2016.03.01
「選択肢を広げたいんです。」そう語るのは、カンボジアの農村に暮らす子どもたちに移動映画館を提供する、CATiCの山下龍彦氏だ。なんと現役の大学生で、休学を決意し、1人でカンボジアに飛び込んだ強者である。若き彼の胸の内には、「教育」「世界」というアプローチで、子どもたちの選択肢を広げていきたいという熱き思いが潜んでいた。プノンペンにて同氏を取材した。
《山下龍彦氏|プロフィール》
上智大学総合人間科学部教育学科3年。World Theater Project 副代表(NPO法人CATiC)。プロ野球選手を目指し高校野球の名門校に入学するも、たったの2ヶ月で中退。行くあてもなく辿り着いた通信制高校。野球選手という夢を失った時に出会った一本の「ホテル・ルワンダ」という映画が、きっかけで国際協力に関心を持ち深く学び、実践をしたいと考え、一浪で上智大学に入学。
現在、カンボジアに駐在し自分に生きる目的をくれた映画を用いて、国際協力活動をゼロから展開中。
ホテル・ルワンダをきっかけに途上国へ。軸は「人の選択肢を広げること」
ーまずは、山下さんが海外に興味持ったきっかけから伺いたいと思います。
高校3年の秋、たまたま映画『ホテル・ルワンダ』を見たことですね。それまで、海外には全く興味が無かったのですが、「途上国っていう世界があるのか!」と、知らなかったことに対して負い目を感じたんです。
それまで先生になりたいと思っていたことに加えて、映画をきっかけに「教育」と「世界」がつながって。
それから、国際協力分野の中でも教育に力を入れている上智大学の教育学部を目指すことにしたんです。
ー大学では、どんなことをされていたのですか?
「途上国」と「教育問題の解決」というキーワードがあったので、それを重点的に勉強していました。1年生の秋頃、代表の教来石と知り合う機会があって、そのときすでにカンボジアへ行こうと決めていたので、現地での活動を手伝いをすることになりました。
現地に行って感じたことは、「学んでいたことと現実のギャップ」でした。
現地に住んで教育支援をなさっている方のお話を聞いて、それまで考えていた教育課題よりももっと複雑だと感じたんです。
カンボジアでは、小学校の入学者の割合は90%を超えていますが、卒業率はその半分以下になるのが現状。というのも、カンボジアではクメール・ルージュの影響で、現在の子どもの親にあたる世代が十分な教育を受けていない場合が多く、教育を受けたらどのように世界が広がるかがわからない。つまり、教育のメリットが伝わりにくいのです。
そういう事実を知ることができたことは、実際に飛び込んでみたから。もしカンボジアに行かなかったら、ずっと教室で考えて、自分の思い描ける世界でしか捉えることができなかったはずです。
ー現在活動を行っているCATiCに出会ったのはその時期だったんですね!どんなところに興味を感じられたのでしょうか?
単純に「映画を使うって面白いなあ!」と思いました。当時は設立1年目で団体の知名度はありませんでしたが、ぼくの中で映画と教育が結びついたんです。
カンボジアの農村部では情操教育が行われていないですし、将来の夢を持ちにくいのが現状で。そんな彼らの選択肢を広げるための良いきっかけだなあと。
元々先生になりたいと思っていたのも、子供たちの「学力を上げたい」というよりは「将来の選択肢を広げてあげたい」と思っていたんです。
ぼく、高校を辞めている経験があって、次にどうしたらいいかわからなくなった時期がありました。そんなときに選択肢を与えてくれた恩師がいて。「教育に興味ある」と話したら北欧の教育事情を教えてくれたり、色々な話をしてくれたりして、世界に対して目を向け始めるきっかけを与えてくれたんです。
それまでは野球しかしていなくて、勉強することや海外に関して興味を持っていませんでした。けれど、その恩師が世界を見せてくれて、やればできるよと背中を押してくれて。そういう形で、ぼくも周りの人の選択肢を少しでも広げられればいいなと思っていました。
ーなるほど。山下さんも『ホテル・ルワンダ』の映画をきっかけに途上国に興味を持たれたということもあり、「映画で人の選択肢を広げる」という活動に腹落ちしたのですね。
はい。
そして、アンコールワット遺跡の近くの村で上映会をしたときに、600人ほどの子どもたちが来てくれてすごく大きいスクリーンを使って上映会を行いました。それを見た瞬間に「この活動に関わっていきたい」と感じて、それからメンバーとして正式に活動し始めました。
