美容師だってアジアで働きたい!やりがいを求めて私がインドネシアで現地採用になったわけ

2017.05.11

なぜだかわからないけど、私は美容師になると決めた時から海外に行くのが夢でした。もちろんヨーロッパです。今思えば海外で仕事したかったから、美容師になったのかも知れません(笑)。

海外を夢見て、練習に明け暮れたアシスタント時代

初めてのアジア旅行は、専門学校の時のモンゴルへの研修旅行でした。そこの孤児院でチャリティーカットをしたり、ウランバートルで1番の美容室を見たりしました。まるで日本の田舎にあるおばちゃんが一人で切り盛りしている美容院のような。こぢんまりとしていて、ウランバートル1番の流行りの店でこんな感じなの?と、学生だった私でさえも物足りなさを感じたのを覚えています。

しかし、モンゴルの草原と星空に惚れて、その時一緒に行った友人達と「10年後にモンゴルで美容室だそう!」なんて語り合ったのは、今では青春の1ページです。投資家さえ見つかれば実際可能かもしれないと未だにチャンスを窺っているのは、その中ではもう私だけかもしれませんね(笑)。

その時からアジアへの親近感を感じて、その後東南アジア諸国にも旅行で行くようになりました。

海外に行く!という志はあったものの、美容師はまず技術を身につけてなんぼですから、20代前半は修行に徹すると決め、がむしゃらに練習していました。しかし、美容師はサービス業ですから、景気の影響をもろに受けるので、努力の割になかなか思ったようにはことは進みませんでした。現実は冷酷で、努力と結果は反比例するばかり。嫌になっちゃって1回美容師を辞めてしまいました。

本末転倒しちゃったんですよ。自分に何が足りないんだろう。高卒だから転職しても大した仕事ないし、お先真っ暗でした(笑)。

自分をリセットして、本当にやりたいことを考える日々

「もういいや、どこでもいいからワーキングホリデーに行こう!」と、東京の生活を捨て、湘南のシェアハウスに引っ越して、そこで資金調達を兼ねて先輩の美容室を手伝うことにしました。その時が25歳で、ヨーロッパで活躍する夢はすでになかったです。美容師の厳しさ思い知ったというか(笑)。美容師は食べていく手段にして、自分の人生の目的は他に持とう、と。

そのシェアハウスでの出会いは、私にとって運命の出会いだったのかもしれません。

当時そのお家には、青年海外協力隊に行っていた人、ワーキングホリデーに行く人、帰って来た人、海外の大学に行っていた人、などさまざまな経験をしている人たちが住んでいました。視野が広いというか、みんなレベル高い!って憧れの眼差しでみんなの話を聞いていました。自分がもし、心折れたまま海外に行っても、武勇伝の一つも作って帰って来られやしないのでは?と思ったんです。

当時のシェアハウスの仲間たち (写真真ん中が私)

「あいつ海外行ってたけど何してたんだろうね?」には絶対になるものか!!

学生の頃は、美容師になれば美容で人を笑顔にできる、結婚式など人生の大事な瞬間に立ち会わせて頂ける素敵な職業だと夢を描いていました。しかし、実際そういう場面は頻繁に訪れることはなく、満たされていない自分がいました。

「私って本当に人の役に立っているのだろうか?」

サービスと技術を提供して、代金をお支払い頂くルーティーンに疑問を感じ始めて、

「もっと誰かに必要とされる存在になりたい」という欲求が芽生えてきました。

そう思い始めてから、ふとモンゴルで行った孤児院のことを思い出しました。子どもたちの笑顔が、すごく印象深かったんです。

美容師って商売ですけど、何か彼らのような子どもたちの役には立てないのだろうか?そう思って国際協力の本を読んだり、インターネットで情報を探しました。

美容師一人で出来る国際協力は、せいぜいチャリティーカットしかなく、一時は人を笑顔にしてあげることが出来るかも知れませんが、髪は伸びたらそれでおしまいですし、笑顔もその時だけ。その後のその子どもたちの人生はどうなるのだろうか?だったら協力隊やワーキングホリデーのように期間に終わりのあるものではなくて、何か慈善事業のようなことに目的のある企業に入ることで、もっと大きなことが継続的に行えるのではないか?私一人で出来ることは微力だけども、企業であれば、もっとちゃんとその土地と長く関われますし、自分のキャリアを築く為にもいいのではないか?

国際協力について勉強したといえば、本を数冊読んだくらいです。個人よりも企業としてやる慈善事業の方が大きなことが出来る、継続的な支援ができる、と学びました。当たり前ですけど。私一人では微力だけども、何か目的のある企業に入ることで、この挫折したての私でも何かを成し遂げられるのではないか?

と、そういう考えに至りました。

インドネシアと、運命の仕事との出会い

ちょうどその頃バリ島に旅行したのもあって、インドネシアでの求人を探したんです。その時、私の目にとまる求人がありました。

「経済急成長中のジャカルタで、一緒にインドネシアの美容産業を盛り上げていきましょう!!」

事業内容は「ローカルスタッフの育成とインドネシアの美容産業の発展へ貢献すること」

早速、連絡をとって詳しい内容を聞きました。

現地のスタッフを教育することで、その子達は美容師として働くことができて、食べていけるようになる。つまり美容を通じて人生を豊かにしてあげることができる。

これぞ継続的な支援!!私、目的見つけました!

これが今の会社と私の出会いです。

面接はLINEの電話だけだったのですが、実は内定を頂いた後も迷いました。ほとんどの友人はジャカルタというと笑うか、心配するかでした。せっかく勢いづいていたのに、この国に行くことが果たして正解なのか、間違っているんじゃないのか?と不安になってしまったんです。しかし、ある一人のシェアメイトはこう言って私の背中を押してくれました。

「私たちは日本のバブルを知らない世代だから、その目でバブルを見られるのは人生でもう2度とないかも知れないよ。」

ヨーロッパみたいに古く昔から出来上がったもの、を見るのも素敵ですが、今まさに出来あがろうとしているものを見る、というのは、なんだかとてもわくわくしてきました。

といっても心配性なのでスーツケースは3つも持って行きましたが (実際スーツケース3つも持っていかなくても、ジャカルタは本当に何でも手に入ります!)

そして2014年より、ジャカルタで美容師として働いています。

さいごに

夢見ていたこととはいえ、海外で働くということが現実になる瞬間が来たことには、自分でも驚きました。日本を飛び出したあの日、成田からジャカルタまでの7時間半のフライトは、すぐに帰りたくなったらどうしようってずっと不安でしたが、今では来て本当に良かったと胸を張って言えそうです。迷っている時に、背中を押してもらえたことは、とても運が良かったなと今では思います。

美容師目線にはなりますが、今後はアセナビを通して、私の日々の仕事やインドネシアの日常のこと、国際協力のことを伝えていきます。それによって、日本の美容師さんが海外へと出るきっかけを作れたら、と思っています!

私が働くサロンの練習風景。3人はアシスタントで、後ろで見ているのがマレーシア人スタイリスト