人を動かす”場”を作る。インドネシアで環境教育を行うNPO【ゆいツール開発ラボ・山本かおり氏】

今、インドネシアで大きな社会問題となっているのが、ごみ問題。

街を歩けばたくさんのごみが目に付きます。道だけでなく、川や海にも多くのごみが捨てられており、ビーチは綺麗なのにごみがたくさん落ちてた…ということもよくあります。

インドネシア政府も対策を打っています。例えば、インドネシアの西ヌサトゥンガラ州では、『Zero Waste(ごみ0)運動』という啓発活動が始まりました。学校の授業でもごみについての課題が取り上げられるなど、今までにない動きが出てきています。

しかし、難しいのは市民レベルでどのように啓発していくのか。実際にZero Waste運動も、形だけで名ばかりのものも多く存在します。「Zero Waste運動はいい取り組みだけど、0にするのはどうせ無理だよね」といった否定的な声もよく聞きます。

今回、そんな西ヌサトゥンガラ州のロンボク島で、ごみについての見識を広め、普及啓発を行う日本人女性と出会いました。

NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)で活動されている山本かおりさんです。

どんな活動を行っているのか。
活動によって、現地にどのような変化が起こったのか。
海外で活動する上で大切にしていることは何か。
取材しました。

《プロフィール|山本かおり氏》
北海道酪農学園大学の酪農学科を卒業後、国営公園を管理する財団に入団。その後、東京環境工科専門学校で環境保全を学ぶ。環境省のアルバイトを経て、全国地球温暖化防止活動推進センターが運営していた『ストップおんだん館』及び『JCCCAラボ』でインタープリターとして6年半働いたのち、NPO法人ゆいツール開発ラボを設立する。現在はインドネシアのロンボク島を拠点に活動している。

ロンボク島の地図。バリ島の隣にある、自然豊かな島

環境への意識が変わっていく

― NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)はどんな活動をされていますか??

ロンボク島のごみの問題を解決するために、環境教育を行っています。ロンボクにおける環境問題で、重要度が高く、市民の近くにあるものがごみ問題でした。実際にやっていることは、ごみ銀行の支援、村ツーリズム開発、若者の育成、この3つですね。

― たくさんありますね。まずごみ銀行から教えてください。

☆ごみ銀行とは?
ごみ銀行とは、インドネシア独特の廃品回収&活用システムで、住民が持ち込こんだごみを種類別に収集し、種別と重さなどの量を会員の通帳に記帳・廃品業者へ売却し、現金として会員に返還する「銀行」です。アセナビの別記事で詳しく紹介しています!https://asenavi.com/archives/13343

ごみ銀行の支援は、ロンボクでの最初の活動でした。もうすでにシステムとしてごみ銀行は存在していたのですが、ほとんど善意だけで運営されているような感じで、運営している人も自分の生活が立ち行かなくなったらやめてしまうんですね。

それではもったいないということで、ごみ銀行が継続できるような支援を行いました。集めたごみで小物を作って売ることを斡旋したり、ゆいツールが村などでワークショップを開くときにごみ銀行運営者を講師として招き、対価としてお金を払ったりしました。

ごみ銀行の運営者・パイズルさん。ペットボトルなどのごみから新しい物を生み出します

― なるほど。成果はどのようなものでしたか?

もちろん価値のある活動ではありますが、ごみ銀行の支援だけでは、全体としてごみが減っていく感覚は少なかったです。そこで、別のアプローチを模索した際に、思い浮かんだのが村ツーリズムでした。

村ツーリズムのベースとなるエコツーリズムとは、自然環境や文化などを観光の対象としながら、環境の保全性と持続可能性を考慮するツーリズムのことです。もともとエコツーリズム自体は新しいものではないのですが、それをごみ問題と結びつけて考えたのはユニークなところかもしれません。

