自分の感覚を磨けば相手の声も聞くことができる。ラオスで医療活動・自立支援を行う赤尾和美さん

写真:内藤順司

特集「ひとのための国際協力ってなんだろう?」では、東南アジアの教育・医療・文化保全・森林保全・平和構築の現場で奮闘する4名と一緒に、アセナビメンバーが“実際にひとのためになる国際協力活動”を考えていきます!

本特集の第1弾は、カンボジアでの医療活動を通しての現地の人々の自立を達成し、現在はラオスで活動に励む赤尾和美さん。最初のカンボジアへの渡航の決め手は直感だったと言います。

そんな赤尾さんはどうして何年も東南アジアでの医療活動に関わり続けるようになったのでしょうか。また、現地の人々が自分たちで生きていけるようにするためには?どのような環境で働いているのか?2カ国での活動を経験し、現地の人々と関わることが大好きな赤尾さんだからこそのお話が聞けました。

 

《プロフィール|赤尾和美さん》

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの代表。日本で看護師として働いた後ハワイへ行き、そこでのきっかけによりカンボジアのアンコール小児病院で働くことに。現在はラオスに移り、ラオス人の自立支援と医療活動を行なっている。

 

“五感への刺激”がカンボジアでの仕事を始めるきっかけに

ー まず簡単に赤尾さんの経歴やフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーに所属したきっかけを教えてください。

大学受験をする前に父が倒れたことがきっかけで、看護師を目指し始めました。その後看護師として日本でしばらく働いていました。しかし30年前は職業の幅がなく、看護師は病院で働くという常識のようなものがあったので大学病院にずっといると抜け出せなくなるんじゃないかと思ったんです。そこでその時付き合っていた彼がいるハワイに飛んでいき、アメリカで看護師免許をとって働き始めました。

ある日、アメリカでお世話になった看護学校の先生に声をかけられて、カンボジアへ2ヶ月のボランティアとして行くことを決めました。そのときは、カンボジアがどういう国かすら知りませんでしたが、直感で二つ返事でいくことを決めました。2ヶ月の短期間なら何があっても大丈夫かなと思ったんです。

そこでの衝撃がとても強かったんです。当初は2ヶ月のみの予定でしたが、ハワイの仕事をやめてカンボジアに移りました。その転職先がフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーがカンボジア人の自立支援を目的につくったアンコール小児病院だったんです。関わっていくうちにやりたいことがどんどんと出てきて、気づいたら十何年も経っていました。現在は、ラオスで開院してから丸3年が経ったところです。

 

ー カンボジアを初めて訪れた時の、転職を決めるほどの強い衝撃とはどんなものだったんですか?

五感への刺激がすごかったんです。一般的には不便と言われていることに心地よさを感じていました。世の中は早くて便利なものが良いという方向に進んでいますよね。たとえば、何でもかんでもボタン一個で終わったり。だけどカンボジアにいると、ボタン一個で簡単に片付けられないことがたくさんあるんですよ。家に帰ることさえもままならなかったり、思わぬスコールに打たれたり。このように簡単にいかないことが多い中で1日を無事に終えられると、今日生き残った!という達成感を感じられて、必ずしも早くて便利なことがいいとは限らないと気づけたんです。

 

ー ハワイからカンボジア、ラオスと移って行く中でどのように環境に適応していたんですか?

カンボジアにいた時は、嫌いなものは嫌いでいいということがわかりました。そしてその後一度大嫌いになったカンボジアですが、自分がカンボジアを好きだった理由はなんだったのだろうと考え直すチャンスが訪れ、カンボジアへの想いを取り戻すという経験をしました。最初は恋愛みたいに、どんなに悪いところがあってもカンボジアを大好きだったんですよ。

でも本来あまり好きじゃないことも好きと思おうとして我慢していたのか、ある日爆発して大嫌いになって、「いますぐ日本に帰りたい!」となった時がありました。そんな時に友人と全く関係のない話をしていて、「嫌いなものは嫌いでいいんだよね」と言われ、それがストンと落ちたんです。日本で生まれ育っても日本に嫌なことはありますよね。それでも私たちはそれを受け入れるじゃないですか。だから“嫌は嫌”でいい、全部好きじゃなくてもいいと思ったらすごく楽になりました。

