ミャンマーで会計事務所を経営する女性起業家がロンジー仕立て屋を始めたワケ

みずほ証券在職中に米国公認会計士の資格を取得し、ミャンマーで会計事務所と伝統衣装ロンジーの仕立て屋を経営する中山さん。なぜミャンマーなのか?ミャンマーでビジネスを展開する中での難しさとは?たっぷりお話を伺いました。

≪プロフィール|中山さやかさん≫

2006年上智大学卒業、みずほ証券(みずほインベスターズ証券→みずほ証券)7年間勤務。

その間に米国公認会計士を取得し、退職後、2014年1月よりヤンゴンに駐在。

2015年1月MVC会計事務所を設立、同代表に就任。アウンサンマーケットでロンジー仕立屋も展開。

難病を経験し決意した海外への挑戦

ー 入社後はどのような仕事をしていましたか?

営業です。営業の中でも新規開拓のローラー営業で、地域を割り振られ一軒一軒金融証券を売る仕事をしていました。ゼロの状態から顔を覚えてもらい、関係づくりをする中で高額な取引をさせてもらったこともあり、地道に開拓していく姿勢は今にも生きています。

 

ー 営業を通して身についたことはありますか?

目的達成のために、恥を捨てて格好つけようとする気持ちを意図的にゼロにできるようになったことです。恥を捨てることは自分の中でテーマになっていて、今でも意図的にそうしています。例えば、ミャンマーで働く中でもミャンマー人の税務署署員と話すような機会に、ミャンマー語が得意でなくてもガンガン攻めたり、質問があるときはすぐに聞きにいったりしています。「変なガイジン」と思われても恥ずかしくないです。

 

ー アメリカで公認会計士の資格を取られているのはなぜですか?

数年で営業から事務に異動になり、本社に異動することになりました。ルーチンの仕事が多く組織の歯車として動いている感じでしたが、この仕事がなくなったら生きていけないという不安がありました。

その危機感を抱えながら働いていましたが、2010年に一型糖尿病を発症し、インシュリンを常に注射をしないと生きていられないという難病にかかってから、いよいよ自分改革の必要性を感じました。

学生時代にかじった会計に興味はあったものの、本格的にはしないでいた勉強をやることを決意し、2週間入院した後にすぐに予備校に入り仕事を続けながら2年間勉強して受かりました。手に職を付ける必要があると考えて資格を取りましたが、その2年間の間に病気にも慣れ、普通の人と変わらない生活を送れるようになっていました。

元々は同じ会社で働き続けきちんと食べていけるようにと思い資格を取ることにしたものの、以前よりもむしろ元気になり、海外で挑戦したくなったので会社を辞めました。

 

ー 何か挑戦したいという気持ちが湧いたときに、その中でもなぜ海外で働くことに決めたのですか?

英語コンプレックスを元々持っていたけれども、アメリカの公認会計士の資格を取ってからは英語が使えるなという自信があったからです。自分も歳をとっていくと挑戦しづらくなるのであれば今行くしかないと思い、行くことに決めました。

 

未発達だからこそ面白く将来の成長も期待できる

ー なぜ数ある選択肢の中からミャンマーを挑戦のフィールドとして選ばれたのでしょうか。

アジア圏で転職活動をしている中で、偶然ミャンマーをエージェントから紹介されたためです。一型糖尿病の持病があるので、たまに日本に帰国して通院しないとならないため、海外に出る場合遠方ではないアジアを選びました。エージェントが、ミャンマーに駐在する人を探している会社に依頼されていて、わたしにミャンマーを提案してくれた偶然のご縁には感謝しかないです。

 

ー なぜ起業に至ったのでしょうか?

起業することは渡航前全く考えていなかったのですが、ミャンマーの会社で1年働き、自分の考えで経営したいと思ったために起業しました。と言うのもマーケット自体が面白くて将来も見込めますし、1年間でだいぶミャンマー語が話せるようになり、先行者利益もあり、勝算がありました。

 

ー 事業内容が会計に留まらず、会社全般のコンサルティングをされているようですが、他にも様々な要望があるのでこのような形になったのですか?

そうですね。基本的には会計周りなので、会計の記帳、決算、税務、監査等の業務がメインですが、ビジネスパートナーを探したり場所の検討や調査からミャンマー人の国民性について話したりすることもあります。

未成熟な市場であり、会計事務所に会計だけお願いしたいと言うことはほとんどなくて、現地に根を張って色々サポートしてもらいたいという声が多いです。

 

ー どのようなお客様が多いですか?

今は日本の企業が多いです。でもミャンマー人の顧客も増やしていきたいとは思っていて、会社のFacebookは基本的に全てミャンマー語にしています。加えて、将来的にはミャンマー人の投資家を日本に連れていきたいと思っています。日本でも外国からのインバウンドが投資のテーマになってきているからです。

顧客企業で税務の説明会を開催する中山さん

寄り良いサービスを自らの手で

ー なぜロンジーの会社も作ったのでしょうか。

わたしはロンジーを初めて仕立てたのが住み始めて9ヶ月くらいと結構遅かったんですが、

地元の仕立屋さんで初めて布を選んで仕立ててみたところ、とても可愛いくてはまってしまいました。

何度か仕立てをしていると、ミャンマーの仕立屋の根本的な問題が見えて来ました。しっかり注文を管理していないから、注文したものを忘れられたり、頼んだけど一切できてなかったりということもありました。約束した日に仕立て上がりを取りに行ったら、手もつけてなくて、「今ご飯食べてるから後にしてくれ」と言われたこともあって横柄な態度に大変驚きました。それなら自分でお店を作ったほうがいいなと思いました。

