2017.2.8
就活を控えていたり、就職してもこれでいいのか悩んでいたり、キャリアについて何かしらの迷いを感じている方は少なくないと思う。キャリアをどのように考えるか、この問いにひとつの答えを示してくれたのが、弁護士の村上暢昭氏である。その華々しいキャリアの裏には人知れない悩みがあり、市場原理に従ったシャープな判断があった。海外で働くとは、法律事務所のサービスとは、カンボジアの環境とは、これからの世界とは…様々な示唆に富んだその半生をご覧いただきたい。
〈プロフィール|村上 暢昭(むらかみ のぶあき)氏〉
1982年生まれ、兵庫県神戸市出身。
甲陽学院高校、東京大学法学部、神戸大学法科大学院を卒業し、2010年に弁護士登録(兵庫県弁護士会、2016年第二東京弁護士会に登録換え)。3年半の菅尾法律事務所での勤務を経て、2015年6月にカンボジアの法務コンサルティング会社JBL Mekongに出向、2016年1月からはカンボジアの法律事務所MAR & Associate Law Firmに出向。2017年にはASEANを含むアジア法務に特化した法律事務所、弁護士法人One Asiaを設立し、現在は同弁護士法人パートナー弁護士、MAR & Associate Law Firmオフ・カウンセルとして、カンボジアに常駐。
カンボジアを含むASEANに進出する日本企業を中心として、投資関係法令、労働法、不動産法令等のカンボジア法を含むASEAN各国の法律に関する各種アドバイス、進出スキームの作成業務等に従事。『カンボジア労働法』、『カンボジア会社法』(いずれもJETRO)等、カンボジアに関連する著作、並びにASEAN進出及び不動産法に関する講演多数。
ホームページ:http://oneasia.legal/
ご連絡先:nobuaki.murakami〇oneasia.legal
〇を@に変更のうえご連絡ください。
目次
カンボジア発!ASEAN各国に法律事務所!!弁護士法人One Asiaとは?
── まず事業内容についてお聞かせください。
私の所属するJBL Mekongはタイ・ラオス・カンボジア・ミャンマーに拠点を持つ法務コンサルティング会社です。その活動が基礎となり、昨年10月には弁護士法人One Asiaを立ち上げるに至りました。弁護士法人One Asiaは、ASEAN各国の弁護士と提携して法律事務所を展開しており、カンボジアではMAR & Associate Law Farmと提携して事業を展開しています。
弁護士法人One Asiaには現在、日本人弁護士は私を含めて5人所属しています。シンガポールに2二人、カンボジア・ミャンマー・タイに1一人ずつ常駐しています。またラオス事務所にはラオス語ができる日本人スタッフを配置しています。弁護士法人One Asiaでは現在も採用を進めていますので、宜しくお願いいたします!
またカンボジアの拠点には日本人がもう一人勤務しており、スタッフはカンボジア人弁護士4人を含めて全員で23人です。
── JBL Mekongは最初からカンボジアに進出なさったとのことで、非常に珍しいケースだと思います。
そうですね。JBL Mekongは、私のパートナーの藪本くんが大学卒業後すぐにカンボジアに来て設立しました。彼は、元は労働法を研究するつもりでカンボジアを訪れたのですが、カンボジアには日本語で法律サービスを提供している組織がないことに気付き、そのまま会社を作り、現在に至ります。
── 今後の展望についてもお聞かせください。
今年1月にマレーシアに拠点ができ、ASEAN7カ国に拠点を持つに至りました。後はインドネシア、フィリピンに拠点を作って、早くASEAN全域をカバーできるようにしたいと思っています。将来的には南アジア、アフリカもカバーできればと思っています。
── ちなみに各国をカバーすることで生じるメリットはなんでしょうか?
拠点間で横のコミュニケ―ションができることです。
ASEANに進出する企業は、ASEANを一つの地域として見られていることが多いというのが実感です。異なる法律を持つASEAN各国を一つの地域としてカバーし、ビジネスを行う企業にとって、各国の弁護士が横のコミュニケーションを取り合い、その上でアドバイスを行うことは、大きなメリットになると考えています。
── 村上さま個人としては、どのようなお仕事をなさっていますか?
