「 一枚一万円の服なんて何にも意味なかったんです 」【ミラー財団 伊能さくら氏】

“ボランティア” 最近この言葉をよく耳にする。ボランティアに関心がある学生も多いのではないだろうか。今回は、タイのチェンライで日本人ボランティアの受け入れに携わる伊能さんのそれまでに至る経緯と、今後の展望を伺った。

《プロフィール|伊能さくら》
タイNGOでのインターンシップがきっかけとなり、大学卒業後、本格的に渡タイ。山岳少数民族のホスピタリティや自然と調和した伝統的な生活様式に魅了され、ミラー財団唯一の日本人コーディネーターとして 14 年間活動している。タイ語、アカ語(アカ族の言葉)を話すことができる。現在は、二人の育児に奮闘しながらタイ人の旦那さんと共にミラー財団チェンライ事務局の運営に携わっている。

*ミラー財団
タイに住む山岳民族の生活の質の向上と文化・伝統の継承をサポートするNGO。2004 年財団法人化。タイ国籍取得運動プロジェクトやフェアトレードプロジェクト、若者育成プロジェクトを始めとした様々なプロジェクトを行っている。

若い世代に学びの機会を提供したい

— 現在のお仕事について教えてください。

ミラー財団における日本人への啓発部門を担当しています。山岳民族が今どういう状況か、山岳民族だけではなく、無国籍者、タイの中での社会的弱者の人たちがどんな暮らしをしていて、どんな問題を抱えているか、こういった啓発活動のためのウェブサイトづくり、ボランティア(インターンシップ)プログラムのコーディネートをしています。

プロジェクトに携わっている現地スタッフと打ち合わせをし、マイノリティの人権やノンフォーマル教育等、ゼミのテーマや参加者の関心に合ったプログラムを組みます。また、現地での引率・通訳、アドバイザーの役割を担っています。

タイにとどまらず日本にも社会的弱者がたくさんいると思うのですが、そういった人たちに目を向けてもらうきっかけづくりをしたいと思っています。

— 山岳民族は思っていたほど貧しくなく、彼らだけでも生活はできるのではないかと疑問に思いました。日本人ボランティアが介入する意義とはどのようなものでしょうか。

貧しい地域への支援というと、比較的上から目線になってしまいます。やはりボランティアさんも関わるうえでフェアな感覚でいるべきですし、正直なところを言うと、いらっしゃる方はまだタイや山岳民族のことをあまりわかっていない場合が多いです。それで援助をするのはなかなか難しいです。

実際、ネパールやカンボジアでは、学校建設や井戸建設が次々とされていますが、依存関係を生んでしまい、援助が毒になっていることも少なくありません。このようなプログラムに参加した人は、満足かもしれません。わかりやすいですからね。しかし、実際の深いところ、物事の本質はわからずに帰ってきてしまっているのではないでしょうか。

ですからミラー財団では、ボランティア受け入れの目的として、村の伝統文化の保護と継承、村の経済活動の促進、アイデンティティの確立を掲げています。そして、お互いがもっているものを分かち合ってほしいと思っています。今、山岳民族の村ではタイの経済成長に伴い、急速に伝統文化が失われつつあります。それを、外国人の受け入れを活用した地域おこしという形で保護しています。

実際にホームステイのプロジェクトには、民族舞踊や民族衣装グループ、民芸品や竹細工グループ等、20 人以上の村人が関わっています。この活動が、出稼ぎに行けないお母さん達が村にいながら少しでも現金収入を得る手段になればいいなと思います。

ミラー財団が国籍取得等のプロジェクトで関わっている村には、もっと無国籍者の割合が高くて開発が進んでいないエリアがたくさんあります。でも、ボランティアさんの危機管理の部分を考慮して、ホームステイに関しては、電気、水、道路が通っていて安全なエリアを選んでいます。

— お互いがもっているものを分かち合うとは、具体的にどういうことですか。

山岳民族が貧しくて、大変な暮らしをしているから、豊かな日本人が支援の手を差し伸べてあげるというスタンスではありません。私はそれよりも、お互いに学びあって成長できたらなと考えています。