村ツーリズムを行うことで、お客さんが外から村にもやってくるようになる。そのとき、ごみが落ちていたら恥ずかしいよね、という感じでごみ問題への啓発も行いました。

ココナッツの葉っぱで帽子づくり。村ツーリズムではこんなアクティビティもあります

― 観光という立場からごみ問題にアプローチしたんですね。

1から村ツーリズムを作っていくにあたって、村に住む人々とも深く関わるようになりました。いくつか村を訪問して村ツーリズムのことを説明して、何が観光資源になりそうかを一緒に考えました。そして、何人か熱心な若者たちを見つけ出しました。村ツーリズムをやるにあたって、周囲を巻き込めるキーマンのような若者たちです。しばらく一緒に活動し、色々な経験を共有しました。

すると、彼らはなんと自主的に、環境をテーマに活動するグループを作りました。そして、クリーンアップ活動に参加したり、観光地や学校でエコワークショップを開催したり、村へ出向いてコンポスト(生ごみなどを発酵させて肥料にする仕組み)作りの指導を行ったり、精力的に活動してます。

エコワークショップを実施するメンバー。ごみにも価値があることを体験してもらいます

― 山本さんの活動が、現地の若者の行動を変えていったということですね。

そうですね。そこにやりがいも感じるし、難しさもあります。彼らだって、面白くないと思えばやめてしまう。そのため、モチベーションを維持できるように働きかけますが、結構気分屋だったりもするので、難しいときもよくあります。

でも、ゆいツールというで新たな出会いがあることも若者たちにとっては面白いみたいで。自分たちが住んでいる村の知り合いだけでは得られなかったつながりが得られて、お互いに刺激し合っているみたいです。また、ゆいツールのツアーで日本からやってくる大学生から、逆にこちらの若者が学ぶことがあったり刺激を受けたりもします。人と人の相互作用で学びが起きる。そういう場を作りたいです。

― 活動の軸はやはり「環境」と「教育」なんですね。

ぐしゃぐしゃに見えて、実は繋がってた

― そもそも、環境問題に関心を持ったのはいつからですか?

高校のはじめの頃は、実は看護師になりたいと思ってました(笑)。
でも、ある時C.W.ニコルさんという環境活動家と畑正憲(ムツゴロウさん)の対談集(森からの警告:ソニー・マガジンズ出版)を読んで「人と自然をつなぐ仕事がしたい!」と漠然と思うようになりました。それでなんとなくこじつけで、「人と自然を繋いでいるのは酪農の牛もそうなんじゃないか」と思って、大学は酪農学科に進学しました。

― 酪農!?(笑)今とは全然違いますね。

そうそう(笑)。結局酪農の道は選ばず、卒業後は国営公園を管理する財団に務めました。現場にいた2年は天国のようでしたが、本部に移ってからは組織の問題に目が行って、上司とぶつかってばかりで、ずっと愚痴ばかり言ってましたね。職場のトイレで「がおーーー」ってほえたこともあります(笑)。

― 愚痴は言わない印象だったので、意外です。

当時は、常にフラストレーションを抱えてましたね。私が何をしたいかも明確に言葉にできませんでした。そんな中でも「まだ自分のやりたいことを成し遂げてない」っていう思いがずっとありました。「辞めたら次にどこに行くのか」っていう不安もあって、しばらくはその財団に勤めましたが…。

そのうちに耐えられなくなり、勢いで仕事を辞めて、自然について学べる専門学校で学ぶことにしました。この原動力のほとんどは、当時の状況に対する怒りでしたね(笑)。でもやっとそこで、自分の道が開けました。

自分で決めた好きな事を学んだり、様々な活動にも参加したりして、やっと「自分のやりたいことをやれている!」と思いました。そのころから今まで、自分で決めてやっているという感覚があるので、愚痴は無くなりましたね。

実は、現在活動の場に選んでいるインドネシアは、専門学校の時に初めて来ました。森林状況の調査のためにスマトラに行ったのですが、そこで見た森林破壊に衝撃を受けました。

もう本当に、つるつるてんって感じになっていました。そこはアブラヤシプランテーションになるところで、アブラヤシはオイルパームになって、実は日本にも輸出されていたりするんですね。あるいは、紙パルプ用のプランテーションのためにも木が切られていて、それらもまたコピー用紙に姿を変えて大量に日本に入ってきているのです。私たちがこの木を切っていると言ってもいいんじゃないかと思いました。そして、森を守りたいという思いを強く持つようになりました。今の活動に通ずる原点にもなっていますね。

― NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)を立ち上げたのはどういった経緯がありましたか?