私は、現地の弁護士の下で契約書のチェックや投資スキームの立案、日本企業のお客様との日本語でのコミュニケーションを行っています。日本では不動産法務の取り扱いが多かったこともあり、不動産投資関連のスキームを取り扱うことが多いです。
普段の生活ですが、朝の7時に出社し、英語の勉強のため1時間イギリス人と英会話をします。その後朝8時から夜11時半頃まで働き、5分で帰宅して、お風呂に入って寝ます。これが一日のスケジュールで、土曜日と日曜日も出勤しています。毎日とても充実しています(笑)。
また執筆活動として、昨年はNNAさんでカンボジアビジネス法を連載させて頂いていました。現在は不動産関連法やラオス法の本などを書いていて、今年出版予定です。執筆は日々の業務の副産物のようなもので、日々の業務の中で知識がたまってきたらそれを本にしてシェアするという感じです。
「弁護士になると決まっていました」「東大コンプレックス」その意外な学生時代
(東京大学・本郷キャンパスの安田講堂)
── 改めて経歴についてお聞かせください。
私の母校の甲陽学院高校では同級生の多くが京都大学に進学するため、自分は東京大学に進学しました(笑)。
また弁護士になった理由は、幼少期に両親から「医者か弁護士になりなさい」と言われたからでした。でも、血が怖かったため、医者ではなく弁護士になることに決めました。情けない話ですが、弁護士としての高い志があったわけではなく、子供の頃に刷り込まれてしまったという感じです。
大学卒業後は東大にコンプレックスがあったため、東京大学の法科大学院には進まず、実家に近い神戸大学の法科大学院に進学しました(成績的にも難しかったですが…)。
── 学生時代に打ち込んだことはありますか?
サッカーをしていたぐらいで、何もしてなかったですね。大学の寮で友人とゲームをして遊んでました。授業はあまり受けていませんでしたし、ゼミも受講していませんでした。
他方、法学部では、入学した直後に司法試験予備校で司法試験の勉強を始める人が多かったです。一方の私は浪人していて、合格したことによる燃え尽き症候群にかかっていました。そのギャップで入学当初から「東大生は恐ろしい」という東大コンプレックスを持ってしまっていました。
── 東大コンプレックスと再度ありましたが、それを抱くようになったきっかけなどはありますか?
大学一年次の法律科目の初回の講義がまさにそれでした。
当時の伊藤真教授が「公序良俗が……、わかる人は手を挙げてください」と質問されました。私は当時、公序良俗という単語すら知らなかったので「こんなの誰もわかるわけないやろ」と思っていたら、なんと多くの同級生が挙手したので、衝撃を受けたというか、絶望したというか…。
── 自分も同じ経験をしました。大学で講義が始まる前から法律を勉強している学生も多いんですよね。
日本での「マチベン」時代
── 日本時代の仕事内容についてお願いします。
姫路にある菅尾法律事務所で主に企業法務と一般民事、刑事事件に携わっていました。毎日裁判所に行き、事務所でお客さんの話を聞くといった業務内容です。
一般の方は弁護士=四大法律事務所のイメージが強く、いわゆる「マチベン」についてはイメージが湧かないかもしれません。
街の弁護士事務所には、日々の生活で生まれた紛争が当事者間で解決することができなくなった段階で持ち込まれます。弁護士事務所のドアを叩き、弁護士の前に座るお客さんはストレスで耐えきれない状態なのではないかと思います。法律上の相談の前に話をよく聞き、悩みを受け止めるのが仕事の一つです。比べ物にならないかもしれませんが、弁護士も医者と並ぶしんどい仕事の一つだと思います。
なってみて「こんなはずでは無かった。もっと綺麗な仕事だと思っていた。」となる人も多いかもしれません。
── なるほど、イメージとは違い大変なことも多かったのですね。では逆にやりがいは何でしょうか。
良い結果が得られた場合には喜んでもらえる幅が大きいということです。
── ところで昨今では法曹間の競争も激化していると言われておりますが、そうした状況で法教育のありかたについてどのようにお考えでしょうか。
生き残るためにはよいサービスを提供しなければならないのがマーケットの本質だと思います。社会に出る前の学生はどうしてもその感覚が持ちづらいので、競争を「自分ごと」にできるシステムはあった方がいいのではと思ったりもします。なんとも難しいですが。
「価値の最大化」カンボジア行きのウラにある判断とは?
── ではいよいよカンボジアに行った経緯について聞かせてください。
動機は「価値の最大化」です。カンボジア行きの際も、自分の価値を高めるような意思決定ができればと思っていました。
日本で三年半の間弁護士をやりましたが、やや将来の自分の姿が見えてしまっている気がしました。カンボジアに来たのはよりエキサイティングで自分の価値が高まるような選択をしようとした結果です。
── ためらいはありましたか?