そして、私がカンボジアを好きだった本当の理由は、日常の中に「生活(=生きるために活動すること)」があることだ、と改めて気づくことができたからです。ある時、坂道を小さい子供2人が自分の体より大きい自転車に荷物を乗せてよいしょよいしょと上がって行く姿を見た時に、「これだから私はカンボジアが好きなんだ」って。それを実感できたから、嫌な部分も含めてカンボジアを好きなんだと納得して、過ごしやすくなりました。

でもラオスではまた苦労しましたね。私は東南アジアでの経験が長いからラオスでもうまくいくだろうという変な自負があったのですが、カンボジアでやったことが100%ラオスでも応用できるわけではありませんでした。最初はつまづいてしまったのですが、そこで、「ラオスでは新しくゼロから始めよう」と割り切ったらラオスもすごく面白くなりました。

 

ー では、アクティブに国をまたいで動いている赤尾さんですが、生活する上で大切にしている信念や軸というものはなんですか?

自分にとって何が心地が良いのかっていうことを意識しています。心地の良さを意識していたら本当に知らないうちに自分が求めるものに向かっているのかなと思います。

写真:内藤順司

 

病院を出ても生きていけるようにするために

ー 次に現在の職場の環境についてお聞きしたいと思います。ラオスでは日本人一人で働いているという環境の中で、外国人と一緒に働く上でどのような苦労やそれを乗り越えるための努力がありますか?

自分の価値観で動いていると、自分の考えが一番正しいと思い込んでいることがあると思うんですよ。たとえばカンボジアで、ボランティアで来ていた全ての外国人が強く推奨したあるツールがありました。これは、患者さんの情報を正確に次のシフトのスタッフへ申し送りするためにとても有効なものでした。患者さんのお薬とか食事とかを書いて、次のシフトの人に引き渡すんです。みんなその手段を使っているからどうしても根付かせたかったのに、全然根付かなかったんですよ。

それは、カンボジア人スタッフにとってにとって全然効果的でも効率的でもなかったんです。だけど私たちとしては「いいんだから使って!」みたいに言ったんです。結局カンボジア人スタッフが考えた別の方法になって、それを使うことで目的は達成するわけですよ。最初からこれに代わる別の方法で効率的で間違いが少ないならばそれでも良しとすればよかったんですけど、私たちは良いと思い込んでいるからあなたたちも良いはずっていう自分の当然や価値観の押し付けがあったんです。だからそれを気をつけています。それは異文化を受け入れる、理解する、認識するということでもあると思うんです。

 

ー ライフワークバランスはどのようになっているんですか?

立場上現場だけでなくマネジメントもやるので結構長い時間仕事をしています。私はマネジメントの仕事が本来好きではなくて、患者さんから直接エネルギーをもらえる現場での仕事が好きなんです。でもそれをやるためには立場上「ここだけやらせてください」って言っていたのでは全然進歩がない。経験を積み重ねて得た年相応の役割を担う必要があると思うんです。だからマネジメントをするようになって、あまり好きではない仕事だけど現場に行くためにはこれをやらなきゃいけない。なのでどっちも充実感はあります。生活に関しては、お金は生きていくのともうちょっとくらいもらえます。

写真:内藤順司

 

ー そのように活動していく中で嬉しかったことや、やりがいはなんですか?

もしかして死んでたかもという子が元気になるのを見ることですかね。子どもってやっぱり具合が悪いと泣きっぱなしじゃないですか。だけど治療したら元気になって笑ったり遊ぶようになったり

あるお母さんが8人赤ちゃんを産んで、そのうち7人が生後4ヶ月以内に死んじゃった家族がいたんです。赤ちゃんは栄養状態が悪くて、よく話を聞くと両親は収入がゼロ。食べ物がないので近所の人にお米だけもらって食べている状態でした。ちょうど私が訪問したときその最後に残っていた赤ちゃんも4ヶ月くらいだったんですね。4ヶ月だともう5、6キロあって良いのに3キロもなかった。栄養状態が悪いからいろんな病気にかかってしまっていたので、すぐさま病院に連れて行って治療しました。1ヶ月半くらい病院で過ごして元気になって笑顔もどんどん出るようになって。お母さんはすごい感動していました。

この家族に私たちが何をしたかというと病院の中での病的状態を治療するもので、また同じことで戻って来なくて済むように、彼らが病院を出ても食べ物を得られる方法を教えたんです。例えば収入が増えるように鶏を飼って卵を生まれるようにしたりとか。ただこの鶏を飼うのにも1羽400円とかするんですけど、NPOなので、限られた財源の中で公平にサービスを提供するには、必要なもの全てを病院から提供することは不可能なんです。なのでできる限り村の中や自分たちで調達できるように、村長さんと交渉したんです。そして、なんとか村の中から何羽か分けてもらえることになったんです。こうしたことがこの子の命につながったかなと思います。

 

現地の人々が心地よいと思えることを

ー 「カンボジアの人のため」「ラオスの人のため」になっていると実感したのはいつですか?

