「基準をズラして戦っていく」 (株)アドウェイズ インドネシア 元代表取締役社長 高野勇斗


「先月このオフィスビルでボヤがあったんですよ。こっちは毎日予想外なことが起こってめちゃくちゃ楽しいですよ。」と笑うのは(株)アドウェイズ インドネシア取締役社長高野勇斗氏だ。新卒時代から常に責任者という立場で新規拠点の立ち上げをしてきた経験を持つ高野氏。彼が次に選んだ地は人口約1000万人を誇るアジア有数の大都市ジャカルタだった。


《プロフィール:高野勇斗(タカノ ハヤト)》

1982年北海道生まれ。早稲田大学卒業。2007年インターネット広告代理店のアドウェイズに入社。入社1ヶ月目にして大阪支社を責任者として立ち上げ、その後も同様に責任者として名古屋支社、福岡支社の設立を手掛ける。2011年2月にはインドネシアを訪れ、翌年7月に(株)アドウェイズ インドネシア を立ち上げ、何もないゼロの状態から新規事業を次々に創出していく。将来の夢は市政、道政、国政に参画し、日本ひいては世界の持続発展に寄与すること。

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「絶対に住みたくない街」ジャカルタで社長になる

 

―新卒一年目から大阪、名古屋、福岡の立ち上げを行っていたんですよね。それだけでもかなり異質な経歴をお持ちだと思いますが、そこから今度はジャカルタでの法人立ち上げと新規事業の創出。なんでまた海外、それもジャカルタを選ばれたのでしょうか?

僕の中に「絶対に海外でやらなければいけない」というこだわりがあったわけではなかったんです。僕自身としても貢献できて、僕でなくてはならない、そういう環境で責任者としてやれる場があればそれでよかったんです。

福岡支社の立ち上げをして、その後西へ行こうとしたら、海があった。さらに西へ行ったら、どうやらそこは区分上海外だった、というだけの話なんですよ。そこから海外進出の話を社長に持ちかけました。

社長からは「高野くんは獣道を切り拓いて行くタイプだから、発展しているところよりこれから伸びる国の方がいいよ。」と言われました。そこで社長が二個の候補地を挙げたんです。「インド」と「東南アジア」この2つです。僕は英語が話せなかったんですよ。それであれば、比較的日系企業も進出している東南アジアにしようとなりました。

 

―ということは、初めからインドネシアと決めていた訳ではなかったんですね。

そうです。初めは東南アジア諸国を巡る出張を予定していました。最初に降り立ったのがシンガポールでした。実際に行った人なら分かると思うんですが、すごい発展していますよね。綺麗で、何もかも揃っているじゃないですか。100人に聞いたら99人が住みたいと言うような国ですよ。駐在員の方達はやっぱりご家族と一緒にと考えている方達も多いので、シンガポールは絶好の赴任先と言えます。

実際僕自身もシンガポールに住みたいと思いました。でも、そう思った瞬間にシンガポールを候補から消したんです。みんなが行きたがる場所ということは、それだけ競合が多くなるということじゃないですか。競合が多くなれば多くなるほど、そこにあるビジネスチャンスは小さくなってしまうので、なるべく他の人が行かないところを開拓しようと思っていました。

 

—なるほど。いわゆる「逆張り」ですね。

ジャカルタ中心部の交通渋滞

ジャカルタ中心部の交通渋滞は社会問題にも

そうですね。地図をぱっと広げてみたら、近くにすごく大きな国があるじゃないですか。それがインドネシアだったんです。シンガポールでここまで栄えているのならば、ジャカルタもすごいことになっているんじゃないかとも思いました。でも良い意味で期待を裏切られたんです。

2011年2月に初めてインドネシアに来た時のことは、今でも良く覚えていますよ。空港を出た瞬間にタクシーの運転手達が群がって来るし、渋滞はすごいし、マナーはすごく悪い。「絶対住みたくない!」という第一印象と共に、「ここだ!」という直感が湧いてきました。


初めはベトナム、タイ、マレーシアあたりも視察しようと思っていたんです。でもインドネシアについたその日のうちにここだと決めて、一度帰国し、すぐにインドネシアへ戻って来ました。航空券もオープンチケットにし、できるだけ長くインドネシアに居座ることに決めました。

 

―即決だったんですか?その後どんなことをしたんですか?

