若くして海外に出ることは、自分の市場価値を上げる。ベトナムから帰国して人材会社の立ち上げを行う、株式会社エバディ岩淵由香理氏

2016.1.11

4年ほど、ベトナムに根を張って働かれていた岩淵氏。滞在当初は、月400ドルの給与で現地の人たちと同じ水準に生活を送っていたという過去を持つ。「若くからベトナムへ行ったからこそ、市場価値が高まった。」と話す同氏に、ベトナムで働き始めた理由や現地で感じたこと、そして女性ならでは視点での彼女のキャリアについて伺った。

《プロフィール|岩淵由香理氏》
2008年大学在学中にアメリカ留学を経験し、英語及び日本語教育について修学。
2010年大学卒業後、日本語学校にて中国籍・韓国籍の日本語学習者クラスを担任。同年、ホーチミン私立フフリット大学との交換留学制度が締結され、翌年2011年、 ベトナムで大学講師としてフフリット大学日本語学科1~4学年を担当する。
2012年SOLTEC VNとEVOLABLE ASIAの立上げ及び企業文化形成担当として両者兼任で入社。2013年1月顧客サービス部門マネージャーとしてEVOLABLE ASIAへ完全移籍。2015年5月まで総務業を中心に駐在のお客様サポート、イベントの企画運営、社内システムの企画・提案、営業ツールの作成などの業務を幅広く担当した。
2015年6月 ベトナムの優秀人材の更なる活躍できる場の開拓と日本のIT人材不足を解消するため日本へ帰国。現在は人材紹介会社、株式会社エバディ管理部マネージャーとして勤務する。

月400ドル!?日本語教師としてのベトナム生活時代

初めてインタビューを務めます飯川桃子です、よろしくお願いします! まずは、岩淵さんがベトナムで働き始めたきっかけから伺いたいと思います。

②

はい。大学卒業後1年は地元の日本語学校で日本語教師をしていて、ある時大学の恩師から「ベトナムで1年間日本語教師をしないか?」というお話をいただいたのです。いつか日本語教師としてアメリカで働きたかったので、そのための良い経験になると考えて決意しました。

そもそも日本語教師を目指したのは、アメリカ留学での体験があったからです。アメリカ人の友達に日本語を教えてと言われたのに、うまく教えることができず「日本人なのに日本語教えられないの?」と言われて悔しくて。それから、日本語教師になりたいと思いました。海外の人と話すのも好きだったので、日本語教師になればその機会も多いかなとも思っていましたね。そして2011年からベトナムで仕事を始めました。

 

最初は月に400ドルで生活していたとお聞きしました。その生活に抵抗は無かったのでしょうか!?

ベトナムの給与水準が400ドルくらいと聞いていたので、ベトナムの人たちと同じように暮らせば普通に生活できるのかなあと思っていました。実際に、ベトナム人と同じアパートに住み、現地の人が行くようなところで食事をしていたので、十分に生活できていましたよ。元々1年間という期限付きの滞在だったので、割り切っていた部分もありましたし、むしろローカルの生活も知ることができて、充実していました!

赴任して3か月目に、現地の日本人コミュニティと繋がる機会がありました。そこで日本人サッカークラブのマネージャーを担当することになったのですが、同時に日本人駐在員との給料や生活の差を知ることになりました。

その時初めて「月400ドルって厳しいんだな...。」と知って、現地で転職活動を始めることに。すると、当時日本人はまだ少なかったですし英語が話せたこともあって、好条件のオファーをいくつかいただけたのです。

そんな中でエボラブルアジアの薛(ソル)さんに出会いました。日本で名の知れた企業からの内定も持っていたのですが、エボラブルアジアに入社することを決めたのです。

 

どうして薛さんの会社に入社を決めたのでしょうか?