日頃あんまり「〜のため」ということは考えていないんですよね。言葉のニュアンスだけの問題であるかもしれないんだけど「あなたたちのためにやってあげてるんです」というのはニーズが見えてない時に出やすい自己満足の支援かなという風に私は思っていて。そのために私はニーズベースで提供できることを考えるようにしています。だけど結果としてさきほどの家族の話は、彼らのためになっていたんじゃないかなと思います。

 

ー このテーマにもなっているひとのためになっていて、現地の人々の意思を無視した発展ではなく彼・彼女らが本当に心地よく過ごせるための発展には何が必要だと思いますか?

やっぱり勝手に決めつけないことですよね。彼らは自分が知らないことを知らないというだけで、生活が改善されないということがいっぱいあると思います。さっきの家族も、どうやって生き残っていくのかを知らなかっただけで、知ったらできるんですよね。なのであれが良いって私たちが押し付けるんじゃなくて、知らないことはなんなのかって教えてあげてその中で彼らがチョイスしていって良い方向を見つけていってくれたらいいなって思っています。

日本も戦後森林伐採などがあったけど、そういう経験したことを伝えていってその国の人たちが自分たちが一番良い選択をできるようにサポートするっていうのが一番良い方法なんだろうなって思います。私たちがいなくなった後も続かなければならないので、根付かせるためには彼ら自身が心地が良いって思わないと続かないですよね。

 

ー それでは将来についてお聞きしたいと思います。団体として、また赤尾さんとしての今後の展望はなんですか?

団体としてはカンボジアが自立していったのでラオスもそういう方向で、7〜8年のうちには病院をラオスの政府に引き渡していくってことをゴールにしています。なのでそれまでにラオス人たちが自分たちの病院のマネジメントができるように今外国人が指導に入っています。今3年なんですけどやっとリーダーができるようになってきたし、良い感じになってきています。

私の直近の目標としては団体の目標とも重なるんですけど、ラオス人に自立していってもらうということです。あとは自分のアカデミックキャリアも伸ばさなきゃいけないなと思っています。一応心理と看護両方で学士をとったのですが、心理の途上国での支援ってあんまりたくさん入ってないんです。特に子どもの心理っていうのはすごく繊細なところがあります。何かやりたいなと思っても、自分にアカデミックバックグラウンドがないので、それが形に見えてないからもう少し勉強したいです。

国際協力の仕事で修士が絶対必要ってことはないけれど、やっぱり経験と理論と両方並行してた方がいいのかなと思います。若い時は何かを決めるときに直感でもいいんですけど、この歳になったので裏付ける理由などがないと説得力がないんですよね。

 

ー 国際協力業界で働きたいと思っているひとへ向けてのメッセージをお願いします!

感覚を磨いて自分を知ろうとすることが大切だと思います。たとえば朝自分の目が覚めた時に聞いた音はなんですかっていうことを毎朝問いかけてみるとかね。そういう自分の感覚を持って毎日生きてみることや感じることを大事にしていくことが、自分が今ここにいることの価値につながると思うんです。それができると喜びだとか悲しみだとか辛さをわかろうとするアンテナが勝手に働いてくると思うので、目の前にいる人の感覚もわかろうとする

それこそやってあげるじゃなくて自分ができるのはなんだろうということに目を下げられるっていうところは必要かな。感覚を使ってアンテナをフルに出して周りの人とコミュニケーションを取ろうとすることは、身近な人とか海外にいってもそうなんだけど100%目の前の人が何を欲しているのかを知ることは不可能だけど、わかろうとすることが大事なことかなと思います。

 

<編集後記>

自分の「〜したい」という気持ちは一見自分のことしか考えていないように感じていましたが、自分の気持ちもわからないのでは助けたいと思う目の前の相手の気持ちはもっと理解できないと知ることができました。命を助けるという大きな責任が伴う仕事をしている赤尾さんですが、底にあるものはシンプルでまず小さなことを大切にしていないと大きなことは成し遂げられないのではと気づかせられます。