多くの企業さんは、現地の調査など色々なステップを踏んでから進出を決めると思うんです。でも僕はまず初めに人材を採用することにしました。なにせ現地語も英語も喋れなかったものですから、日本語と英語を喋れる人材を探したんです。やっぱり言葉ができないと、そこに存在しているということを認知してもらえないと思ったんですよね。それって存在していないのと一緒じゃないですか。そこでまずは二人の人材の採用を決めました。その時はまだ会社すらなかったんですけどね。(笑)

その二人と初めにこう決めたんですよ。1年目で、名前を広めよう。2年目で事業を創ろう。3年目で事業を他の会社より優れたものにしようと。
なんとか2011年7月に法人を立ち上げ、今年は三年目に入っていますね。

 

新規事業の創出は“ハッタリ”から始まった

 

―ということは、初めは会社も事業もなかったということですね。どうやって事業を創ったのでしょうか?


1年目はとにかく認知してもらうことを目標にやっていました。ありとあらゆるイベントに顔を出して行ったんです。無料のイベントから、参加費が三万円もするセミナーまで全部行きました。


そこで名刺交換をした後、全員にミーティングのアポイントを入れて一対一で話すことを心掛けました。僕は英語が喋れないので、いろんな人がいるところでの立ち話だと、会話についていけないんですよね。それでも一対一のコミュニケーションならなんとかなる。だから後日、一対一のミーティングの場を設けて、会社概要を紹介していました。


そうやって地道な活動を1年間重ねていくうちに、インドネシアのネット業界の人ならほとんどの人が、“高野”か“アドウェイズ”という名前のどちらかは認知しているほどになりました。

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でもしばらくして、「アドウェイズとか高野とか知っているけど、一体何をやっている会社なんだ?」という噂が立ち、まだ事業が何も無いということがバレそうになってしまったんです(笑)。ただ、インターネット関連の会社だということは認知されていたようで、時々お呼びがかかるようになりました。


ある時、大手の自動車メーカーに呼ばれたんです。そこで「高野くんの会社は、ホームページとか作れるの?」と聞かれました。僕はとっさに「実は、うちはホームページ制作しかやっていないんですよ。」と答えました。ハッタリをかましたんです(笑)。同席していたスタッフの二人はビックリしていましたね。「そんなの聞いたことねえよ!」という顔をしていました(笑)。


交渉の末、その会社のホームページ制作を受注することができました。ここからが大変ですよね。日本の本社でも、もともとアフィリエイト事業しかやっていなかったので、僕らには何もノウハウと呼べるものがありませんでした。


そこで何をやったかというと、外注です。スタッフにもホームページ制作にどんなものが必要なのか徹底的に勉強させていました。セミナーに参加させたり、本屋で立ち読みをさせたり。それでなんとか納期に間に合わせることができ、ようやく一つ実績を作ることができました。

そうやってとにかく最初は仕事を貰って、外注をしていきました。着実に実績を創っていく。その後、ここは利益率高いなと判断したら、外注をやめて、プログラマーを雇う。そうじゃないとノウハウがたまらないんですよ。自社でノウハウを持たないとリスクが高いので、精通している人間は自社で持っておくべきなんです。アップルの外注戦略など有名ですが、インターネット事業の場合、僕は自前の方が好きですね。

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「インドネシア人は“なまけ者”」は、大ウソ。

 
そうやって内製化を進めたのはよかったんですが、今度は内部の問題が出てきました。なぜかと言うと、事業を回すことに手一杯になり過ぎて、会社の規則というものを作っていなかったんです。

給料の支払い方、福利厚生や医療費負担の範囲、ボーナスの支払いの範囲など明確に定めていなかったんですね。ただでさえ従業員としては気になるこういった取り決めですが、ギリギリその日暮らしをしているインドネシア人からしたら、死活問題なんですよね。このままではいけないということで、17カ条のルールを作りました。そこに毎月のようにルールを付け加えて、今では100カ条を超えています。


最近導入し始めたのは、「皆勤賞制度」です。東南アジアの人達はなまけ者だというのは、よく耳にする話ですよね。遅刻や欠勤が多いというような話。あれ、全部ウソですよ。仕組みさえ作ればみんなちゃんと出社できるようになるんです。


インドネシアの企業では、大抵の場合交通費を従業員が負担するんです。こっちでは、交通費の精査がすごく難しいので、なんでもかんでも申請できてしまう。だからもし交通費を会社が全額負担するということになれば、みんなタクシーを使って出社してしまうんですよね。


交通費が自腹だとどういうことが起きるか。例えば、朝出勤しようとした時に大雨だったらどうしますか?休むんですよ。そしてしばらくして病院に行って、診断書を適当に作ってもらうんです。そうすれば医療費も出るし、有給扱いにもならない。何より出勤にかかる交通費を支払わなくて済む。「なんだそれ」と思うかもしれませんが、その交通費ですら彼らの財布には痛手だということなんです。日本人の経営者でこの感覚を持てている人は多くないですね。


僕は、そういう環境がいわゆる「なまけ者」を作り出してしまっているんだと思うんです。いずれ全従業員に交通費を支給したいと思っていたので、この「皆勤賞制度」を導入しました。


