"密" でなけりゃ祭でない!〜 バリ舞踊祭中止の決断でも、つねに未来志向の原動力とは?【阿佐ヶ谷バリ舞踊祭 松重貢一郎氏】

毎年8月に阿佐ヶ谷神明宮で開かれる阿佐ヶ谷バリ舞踊祭
しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止に。
阿佐ヶ谷バリ舞踊祭が体現してきた、"密" になることで生まれるエネルギーとは?
日本とバリの融合する場の実現や、 未来志向で新たな刺激を求め続ける原動力も含め、舞踊祭実行委員長の松重貢一郎さんにお話を伺いました。

阿佐ヶ谷バリ舞踊祭とは…

日本人・インドネシア人の舞踊家・演奏家が阿佐ヶ谷の地に集結し、古典舞踊から創作舞踊までバリ芸能の縦横に広がる世界を披露します。会場となる神社・阿佐ヶ谷神明宮の神聖な気配と相まって、バリ島のお祭りの芸能そのままの濃密な雰囲気が味わえます。
今年は舞踊祭が中止された代わりに、8月15・16日に阿佐ヶ谷バリ舞踊祭のYouTubeチャンネルで特別映像が配信される予定です!

《プロフィール|松重貢一郎氏》

1958年生まれ。1980年代初頭から演劇、舞踏活動を経て、1994年よりバリ舞踊を始める。プリアタン村のグンデ・オカ・ダラム氏、プトゥルー村の故イ・クトゥット・トゥトゥル氏、バトゥアン村のイ・マデ・ジマット氏に師事。日本では数少ない男性のバリ舞踊手のひとり。

"神様に捧げられる" バリ舞踊に魅せられて 〜 バリ・ヒンドゥーとの結びつき

バリにて。お寺のオダラン(祭り)で、神様へのお供えものを頭の上に乗せて歩く女性たち。

ー 松重さんがバリ舞踊に出会ったきっかけを教えてください。 

バリ舞踊との出会いは、1993年にバリ島を訪れたとき。踊りを観て、まず「衣装と動きが格好いい!」と思いました。

私がバリ舞踊に魅かれていったのは、見た目の格好良さだけでなく、それが神様に捧げられる踊りである点でした。バリにはバリ・ヒンドゥー(バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系)が根付いており、バリ舞踊はその儀式と結びついています。神様のために踊られ、その中で人間も楽しませてもらう。
それまで私が知っていたダンスとは全く立脚点が違うのが衝撃的でした。


ー どのようにバリ舞踊を習いましたか?

仕事の休暇を得ては、バリに飛んで直接踊りを習いました。というのも、当時1990年代には、日本に男性のバリ舞踊家はほとんどいなかったからです。さらにバリでも踊り手は生業として別の仕事を持ちつつ、儀式のときには踊るという人たちです。そこで、舞踊を教えてくれそうな村人を探してレッスンを頼み込みました。

その後、他の村でも踊りを習うようになり、バリのお祭りや儀式の現場に連れて行ってもらえる機会も増えました。現場で知った知識と記憶、踊りのレッスンで得たものが、今私が作っている阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の背後にあります。もちろん、今でも踊りの練習をしています。

 

"密" になることで生まれるエネルギー

ー 松重さんは、2002年から阿佐ヶ谷バリ舞踊祭を毎年運営されています。舞踊祭を始めた経緯を教えてください

阿佐ヶ谷バリ舞踊祭(以下:阿佐バリ)を立ち上げたのは、
バリ舞踊グループの横のつながりを作りたかったから」です。

当時、バリ舞踊やガムランのグループはいくつかあったものの、それぞれが個別に活動していて、「なぜ日本のバリ舞踊のグループはこんなに閉鎖的なのか?」という疑問がありました。


ー 阿佐バリは阿佐ヶ谷神明宮で行われますね。神社でバリ舞踊とは、意外な気がします。

神社とバリ舞踊には親和性があると感じています。

バリ舞踊と強い結びつきがあるバリ・ヒンドゥーには、『精霊信仰』や『祖霊崇拝』が存在します。また寺院は森の中に置かれ、敷地内にはご神木や聖なる水場が見られます。

これは日本だと、まさに神道、神社ではないか、と。

バリ舞踊祭でも、空間的にバリのようなものを作りたかったので、神社を祭の会場にしたいと思いました。そこで、神明宮の宮司さんに「異国の踊りなのですが、奉納舞踊として踊らせていただけますか?」と頼んだところ、「面白いんじゃないの?」と、なんとOKをいただけました(笑)。
 

ー 阿佐バリで大切にしていることはありますか?

