長身で、髭と長髪が印象的な加藤さん。どうやらそのトレードマークは力強い侍samuraiのイメージだそう。
インドネシアでは元JKT48の仲川遥香さんと肩を並べる超人気アーティストです!!
そんな日本とインドネシアの二国間をつなぐ架け橋となっている加藤ひろあきさんの活動とエンターテイメント業界、背景にある想いに迫ります!
<プロフィール|加藤ひろあき氏>
東京外国語大学・言語情報学研究コース・インドネシア語修了。シンガー・ソングライター、インドネシア語通訳・翻訳者、俳優、タレント、大学講師などと幅広いフィールドで活動。
2014年よりジャカルタに拠点を移し、シンガー・ソングライターの活動を軸に活躍しており、現在よしもとクレアティブインドネシアの代表を務める。
インドネシアで知らない人はいない!?
ーシンガー・ソングライター、通訳・翻訳者、俳優、タレント、大学講師などと幅広い活動をされているイメージですが、最近の加藤さんの活動について教えてください。
2013年にCOWCOW「あたりまえ体操」のインドネシア語版の翻訳や、インドネシアのベストセラー小説「Laskar Pelangi」(日本語で「虹の少年たち」)の翻訳を手がけ、サンマークより出版しました。
また、2014年のインドネシア移住後にはインドネシアの旅番組『Indonesia Banget !』のレギュラーレポーターを務めるほか、日本をテーマにしたクイズ番組『Quiz Surprise Japan』(ANA国際線の機内番組にも採用されている)の司会を行っています。
2019年の2月からは僕がプレゼンターを務める情報旅番組『JIPHORIA』がインドネシアの全国キー局METRO TVにて放送を開始します。
活動の軸となるシンガー・ソングライターの活動としては、ライブ活動を各地で行っています。このライブ活動が主に土日なので、平日に上述のテレビ番組のロケをしたり、収録をしたりしているイメージです。
2017年にCDアルバム『Hiroaki Kato』を発売しました。「涙そうそう」のインドネシア語バージョンも同CDに収録されています。この曲のメッセージはインドネシア人にも届くんじゃないかと思っています。2018年の沖縄国際映画祭で、夏川りみさんとBEGINさんと一緒に歌わせていただきました。さらに、第18回アジア大会公式ソング「Bright As The Sun」の日本語版を担当しました。
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=60qzpFxbvJM,
そして、2015年からは芸能プロダクション吉本興業グループのインドネシア法人よしもとクレアティブインドネシアに所属し、最近(取材時2018年11月末)代表として会社の運営や「インドネシア住みます芸人」らの芸能マネジメントの仕事も任されることになりました。
出典:加藤ひろあきさんのInstagramより
ー代表になられたということで、おめでとうございます!
自ら芸能マネジメントのお仕事もされているのですね。マネジメントを現地でされていて大変なところはどのような点なのでしょうか。
そうですね。現地ではとにかくコネクションがそのままカタチになってビジネスが動いていくので、新参者がいきなり来て何かをできるような環境ではありません。何もないところから何かを作っていくことが大変です。僕も身一つでインドネシアに渡り、仕事を得るために番組制作会社に直接掛け合い続ける日々からスタートしました。だからこそ、地道なコミュニケーションや人間関係構築が、大変だけれどとても大事だと実感しています。その際、現地の言語、つまりインドネシア語が話せるということは本当に大きな強みになっています。
また、事務所で抱えているタレントがほぼ日本人なので、日本人としての自分たちをどのようにローカライズするか、インドネシア人に受け入れてもらえるかをテーマにしていて、その尺度が難しいです。100%ローカル色のエンターテイメントになってもインドネシア人に勝てないし、かと言って日本らしいエンターテイメント色を出し過ぎてもインドネシア人には受け入れられない。そのバランス、最適解をポジティブに模索しています。
ーインドネシアの芸能界からみた日本、日本人にもとめられてるものはなんなのでしょうか。
3つです。1お辞儀をする、2「はい」とやたら言う、3片言のインドネシア語または英語を話す、以上です(笑)。それが日本人をよく表していて、彼らにウケるんです。
ーとてもシンプルですね(笑)!ありがとうございます。
移住ー音楽とインドネシア語、2軸での挑戦!
ーそもそも音楽を仕事にしようと思ったきっかけから伺いたいと思います!