簡単に言えば「無遅刻無欠席の人に対しては、交通費を支払う」というものです。導入し始めた月は交通費として5000円を支給することにしました。(ジャカルタでの平均月収は約5万円)そうすると、日本人マネージャー達を除いたローカルスタッフ22人の内11人、実に半数の従業員が無遅刻無欠席で出社するようになったんですよ。これって本当にすごいことなんです。仕組みを作りさえすればインドネシア人はちゃんと出社できるということの証明になる。とは言え、この制度にもまだまだ課題があるので、この数ヶ月間で色々と修正を加えながら運用していますけどね。 

 

ひとりじゃなにもできないリーダー

 

―海外で、しかもゼロベースからの新規事業立ち上げともなると本当にたくさんの大変なことがあるんですね。常にトライアンドエラーというか。そんな中でもこれだけは大事にしているということはありますか?

 

やっぱりですね。なぜかというと、僕には決定的な弱点があるんです。Word,Excelその他なんのソフトもいじれないんですよ。もちろんコードも書けないし、ゲームも詳しくない。この前のお盆の時なんて、航空券の手配する日にちを間違えてしまって、日本から戻って来れなくなりましたしね(笑)。

よく一人で何でもかんでも出来てしまう人がいるじゃないですか。僕は自分の身の回りのことすらできない。僕のせいで周りの社員はすごく成長していると思いますよ。

 
―そこまで開き直って、自分の弱みを確信できている人って、あまり多くないと思うんですよね。社長クラスにもなると尚更プライドなどが邪魔してしまう気がするんですが。

むしろ自分の弱みは認識しておかないとダメですね。リーダーは、弱みは見せていいんですけど、弱音を吐いてはいけないと思うんですよ。これは僕自身が考えるリーダーの条件です。

プライドは持っていますけど、プライドが邪魔をするということもないです。早稲田大学在籍中は、周りが優秀すぎて、常に劣等感を感じていましたからね。全然ついていけなかったんですよ。世の中にはすごい人間がたくさんいて、この分野では勝てないというのがあるじゃないですか。僕が勝てない部分で戦ってもしょうがないので、そこは仲間に助けてもらうしかないんですよ。

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―最後の質問になります。海外でチャレンジしてみたいけれど、その一歩が踏み出せないという人達に対して何かメッセージをお願いします。

極論ですが、急成長したいという動機がある人以外にはあまりオススメしないですね。例えば自分探しとか、海外ブームだからとか、英語を修得するためだけだとか。逆に急成長したいという動機がある人にはオススメします。

日本という環境にいるとどうしても序列化されてしまうんですよね。その過程で妬みやしがらみ、足の引っ張り合いというものがどうしても起きてしまう。急成長しなければ叶えられないほど大きな夢がある人にとって、二十代という貴重な成長期に、そういうものにかまっている時間がもったいない。

インドネシアで働いていてそういったネガティブなものを感じたことはないですし、そもそもネガティブなものがあったとしても、それを感じている暇もないくらいに様々な課題が降りかかって来るんですよ。周りの目を気にしている場合じゃない。そうせざるを得ない環境なんです。

僕の夢は、市政、道政、国政に参画し、世界の持続的発展に寄与できる人間になることなんです。ただ、在学中に同じゼミだった友人達と出会って、こういう人達とすでに決められたルール、基準、舞台で戦っても、絶対勝てないなと悟った。だから他の人とは基準をズラした舞台で戦っていって、圧倒的に違う経験を積むことで、急成長をする必要があったんです。

なんとか夢を叶えるために、もがかなくてはという人には、他の人と基準をズラして戦うことをオススメしますね。そうすることでいつか、他の誰にも真似のできない経験や、自分だけにしか語れないストーリーが出来てくると思います。

高野氏インタビュー続編 ジャカルタで3年半トップを務めた高野勇斗氏が、新たな挑戦へ。「若者よ、海外に出よ」と叫び続ける彼が切り拓く新たなチャプターとは?

《高野 勇斗氏 に関連するページ》

・株式会社アドウェイズ ホームページ
 ( http://www.adways.net/  

・PT. Adways Indonesia
 ( http://www.adways-indonesia.co.id/c_main )

・高野 勇斗氏 ブログ 「主体性こそ集大成-Beyond the Borders-」
 ( http://ameblo.jp/king-of-diary/

 

《インタビュー・編集 早川 遼 写真:鈴木 佑豪》

 




ABOUTこの記事をかいた人

早川遼

高校時代はサッカーに没頭。年中ケガと身長を悩まされる。鈴木と共に「アセナビ」を立ち上げ、ASEAN10カ国を周る。2013年冬にアセナビを卒業。HR関係の会社に就職予定。