帰国し、大学2年生になってからは、団体がどのようにまわっているのか見たり、イベント・報告会を打ったり。
3年生になってから、「メンバーが年に1, 2回行っている状態って自己満なんじゃないか?」と思うようになり、「だったら自分が行ってやろう!」と思い立って。深夜、突然代表の教来石に電話をして「カンボジアに一年行きます!」と伝えました。(笑)
カンボジア人と一緒に働く大変さ。そこに見出すやりがい。
—改めて、CATiCの活動内容について、詳しく教えてください。
日本のアニメ映画を、電化率の低い農村で暮らしている子どもたちに届けています。ミッションは「生まれ育った環境に関係なく、子供達が夢を持ち、人生を切り開ける世界を作る」。
「移動映画館」として、スクリーンやプロジェクター、発電機等をすべて持ち込み、学校・広場・お寺を1日数時間だけ映画館に変えるのです。そこで、子どもからその親御さんまで映画を楽しんでもらうことをやっています。移動にはトゥクトゥクを使っています。
NPO法人CATiC(Create A Theater in Cambodia)
バッググランドに関係なく、子どもたちが自分の世界を切り開いていけるような世界を創りたい。これを目的に、今まで団体として3年間活動をしていて、5000人以上に映画を届けています。(※2016年1月17日現在)
CATiCの特徴として、映画を配給している企業様に上映権の交渉をし、お支払いをして上映を行っています。
やろうと思えば、違法で映画を流すこともできてしまうのですが、代表が映画監督を目指していたこともあり、クリエイター様を尊重する姿勢を大切にしています。だから、各企業様と契約をしています。契約した後、その映画をクメール語に翻訳・吹き替え作業をし、現地で上映します。
また、ワークショップも行っていて、例えば『ハルのふえ』というやなせたかしさん原作の音楽がテーマの映画があります。主人公と同じように、フルートを吹ける音楽家の方をお呼びして、子どもたちに体験してもらいます。映画の世界を体感してもらって、映画で見たことは本当にあるんだ、と感じてもらいたくて。
—現地では、どのように子どもたちを集めているんですか?
小学校だと校長先生に協力してもらったり、あとは村長さんに集めてもらったりしていますね。
日本人が建設した学校で上映することが多いので、カンボジアの人たちも日本人が入ってくるのに慣れているようでした。
—2015年の9月からカンボジアに住まわれて活動をしている山下さんですが、どんな活動がメインになるのでしょう?
カンボジア第二の都市バッタンバンに住みながら、カンボジア人が主導となって映画を届ける活動を行っていける仕組み作りをすることがメインです。
バッタンバンは、カンボジアの女優さんや歌手といった芸能人を多く輩出している町です。また、『ラストリール』という、2014年の東京国際映画祭で公開され話題になった映画があり、その映画監督がバッタンバンに住む映写技師を紹介してくれました。
なので、その映写技師とトゥクトゥクの家族と一緒に活動をしています。
週に2回ほど、小学校を周って上映を行っていますね。
—もう現地に行ってから(当時)2ヶ月経っていますよね。経過はどうでしょうか?
何もないゼロの状況からのスタート。面白いし、挑戦しがいがあるなあと感じています。
例えば、最初は映画上映をする方法すら知らなかったスタッフが、今では僕ら日本人メンバーよりも効率的に上映の準備、片付けをできていることには、感動しましたね。
次第に「なぜこの活動を僕らがしているか」というのを一緒に働くカンボジア人が理解し始めると、「子どもたちのために行動できている」という社会的意義に価値を見出し始めていることも感じています。
彼らから「より多くの子どもたちに、映画を観やすい環境で映画を見てもらうためにはこうしたほうがいいんじゃないか」という有意義な話しもできて。日本人の視点では見えないカンボジア人の視点での提案は面白く、試行錯誤をしながら失敗したら、「なぜだろう?」という議論もしています。
最近では、一緒に活動しているトゥクトゥクのお母さんに、家族内の悩みを相談されるようにもなりました。(笑)なんでも、「息子がグレている」らくて、仕事もしないでスマホのゲームをしてばかりみたいなんです。「パパがiPhoneを買っちゃうからだよ〜!」みたいな、すごくプライベートな話もしています(笑)。
—楽しそうです。(笑)では、反対に現地人と一緒に活動をする上で難しいことはなんですか?