それで、2015年1月に仕立てできる人を雇ってお店を始めました。私がお店を作ったらミャンマー語がわからない日本人にも作ってもらえて楽しいかなと思ったのです。

 

ー どのような人がお客様になるのでしょうか。

メインターゲットは、日本人や外国人など観光客です。パゴダに行く時にロンジーを着られたらより印象深い旅行になります。ですから、ものを売ると言うよりもロンジーを着る体験を提供しているという考えです。圧倒的に日本のお客様が多いですが欧米のお客さんも結構いらっしゃいます。最近少しずつお客様の数も増えています。

 

ー 起業をする過程で、成功体験と失敗体験はなんでしょうか。

大切なのは従業員、つまり「人」です。     

非常に勉強になっているのは人の関係、人の管理、人をモチベートすることについてです。失敗も成功もそれに関係することが多いです。

ミャンマー人はよく仕事を変えることが一般的なので当初からのメンバーはすでにいません。自分はミャンマーのマーケットの中で成長して、ミャンマー語も話せるようになってきて、まだ日々勉強だけれども、自分が成長するにつれて優秀な人が入ってきてくれるようになりました。

トラブルもありましたが、それは私が人としての能力がまだ低かったからです。経営者としてすごく成長させてもらっているので、その結果良い人が入ってきてくれています。

 

ー 具体的にどんなトラブルでしたか?

とあるスタッフが給料が上がらず、それに不満を持って辞めてしまいました。その人は会社を恨んでいたのでデータを全部消去していったんです。クライアントに関する業務は任せていなかったから良かったものの、バックアップ以外の直近のデータがなくなってしまいました。

恨みを買うということはこういう結果を生む、こういうことが起こることを知っておかなければならないという教訓になっています。彼らが会社を辞める時は多くは会社を恨んでいる時なので、陰湿なことをする、という前提を持っておかなければなりません。

ミャンマー人は関係を切ることが上手です。日本人であれば、またどこかでつながるかもしれないと思って関係を大切にして辞めていきますが、ミャンマー人は全部関係を切って、Facebookも新アカウントを作って名前を変えます。「セッサンムピャッ」という関係を切るという意味の語もあるほどです。関係を切ることは一般的なことであり、そういう意味ではミャンマー人スタッフを完全に信頼出来ていないかもしれないですね。信頼しきることのほうが危ないと思います。

 

今後のビジネス拡大にかける思い

ー 今後どんなことをしたいですか?

ミャンマーと日本の両国の人にとって役に立ちつつ、会社を大きくしたいです。具体的な目標としては、サービスを充実させ、クライアント企業を増やしてミャンマー人スタッフを50名に増やしたいです。

 

ー 両国のために、という思いの根源はどこにありますか。

あまり大きいことは言いたくないですが、どこかに日本人としてのアイデンティティがあります。毎年8月の終戦記念日に太平洋戦争のことを考えます。また、自分がミャンマーに来て生活させてもらっているので、その場所の人に恩返しをするのは当然のことだと思っています。自分の周りのスタッフや家族などを幸せにしたいです。国がどう、とかはあまり私には関係ないですね。

 

ー 会計の事業とロンジーの事業の2つのビジネスを回していくのは大変ではないですか。

そんなことはないです。私がしているのは管理と営業だけなので、実務はミャンマー人に任せていますし、他にビジネスチャンスがあればもっとビジネスがしたい!と思っています。

ですが実際は頻繁にミャンマースタッフの急な欠勤が多いので、カバーに入ることに時間を割かれてたりもしています。信頼関係とのバランスが難しいですね。

仕事に当事者意識を持っている人が少なく、アルバイト感覚でやっている人が多い環境なので、リクルートの際にもよく話を聞いて、より当事者意識をもってもらえるよう日頃から話をしています

ミャンマーには優秀な人も多くいますが、国民のアベレージでは高いとは言えず、わたしが求めているスキルには足りていないことが多いです。それでも彼らの協力なくしてはクライアントの要望に対応できないので、業務がスムーズにできるよう人材を多く雇用したり福利厚生を充実させたりして会社の魅力を高めています。総合的には人件費は安いわけではないというのがリアルです。

 

ー 今働いていて、もっと大学時代頑張っておけばよかったと思うことはありますか?

頑張っている学生を見ているとすごいなと思うし、逆にわたしは学生時代はそれなりで何かに打ち込んだ経験はありませんでした。正直ぼーっとしている間に終わりました。それでも過去に対して特に後悔することはないです。学生の時から活躍する人もいれば、80歳になって芽が出る人もいます。人生はどこで花が咲くかはわからないし一人一人違っていいと思います。

大学時代に自分のやりたいことがわかっていないといけないと言う風潮が日本にはあるけれど、そう言うのって違う気がします。「レールから外れないように」みたいな風潮があるけれど、歳をとってからであってもいいじゃないかと思いますね。

 

ー これからASEANで起業したい人に向けてのメッセージをお願いします!

起業したいと思っているひとは絶対起業します。とにかく計画を立てて準備・勉強した方がいいです。スタートアップの時点で完璧な会社は一社もないので、起業する時点でこれが整っていないとだめ、と思いすぎないで少しずつ始めた方がいいです。会社の規定はあるかもしれないですが、辞めてミャンマーに来てしまうと後がないので、会社員というステータスを持ったまま副業で起業するのもアイディアですよね。

逆に「やるやる」言っているけどやらない人は起業したいと思ってないです。起業というのは1つの手段であって、食べるためにお金を稼ぐ、自分のやりたいことをビジネスにしたいというのであればほかの手段でもいいんです。

 

取材後記

逆境を乗り越え、更なる挑戦をする姿勢に感銘を受けると同時に、自分の目指す「社会規範にとらわれない生き方」をされている中山さんのお話を伺えたことは大変良い経験となりました。