タイの田舎に暮らす人々の多くは農業に従事し、経済的に余裕のある家庭は多くはありません。自分の暮らすコミュニティー以外の世界を知る機会がないと、ある文化が勝っていて、ある文化が劣っているという短絡的な差別を生み出す原因にもなってしまいます。

子どもたちは、外国人と交流することで、「この世の中には様々な言葉や文化があるんだな」「自分たちの文化は、世界にたくさんある文化のうちの一つなんだな」と考えるきっかけになります。自分のコミュニティーの文化を見直し、自信や誇りをもつことができるようになると期待しています。

一方で、経済的に発展していて、便利な生活をしている日本人も、タイの素朴で質素な暮らしをしている人たちから得られる生活のアイデアがたくさんあると思います。それこそ、自分が何を求めて生活をするのか、何を大切にするか。そういうものをミラーで見つけてほしいです。

日本での生活も、色々悩むことがあると思います。自分のやりたいことが見つからないであったり、機会に恵まれすぎててそれに気がついていなかったり。でもこういうところで生活すると、自分がどれだけ恵まれていたか、気づくきっかけになると思うんですよね。

(村の子どもたちとのキャンプの様子)

何を求めて生活するのか、自分にとって何が大切なのか

— 現地NGOで働くことになったそもそものきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

バックパッカーで東南アジアを色々周って、気付かされたことが大きいです。昔から、旅行が好きで、アルバイトで貯めたお金でツアーの旅行にはよく行っていたんです。そんなとき、サークルの先輩が、中東と南アメリカでバックパッカーをした話をすごく楽しそうに語っていて、私は負けず嫌いだったので、絶対に東南アジアにバックパッカーをしに行きたいと思ってました。

一年生のときからずっと行きたかったのですが、女子大だったこともあって、友達を誘うけれども誰も来てくれなくて。 「そんなところに一カ月も行くなんてとんでもない。海外ならヨーロッパに行こう。」と言われました。お金はあったのですが、何か若いうちに東南アジアのような未開の地に行っておいたほうがいいと思って、あまりヨーロッパには惹かれませんでした。

そうこうするうちに、三年生になってしまったんです。「この夏行かないともう機会がない」と思って。それで、親には内緒にして一人で一カ月、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスに行くことを決意しました。

実際に行ってみると、内戦はとっくに終わっていましたが、枯葉剤の影響で身体障がいを抱えた人が物乞いをしていました。お金をあげるのは簡単だけど、そういう人たちの本当の支援にはつながらない。日本人として何かできることはないか。何かいい方法はないのか。と考えるようになりました。

同時に、自分と同い年の男の子が生きるために一生懸命英語を駆使してガイドをしているのを目にし、何で私こんなに英語話せないんだろうとすごく恥ずかしくなりました。私なんか中学生から英語をやってきて、大学受験でもあんなに散々やったのに、何でこんなにコミュニケーション能力が低いんだろうみたいな。まあ、今まで自分が真面目にやっていなかったからなんですけれどね。

恵まれた生活をしていたのに何で自分はその機会を自分のものにしていなかった、ぼーっとしていたんだろうと反省しました。それまでの私は、ブランド物の服で着飾るのが好きな典型的な女子大生でした。今の私の姿からは想像できないかもしれませんが、ワンシーズンで服に十万円使っていたんですよ。でも、「一枚一万円の服なんて意味ないじゃん」って気付かされたんです。

— バックパッカーを通して、ずいぶんと考え方が変わったんですね。

それも、気づかせてもらった、学ばせてもらったっていう感覚がありました。私の生き方間違ってたってわかったんですよね。お金をガンガン使っていた生活。経済的に恵まれてはいたんだけど、何か常に物足りなかったんです。自分のことにしか使っていなくて。

自分は何を求めているだろう。大学生活ももう少しで終わっちゃうのに、こういう生き方を続けていていいのだろうか。暇になると、こういうことを考えては、落ち込んでいました。だから、バイトとかサークルとか外に出て、気を紛らわせていたんですけどね。

