ベトナム・ハノイでインターンシップへ挑戦した女子大生にインタビュー 〜海外という「逃げられない」環境に身を置いたからこそ学べたこと〜

もうすぐ今年が終わり、あっと言う間に春休みの季節が訪れますね。
みなさん来年の春休みは何か頑張ってみたいけど、どんな手段があるんだろうと迷っていませんか?
ベトナムで8ヶ月のインターンシップを決意した女子大学生の今井さんのストーリーを読んでみて、1つの選択肢として参考になればいいと思います。

〈プロフィール:今井 千夏氏〉

同志社大学神学部3年次休学中。高校生の時、オーストラリアへの留学など英語学習に熱心取り組む。大学入学時にアイセック(AIESEC)同志社大学委員会に入会し、3年間送り出し事業を担当。活動中に出会った数々のインターンシップ生から「学生が海外で働く」ことの可能性に魅了され、2017年4月から11月までベトナム・ハノイのIT企業にてインターンシップを行う。

AIESEC(アイセック)とは、126の国と地域で活動する世界最大級の学生組織アイセックの日本支部として、海外インターンシップ事業を運営する学生団体。1962年に東京大学にて設立され、現在では国内25の大学委員会が活動している。

多様性を大切に

ーまず今井さんの学生時代について教えてください。現在大学で神学部に在籍しているとお聞きしましたが、なぜ神学部を選ばれたのですか?

通っていた高校がキリスト教主義教育を重んじていたことから、世界の大多数の人が信仰するキリスト教の影響力に漠然と興味を持っていました。そして神学部を選んだ理由が大きく2つあります。

1つ目は、オーストラリアへの留学した時に、キリスト教文化に触れたことから、社会的にも、個人としても、日本と諸外国の間で宗教の位置づけが違う事に気づきました。その上で外国の人々と共に働くためには彼らが信仰する宗教への理解が必須だと思ったからです。

2つ目は、人種・宗教・民族差別に問題意識を抱いていたことから、これも宗教を理解することで解決策が見いだせるのでは、と思ったからです。

今は、宗教の多文化主義について学んでいます。

ーまた高校生の頃、英語圏への留学や英語学習を熱心に取り組んでいたそうですが、何かきっかけがあったのですか?

実は、中学生の時に部活で怪我をしてしまい、中学校生活の多くを通院や治療に費やしました。部活で頑張りたいと強く思っていた矢先に活動できなくなる、かつ人とは違う不自由な生活をしないといけなかったので、精神的にも堪えていました。

その時に出会ったのが洋楽や海外のドラマでした。

これらが当時の私を奮い立たせてくれました。
「英語を頑張れば今の世界よりもっと広い世界を触れることができるかもしれない」と思わせてくれたからです。

そんな思いから高校は英語に特化した学科に入学し、高校一年の夏休みに早速オーストラリアの現地校へ2ヶ月の留学をしました。

初めての海外生活、かつ、日本人がほぼいないような地域だったので、自分の未熟さに悔しさを感じて帰国した記憶があります。
ただ、高校2.3年ではなく、あえて1年生で留学したことで、残りの2年間の高校生活の過ごし方に大きく影響したと思ってます。
この経験から、やりたいことを「いつか」止まりにするのではなく、思い立ったらすぐ行動する習慣がつきました。

ベトナムでのインターンを決意

ーきっかけは何だったんですか?

海外インターンシップの運営を行っているアイセックへの参加がきっかけです。
インターンシップを決意した理由は主に3つありました。

1つ目、将来的に海外で働くことに憧れを抱いていましたが、この「将来」が社会人になるといつ訪れるかわかりません。だから、学生のうちに挑戦できるチャンスがあるなら取らない理由がなかったこと。

2つ目は、3年生の時点で、自分の社会への問題意識(多文化共生への思い)をビジネスのフィールドでどう掛け合わせられるかがイメージできませんでした。だから、一度海外で働いてみることで思いに対する仮説を検証してみたいという思いがあったこと。

3つ目は、アイセックで活動して、いろんなインターンシップ生に出会い、彼らの背中から海外インターンシップの可能性に憧れを抱いたこと。

これらが、海外インターンシップを決意した理由でした。

ーでは、なぜずっと欧米に興味を持っていたのに、急に東南アジア・ベトナムという地を選んだんでしょうか?

