インドネシアが世界最大の親日国家なワケ

 

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様々なものが日本からインドネシアへ輸出されているのは、みなさんご存じですよね。
ジャカルタに行くと日本人を見かけない日はないし、日本の車やバイクが走り、モールへ入ると日本食レストランが並んでいます。

また、JKT48というAKB48の姉妹グループがジャカルタで結成され(以下参照:デヴィ夫人だけじゃない!?日本とインドネシアをつなぐ有名人達 )テレビをつければドラえもんやクレヨンしんちゃんが、インドネシア語に翻訳されて流れています。

「インドネシアは世界最大の親日国家」とも言われていますが、なぜこんなにも日本文化がインドネシアの国民に受け入れられているのでしょうか?そのナゾに迫ってみたいと思います!

キーワードは2つ!

インドネシア独立戦争とスカルノ大統領です。

(関連記事):日本大好き!タイが親日度調査で世界第3位を獲得

 

鍵となる出来事はコレ!インドネシア独立戦争

 

インドネシアが以前は、オランダと日本の植民地であったことはご存じだと思います。それでは、1945年8月17日にスカルノ大統領によって独立宣言が発表された後に、再び独立戦争が起こったことはご存じでしたか?

「えー?!」と驚かれた方!これから説明しますね。

時は1945年8月17日。約340年間のオランダによる統治(1602年~1942年)と、45年までの約3年間の日本による統治の後、8月17日にスカルノ大統領はやっと独立宣言を発表しました。国民が待ちに待っていた日です!ちなみに、日本は8月15日に無条件降伏をしています。降伏をした2日後にインドネシア独立を認めたわけです。町中ではお祝いムードで一色でした。

しかし、それを喜ばなかったのがオランダです。再びインドネシアを植民地化しようと乗り込んできたのです!一度独立宣言を行なったインドネシアでしたが、オランダ相手に戦わざるを得なくなったのです。
オランダ VS インドネシア。インドネシア側は独立宣言後に発足した正規軍だけではなく、各地から集まった非正規軍も参加しました。そして、さまざまな手を使ってオランダに立ち向かいました。『一度独立を宣言したのに、なぜ再びやってくるんだ!』という怒りと、『絶対に再植民地化されないぞ!』という強い信念の2つの感情が存在していたと思います。

それに共感し協力したのが、軍籍を離脱した一部の日本人約3000人なのです!彼らもこの独立戦争の最前線まで行ってオランダ軍と戦いました。

最終的には、1947年8月1日、国際連合安全保障理事会にて停戦及び平和的手段による紛争解決が提示され、オランダはインドネシアの再植民地化を諦めたのでした。

この独立戦争で命を落とした日本人は約1000人と言われています。

オランダによる再植民地化を防ぐために一緒に戦ってくれた日本人。インドネシア政府は感謝の意を込め、独立戦争で命を落とされた日本兵約1000人をジャカルタ南部にある国立英雄墓地(カリバタ英雄墓地)に丁重に弔いました。

国立英雄墓地

Photo by インドネシア人の本音

ちなみに、生き残った日本兵約2000人のうちほとんどの方は帰国されましたが、現地に残り、インドネシアの復興のために尽力なさった方もいらっしゃいます。そのうち、「最後の残留日本兵」として多くのインドネシア国民に慕われていた小野盛さんは、今年8月25日に、ご自宅のある東ジャワマラン市でお亡くなりになりました。94歳でいらっしゃいました。後日、インドネシア国軍によって葬儀が執り行われました。棺にはインドネシア国旗が被せられ、上で既に書いた英雄墓地に埋葬されました。

 

埋葬 インドネシア イメージ

 

Photo by 朱雀式ニュース

小野盛さん

Photo by exblogガドガド

小野盛さんは生前に、「こんなところに日本人」の番組で取り上げられたことがあります。ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

大の親日家、スカルノ元大統領

スカルノ大統領は以前の記事でもデヴィ夫人と合わせて紹介しました(以下参照:デヴィ夫人だけじゃない!?日本とインドネシアをつなぐ有名人達)。デヴィ夫人は、インドネシア初代スカルノ大統領のfirst ladyですね。

そんなスカルノ大統領ですが、デヴィ夫人と出会う前から、日本のことがかなり大好きだったようです。あるテレビ番組で、デヴィ夫人はこのように話されていました。

「もう感動したのは、日本の歴史。年号から何から全部ピタッと覚えていらして、聖徳太子が何をなさった、それでどんな法令を作られたとか、日本のことを本当に兄貴国のように尊敬してましたしね。で、彼はやっぱり夢として日本人の妻をめとりたいという気持ちがずっと戦争中からあったみたい。」

 

本当に日本のことが大好きでいらしたんですね。そんなスカルノ大統領は「インドネシア建国の父」として国民に慕われていました。もしかしたら、日本が大好きな気持ちが国民にも乗り移ったのかもしれません。その証拠にこのビデオがあります。

毎年8月17日は独立記念日でインドネシア中、お祝いのムードで一色になりますが、このビデオはその時に撮られたもののようです。

(参照:インドネシア国歌と独立の歴史)

日本軍が占領時に国民に教え込んだという事実はありますが、その一方で、独立戦争で一緒に戦ってくれた日本への感謝の気持ちがあることもあるでしょう。
日本の歌を日本語で歌う彼らの子供・孫の世代へとその文化が受け継がれ、今に至るのです。現在インドネシアで親しまれている日本の曲と言えば、五輪真弓さんの「心の友」が有名です。

 

 

ちなみに、インドネシアのバンドがこの曲をインドネシア語に翻訳して歌っています。

 

 これからの関係にも期待!

約3年間にわたって日本の占領下にあったにもかかわらず、現在では日本とインドネシアがこんなにも仲が良くて、インドネシアが世界最大の親日国家と呼ばれるわけが、以上のような歴史にあったのです。理解していただけたでしょうか?

植民地・独立戦争という暗い時代を、インドネシアと日本の両国が耐え抜いたからこそ、現在のような良い関係が築かれ、保たれているのですね。

今後の2国間関係のますますの発展のために、私たちがそれを守り、大切に育てていかなければいけないといけないですね。

以上、「インドネシアが世界最大の親日国家なワケ」でした!

Terima kasih dan selamat siang.

《参考URL:Nasional   Republika Online

 




ABOUTこの記事をかいた人

角銅ふみ

東京外国語大学大学博士課程前期1年。インドネシアの首都・ジャカルタの北部を中心に貧困層の子供たちへの道徳教育について研究しています!さまざまな面からインドネシアについてお話していきます♪