新卒で外資ITへ就職! 壁にぶち当たる度に思考、行動。 学生として最初で最後の独占インタビュー! 平野いさむ氏

2015.10.13

手の届かない夢の就職先と言ってもいい、外資IT系会社から内定をいただいた平野いさむ氏。彼の今までの経歴は、全てが彼自身の軸に沿った、彼しかできない意思決定のもとにある。彼がめざす世界観、行動の軸、学生の自分だからこそ語れる、若い世代へのメッセージ。アセナビだけに、語っていただきました。

 

《プロフィール|平野いさむ氏》
1992年、パキスタンと日本のハーフとして生まれ、中学生まで茨城県で過ごす。2005年 中学一年生の冬から卒業までをパキスタンで一人暮らし。帰国後、2008年 茨城県工業高等専門学校、2011年東北大学理学部へ進学。大学4年時に1年休学し、Webサービス起業、インドネシアでVC(ベンチャーキャピタル)のインターンを経験。帰国後、外資IT会社への就職が内定。

 

アイデンティティーを確かめに、たったひとりでパキスタンへ

― 中学生時代、パキスタンで一人暮らしとは驚きです。そもそも、そのきっかけは何だったのでしょうか?

父親がパキスタン人、母親が日本人のハーフとして生まれて、自分のアイデンティティーをずっと考えていて。小学生の頃は特に、ハーフだからという理由だけで、いじめのようなものもあり良い思いはしなかった。なんとか得意なサッカーで人気者になって、自分を取り繕っていたけど、もやもやしたものがあったんだよね。

一人暮らしのきっかけは、中学1年生の冬。
海外のニュース番組で、パキスタンのテロの映像に衝撃を受けたんだよね。見た瞬間に直感で「行かなきゃまずい」と感じた。論理も何もなく、心の底から湧いてくるモノがあった。自分のアイデンティティーを確かめずに、自分は一生生きていくのか?と。

行くと決めたら親を説得して1ヶ月後には一人暮らしを始めた。パキスタンなんて、簡単に行き来できる距離じゃなくて。交通費もばかにならないしね、裕福とはいえない家だったから。だからどうせ行くなら旅行ではなく住んじゃおう、と。よりツラそうだったし、面白そうだったから。(笑)

 

― まだ中学生なのに、異国で一人暮らし・・・。つらかった記憶も多いんじゃないですか?

テロに巻き込まれるだとか命の危険はなかった。俺、顔がローカライズしてるから!(笑)

苦労か・・・まずは言葉、飯、それと単純に、孤独。
パキスタンのクリケット文化のおかげで、なんとか友達はできていった。つたない英語、現地のウルドゥー語でもコミュニケーションができるようになっていったしね。クリケットで使う英語だし・・・”This is goal !” レベルだよ。(笑)

 

 目の前の学問と、自分の根底にあるモノとのギャップ

― 一人暮らしの後は高校は高等専門学校(通称:高専)に進んだのですね。なぜ高専を選んだんですか?

パキスタンでの中学時代、車に乗っていたら同年代が「お金ちょうだい」と言ってくるんだよ。当時の僕にとってはかなりセンセーショナルな経験。当時は、その人たちを救う方法がわからなかった。

俺、日本の中学のときすごく成績が悪かったの!
それでもめちゃくちゃ勉強して。さて高校を選ぶとなったときに、やはり進学校を目指したいと思って相談した。でも、さっきも言ったとおりうちは裕福ではない。東京の私立に行きたいとそのときに相談したけれど、賛成はしてくれなかったよ。高専も大学も、特待生で入ったり奨学金をいただいたりして、学費は一切払っていない。

 
なぜ進学校ではなく高専の物質工学科、科学系を選んだのか・・・ 今思えば、安易なんだけど。理系で技術を勉強して、貧困を救う方法を見つけられたらと思っていたんだよね。
物質、素材を勉強できる学部に入ることで、より安価なものを作り続けられる、それによって途上国の貧困な人たちもそのモノを手に入れられることができるようになる…これが実現できたら、「高いから買えない」という差がなくなるんじゃないかと思ってた。

 

― 国際開発という道ではなく、技術でアプローチしたいという思いがあったんですね。

でも、勉強しながら自分が学ぶことと、やりたかったこととの差がでてきた。
“貧困の人たちに機会を”というボトムアップをしたかった自分と、最先端を追求する科学。自分の中でモヤモヤした。

最先端の研究って、何かの数値を1→1.1 にするために、何百万円とお金をかけて研究するわけ。例えば、iPhone5とiPhone6のカメラの画質って、iPhone6のほうが良い。でも、なぜiPhone5の時点で満足することはできなかったのか? 最先端にかける莫大な開発費を、途上国に向けることはできないのか? ・・・そう思っているのに、最先端の開発を自分がやっていることにモヤモヤが募って。

 
iPhone6が出たら利益が出るから、開発していくのは当然のことだけれど、そのベクトルは、自分がしたい何かとは一致しなかった。

日常の行動に裏付けが欲しい人間で、大義名分が一致しないとやりたくない。
じゃあ学問のとして、”貧困の人たちに機会を”というボトムアップができる国際開発の道に進むという選択肢が思い浮かぶわけだけど、もちろん理系の勉強も興味があったし楽しかったんだよね。