この旅を通して、私はやっぱり今までしてきた自分の生き方が本当の自分の生き方ではなかったんだって気づいたんです。今思えば、もったいない話ですよね。でも、そのときは着飾ることがすごく楽しくて。それはそれで、そういう時間があったからこそ、今があるとも思っています。今のタイの若者とか山岳民族の若者のそういう物が欲しい気持ちがよくわかります。

— その後、大学の留学プログラムに参加されたんですよね。

はい。その後、ローカルから社会開発を学ぶ五カ月間のフィールドスタディーに参加しました。 二カ月間チェンマイ大学で座学を受けて、三カ月間NGOでインターンをするプログラムで、私は現地に根差した活動を行っているミラー財団を選びました。

ミラーでのインターンは本当に苦労しました。まず言葉が通じません。タイ語はできないなりに一生懸命話す努力をしました。昔はスマホのような便利なものもないので、重い辞書を常に抱えて、何を話しているか教えてもらいました。

その後、日本に戻って大学院進学を考えていたのですが、ミラーの現地スタッフに一緒に働かないか声をかけられました。その人は何かイノベーションを起こすような、おもしろいことを見つけて新しいことをつくるのが上手な人で、とても魅力的でした。 25 歳に日本に帰ってくることを条件に親を説得して、再びミラー財団に戻ることを決意しました。

— 帰国後の不安はなかったのですか。

帰国後は、開発コンサルタントの仕事をしたいと思っていました。当時は、開発コンサルタントの条件として、現地NGOでの経験が二年以上、もしくは開発学の修士号が挙げられていたため、この経験は無駄にはならないと思っていました。

帰国後に仕事が見つからないという焦りよりも、いま私はこれがやりたいっていう気持ちの方が強かったです。インターンの 三カ月間、すごく一生懸命やっていたから、この一生懸命の成果がでないはずがないって思っていました。何かそのとき火がついていたんです。

インターン中あれだけ苦労したから、もう少し積み上げて自分の形をつくりたいと思いました。 帰国後の心配はなく、どうにかなるし、どうにかしてやると思っていました。

— 二年間どのような活動をされていたのですか。

活動をしていく中で、タイ人だからこそできることがあって、自分がやってはいけないことがあると感じるようになりました。そして、日本人だからこそできることを探すようにしました。日本人を含めた、外国人向けにエコツアーのホームページづくりを始め、コーディネーターの仕事を始めたのもこの時期です。もともとパソコンが得意な訳でもなかったので、ホームページづくりも大変でした。

正直二年間は、つらいの一言でした。親の反対も押し切ってきていたので、泣く泣く帰る訳にもいかない。形にして帰らなきゃって思って、自分の中でね。結果なんか別に数値に出るわけではないので、自分が納得いくまでやらなきゃいけないと思っていました。

— 25 歳になって、結局帰国せずに留まったということですが、そこの話を詳しく聞かせてください。

それが二年経って、成果が出始めたんですよ。色々な大学や日本のNGOから信頼してもらえるようになり始めて、楽しくなってきたんです。

そして、自分自身が、ローカルなNGOのやり方や文化、山岳民族について、ようやく頭で整理整頓できて、一通り説明できるようになったのもちょうどこの時期でした。それこそ、この人達は別に貧しくないじゃないとか、私にも葛藤があったのですが、そういうのが消化でき始めたんです。

(日本人ボランティアに向けたオリエンテーションの様子)

社会を学ぶ一つの教育機関としてつくりあげていく

— 今のお仕事の面白さは何ですか。

若い人たちと関わることができて楽しいです。自分のやりたいことが見つかりました、進路が決まりましたという話を聞くと、すごくやりがいを感じます。
逆に、何も変わらなかったら、私の力が足りなかったなとがっかりして、責任を感じることもあります。

