37歳で日本を飛び出し、タイとマレーシアで就職をした先に見えたものとは?末吉史夫氏

今回は「ASEANで働く、その先へ」第3弾です!

これまで、アセナビではASEANで働く方を中心にインタビューをし、ASEANのリアルをお伝えしてきました。この特集ではASEANでのキャリアを積んだ後に、日本に戻って活躍している方やASEANで更に活躍をしている方に焦点を当てています。そして、彼らが、ASEANでどのようなキャリアを積み、現在はどのようなことをされているのかを発信していきます!

今回は東京でIT系の会社に勤務後、37歳で日本を飛び出し、タイとマレーシアで海外就職をし、現在は帰国して新たな目標に挑戦されている末吉史夫氏にお話を伺いました!

《プロフィール|末吉 史夫氏 (すえよし ふみお) 》
1975年2月、東京生まれ。大学卒業後は、IT系の会社へ就職。2012年にタイの首都、バンコクにある日系のIT企業で勤務。2013年にマレーシアの首都、クアラルンプールにある外資系のIT企業で勤務。2016年に帰国し、現在は再び東京在住。

海外就職のきっかけ

—さっそくですが、海外で就職する前はどのようなことをされていたのですか?

私はもともとITに興味があったので大学卒業後、SI (システムインテグレーション) 系の会社に就職しました。そこで、5年ぐらいネットワークとかサーバーの運用系の業務をしていました。

しかし、大学が法学部だったということもあり、学生時代に司法試験の勉強をして、そのまま勉強を続けようか就職しようか迷った時期がありました。新卒で就職できるのは1回しかないけれど、受験はやりたくなったらまたやればいいかなと思い就職をした経緯があるのですが、やっぱりもう一度ちゃんと受験勉強をしたいと思ったのと、日本のIT業界の体質に少し違和感を感じて、会社を辞めることにしました。

そして、受験勉強は5年の期間限定にして、受かればそれで良いし、ダメなら元の世界に戻ろうという感じでした。結果的に司法試験を諦め、再びIT系の会社に就職して4年ぐらい働きました。そこでも以前と同じような運用系の業務をしていましたね。

ー海外就職を考え始めたきっかけは何ですか?

仕事でメンタルが壊れてうつ病になってしまい、1年間ぐらい休職をしました。

休職期間中に色々考えたり、うつ病になる少し前から仕事が休みのときにちょこちょこ東南アジアへ旅行をしに行ったりして、現地にいる知り合いができたし、気候も暖かいし、こういうところに住むのも良いのかなという、軽い気持ちで決めました。

もともと会社を退職するつもりでいたので、守るものがなく、身軽で今が海外就職をするにはうってつけの状態だと思っていたんです。

タイで就職するも約半年で退職へ

他の国も選択肢にあったと思いますが、タイを選んだ決め手はありましたか

かつて旅行で滞在したことがあったので、現地に知っている人がいて、住み心地も悪くなさそうだったので、最初はタイとマレーシアで就職することを考えていました。そして、最初に採用が決まったのがタイだったので、タイにある日系のIT企業で働くことになりました。

ー具体的にどのような仕事をされていたのですか?

資料作りが主な業務でした。たとえば、日本のシステムの運用をタイ側で運用していて、障害がどれくらいあったのかというレポートを毎週作っていました。ほとんど毎日朝7時位から夜11時ぐらいまで仕事をしていました。

その後、約半年で退職されています。その理由を伺ってもいいでしょうか?

試用期間で契約が終了しました。そもそも仕事で資料作りをしていたときに、フォントの指定や図の位置の調整、プリントした時に少しでもかすれていたり、色がにじんでいたりしたら、やり直しになるのですごく厳しかったです。確かに資料作りはスキルの1つになると思いますが、私には合いませんでしたね。

マレーシアの外資系企業に就職

ータイでの経験から外資系企業を選んだのしょうか?

やはり、日系企業は世界のどこにあっても業界問わずに風通しの悪い企業が多く、日本のルールとあまり変わらないことから厳しいので、外資系企業で働いてみたいという気持ちはありました。しかし、そこまでこだわっているわけでもなく、 “どちらかと言えば外資系企業” という感じで転職活動をしていました。

ー転職先での具体的なお仕事について教えてください。

テクニカルサポートの仕事をしていました。一般ユーザー相手ではなく、あるアメリカの製薬会社の、全世界のブランチのヘルプデスクを担当していました。電話やメールで技術的な部分のサポートが、主な業務内容です。

そして、マレーシアでは、日本や中国などのアジア地域のサポートをしていました。使用言語の7割ぐらいは日本語、他は英語での仕事でした。

ー外資系企業で働いてみて感じたことは何ですか?

