国際支援は「種まき」の連続 ~少数民族の伝統を守り、障がい者を下支えする~ 【Support for Woman’s Happiness代表理事:石原ゆり奈氏】

教育支援から福祉活動へ。少数民族の伝統文化を遺す「ものづくり」を通じて、身体障がい者の就労支援を行うSupport for Woman’s Happiness (以下、SWH)の石原ゆり奈さんにお話を伺いました。

《プロフィール|石原ゆり奈氏》

SWH 代表理事。開発途上国の学校建設支援に携わる中、女性や障がい者が教育の機会にめぐまれていない状況に疑問を抱き、事業の在り方を模索。2017年にSWHを設立。障がい当事者女性と共に、ラオスで障がい作業所『ソンパオ』を開く。

 

見えない課題に問題意識を抱いて

― 石原さんとラオスとの出会いを教えてください。

 私自身、一番最初の入りはネパールなんですけれど、教育支援の一貫でラオスを訪れました。ネパールやラオスのような、いわゆる開発途上国では、まだ学校の数そのものが足りなかったり、校舎がボロボロで子供たちが学校に通えなかったりといった状況だったんですね。ラオスは、一学級の生徒数や配置する教員の数といった国の教育制度も未整備の状態でした。

 

―教育支援では、どのような活動をされたのですか。

 校舎の建替えや奨学金の支給などに注力しました。現在では状況が改善し、ニーズも移り変わりつつありますが、当時は、とにかく学校がないと識字教育が行き届かなかったんですよね。建物を綺麗にすることで、「学校=親が安心して子供を送り出せる環境」になって、子供を学校に行かせようという、人々の意識改革にもつながっていったと思います。

 

― 子供たちの学ぶ環境を整えることが、親の意識改革にもつながる。勉強になります!そこから、どのように福祉活動を展開していったのでしょうか。

 こうして、いわゆる「学校づくり」を進めてきたのですが、あるとき、100人ほどの学校に1人も障がい児がいないことに気がついたんですね。当時、調査に入っていたネパールでも同じようなことが起きていたので、障がい児が学校に来られていないのだと察しました。そこに対して何ができるかを考え始めたことが、教育支援を越えて、福祉に携わるきっかけになったのかな、と思っています。

 

 ー 障がい者を取り巻く状況について、石原さんの目にはどう映ったのでしょうか。

 当時のラオスは、農村部に行けば行くほど、社会全体として、障がいとは何か、どうしたら障がいをもつ子が暮らしやすいか、に対する理解が乏しい状況でした。教えてくれる人がいないので、ダウン症といった先天性疾患に対する知識も極めて低く、「確かに、この子は肛門に奇形があって自分で排便はできないけれど、そんな得体のしれない病気じゃないんだから、変なこと言わないで。」と怒られてしまうこともありましたね。

 

ー「教えてくれる人」の不在が、大きく影響していたのですね。その後、どういった経緯を経て、障がい者支援を実行されたのですか。

 福祉支援のためにひとつの組織をつくるとして、まず、どの部分に特化すべきかを話し合ったんですね。その際、障がいが壁となって、学校教育や職業訓練を受けられなかった人の自立を支援することこそ、小さいながらも私たちにできることなんじゃないかな、という結論に至りました。今から生まれてくる子供たちに関しては、状況が改善していくと判断したんです。少しずつだとは思うのですが、障がい児学校の充足も進むだろうし、いろいろなサポートも受けられるようになっていくだろうと。

 そして、2017年、障がい作業所『ソンパオ』をつくりました。開所するとすぐに、全国からたくさんの人が集まり、4~5人で小さく始めるという、初期の想定はあっという間に打ち砕かれましたね。障がい者同士のネットワークの強靭さを、SNSの普及が後押ししたのでしょう。

障がい作業所『ソンパオ』の所属メンバーは障がいの種類も年齢も民族も様々。

 『Support for Woman’sHappiness』の通り、始めは女性に特化して支援を行う予定でいましたが、蓋を開けてみると、男性の入所希望者も多数いました。というのも、夫婦や兄弟で同じ障がい作業所への所属を希望するケースがあったんです。こうした点も踏まえ、現在では男女の隔てなく、柔軟に受け入れる体制をとっています。

 作業所では、寄付していただいた工業用のミシンを使って、まずミシン掛けを教えます。幼少期の火傷で指を失ってしまった女性も、はさみやミシンを器用に使いこなすんですよ。

ー 学校建設の現場に携わる中で、そこに現れない障がい者の存在に課題を認識し、自ら組織を立ち上げて状況の改善を図る。石原さんの観察力・判断力・行動力…、すべてに圧倒されました!