"場" の一体感を生むことです。

本番の最中に、お客さんがウワーッと前のめりになっていく瞬間がたまに訪れます。そのとき、お客さんはただ舞踊を鑑賞する側にいるのではなく、出演者と一緒になってエネルギーを作り出しています。

つまり、踊り手も観客もスタッフも含め、"人と人"、"人と場" が接触・交感し、生まれるエネルギーを共有する。踊りの技術のように個人に集約する何かではなく、普通の劇場での公演では作れないものに特化すること。そこに阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の価値があると思っています。

でも、お客さんと一つになって生まれるそのエネルギーは、常に発生するものでも、必ずしも意図して仕組めるものでもない点が難しいですね。それでも、運営側としてはベストな空間作りをしたいと思っています。


ー "場" の一体感は偶然的に生まれることもあるのですね。それでもベストな空間作りをするために必要なものは何ですか?

やはり人と人の物理的距離の近さは大事ですね。つまり、"密" になることでエネルギーが生まれるのです。コロナ時代に一番やってはいけないことですね(苦笑)。

例えば、2009年に阿佐ヶ谷神明宮が改修される以前の阿佐バリでは、参道を舞台にしていました。参道からに拝殿に向かって踊り手が踊り、その参道を囲むようにお客さんがいて。舞台と客席の分かれ目がなく、踊り手と観客が一体になる空間の中で舞踊が披露されました。鬱蒼と茂る木々に囲まれた暗い境内で、まるでバリの儀式のような、濃密な空気が自然と生まれていました。

一方、改修を終えた神明宮では、どうしても舞台とお客さんとの間に距離が生まれてしまうレイアウトとなり、"場" の一体感を生むのは以前より難しくなってしまいました。でもその分、舞台から一方に見せるだけではなく、観客の方からも繋がろうとしてくれているエネルギーを感じています。

改修後の神明宮にできた能楽舞台での踊りの様子


ー 観客からも踊り手側と繋がろう、というエネルギーが生まれたのはなぜでしょう?

一つは、昔に比べ日本でバリ舞踊の認知度が広がったからだと思います。バリ舞踊の踊り手もファンも増えました。 

また、回を重ねるごとに、阿佐ヶ谷の地元の方々からもより多くのサポートを頂いています。商店街組合の方々は積極的に祭りの宣伝をしてくださいますし、地域の住民の間でも「今年もバリ舞踊祭があるね」という言葉が日常会話に出てくるようになってきたのは嬉しいですね。 


ー 阿佐バリを作る中で難しさを感じることはありますか?

人と人との境界が混ざり合った部分で繋がり "祭り" が成立する空間を、私はバリで味わい、それを日本でも作りたいと思ってきました。しかし経験を通じて感じるのは、バリと同じことはできないし、それだけを目指しても解決しないということ。

根本的なところでは、日本とバリの祭りというものはとても近いと思うのですが、当然バリを真似をしたからといって同じような"場" が立ち上がる訳ではありません。日本には日本の、祈りと祭りの "場" があります。

一方で、そこに固執してしまうとバリが見えなくなってしまうので、やはり日本とバリが無理なく混ざり合う祭りの "場" を作りたいと思っています。どちらかに偏るのではなく、いい部分を見つけて自分たちの祭りとして表現していく。そういうものを目指しています。

たとえば、第3回阿佐ヶ谷バリ舞踊祭では沖縄の八重山民謡グループを招きました。偶然に八重山民謡をやっている人と出会ったことがきっかけです。

「それにしても、なぜバリ舞踊祭に沖縄の民謡グループ?」と思われるかもしれませんが、それは、バリと沖縄・八重山の間に親和性を感じたからです。たとえば、沖縄本島の琉球舞踊は宮廷舞踊と呼ばれる優美なものとは異なり、八重山の踊りは(下の写真の衣装を見てもわかるように)村人たちによる、村の祭りや娯楽のための、踊りや音楽です。

そうした、互いが引き合う力といったものが阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の奥行きを作っていったんだと思っています。