でも、最後は本人次第ですね。同じときを過ごしても、自分の中ですごく変わって日本に帰ってから飛躍していく人たちもいれば、変わらない人もいます。

— 逆に、タイで働くことの困難はなんですか。

やっぱり文化の違いですかね。仕事のやり方も違うので。基本的にタイ人は、サヌック(楽しい)とサバーイ(快適)を重要視していて、自分の大切なものを犠牲にしてまで仕事はしません。日本人のように自分の所属する組織に忠誠を尽くすことも少なく、仕事がつまらなかったらすぐに仕事を変えてしまいます。そして、頻繁にマイペンライ(大丈夫)という言葉を口にします。

そのときの私は、タイのこういった文化を理解せず、必死にがつがつ働いていたので、みんなから仕事バカと言われたときは、ショックで泣きました(笑)。

今こそ、別にいっかと思えて、自分も手を抜けるようになりましたが、昔はすごく細かくて、真面目にコツコツ働いていたから、日本の規範が通じないつらさは感じていました。マイペンライ(大丈夫)が通用しない柔軟性のない人間でしたね。

そしてあと一つ。何かある程度型があって、それを引き継いでやったり、誰か先輩がいて教えてもらえるわけでは一切なかったんです。「私はこういうことをやりたい。」「じゃあ、どうぞ。全部さくら自由にやって。」みたいな感じで。1 から 10 まで、すべて自分で考えてやるのは大変でした。上司も、今までやっていなかったプロジェクトだったので、一緒に手探りで進めるような状況でした。

— 文化の違いと、ロールモデルがいないということですか

一切いません。それから、私自身、日本での仕事の経験もなかったし、普通の女子大生でネットワークもなかったので、苦労しました。日本で色々なことをやってきて、既にネットワークがある人もいますよね。でも、私はそうじゃなかったので、大学の先生を頼ってメールをし、ゼロから作り上げるはすごく大変でした。

これでいいのかなとか不安になることもありました。でも、それをいいのか悪いのか、一緒に判断してくれる人がいないんですよね。誰もやっていないことに挑戦するのは、楽しいし充実感もあります。でも本当に大変。成功するか失敗するかわからない。そして、出た結果が全部自分の責任になるのです。

(ユースック村の村長さんと)

— 伊能さんの今後の展望を教えてください。

ミラー財団のビジョンは、学校教育ではないのですが、社会を学ぶ一つの教育機関として作りあげていくことです。

現在山岳民族が抱える問題は、タイだけの問題と別にして考えることはできません。私たちは知らず知らずのうちに、彼らのような社会的弱者を搾取するライフスタイルを取っている場合があります。また同時に、商業的な利益や効率ばかりを優先する社会の中で、私たちは“豊かさ”の意味を見失いつつあるのではないでしょうか。

私のビジョンは、このような気づきの機会を提供するよりよい場所づくりをしていくことです。今は大学生がメインですが、今後は色々な学校と提携をし、中学生や高校生も来やすい場所にしたいです。

— 最後に、学生に向けてメッセージをお願いします。

やはり日本には、みんな決められたレールの上を歩むべきで道から外れてはいけないという風潮があります。ある程度はよくなってきていますが、今でも少なからずそういう考えがあると思います。

でも、それぞれやりたいことや好きなことって違うと思うんです。あまり社会の枠にとらわれすぎず、自分の形をつくっていってほしいです。周りが期待する自分になろうとするのはやめて、自分にとって本当に大切なものは何かを考えてみてほしいです。少しずつ自分のやりたいことを積み重ねていけば、きっと自分の求める素敵な将来が待っていることでしょう。

(アカ族の民族衣装。刺繍の美しさや装飾品の豪華さが印象深い。)

編集後記

伊能さんには、ブレない“安定感”があるとお会いしたときから感じていました。しかし、今回お話を伺って、この安定感は、悩み、苦しみ、それを乗り越えた経験を通して得られたものだということがわかりました。伊能さんの心の中にあった物足りなさ、バックパッカーの経験を通した価値観の変化の話を伺っている際、一言一言が心に響き、自分自身にも通じるものがあると強く感じました。




ABOUTこの記事をかいた人

大釜かおり

#大阪大3年#タイ語専攻#シラパコーン大学交換留学生#トビタテ9期生#社会言語学#趣味は#タイドラマとタイ映画#写真#辛い料理が得意です