 

撤退からの逆算で考える支援の在り方

ーSWHが行う支援について、教えてください。

 ラオスの人たちにとって、Support for Woman’s Happinessは外国のNPO法人に過ぎません。なので、私たちは、いずれ現地を離れることを想定し、2本柱で活動しています。

 1つは、独自のブランドを作り、ラオス国内で販売するお土産を開発・生産・販売していくこと。そしてもう1つは、日本企業からの受注を受ける「小さな工場」として稼働していくことです。日本向けの製品をつくることは、作業者の技術向上につながるんですね。このように、複数の柱をもつことで、互いに補完し合いながら、継続的な支援が可能になると考えています。

 私たちが、まず始めた取り組みとして、レンテン族の布を使ったパスポートケースやブックカバー作りがあります。ソンパオに入所する子たちは、経済的に恵まれているわけではなく、パスポートを持ったことのない人が大半です。製品そのものがどのように使われるのか、どういったサイズ感なのかといったところから共有していきます。

一番最初に手がけたレンテンシリーズは、2020ソーシャルプロダクツ賞を受賞。

 

―なぜ、縫製品に着目されたのですか。

 刺繍、機織り、草木染といったラオスの伝統文化を大切にしたいという思いがあるためです。世界各国で、工場での大量生産が主流になる中、伝統素材を使った手仕事を守ることは、10年後、またその先を見据えた際に、ラオスの価値を高めてくれると考えています。縫製品であれば、一度型を覚えることで、様々な民族の布を応用した商品作りが可能になりますよね。

 

民族固有の布文化を守る

-レンテン族、ヤオ族、タイルー族の布文化について、民族ごとの特徴を教えてください。

 はい。まず、レンテン族は藍染と機織りが得意ですね。彼らが作る生地は、目が非常にしっかりしています。自然の恵みに合わせた染色や、型の定まっていない自由な刺繍も魅力的です。印象的なエピソードとして、以前、「桑の実は染めないんだったら、もう食べちゃうから、早く返事ちょうだい。」と言われたことがあります。(笑)

 ヤオ族は、クロスステッチのような刺繍が多いですね。全面刺繍が施され民族衣装でも知られています。仕上がる製品は非常に美しいのですが、高額になってしまう傾向があるので、SWHでは、女性が日常的にきちんと収入を得られるよう、コースターやトートバッグといった雑貨への刺繍をお願いしています。日本国内でも高い人気を誇るヤオ族の刺繍ですが、実は外との交流が盛んな社会化されている村では、既に行わない例も増えています。

 タイルー族は、浮織が有名ですね。この他に、糸を手で紡ぎ、草木染をし、布を織る文化が継承されていますが、私はこれをとても貴重なものだと認識しています。ただ、彼らにとっては、当たり前にやってきていることなので、現状では、その価値に気づかないまま、やめてしまう可能性もあります。末永く遺るような仕組みづくりをしていきたいですね。また、彼らは職人意識が高く、染物へのこだわりが強いです。

 

―ラオス国内には、50の民族が存在するとされているので、可能性が大きいですね。

 そうですね、まだまだこれからです。SWHでは、着手できていないのですが、将来的にシルクを手掛けることができれば、ものづくりの幅が広がるでしょう。仕事を引き受けたいといってくれる民族の方々と交渉を重ねていきたいですね。「頭の先から足元まで、made in 作業所ソンパオ」の縫製品を提供できるようになることが理想です。高級なシルクから素朴なコットンまで手掛けられるようになる頃には、作業所の中からデザインを考案できる人がでてくるんじゃないかな、と思っています。

 

国を越えた「支え愛」

―HP上で、御殿場市とソンパオが共同で取り組んでいる事業を拝見しました。とても興味深いのですが、具体的に教えていただけますか。

 はい。現在、私たちは、『御殿場支え愛プロジェクト』に参加していて、ものづくりを介した、日ラオ共同での障がい者支援に取り組んでいます!

 御殿場市の市花である“富士桜”をモチーフにした製品『桜彩SAYAてまり』は、作業所ソンパオが手まりの製作を担当し、御殿場市にある精神障がいの就労継続支援事業所の方たちが、金具付けや箱詰め、納品を担当しているんです。ラオスの人たちは、本当に目が良いし、器用なので、私たちが1カ月かけて必死に覚えた刺繍を、1週間ほどでこなしてしまうんですね!