はい。東京外国語大学でインドネシア語を専攻していて、在学中の2006年、留学のためにインドネシアのジョクジャカルタに滞在しました。しかし、その滞在時、数千人の死者を出したジャワ島中部大地震が発生したのです。
そんな中、自分ができることを考え、現地学生団体と共に、救援物資と音楽を被災地に届けるボランティア活動を行いました。インドネシアや日本の曲を歌ったところ、被災者や大切な人を失った人たちが涙を流しながら熱心に聴いてくれたんです。このとき、「音楽を仕事にしよう」と決めました。
ー卒業後は日本の大学で講師を務める傍ら、音楽や演劇といった芸能活動も続けていたそうですね。それから2014年にジャカルタへ移住することを決めたのは、どのような背景があったのでしょうか。
僕は単純に日本での可能性とインドネシアでの可能性を天秤にかけてみて、その結果インドネシアでの可能性を選んだだけです。
インドネシア語と音楽という二つのキャリアの軸がありました。当時はインドネシア語を使う仕事の方が音楽活動よりもはるかに上手くいっていて、そのギャップに苦しんでいました。このままでは音楽活動を諦めて人生を設計しなければならないという現実に直面し、30〜40代をどのように過ごしたいか悩んだ結果、少しでも音楽活動で可能性があるインドネシアに移住することを決めました。
また、インドネシアの魅力を日本人に伝えるのに、日本にいる必要はないと気づいたのもきっかけです。今こうして日本、インドネシア双方の良さを双方に伝えられていて非常に嬉しく思っています。
出典:加藤ひろあきさんのInstagramより
「日本とインドネシアをつなぐ」だけでは足りない
ー2015年 ベトナムホーチミン市で開催の日越文化交流フェスティバル「TOUCH Summer」のライブに出演されたようですが、今後はインドネシアだけでなく、ASEANに目を向けていらっしゃるのでしょうか。
これからは音楽を通じて日本とインドネシアだけでなく、日本とASEANの架け橋になりたいですね。世界でASEANの存在感を出していくには、まずはやはり一国一国ではなくASEANという共同体としてではないと難しいと思います。その上で、それぞれの国のアピールをしていくイメージです。
日本とASEANをつなぐことにコミットしているエンターテイメントはないと思うので、今後、まずは日本とインドネシア、マレーシア、シンガポールをつなぐことから始めたいです。この3ヵ国は文化も近いですからね。そしてゆくゆくはASEAN。
ー他に今後のビジョンはありますか。
日本で活動することを諦めてません。今後は今培っているのものを活用して日本で何が伝えられるかにこだわっていきたいです。現在はインドネシアでの発信が主で、日本側への発信が弱いので、そこを強化していきたいです。
あとはとにかく二国間の砦になりたいです。芸能やエンターテイメントは、異なる価値観への寛容性を育み、その違いの垣根を低くすることができるんじゃないかと思っているので、親しみやすいキャラも大切にしています。現在はインドネシアでもK-POPや韓流ドラマなど、韓国のエンターテイメントの人気がすごいです。日本も負けていられません。なので、まずは僕が日本のアイコンの一つになれたら、両国の友好関係にも貢献できるのではないかという考えのもと、「憎めない存在」になりたいです。両国の関係が悪くなることがあったとしても、「加藤ひろあきは憎めないな〜」と思われる、砦的な存在でありたいんです。
ー加藤さんの考える、ASEANで働く意義を教えてください。
環境が違うのでそれに適応できないともちろん難しいと思います。単純に食べものであったり、人柄であったり、街の醸し出す雰囲気であったり。文化の違いなど、日本にないストレスもたくさんあります。
でも、日本にない価値観にふれられることは醍醐味です。
あとは、問答無用にASEANは伸びているので、今日よりも明日の方がより良くなるっていうポジティブなパワーがすごいです。これは日本にはないパワーです。そこのビジネスチャンスに突っ込めるし、日本人がASEANで働くならその中核にいられる可能性が大きいのもビッグチャンスだと思います。
ー最後に一言お願いします。
経済的に裕福な国、均一感のある国にいて、世界最強のパスポートを持っている日本人のみなさんには、ぜひ、外に出てもらって、自分の目と耳で情報を手にし、刺激を得て、飛び込んでいってもらいたいです!
ーありがとうございました!
編集後記
インドネシアでの留学中、3日に1回は必ず加藤ひろあきの名前を耳にするほど、加藤さんは有名なアーティストです。タクシーの中で流れる曲もかなりの確率で加藤さんの曲。
同じ大学、そして同じ専攻の後輩として加藤さんのご活躍を大変嬉しく思っていました。母校・東京外国語大学の文化祭での講演&ライブではじめてご本人の生声を聴き、優しい歌声に酔いしれていました。
講演後もインタビューに快く応じてくださり本当に気さくでユーモアに溢れている素敵な方でした。今後も音楽を通じて日本とインドネシアだけでなく、日本とASEANの架け橋になられる方だと思っています!心より加藤さんのご活躍を応援しております。