国際化は英語だけじゃない!第二外国語を学ぶ意義とは? ベトナム語研究の第一人者 冨田健次氏

ma, mà, má, mả, mã, mạ

カタカナで表記すると「マー」ですがこれらのベトナム語は声調(音の高低と曲折)や意味が全て異なります。

ローマ字由来の固有の文字を持ち日本から約3600km離れた東南アジアのベトナム。この国がかつて日本と同じ東アジアの漢字文化圏に属し、両国ともに中国の辺境の地(東夷の日本と南蛮のベトナム)にありながら独自の文化を形成していったことはあまり知られていません。

近年、コンビニや飲食店など私たちの日常生活の中でも多くの外国人を見かけるようになりました。彼らと共生していくために必要なことは何でしょうか?50年以上ベトナムに人生を捧げてきた冨田氏にお話をうかがいました。

<<プロフィール | 冨田健次氏>>

ベトナム語研究者。1947年長崎県佐世保市生まれ。学生時代にベトナム戦争を身近に感じ、東京外国語大学インドシナ語学科へ入学。その後、東京教育大学(修士課程)や筑波大学(博士課程)へ進学する。『ベトナム語の基礎知識』、『聴いて, 話すためのーベトナム語基本単語2000』、『フォーの国のことば ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ』など多くの語学参考書を執筆。一般社団法人べトナミスト・クラブの代表を務める。

冨田氏の考える“語学”ではなく“語楽”の学び方

ー今まで行ってきた活動について教えてください。

僕らがベトナム語を専門に学習し、日本に普及させていったほぼ第一期生なんです。なのでベトナム語の研究・教育の歴史はまだ浅くて非常に若い言語であると言えるでしょう。1977年に大阪外国語大学(現大阪大学)にベトナム語学科(当時はタイ・ベトナム語学科)を立ち上げることになり、私が初代で教壇に立ちました。

その後、朝日カルチャーセンターやNHK文化センターでも講師をしていました。今も大阪大学以外にも立命館大学などで授業を持っています。それに加えて自身が代表を務める一般社団法人べトナミスト・クラブでベトナム語の勉強会やセミナーを開いたりと様々な活動を行っています。

べトナミスト・クラブでの授業風景ーベトナムのテレビ番組で紹介される。

ーベトナム語を学ぶ上で押さえておくべきポイントは何ですか?

6つの声調を持つ音楽的なベトナム語を“語楽”と捉えて学ぶことが大事です。日本人は外国語を勉強する際にも日本語を喋る時と同じように小さな口でもぞもぞと喋っているだけで、あまりにも音を軽視していると感じます。

それに対してベトナム語には声調と言うものがあり、ベトナム人は全身を使って喋っていると言えます。あらゆる音声器官、発声器官を使って彼らは必死に喋っているんです。

日本人は中国語を国語の中の一分野に位置付け、外国語として捉えず返り点レ点で無理やり日本語にすることで最初から発音することを諦めていたんです。

聞いたり話したりはどうでもいいから読めればいい書ければいいというスタンスで生徒も先生も含めて授業で発音の練習をあまりやりません。これは「漢文読み」の弊害で外国語を学ぶということがどういうことなのかをよく認識していないのです。

だって、言葉って生きているものでしょ。

語学は学問ではなくて楽しむものー「語楽」なんですよ。筆談するわけじゃないんだから、運転免許と同じで運用しなければ意味がないんだということを私はいつも警告しています。

理想のスタイルは辞書も教科書も捨てて音を楽しみながらやることです。色んな音があるし色んな発声の方法がある訳だからそれを楽しんだら良いんですよ。日本人はもっと音の重要性を考えていかなければならないと思います。

外交官を夢見た学生時代

ハノイにあるベトナム軍事歴史博物館

ーこれまで50年以上冨田先生はベトナムに携わってきましたが、冨田先生がベトナムに興味を持ったきっかけは何だったんですか?

私は出身が長崎県佐世保市というところでベトナム戦争の時は最重要基地の1つになっていました。ベトナム戦争時代に沖縄の那覇や私の住んでいた佐世保から飛行機が飛び立って北爆(北ベトナム本土への直接的空爆)をしていたり、ベトナムで戦死したアメリカ人を連れてきて佐世保で体を洗ってアメリカへ送り返すというようなことが行われていたんです。

中学・高校の頃は原子力水戦艦も入ってきてものすごくベトナム戦争が身近でした。その当時テレビが初めてお茶の間に登場して戦争の様子が中継されていて生々しい現実を目の当たりにしていたわけです。子供心に何でアメリカ人の巨大な軍人がベトナムの小さい子供やおばあさんを泣かせているんだろうと思って見ていました。

そんなベトナムに少しでも自分が接近するためにまずは外交官になろうと考えていました。当時ハマーショルドと言うんだったと思いますが、憧れていて高校の時の作文には国連事務総長になりたいと書いたことがあります(笑)。

本当は中学出たらすぐにアメリカに行こうと思っていたのですが、学校の先生の反対などもあり結局日本の高校と大学に通うことにしました。大学受験生向けの雑誌の中で「ベトナム」をキーワードに探していたら東京外国語大学にインドシナ語科が数年前にできたことを知り、東京まで汽車で24時間掛けて受験をしに行って、何とか入れてもらうことができました。

私は66年に入学しましたが、ちゃんとしたテキストや辞書もないという無い無い尽くしで勉強が始まりました。私の恩師である竹内與之助先生は元々フランス語の御専門でした。

政治から文化への転向

べトナミスト・クラブでの食事会の様子

Q大学卒業後に就職などは考えていなかったのですか?