 現在は、御殿場市内の観光施設等にお願いをして、商品を置いていただいています。こうしてできた質の高い、そしてよくよく見ると障がい者の雇用につながっている商品を、数パーセントでもよいので取り扱ってくれる店舗が増えると嬉しいですね。

 実現すれば、障がい作業所の工賃を上げることができます。障がい者だから安い工賃で良いという考えは、おかしいと思うんです。労働に見合った賃金を受け取れる環境を整えていきたいですよね。

 

ー国を越えた障がい者同士の支え合い、とても素敵な取り組みですね。

幸せを呼ぶ青い花農園にて、撮影。障がい男性が中心になり、バタフライピーの栽培、収穫、乾燥を行う。

 

 もう一つ、同プロジェクトの一環として、バタフライピーを使ったお茶も商品化しています。ラオスで花を積んで茶葉を製造し、御殿場で富士山型のティーパックにするんです。作業所ソンパオに所属する女性の大半は、小さいときから裁縫に親しんでいることもあって、細かい手作業が得意です。一方、ミシンとなると少しハードルが高い男性陣に、十分な仕事を保障することが、長年の課題でした。

 そこで、タイとラオスで無農薬のハーブを栽培しているツジコ―株式会社様の協力の下、今年初めに「幸せを呼ぶ青い花農園」を開所しました。先方が農園の管理調整を行い、SWHが作業者を指導する形でバタフライピーの栽培を進めていて、現在は生花で約500㎏(1ヶ月・2021年8月時点)を収穫するまでに至っています。商品化という観点では、まだまだ安心できないけれど、植物の背も伸び、花の付き方も順調に増えてきているので、今後の収穫が楽しみです!

御殿場支え愛プロジェクトの紹介VTR   https://youtu.be/x-hmaIpruvM

 

コロナ禍でも、細く長く

ーコロナで渡航が制限される中、一観光立国であるラオスが受ける打撃は大きいのでしょうか。

 はい、コロナ禍での観光客減少は、ラオスの村の女性や障がい者たちにも打撃を与えています。そうした中、私たちは、昨年6月に『青のラオス展』を開催し、日本各地でラオスの縫製品を展示・販売する企画を行いました。ご好評につき、今年は『纏うラオス展』という形で、コロナの感染状況を注視しつつ、皆様のところへ伺います。ラオスの布を使った靴など、商品のラインナップも豊かさを増しています。先日まで、都内(北千住、大森)を巡っておりました。今後は、甲府金沢つくばにて、次開催予定です!

 

 ―最後に、学生の方々へのメッセージをお願いします。

 個人の力で成し遂げることの最大のおもしろみは、自分で決めて、自分で構築して、自分で責任を取るところだと思うんですよね。日本国内の組織に所属して、何かをやろうとすると、責任の所在だとか、どうしてもできる範囲が限られてしまうことが多い。それは、きっちりしているといういい面がある一方で、自分の能力やチャレンジ精神に歯止めをかけてしまう、負の側面もあると思います。

 開発途上国のニーズが移り変わっていくように、年を重ねる中で、自分自身の興味関心やできることも変化していきます。人間って、ずっと一定でいることはないじゃないですか。自ら考えて行動する中で、自分にできること、自分の得意なことを見つけられると、個人の成長につながるんじゃないかなぁ、と思います。不得意なところを無理にやる必要はなくて、ある程度勉強してみて厳しいな、と感じたときは、その分野に長けている人を頼る。これも大切なことで、集団としての成長に繋がります。

 コロナ禍で未だに渡航は制限されていますが、日本国内でもできることは数多くあります。ぜひチャレンジし続けて、自分の中の「できる」を蓄積していってください。

 

編集後記

 先日、ふら~っと立ち寄った『纏うラオス展』で、初めて石原さんにお会いしました。ほんわかとした口調の中に、芯の強さを感じさせられる、そんな御人柄に魅かれ、その場で取材を依頼。快く引き受けてくださったことに、心より感謝申し上げます。
 さて、コロナ禍で移動の自粛が呼びかけられる中ですが、私は、むしろ「自分磨きのための絶好の機会」が与えられたと思っています。分野や言語を問わず、様々な本を読んだり、検定試験に挑戦したり、リモートでセミナ-に参加したり…。石原さんの言葉にもあるように、国内でもできることはたくさんある、と感じる今日この頃です。自分の中の「できる」を最大限蓄積して、来たる「ポスト・コロナ時代」に備えたいですね。