アイセックで出会ったインターンシップ生のほとんどが東南アジアに渡航して、自然と東南アジアが身近に感じるようになっていっていたからです。
また何度の旅行を通して、東南アジアの今後の可能性に興味を持ちました。

私が感じた東南アジアの可能性について補足します。
相対的な比較ではありますが、欧米諸国の10年後はおそらく今と同じ光景だと思いますが、東南アジアの10年後は予想できない光景になってそうだと思いました。だからこそ、これから急激に経済発展していく東南アジアに身を置けば多くの学びを得られそうだと感じていました。
そして東南アジアは、これから日本としても付き合いが増えていく国々。ビジネスとしてだけではなく、今後日本で暮らす東南アジアの人々も増えていきそうと感じ、今自分が現地に行って彼らの習慣や文化を理解しておきたいと思うようになりました。

東南アジアの中でもベトナムは治安が比較的よかったことから、親も安心してくれました。

ーインターンシップ先の事業内容とそのインターンシップ先を選んだ理由について教えてください。

私がインターンシップしていたのは、「3S Intersoft JSC」というベトナムのローカル企業です。

3S Intersoft JSCは、主に日本企業を顧客としてオフショア開発を行う会社です。
主にモバイルアプリの開発やソフトウェアのアウトソーシングを行っています。

学生のインターンシップは私だけで、ベトナム人100人ほどに囲まれて働きました。

そしてせっかく休学したので、新しい事に挑戦してみたいと思い、IT企業を選びました。
そうすることで、見える世界の幅が広がると考えました。またITは今後需要が高まるし、今学んでおいて損はないと思ったからです。

ーインターンシップで担当していた業務について教えてください。

主に社員向けの日本語教育を担当していました。

インターンシップ先での自分の固有性を、「日本人であること」と捉え日本人の私だからこそできることを率先して行っていました。
上記から、自分のインターンシップ先でのミッションは「社内において、日本とベトナム間の壁を少しでも低くすること。つまり、日本とベトナムをつなぐ存在を体現すること」と定義していました。この壁とは、外国人に対する心理的な壁だけでなく、業務の隔たりもなくすという意味です。

ー ただ面接の際には営業のポジションで採用されていたんですよね。

実は、企業との面接の時に日系企業向けの営業メインでやって欲しいと言われていました。しかしインターンシップ初日に上司から、「営業の方針が変わったから、ベトナム人社員への日本語教育ををメインでお願いしたい」と告げられたのです。

正直、出国前からある程度ハプニングは予想していたのですが予想より早くハプニングが起きて、できると思ったことが、できないことへのショックそして、日本語の教育に全く自信がなかったことから、かなり衝撃的でした(笑)

ー それはショックですね。モチベーションは下がりませんでしたか。

でも「このまま絶望して終わってしまったらここまで来た意味なくなる!」と思ってこの出来事を3つの視点からポジティブに捉えてみることにしました。

まず1つ目、経験をする前に好き嫌いの判断をするのではなく、まずはやってみてから判断しようと思いました。

2つ目、授業運営の裁量権は全て自分にあるし。社員に0から日本語を教えることで、(いい意味でも悪い意味でも)、彼らの日本語習得レベルは全て自分の成果になる。大学生活で学んだリーダーシップ経験をフルで活かして、力試しをしてみようと考えました。

3つ目、成功した時のビジョンを自分がワクワクするまで考えました(笑)。
その時に、抱いたビジョンが、日本語を身に着けた彼らがいつか日本に働きに来て、日本で再会することでした。

このように状況を納得いくまで腹落ちさせて頑張ってみようと決心しました。

ーでは、業務内容は日本語教育のみだったんですか。

いえ他のことも経験させていただきました。
全体に業務の割合としては、6割-日本語教育、 2割-セールス、2割-翻訳等のサポートを行っていました。
セールスについては、日本からお客様が来た時のカスタマーケア、法人営業の同伴、ベトナム人営業部社員の教育を行っていました。

ーしかしなぜ、社員向けに日本語教育が必要だったのでしょうか?

インターンシップ先の会社が社員向けに日本語教育を行い始めた理由は、2つありました。

1つ目は、私の会社の取引先の7割が日本企業だったことから、業務上で日本語がよく使用されています。しかし、現状社内では日本語が使用できる人が1割であり、どの業務も日本の顧客とインターンシップ先の間で翻訳者が必ず仲介に入る必要がありました。
この翻訳のプロセスが非常に非効率だったので、翻訳を介することなくエンジニア本人が日本語が話せることがベストと考えられています。

2つ目は、ベトナムに対してオフショアサービスを展開している日本のIT企業が年々増えていてそのような理由からハノイでもIT企業が多く存在し、エンジニアの数も年々増えています。そのため、ベトナムではエンジニアの数も年々増えており、IT企業としても優秀なエンジニアを逃がさないように様々な社内制度を設けています。

上記から、どのIT企業も福利厚生や社内研修制度等で他社との差別化を図っており、私のインターンシップ先では社員に対して日本語の授業を受講費無料で開いていました。そうすることで、成長に貪欲な社員のニーズに応えていました。

ーインターンシップでの仕事を通じて達成感を感じた瞬間はありましたか?