沖縄の八重山民謡グループを招いた第3回阿佐ヶ谷バリ舞踊祭

コロナ時代の芸術表現の模索 〜 舞踊祭中止と特別イベント

ー 今年の第19回阿佐ヶ谷バリ舞踊祭は中止になってしまいました。その経緯を教えてください。

8月15・16日に開催を予定していましたが、新型コロナウイルス感染の収束が見込めず、現状では安心・安全な開催が困難なため、開催中止を決定しました。

常に人と人の距離を取り、マスクの着用を義務付ければ開催できるかもしれない、とも考えました。しかし "祭りは密になることで場のエネルギーを生み出すもの" 。それは阿佐バリにとって、何より根幹で大事なもので、それを抜きに阿佐バリを開くことはできない、と実行委員会のメンバーで結論に至りました。


ー 今年は阿佐ヶ谷バリ舞踊祭を開催できない代わりに、特別イベントを行うそうですね。

8月15・16日に、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭 公式YouTubeチャンネルで特別映像・写真を公開予定です。阿佐ヶ谷神明宮が改修される前と後の阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の中から、"これぞ阿佐バリ" という、"場" が立ち上がった瞬間を捕らえた映像を一つずつ選びました。また、昨年までの阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の全18年、全演目の写真もお見せします。

このイベントは単なる仲間内での過去回帰ではなく、「阿佐バリってこういうことができたんだ」ということを皆さんに感じてもらう機会になればいいな、と思っています。こういう形になってしまいましたが、来年の阿佐バリに繋げるという意味でも、今できるベストを尽くしたいです。


ー コロナ時代に、舞踊家、表現者として考えることを教えてください。

コロナ禍において、表現の機会をオンラインに求めていかなければならないジレンマに多くの表現者が戸惑いつつも、それぞれが場を作る方法を模索しています

私たちも阿佐バリをつくる者として、模索を続けていくでしょう。もし来年もコロナの状況が変わらなかったら、阿佐バリの最も根幹だと考えている "密" を避けてでも阿佐バリをやるのか?それは正直わかりませんね。これから1年かけて試行錯誤しつつ、自分たちがいいなと思える方法を見つけていきたいです。

ワヤン・クリッ(影絵芝居)の上映も。夕闇のなか、スクリーンの上を人形の影が舞う。

停滞したところに感動はない。つねに新たな刺激にオープンであれ!

ー 今後の抱負をどうぞ!

コロナ禍で大変なことも多いですが、"今自分の周りにいない人やもの" からの刺激を求めて、変化しながら、よりよい阿佐ヶ谷バリ舞踊祭を作っていきたいという思いは常にあります。

私たちは何かを続けていけばいくほど、それを反復させることに注力しがちです。しかし、停滞したところに新たな感動は生まれません

阿佐バリでも、回を重ねるごとに、スタイルが固まってきて、色々なエネルギーを寄せて一つのものを作ろうという、最初の頃の気概が失われてきてしまいました。

そんな状況を変えるには、"今自分の周りにいない人やもの" からの刺激を求めていかなければなりません。例えば、若い世代を巻き込むことです。

バリ舞踊自体は日本人の間で関わる人は増え、本場のバリで舞踊を習ったり、逆にバリ人の舞踊家が日本でワークショップを開いたりするハードルも低くなりました。それにも関わらず新しい交流が生まれにくいのは、若い子が入ってきにくいコミュニティになっているのかもしれません。

若い人々と一緒に "場" を作っていけるようにならなければ、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の将来はないと考えています。だから、若い人々と一緒に目標や思いを交換・共有する機会をまずは持ちたいですね。

ガムラン(インドネシアの伝統楽器。バリ舞踊はガムランの音に乗せて踊られる)を演奏する松重さん。

編集後記

文章と写真だけで "祭りの熱" を伝えるのは難しいものだな...と感じました。それも当たり前ですね。踊りや祭りというのは、五感をフルに使う行為や場だと思います。

祭りだけでなく、現在のコロナ禍では、"人と人が五感で交流する場" がかつてなく奪われています。そんな中、オンラインなどを駆使した新たな人の交流の場が急速に発展しているのは面白いです。一方で、五感でコミュニケーションをするときの微細な感覚だったり、感動の共有をオンラインで実現するには、現在の技術では限界があるのも事実だと思います。

ある意味、このコロナ禍で私たちは "密な交流" の大切さを改めて実感しているのかもしれません。だからこそ、きっと日常が戻る未来に希望を持って、今できることをする。そうすればまた祭りができるようになったときの喜びもひとしおでしょうね。