外資系企業なのでやることをしっかりとやっていれば、割と自由な社内風土でした。年末年始は日本に帰るために2〜3週間の休みを取ることもできましたね。

ただし、あらゆることは数字で評価されます。たとえば、システムにログインすることがタイムカードの代わりになっていたのですが、うっかりログインを忘れて1分遅れたらそれは遅刻扱いになりますし、逆に勤務時間を過ぎた後にログインした状態になっていたら、残業をしているということで評価が下がってしまいます。基本的に残業はないので、残業をしたら残業をさせた上司の評価が下がります。

ちなみに、どうしても忙しいときは上司から残業を依頼されるのですが、断っても問題ありません。風通しはすごく良かったですね。

マレーシアのチームメンバーとのディナー

マレーシアで購入したマイカー。日本と比べて中古車の価格が高いそうだ。

今後はボーダーレスで複数の収入源を作ることが目標

ー退職するに至った経緯を教えてください。

マレーシアの外資系企業で3年ぐらい働いて、同じような業務をするようになってきたので環境を変えたいと思うようになりました。あとは、私の両親が自営業で年齢も若くないし、私が長男ということもあって、少しずつ両親の仕事も巻き取っていかないといけないかなと思うようになり、退職を決断しました。

ー帰国してから何をされているのですか?

両親の自営業の仕事を手伝いながら、まだ手探り状態ですが、自分で何かやりたいと思っています。

そして、複数の収入源を持つことを目指したいと考えています。月給50万円の仕事を1つ持つよりも、月10万稼げる仕事を5つ持つような、複数の本業を持つ意味合いでの “複業” ですね。これからの時代を考えて、1つしか収入源がないということは、リスクがあると思います。実際に、マレーシアで働いていたときに、現地の人は日本人よりもずっと給料が低いので副業をしていた人も多かったです。そうやって収入を増やすのに貪欲な彼らの影響は大きかったですね。

私は海外就職をし、国境というボーターを超えたことで視野がとても広がりました。日本は色んな面で世界と違うところがあり、違う視点で物事を見られるようになったのと、現地に住んでいたときに作った人脈などを活かして今後は国境を超えるようなビジネスをしたいと思っています。

ー末吉さんの運営しているブログがきっかけで、今回インタビューをさせていただいているのですが、ブログについて教えてください。

インターネット上で海外就職に関する情報を発信している人が少ないと思っていたこともあり、マレーシアでの生活に慣れてきてからブログを始めました。私の実際の経験を元に発信する海外就職の情報がメインとなっておりますが、他にも東南アジアを中心とした海外の現地情報や、海外旅行や移住に役立つ情報、そして、海外就職をした“その後”の生き方についても発信していきます。海外就職についての質問や相談がございましたら、ブログ内のお問い合わせからご連絡ください。

ー末吉さんにとっての東南アジアとは何ですか?

迷う時間はもったいない!とりあえず、行ってください!!(死なないから!) 。

せっかく東南アジアへ来ても、半年とか1年ぐらいで帰っちゃう人が多いのが現実です。しかし、東南アジアで働くことに興味があるならば、まずは旅行でも良いので行ってみることが大切だと思っています。

取材後記

東南アジアで就職をした後にその経験をインターネットで情報発信している人が少ない中、大変貴重なインタビューをさせていただきました。そして、海外で働いたからこそ、視野が広くなり、模索中でありながらもボーダーレスの収入源を作るために新たな挑戦をする話は印象的でした。今後、グローバル化が加速することで、ますます国境というボーダーの存在意義が薄れてしまうことが予測できます。また、わが国では、少子化に伴い、国内のマーケットが縮小すれば、必然的に他国のマーケットに目を向けることになるでしょう。このようなことから、個人・法人問わず、ボーダーレスは重要なテーマになっていくのではないでしょうか。

取材日時 2017年1月26日、取材 小尾篤史、茂木聡史