専門学校を卒業後、環境省の事務補佐員という仕事をした後に、『ストップおんだん館』という環境学習施設で専門スタッフとして働きました。グローバルな問題を環境教育のツールを使って人に伝えるという仕事です。環境省管轄の施設で、税金で運営されていた施設でしたが、最終的にはいらないということで無くなってしまいました。

でも、私たちスタッフはこの活動に意義を感じていました。自主的に振り返りをして、新しく団体を立ち上げることにしました。そこで立ち上げた団体が、NPO法人ゆいツール工房(ラボ)です。

人生を振り返ると、すごくぐしゃぐしゃしているように見えるけど、私の中では道は繋がっていて、この道じゃなければたどり着けなかった気がします。後から振り返ると、全て意味があったんですね。フラストレーションの期間を経験したおかげで、今やりたいことができていて楽しいです。

村の人の気持ちが先

― NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)には教育という軸がありますね。

環境がきれいになっていくのも嬉しいですが、それは本来トップダウンで変わってくるべきことだと思います。例えば、政府がこのままでは恥ずかしいから、お金を出して変えていこうというような形ですね。
でも市民レベルで、ごみを道に捨ててはいけないんだと意識が変わっていってほしいんです。人の行動が変化していく様子を見るのが好きですね。

― 例えば村ツーリズムは、多くの村にとって新しいことですね。外国人である立場で、何か新しいものを普及するのは難しいと思うのですが、そのときどういったことを意識してますか?

村の人の気持ちが先ですね。村の人たちがやりたくもないのに、きれいになるからやるべきだとか言って、勝手に何かを押し付けたり、変えたりすることはできない。違う文化なので、私たちとは大切にしてるものが違う可能性が大いにあるからです。

だからまず、「こういったものがあるけど、どう?やってみる?」といった形で気持ちを聞きます。最初は懐疑的だった人も、既に成功しているという事例があれば真似をして広まっていくことも多いです。最初はやる気のある人と一緒にやって、それをどんどん広めていく感じですね。

― インドネシアに住んでいると、みんな時間を守らないし、約束してもいつの間にか忘れられていることがよくあります(笑)。そのように、インドネシア人とコミュニケーションが難しいなと思うときに、どう対処していますか?

諦めないことと、あまり怒りをぶつけないこと。
インドネシア人に対してここを直して欲しいなと感じることもあります。でもその人たちとやるしかないので。でも、日本人もインドネシア人とは違う点で欠点を持っていますよね。知らない人とコミュニケーションを取る能力はインドネシア人の方が上だと感じることもあります。

― 最後に日本の若者にメッセージをお願いします。

旅に出よ!外に出よ!

内にこもってる時間も必要ないわけじゃないし、私も殻を厚くしてた時期はありますが、最終的には外に出ないと自分以外のものと出会えません。自分だけで何かを成し遂げられるほど素晴らしい人はそう多くなくて、誰かの力を借りないといけないと思います。

何をするにせよ、ミュージシャンになるにせよ、芸術家になるにせよ、結局は人とつながらないといけません。傷つくことを恐れず、ぜひ人と関わってほしいです。そのために、まず外に出て色んな人と出会ってみるといいと思います。

編集後記

私自身も村ツーリズムを体験させていただいた。現地の人々の生活にお邪魔することができ、貴重な体験になった。村にあるものを観光資源にする、という感覚は現地の人にとっては全く未知のものであり、これを共有し実現に至るまでは相当長い道のりがあったのだろう。

印象的だったのは「ぐしゃぐしゃしているように見えて、繋がっていた」という言葉。インタビュー後、「響くんもこの先誰とどう繋がっていくのかわかんないよ」と言っていただいた。今やっていることがその先の未来にどう繋がるのかは、振り返ってしかわからない。思いがけない出会いもあるだろう。どうつながっていくのか楽しみにしながら、今という時間を丁寧に生きたい。

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