼少期の東南アジアでの経験がご自身の制作活動の根源にある、とは?

私が絵を通して表現したいと思っていることの一番純粋で本質的な何かが、自分の幼少期にある気がしています。

タイやシンガポールに住んでいた頃は引越しが多くて、英語を上手く話せなかったので友達もできづらく、1人で過ごす時間が多かったです。
たとえば、私は "大きなスイミングプールの中でぽつんと泳ぐ人" を描くことが多いのですが、それも自分の幼少期の記憶です。東南アジアで住んでいたマンションに、ほとんど誰も使っていない大きなプールがあって、私はいつも1人ぼっちで泳いでいました。

子供の頃に感じたその世界の広さ、孤独感、自分独りで遊ぶ感覚これらを今も忘れずに持っていて、描いています

ー インドネシアに実際に暮らしてみて、何を感じましたか?

住めば子供の時の記憶を再体験できるのでは、と思っていましたが、そこは新しい場所でした。
私が離れていた間に、東南アジアはどんどん発展していました。
でも、雨上がりのジャングルの道や地元の市場に行くと、「昔の匂いってこんなだったなぁ」と思い出します。

イード・アル=アドハー(犠牲祭)で、牛の解体を待つこどもたち

人との繋がりの中で生まれる作品

ー インドネシアではどのような活動をしていましたか?

私はインドネシアの伝統工芸であるバティック(ろうけつ染め)の制作を大学や工房で勉強しつつ、自宅で絵も描いていました。

しかし、その後コロナの感染拡大が始まり...。バティックの工房も閉まってしまったので、主に家で絵やバティックの制作をしていました。あと壁画制作にも参加していましたね。

 ”森は生きている”
2020 / バティック/ 200cm x 150cm

ー 壁画制作とは?

現地のアーティスト仲間に誘われて、よく街や村の壁に絵を描いていました。

制作中はよく現地の子供たちや野良猫が寄って来てくれて(笑)、私自身子供も猫も好きなので嬉しくて、暇そうにしている子達には「一緒に描こ〜」と誘って、手伝ってもらったりもしました。

例えば東京なら、通りがかりの人に「手伝って」とか気軽に言えないんですが、インドネシアの、いい意味で緩くて頼みやすい関係性の中で描けたのが面白かったです。
逆に私がどんなに集中して描いていても、話しかけてくるほどでした(笑)。

壁画付近の居住区に住む通りすがりの少年たちが手伝ってくれた

ー 他にも印象的だった活動はありますか? 

あまり計画を立てずに、踊り、音楽、私のライブペイントを掛け合わせたパフォーマンスを披露したことです。ダンサーの子には私がボディペイントを施しました。

ー コラボしたというお仲間はどういう方々ですか?

エクアドル出身のダンサーや現地の仲間たちです。
そのライブパフォーマンスは、ティドレ(インドネシア東部、モルッカ諸島の一島)から来た人々を中心とするコミュニティスペースで開いたため、インドネシア人参加者は地方出身の人が多かったですね。

音楽や踊りも、私の住んでいたジョグジャのゆったりとした宮廷音楽と異なり、ラテンぽいオープンな感じで。ティドレの地方語でマントラ(祈りや瞑想の際に唱えられる聖なる言葉)を唱えつつ、スンダ(西ジャワに多く住む民族名)やインドの楽器も混ぜてインドネシアの仲間たちが演奏するという。
本当に 『密!』な場でしたね(笑)。

ライブペイントを披露する北林さん(中央)。画像右側で演奏家たちが音楽を奏で、中央の小さな空間でダンサーが踊った

ー カオスそうですね(笑)。

本当に!でも「こういうライブイベントもいいなー」と思いました。私は美術教育を受けてきた人なので「コンセプトが〜」「理由がないと〜」などと考えがちだけれど、「やってみて、そこで何かが生まれればいい」という方法の面白さに気づけました。

ーティドレ出身の人々のコミュニティのように、インドネシアではいくつものコミュニティを見かけますよね。

私は外国人なので色々なコミュニティを転々とすることができました。印象的だったのは、"クジャウェン" を信仰する人々のコミュニティですね。クジャウェンの信仰では、動物、植物、もの、人の全てに神様が宿りうるというアニミズム的な考え方があり、それは日本人にも通ずるものがあると思います。

クジャウェン(Kejawen)
「ジャワ的なもの」を意味するインドネシア語で、一般的に敬虔なイスラーム教徒に対し、イスラーム教徒を自称しながら、ジャワ的な風習や儀礼を尊重する信仰のありかたを言う。
(出典)東京外国語大学 アジアアフリカ研究所, インドネシア語新聞翻訳 2008年1月8日.
http://www.aa.tufs.ac.jp/fsc/isea/po0801301hy.html

bulan Suroと呼ばれるジャワの暦における1月。神聖な期間とされており、特別な儀式が各地で行われる。

 ー そのクジャウェン的価値観に、みなみさんも共鳴したのですか?