時間にルーズでスケジュールが組めないことですね。
1ヶ月先の予定を立てることなんて無理で、今日・明日でも忘れられてしまうのが現状です…。
例えば、上映前日に「明日は難しい」との連絡が来たので2日後の午前に変更にし、2日後の午前に行くと「やっぱり午後にしよう」となったことがありました。実際に上映を行うのは彼らなので、彼らの予定に合わせることしかできないのは、大変です。
時間に関して、絶対に遅れられないときは、集合時間の30分前の時間を教えて、遅刻がないように工夫をしていますね。
どうしてもやってほしいことは、何回も念押しをします。
目の前にあることに、全力で取り組むことの大切さ
—来年の夏に帰国するまでに、具体的に「ここまで持っていきたい!」といったゴールはありますか?
決めているのは、自分がいなくても現地主導で回っていく仕組みづくりをすることですね。
それと、一緒に活動しているメンバーの未来が変わって欲しいなあと思っています。
トゥクトゥク家族のドライバーであるお父さんは、クメール・ルージュのときに病気になって右半身が短く、歩くのも大変な体なのですが、がんばって英語勉強してドライバーとして稼いでいます。ただ、トゥクトゥクのドライバーは稼ぎが少ないことに加えて、安定もしません
。僕らと共に子どもたちの可能性を広げると同時にスタッフにも安定したお金を元に未来を考えられる余裕がでてくると、彼らの未来も広がると考えています。
また、その息子には「海外に行きたい」とか、「電気整備士になりたい」という夢があるみたいなのですが、言っているだけな感じがあって、現実を見ていなくて。だから、彼にも何か全力で打ち込むものを見つけて欲しいし、それを応援したいなあと。
一緒に関わる人たちが人生をより良く輝かせ、強く生きてくれたらと願っています。
—来年、活動を終えてからは、どのようなプランを持っていますか?
カンボジアとは関わっていくんだろうなと感じていますね。
支援の仕方は変わるかもしれないし、対象もたった一人のためかもしれないし、もしかしたら他の国になるかもしれないし。でも、すべてに共通しているテーマは「選択肢を広げていくこと」。これに尽きますね。
今の活動をやっていて思うのは、子どもって無限の可能性を持っているなあということです。それが開放される瞬間をたくさん見たいですね。
休学を終えてからは、就活をすると思います。ある意味、今の活動はスタートアップみたいな状態なので、長年継続している企業に入って、その仕組みを見たいです。いずれなにか立ちあげる立場になったとき、継続している組織を見ていると見ていないのとは、全然違うと思うので。
—国際協力に興味があるけれど踏み出し切れていない読者の方へ向けて、メッセージをお願いします!
やらないならやって失敗する方が良くて、そんなこともいつか笑い話にしてしまえばいい。なにか、自分のアンテナに引っ掛かるものがあるのであれば、挑戦するべきだと思います。
今だったらSNSも発達していますし、活動している人に一本メッセージを送るだけでも良くて、とにかく一歩踏み出してみることですね。
あとは、目の前にあることを一生懸命がんばったら、絶対になにかに繋がっていくと思っていて。
ぼくがカンボジアに来るきっかけを与えてくれたのは、上智大学がきっかけで、そこ至るには受験勉強をがんばったからなんです。その時はまさか自分がカンボジアにいて、こんなにもワクワクして活動しているとは思っていませんでした。”Connecting the Dots”のように、気づいたら流れに乗っているものなんですよね。
【編集後記】
終始、山下さんから発せられる「選択肢を広げる」というキーワード。農村に暮らすカンボジアの子どもたちには、依然として広い選択肢が開かれていないのが現状だ。
一方で、我々日本人はどうだろうか。少し働けばある程度のお金は貯まり、本気で願って努力すれば、やりたいことに手が届く社会に生きている。”Noblesse oblige”、せめて、持てる選択肢を最大に活かそうではないか。そんなことを、プノンペンタワーの最上階から望む町並みを眺めながら、思っていた。
後任を募集しているようなので、興味のある方はぜひ!
(Twitter) @5296tatsu
(Facebook) 山下龍彦
(Projectページ) カンボジアに映画を届けよう 無鉄砲な大学生の挑戦