7ヶ月間で日本語検定5級レベル(簡単な日常会話)まで到達することを目標に、日々日本語教育に携わりました。なので、教えていた生徒たちが「日本語でエッセイを書けるようになる」という到達してほしいゴールに達した姿を見れたときは、達成感を感じました。
中でも、授業をきっかけに2名の生徒が日本で働くことに意欲を示し、実際にエンジニアとして働いたことは、とてもやりがいを感じました。
もちろん嬉しかったことだけでなく、難しく感じたこともありました。

もともと、私は日本語を母語にしているので日本語を文法から理解したことはないんですよね。だから、教えることをきっかけに日本語を第二言語として学ぶ立場に立って再度理解する必要がありました。

なので、日本語を大学でしっかり勉強したベトナム人社員(翻訳者)のほうが日本語が詳しい、みたいなケースが多々あったんです。
挨拶一つにしても生徒から「おはように敬語表現(おはようございます)があるのに、こんにちは、にはなんで敬語表現がないの?」みたいなすごく難しい質問が飛んでくるんですよね。でも私はそんなこと考えたこともなかったので、答えの検討もつかず困ってしまったりした時もありました。

このように、授業運営等で何度も間違えや失敗を犯し、そのたびに生徒を困惑させましたが、日本語翻訳を担当する社員がサポートしてくれました。

海外という「逃げられない」環境に身を置いたからこそ学べたこと

ー今回、ベトナムでインターンシップしてみて、変化はありましたか?

失敗することに対する考え方が大きく変わりました。

こう思えたきっかけは、働く中で数え切れないくらい失敗したからです。
私にとっても、会社にとっても日本語教育は初めての試みだったから、ひたすら仮説検証とトライアンドエラーをして教育モデルを一からつくりあげるしか方法はありませんでした。
仮説検証を通して、幾度となく失敗をしましたが、毎度の失敗から学べることはとても多かったです。
そこで得た学びを次に反映させることで、少しでも満足度の高い学習環境を作ることにこだわりました。この繰り返しが生徒のモチベーションやテストの点数に現れ、効果を実感できました。

そんな繰り返しを通して、失敗におびえる必要なんてないと初めて実感しました。

これは、海外という「逃げられない」環境に身を置いたからこそ学べたことだと思います。

出国前、ベトナムで長期滞在することも、何のスキルもない学生が異文化の中で働くことも、不安がなかったというと嘘になるし、インターンシップ中も、思い通りにいかないことに直面するたびに臆病になっていました。
でも改めて振り返ると、失敗を怯えてその先に待ってる可能性を逃すのは非常にもったいないと思うし、改めてこの挑戦をしてよかったと思っています。

ー最後に、インターンシップを経験したからこそ得られた考え、マインドセットはありますか?

異文化の中で働く面白さを知り、将来もグローバルな環境で働きたいという思いがさらに強くなりました。

また、今回ベトナム人に囲まれ働いてみて、彼らと信頼関係を築く上で非常に大きな学びを得ました。
それが、彼らを「ベトナム人」と見なして接してしまうと、自分の中に潜むバイアスが邪魔をし彼らの本来の姿を理解できないということです。

例えば、日本人の国民性を真面目さで表すことがよくありますが、これが日本人全員に当てはまらないように、ベトナム人の国民性も一概に定義することはできません。

だから、今後も「〇〇人だから真面目である」等と勝手なイメージで決めつけず、一人ひとりの個性に向き合うことを忘れたくないと強く思います。

編集後記

最後まで読んでいただき有難うございました。今井さんは2017年11月に帰国したばっかりだったので、よりリアルでホヤホヤなお話を聞け記事として発信できたかなと思っています。

今井さんも言っていたように、海外に出てみてインターンシップに限らず活動することはとても大事だと私も思いました。そうすることで今までの抱いていたイメージが変わったり様々な気づきがあると思います。

そしてこの記事を読んで頂き1人でも海外インターンシップに踏み出し、更にASEANに興味を持ってもらえれば嬉しいです。