科学雑誌を読むのは前から好きだったし、研究も楽しくて没頭できた。だから、”学問”と”国際協力”は分けちゃえ! と。

必ずしも大学のゼミの内容と就職先がリンクしているわけではないよね? 日本ではとくに乖離してる。自分がやりたい学問と国際開発、一貫性を求める必要はないと割り切った。
だから、大学はその学部でしか学べないフィールドがあったからという理由で東北大学理学部を選んだ。自分の知的欲求が超満たされるところ。

 

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― 大学時代のことを、詳しく聞かせてください。

高校時代陸上部で、大会で優勝したり結構いい成績を残してた。大学でも続けようと思って、最初は陸上部に入ったよ。でも、ケガをしてしまってからは、大きな大会を終えて辞めてしまった。その後はスノボしまくったり、あとは飲みサークル入ったり、普通の大学生(笑)

大学は理系だからほぼ皆大学院試験を受けるんだけど、俺は一度立ち止まって考えながら就活をしていたんだよね。就職と大学院進学、プライオリティーが高い方を選ぼうと思っていた。結局、就活を通して国際開発系の大学院に進学しようかと考え始めたから、就活真っ最中の2月に就活をやめた。

 

さて3月が空いたぞ、と。
ちょうどその時に、大好きで尊敬する先輩が東京でWebサービスを始めようとしていたから、一緒に起業した。もちろんそのときは、春休みが終わるまでだと思っていて4月から仙台に戻るつもりだったんだけど、先輩からアツい手紙をいただいたのが俺の人生を変えたね。

簡単に言えば、「今こういう状況で、これから俺は人生をこう描いていて、どうしてもいさむが必要だ」…っていう内容だったんだけど。読んで、そのまま東京駅で号泣。(笑)

この人のために、俺の1年捧げてもいいや!と思えたから、休学を決断したんだよね。もちろん反対されたけど、気持ちが変わる前に、大学の教授にお願いしたり住んでいた家を解約して外堀を埋めた。決めたからには、この選択を正解にしたいから全力だったな。

 

― コレが知りたい!と思う分野があるから、東北大学。コレがやりたい!と思ったから、行動。好奇心が強く、行動力もあって尊敬します。

日本に生まれた人たちって、好奇心があればそれを実現できるんだよ。実現したい、やってみたいと思ったことを、やってみることができる。

でも、僕が救いたい人は、仮に好奇心があっても機会が無くて、実現できない人たち。その人たちのことを思うと、好奇心に向き合わない自分は許せないんだよね。それって、機会喪失だと思う。

日本人に生まれた者として、それはずるい。先人の人達が好奇心持って努力して、企業が作られて、日本があって僕たちは生活できているのに、今を生きる僕らはそれをしなくてもいいのか?と。目の前につらそうなこと、大変なことがあっても、「これはやらなきゃな」と向き合えるんだよね。

パキスタンに一人暮らしをしてから、バカだった俺がめちゃくちゃ勉強したのも、日本で勉強できる環境が俺にはあるのだからやらなくちゃ、と感じたからだと思う。途上国で勉強できない子がいるのに、勉強できる自分がそれに向き合わないのはなぜだ、と。

― 中学時代、パキスタンでの原体験が、全部繋がっているんですね。

 

自分で飛び込み、切り開いた道! VCで海外インターン

休学を決めてからは東京でひたすら頑張っていたんだけど、その事業は結局その年の秋ごろに解散してしまって。その後、起業を通じてだったり、就活をしていた時に知り合った社会人の方々とお話ししていたときに、ある先輩が「俺だったら、海外のVC(ベンチャーキャピタル*)に行ってみたかった」と言っていて。起業のときは、新規事業について学びたい、と思っていたから、投資側という視点が自分にとって新しかったんだよね。

(*ベンチャーキャピタル…新しい技術や独創的なアイデアで市場を切り開こうとする新興企業(ベンチャー企業)に資金を提供する機関。独自の基準で新興企業の将来性を評価し、株式の取得を通じて資金面で事業拡大をサポートする一方で、数年後株式市場に上場した際には値上がり益を取ることを目的としている。【コトバンク・株式公開用語辞典】)

 
その後はご縁と、とにかく自分で切り開いた!インドネシアのVCで、インターンができることになった。東南アジアでは初の、日本人学生ですと言われたよ(笑)

新規事業を立ち上げる、という経験しかしていない自分が投資する側にまわるなんて、普通はできないこと。飛び込んでいって、受け入れていただけたのは本当にラッキーだと思ってる!

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(喜多恒介さん主催、「休学・留年の会」にて。学生を中心に300人近くが集まった大規模イベントで、休学プレゼンターとして登壇)

― 休学を決めた当時は、インドネシアに行くことになるとは予想もしなかったんですね。そこでは何をされていたのでしょう?