はい。ジョグジャって生き物に満ち溢れている。その中でアニミズム的な信仰が生まれて、今も残っているというのがとても自然でいいな、と。

ジョグジャの生活では、動物や自然と人間は一緒に生きているんだな、ということを実感しました。生き物の命を奪って食べることは当たり前のことだけれども、処理された肉や野菜をスーパーで買うことがほとんどである東京に住んでいると忘れがちになります。

孤独な人が溢れるこの世界で、 "命と感情" に向き合うこと

ー みなみさんのプロフィールページでは「命・感情に注目したい」と書かれています。詳しく教えて下さい。

"感情・命" は、私の作品における大きなコンセプトです。幼少期の海外経験も含め、私はいつも自分が "ちっぽけな存在" だと感じてきました。自分を中心に世界が回っていない、とずっと思っていて。こういう自分と同じような孤独感や疎外感を心に抱える人って、意外といると思うんです。

インターネットの普及で "世界" がますます近くなるけど、周りを見回してみたら自分独りだったり。都会で物理的に多くの人に囲まれているけど、なぜかとても孤独に感じたり。

また、私は上っ面だけで世界が進んでいくようにも感じています。流行り物とか、フェイクニュースとか。多くの情報が溢れているけれど、その中にいる人が誰であるかや、彼らが何を考えているかについて忘れがちなことって意外とあるんじゃないかな

この国や宗教の人はこうだとか、戦争があるからこうだとか、勝手に印象付けがちだけれど、実際は "そこ" に生身の人が住んでいて、その人にも家族がいて、過去や歴史がある。

そういう孤独な人たちがこの世界に溢れる中で、私自身は、自分や誰かの根源的な部分の心を理解したい。世の中に実質的には役にも立たないことかもしれないけれど、それが大事だと思っています。

誰かが私の絵を見ることで、自分の中にある、もやっとした疎外感や孤独感といった感情に気づくきっかけになったらいいな。そうしたら、他の動物や自然についても理解出来るんじゃないかなって。

ー 私も就活をする中で、世の中の流れに飲まれそうな時があるので分かります...。

折り合いが難しいですよね。働いてお金を稼ぐことも大事だから...。でもそればかりになるのは危険なんじゃないかな、と思います。

毎日一生懸命働いて、夜帰って寝るだけの生活だったら、お金にならない自分の興味や心に目を向ける余裕がなくなるのも当然だと思うんです。
ただ、自分が本当に大切に思っていることや、好きなことについて考える余裕すらない日々が過ぎていって、心を置き去りにしたまま人生が進んでいく、みたいなことも起こりうる、と感じています。

”魂を抱える (Di dalam diriku)
2020 / ボディペイント / ジョグジャカルタにて撮影

ー 今後やりたいことはありますか?

伝統的な芸術や価値観を大事にするジョグジャに住んで、逆に私は日本の伝統的な芸術(特に民藝)についてあまり知らないと感じたので、これから深く勉強したいです。

ー 最後に一言どうぞ!

プロの芸術家でなくても、インドネシアの人ってクリエイティブな人が多いんです。歌に踊りに楽器演奏に、生活と芸能の距離が近い。昼は農業を、夜は踊りをする人とか。そういう人たちが作る、生活の中から生まれた芸術は純粋な視点や美しさがあって、すごく魅力的なんです。

世界中どこに行ってもそう。この世界には、「何かを作りたい」という欲望に身を任せて芸術を生み出している人が沢山いる。それがものづくりの原点で、私もその原点を忘れたくないと思います。

ワヤン・クリッ(影絵芝居)に使われる人形を制作する北林さん(左手前)

<編集後記>

鬱蒼と茂る熱帯の植物の中にポツンとたたずむ人や、どこまでも続いていそうな広大な草原を走る人。孤独だけれど不思議と悲しさは感じません。
性急に移ろうこの世界で、ふと立ち止まってこの世界の美しさを感じたり心を遊ばせたりする大切さを、みなみさんの絵は伝えてくれる気がします。
ジョグジャでの経験を踏まえ、さらなる "旅" を続けるみなみさんの今後の制作活動も楽しみです。