進路を考えていた時期に日本の学生運動が盛り上がりを見せていて68年には母校も封鎖されてしまいました。そのため私の大学卒業証書には1970年「5月」卒業となっています。

政治家になろうと思って外交官の勉強はしていましたが当時の日本は若い人たちがゲバ棒を持って殺し合いをするような状況で... 私はどうしてもそのような政治の嵐に納得できませんでした。次第に私は政治ではなく文化を究めて日本と比較しながら生活の中でそれを活かそうと考えるようになっていったんです。

ベトナムについて研究をしようと思ったら資料がほとんど漢文とフランス語なので中国語とフランス語が分からなければ研究が出来ません。なので卒業後はアテネ・フランセ(仏語学校)にも通いました。

その後、東京教育大学(現筑波大学)の大学院に入学して河野六郎先生のもとで言語学を修めました。言語学を修めないと言語の研究は出来ないので、言語学とはどういうものかから始め比較言語の素養をつけるために遅ればせながら勉強しました。

ー初めてベトナムへ行った時、想像と違っていたことなどありましたか?

初めてベトナムへ行ったのは74年でまだベトナム戦争の最中でしたが当時南ベトナムと日本政府が関係を持っていたため短い期間ですが行くことが出来ました。照明弾が上がると夜でも一面明るくなって一日中昼みたいでしたよ(笑)。

常夏というか熱帯なので混沌としていて、空港に降り立った時から熱気、匂いなど日本とは全然違いましたね。そして悲しいことに私はベトナム人の言っていることがよく分かりませんでした。というのも私はそれまで北部の言葉を習っていたので8年間も勉強しているにも関わらずほとんど南部の人と話が通じなかったんです。

その後、筑波大学の博士課程に進み馬渕和夫先生のもとで国語学(音韻論)を学びました。先生運は非常に良くて言語学・国語学を基礎からしっかりと勉強することが出来ました。

ベトナムに漢字教育を!共生のために考えるべきこと

ハノイにある鎮国寺ーベトナムで漢字を見ると親近感がわく

ー冨田先生はベトナムで教育の中に漢字を必修化させるべきだとおっしゃっていますが、なぜですか?

私はベトナムの学校教育で使われている教科書の「漢字ルビ化」を提言しています。彼らから漢字アレルギーを取り除いて漢字への知識を蓄えた上で漢字文化圏である中国や日本へ接近することを提唱しているのです。というのも現代ベトナム語の7割が漢字語彙と言われているからです。

漢字に対する理解や漢語に対する深い洞察が自分たちの言語への理解を強めて思考力を向上させることは間違いありません。そして何より我々日本などの漢字文化圏との経済的・文化的交流を飛躍的に高めます。

Hồ Chí Minh (胡志明) Cảm ơn [感恩]→(ありがとう)
Quốc ngữ (国語) Việt Nam [越南]→(ベトナム)
Kết quả (結果) Ca sĩ [歌士]→(歌手)
Chú ý (注意する) Đọc sách [読冊]→(読書する)

日本人がベトナム語を学習する際にも漢字を意識すると好奇心を掻き立てる

そして我々は言語のみならず日々の生活を見直してそれが絶対的なものではなく相対的なものだということを常に認識できるようにしなければなりません。そのためには日本人はもっと他の国の社会や文化を知っておく必要がありますね。

逆に、我々日本側は不必要な漢字の割合を減らしていかなければなりません。日本人は何でもかんでも(どう)にまで高めてしまう傾向があります。

国語も国語道に高められてしまって漢字を書く時の「とめ」や「はらい」、敬語や男女別のことばなど細かいルールが色々ありますが複雑すぎるものは止めなければならないと思っています。

若者へのメッセージ

ーベトナムをはじめとした東南アジアで働きたいと思っている学生や若い世代の方へのメッセージをお願いします。

最近の企業は効率だけを重視していてコミュニケーションは全て英語で済ませてしまおうといった風潮があります。仕事上はそれでも良いですが、お互いを理解し合うためにはやっぱり現地の言語が鍵になると思います。

言葉を学ぶとなると挨拶から始まってどういう音の出し方をすればこういう音ができるか等々覚えることは多く時間もかかります。しかし、ビジネスにおいても結局は人と人との繋がりなので核となる相手の言葉を理解しないと人間関係は希薄化していくでしょう。

特にベトナム語は難しい言語ですがお互い英語ですませられる民族でもありません。国際化は英語だけではなく、英語以外にも世界にはこういう言葉があるんだということを学んで自分の引き出しを一杯作ることと考えると良いですね。

取材後記

元々私はベトナムについて全く知らず、日本から遠く離れた異国の一つという認識でしたが冨田先生の授業を通して言葉だけでなく日本との意外な文化の共通点を多く学び、気付いたらベトナムの虜になっていました。

例えば、共通する漢字語彙を多く有しているだけでなく宗教的にも日本と同様に戒律の緩い仏教徒が多数を占め、コメを主食に箸を使いお酒を嗜む飲食文化を持っているなど初めてベトナムに行く人でも既視感を覚えると思います。

私は全ての日本人が英語や第二外国語を学ぶ必要はないと思っています。しかし、言語の新しい引き出しを作れば自分たちの文化を相対化して異なる生活圏にいる人たちと交流を深めるためのパスポートを手に入れることができるでしょう。