特に無かったです。カンボジアに初めて来たときに、むしろ安全そうと感じたのが決断を後押ししました。
5年前にプノンペンに行ったのが最初ですが、外国人が多く住むボンケンコンエリアなどは、食事もおいしいし安全面でも問題なさそうな場所と感じました。それに「住めば都」で慣れれば何とかなるという感覚でした。
── 当初の苦労について聞かせてください。
法律も含めて何も知らない状態から始まり、社内でのポジションの確保という点、会社から得た対価以上の価値を出さなくてはいけないという点で苦労しました。
会社法や労働法の翻訳という部分を担いつつ、会社の内政面のマネジメント、どのようなチームにするかという部分で貢献しようと思いました。
── マネジメントにおいて重要なことは何だと思われますか?
外国人と仕事をする上では特に「コミュニケーションの質」が重要だと思います。即ち、「自分が頭で描いているイメージをしっかりと言葉で表現して、相手にもイメージを共有してもらおうと努力すること」が大事だと思います。
日本だと「空気を読んで」理解してもらえることが多いため、直接的な表現を使うことはあまりありませんでしたが、海外に来てからは、優先度の高いことから、伝えたいことを直接的に話すようになりました。また日本では端的な表現であっても相手が全体を理解してくれますが、こちらだと背景事情から丁寧に伝える必要があると感じています。
(お仕事中の村上氏のお写真)
カンボジア法は“日本と同じ”?!その実態とは
── カンボジアの法曹についてはどう思われますか?
過去の内戦の影響で多くの優秀な人材と全ての資料が失われましたので、今は少しずつそれを取り戻している状況だと思います。
ちなみに民訴法と民法はJICAの支援で作られたため、日本の民訴法、民法とかなり似通っています。ところが、特に民法は過去の取引から生じた問題の積み重ねによって成り立っているので、過去の積み重ねを失ったカンボジアでは民法を理解するのは非常に難しいのではないかと思います。
── では日本由来の法と土着の法とのギャップはありますか?
民法上、カンボジアの文化の強い影響を受けているのは親族・相続法でしょう。
他方、契約法は「契約当事者のどちらがリスクを負うか」に関する社会的なルールという側面がありますので、国ごとにそこまで大きなギャップはないのではないかと思います。
── 日本法を参照したからといって、特別大きな断絶があるというわけでもないのですね。では一例として、カンボジアの労働法の特徴はどこにありますか?
ブルーワーカーを念頭に置いて設計されている点がわかりやすい違いです。そのため例えば残業が2時間固定であったりと、日本でいう変形労働時間制のようなフレキシビリティがないです。
カンボジアでは労働者の多くが工場労働者・農業従事者なのがその理由です。
グローバル化・機械化の流れの中で、どう生きるべきか
── AIの発展に伴い、弁護士の仕事はどう変わっていくと思われますか?
これまでにも技術の進歩で弁護士の仕事が変化したことがあります。ドライブレコーダーの普及によって交通事故関係の訴訟が変容したのがその一例です。今後は記録媒体の小型化等によって、記録媒体による記録がより普及し、言った言わないという争いが減るかもしれません。
あと判決のプロセスも一部機械化していくのではないでしょうか。過去の全ての判例を判決に反映できるようになればより公平な判決が実現できると思います。また契約書作成も同様に機械化されていくと思いますね。
── では人間にしかできない仕事はあるのでしょうか?
それはわからないです。
機械化した方が安くて、より良質な仕事を提供できるのであれば機械化した方がいいというだけだと思います。
ただAIで置き換えられないのは人間関係かな、と思います。個人的には、自分の能力が機械に置き換えられてしまう前に、自分の能力を人間関係や機械を買うためのお金に置き換えておかなければならないのでは、と思っています。
── ありがとうございます。最後にメッセージをお願いします。
少しでも海外に住み、仕事をしてみればいいと思います。海外に来ることで、そこで求められる価値と自身の提供できる価値の差を体感できます。特殊なスキルがある人を別にして、日本人の強みは“日本語ができて日本の常識を知っていること”かと思います。それが必ずしも活きない環境で何ができるのかを、真剣に考えるきっかけになるのではないかと思います。
昨今は世界の中での日本の地位低下が起きており、日本にいれば一生安泰という時代は終わりつつあります。海外で一度生活・仕事をしてみれば、その現状を見据えたキャリア設計に繋がるかと思います。
編集後記
海外で活躍されている日本人弁護士の方とお話しでき、有意義なインタビューとなった。
書かれていないことも含めてやり取りは多岐に渡ったが、自らの「価値」にたびたび言及された点が特に印象に残った。村上氏の職業は弁護士だが、「価値の最大化」を常に考え、それが実現できるような選択をするということは万人に通用する思考法だと思った。
そして“ASEANで働く”というのは「価値の最大化」という観点からかなり有力な選択肢であることを再確認した半面、ひとつの選択肢であり手段に過ぎないことも感じた。今回のお話を参考にして、自分らしいキャリア・生き方について改めて考えたい。