薛さんの「国籍関係なく頑張りが認められる、格差のない社会をつくりたい」という想いに共感したからです。

参照:「機会平等が果たされていない社会を変える」ベトナムから新興国に変革を起こす Evolable Asia Co.,Ltd. 代表 薛悠司氏

私、日本語教師の時に、ベトナム人の友人とした会話が忘れられないんです。

彼は英語がペラペラで、「留学していたの?」と聞くと、こう答えました。

「僕は貧乏だから留学なんてできないよ。でも、英語が話せれば給料が倍になるから勉強したんだ。由香理は日本人で羨ましい。日本のパスポートがあれば、世界中どこにも行けて世界を見られる。でも僕は生まれながらにして人生が限られているんだ。だから由香理は僕の分も世界を見てきてね。」と。

・・・思わず涙があふれました。そんな話を聞いてから、どんな状況の人でも平等なチャンスがあるべきだと強く思ったので、入社を決めました。

あとは、日本語教師として「日本語を教える機会を社内で設けてほしい」という提案も快く受け入れてくれたので、自由にやらせてもらえる環境にも惹かれましたね。

10959703_807828929297217_6951211864342290704_n(写真の真ん中が薛氏)

 

相手の言語を尊重することは、リスペクトを示すこと

—ベトナムで仕事をするうえで、大切にしていたことはなんでしょうか?

⑤

相手を尊重することです。文化や価値観はもちろんですが、私は特に言語への尊重を大切にしています。

ベトナム語は難しいですが、だからといって全く覚えようとしなかったり、嫌いですと言ったりするのは、相手を否定することにつながると思っています。ご飯を一緒に食べるときに「おいしい!」と、現地の言葉で言ってみるだけでも、ベトナムの人たちが受ける印象は全く違います。相手に尊敬の念を示すための1番基本的なことは、相手の言語を尊重することなのではないでしょうか。

 

—なるほど、それは岩淵さんが日本語教育に携わっていたからゆえの視点かもしれませんね!
*ラボ型オフショア開発の場合、日本から駐在員が来られると思いますが、そういう方には現地人との接し方をどのように教えているのですか?

*ラボ型オフショア開発・・・ある一定期間(半年や1年などを基本とされています)で発注する仕事量の最低保証を行う契約 (引用) : オフショア開発.com

現地の人を”安いお給料で働く人たち”として見るか、”仲間意識を持って見るか”の違いって、日本とは異なる現地の文化や考え方を知っているかどうかだと思うのです。なので当時は、駐在員向けの冊子を作って説明していました。冊子の中では、テト(ベトナムの旧正月)のことや、人前で叱ることがタブーであること、ベトナムで生活する方法(どこでクリーニングできるかなど)など、知っておきたいベトナムの文化について書かれています。

その事前の説明があるからか、エボラブルアジアでは、お客さん(日本人駐在員)とベトナム人従業員は皆さん仲間意識を持って共に働いてくれているのをよく目にしていました。

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なるほど。エボラブルアジアでは “チャレンジする環境”があるというようにお聞きしていますが、岩淵さんはそのように感じられましたか?

提案する内容に目的や意義などがきちんと説明できていれば、「やってみたら?」と言ってもらえる環境ですね。もちろん、学生インターン生でもベトナム人でも誰でも提案できます。

ベトナム人従業員で、ベトナムの孤児院向けの寄付や献血、古着回収などを社内で企画して行っている人もいます。

ちなみにそのベトナム人は、薛さんが「格差のない社会を創りたい」と考えるようになったきっかけとなった人なんですよ。彼は日本語と英語が上手に話せるのに、それを活かすチャンスがなく、アパレルショップで働いていました。そして彼は薛さんと出会った時に「どうしたら僕はお金持ちになれるんですか?」と聞いたそうです。薛さんにとって、その一言が「頑張っている人がきちんと評価される社会を創りたい」と思った原点だったそうです。

彼は今、エボラブルアジアで本当に一生懸命働いてくれて、当然その頑張りの分、お給料も上がっています。

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10443271_638310626249049_4349095540177867995_o(一緒に働いていたベトナムの人たちと一緒に)

若くして海外に出ること

これからやっていきたいことはなんでしょう?

③

2つあります。1つ目は、ベトナム人がもっと世界で活躍できる場をつくることです。今、人材紹介会社の立ち上げをしていて、それは能力のあるベトナム人のエンジニアを日本企業に紹介する事業。ベトナムでは、いつか日本で働きたいと夢を持っているベトナムの人にたくさん出会ってきたので、その夢を叶えるお手伝いができたら嬉しいですね。

2つ目は、日本の真のグローバル化を進めることです。日本企業が思っているグローバル化というと、"英語の話せる日本人を採用すること"だと思いがちですが、本来は色んな国籍の人が日本で働き、また日本人ももっと海外で働く、そういう環境があたりまえのようにあることだと考えています。特に、日本人が海外で働くことにはまだハードルがあると感じていて、私自身も「海外で働くなんてすごいね」とよく言われてきました。

でも、望めば誰でも行けるんですよ! そして、海外では日本では学べないことがたくさんありますし、それは必ず人生の糧になります。だから、もっとそういう人を増やしたいですね!