インターン期間は結局3ヶ月半くらい。行く前に、インターン先の会社が「投資先に出向して実務学んだ方が君のためになる」と言ってくださっていて投資先の2社にもインターンとして働いていた。ひとつは、ファッション系のEコマース、もうひとつはゲーム会社。合わせて、3社でバリバリ働いていたよ。自分で切り開いた道だから、自分で条件を相談できた。

インターン先のVCには、こんなにご縁があるのに、結局そこに就職はしなかったんだけどね・・・(笑)

 

― なぜ、外資ITに就職すると決めたのですか?

今まで経験させていただいたベンチャーのおかげで俺は成長できたし、その経験が無かったら今の俺はなかったと言ってもいい。飛び込んできたただの22歳の大学生なのに、本当にたくさんのチャンスを与えていただいた。たくさんの素敵な出会いもあって、素晴らしい会社ばかり。何度感謝してもしきれない! 最後の最後まで、就職することを悩んだよ。

それなのに、なぜこの会社に決めたのかというと、「こういう世界を実現したい」「日本の経済を救いたい」「アジアのためにこうしたい」という世界観がリアルにあった。というか、世界観しか考えていない! それが社員の方々からひしひしと伝わってきた。世界観に共感したし、この会社の一員として働きたい、と単純にすごくワクワクした。ここで働くことが自分にとって絶対にプラスになる、と確信できたんだよね。

僕自身が目指す世界観は、「どこに生まれ、どんな家庭に生まれて、どんな状況だとしても、どの職業にも就けること」

貧困のソリューションとしては教育やインフラとか様々な要素があるけれど、僕は職業、雇用にフォーカスしていて。この世界観が実現されるために、自分がどういう価値を提供できるか? という軸が自分にはある。雇用を生み出すために学びたい、という考え方で就職先の選択肢をいくつか考えてた。でも、その一歩上のレイヤーを語る会社に出会ったんだよね。

 

 モチベーションの源泉はどこ? 問い続けて自分の答えを

― いさむさんも先ほどおっしゃっていましたが、たとえインターンをするためとはいえ、休学にはネガティブなイメージがあると思います。それを理由に躊躇してしまう学生へ、メッセージをお願いします。

とりあえずね、Fail first だよ!
やってみなきゃわからない。やって失敗しろ! ビビってる人は、どっちみち将来で活躍なんてできない。
両親を説得するなんてときは論理立てて説明しなきゃならないけど、自分を突き動かすモノは、それだけじゃないんだから。

でも、目的意識は100%しっかりもって。なぜ海外へ行くのか? なぜお金と時間をかけて自分はこれをやるのか? を考えて、お客様状態で行かないこと。
例えばインターンに行きたいと思うなら、日本人大学生を受け入れることは現地のブレインを雇うより良いことなの? 日本の立場から見たら良いことだけど、現地の立場ではどうなの? と。

 

― 理系でありながら、休学してITの知識を得て・・・っていう経歴は異色ですよね。このような異色なことへ飛び込んできたいさむさんから、若い世代へ最後に一言お願いします!

「あなたのモチベーションはなんですか?」とひたすら問い続けること。

例えば、就活してる人はよく「安定を求めています」と言うけれど、安定の主語は何ですか? 自分、それとも企業? 企業なら、安定している企業にとって、何が安定の要素だと自分は考えているのか?・・・こうやって要素分解して、理由を見つけていく。

俺は国際開発が最終的なゴールとしてあるけれど、募金や持続性のない支援などよりも、これがもっとも有意義なことだと思ってる。一番のボランティアは、自分の人生について本気で考えて、自分の役割を認識して、生きていくことだと思っているから。

モチベーションの源泉を要素分解して考えて、突き詰めて人生を生きていってください!

 
( インタビュアー:佐藤謙太、 執筆・構成:永瀬晴香 )

 

【編集後記】

取材を終えて、最後に言い残したことはありませんか?と伺ったとき、いさむさんはこう言いました。

「俺ね、親大好き!本当に感謝してる。 裕福でもないし、そんなに家庭環境が良かったわけではなくて3人で飯食ったこともないし。でもね、こんな環境に俺を置いてくれて、ありがとう!と思っていて。だからまず目の前にある夢は、俺の給料で、家族3人で飯を食いに行くことだね。」

気さくな口調で、その場所の空気を作るエンターテイナーでありながらも、自分の道を切り開き軸がブレない、日本と世界をまたにかける、とにかく刺激的なグローバルリーダー。しかし、最後に語ったのは、一番身近な家族のことでした。まずは身の回りの”あの人”を幸せにすること、これを常に考えている方だから、大きな夢を語っていても地に足ついた語りに聞こえるのだと思います。

”やってみたいことを実現できる環境がある。なのに、やらないのは機会喪失” ”やると決めたら目的意識は100%で。お客様気分で行くな。”
私は現在タイに留学をしていますが、取材当時はまだ日本で留学間近の時期。 この言葉を聞いたとき、自分はやりたいことをやれているのだから、何のためにやるのか、自分は何ができるのか、見つめ直さなければいけないと強く感じたのを今でも覚えています。留学中に書いている現在も、「自分は何のために来たのか?」をもう一度思い返させてくれます。

読んでくださった方にとっても、何かが少しでも変わる、考える、一歩でも行動を起こすきっかけになれば幸いです。