 

ということは、日本に帰国した理由は、その事業をするためですか?

エボラブルアジアではもうマネージャーの立場になってしまったのですが、もっとプレーヤーとして新しいことにまた挑戦したいなと思い始めたからですね。

ベトナムで5年働き、部下も持ちました。部下が事業をまわせるのであれば、私はもういらないかなと。そんなことを考えていたら、人材紹介会社の立ち上げの話をいただいて。自分の思いと一致していたし、日本にいつかは帰らなくてはと思っていたので、帰国を決意しました。

P5250238(帰国前の送迎会)

 

帰国を考えていたということは、ライフプランとの兼ね合いも考えたということですか?

そうですね。やっぱり女性としては、結婚をして子どもも欲しいと思っていますし、両親のことも心配でした。もちろんそのままバリバリ働き続けたいとも思っていましたが、長期的にキャリアを考えたときにも、日本企業での就業経験も必要だなと思い、タイミングとして今しかないと思いました。

海外就職の場合、日本に帰国してからの再就職先を心配される方が多いと思いますが、私はむしろキャリアアップになるなと思います。海外で働くということは、自分で業務外のことでも考えて取り組まなくてはいけない環境があるので成長する環境がありますし、加えてグローバルマインドもあるので市場価値は高まります。

とは言っても、自分自身も不安を抱えていたのは事実だったので、これからその人材会社で、海外で働く日本人の帰国後の再就職のお手伝いができたらいいなと思っています。

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IT/Web業界の人材やグローバル人材の紹介ならエバディ

 株式会社エバディ

 

—ちなみに、新卒で海外に出て、現地採用として働くことについてどのようにお考えですか?

④

私は、新卒2年目でベトナムに行ってよかったと思っています!

あのまま日本で働いていた自分と、今の自分では想像しただけでも成長度が全然違います。私は若いうちから行くことをおすすめしたいです。日本で一旦働いてしまうと、その環境を全部捨てて海外に出ていくのはハードルが高くなってしまう気がするのです。

 

—なるほど、ありがとうございます!それでは最後に、アセナビの読者へメッセージをお願いします。

悩むなら、行ったほうがいいと思います!私は「明日死んでもいい生き方」を大切にしていていて、もし死ぬときに「海外行っておけばよかった」と思うなら、それは嫌ですよね。人生80年あったとして、そのうちの1年ってたいしたことないので(笑)それなら行くべきです!

私は思い切って行って、本当に良かったし、全く後悔していません。ベトナムで働くことやインターンなどに興味があったり、相談したいことあったりしたら、いつでもご相談ください!

⑥

【編集後記】
私自身、初めてのインタビューということでドキドキして当日を迎えました。しかし、岩淵さんはとても気さくで丁寧に、そして終始笑顔で話してくださいました。そして岩淵さんの考え方には個人的にとても共感し、お会いできてよかった!と思っています。

私もラオスでのボランティア・インターン経験から、いかに我々日本人が彼らを上から目線で見てしまっているかを痛感し、また彼らの考えや価値観を理解しようとする大切さを実感しました。岩淵さんのベトナム人に対して真摯に向き合う姿や、彼らを尊重する言葉がインタビュー中の言葉に散りばめられており、きっとベトナムの方からも愛されていただろうなあと想像できました。ベトナム人の友人から言われた言葉から「国籍関係なく、頑張った人がちゃんと評価される社会にしたい」という想いの実現に向けて取り組む姿に、私も惹かれました。周囲の人が自然と岩淵さんを応援したくなるのも納得です。

インタビューの最後では、「悩む若い方達には、ぜひ相談してきてほしい!」とおっしゃっていただきました。現地の人と“協働”したいと思っている方がいらっしゃれば、ぜひ岩淵さんに相談することを勝手におすすめさせていただきます!ありがとうございました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

飯川 桃子

早稲田大学社学4年。元々は国際協力に関心がありましたが、ラオスを何度も訪れるうちに、助けたい → 彼らを知りたい → 対等な関係を築きたい → 一緒に働きたいに変わりました。タイ語ラオス語を勉強中。