「成長マーケット」に出て行かないことのリスク、ネオキャリア代表取締役、西澤 亮一氏

2016.01.25

“成長”このキーワードこそが西澤氏の代名詞。どれだけ会社の規模が大きくなっても「ベンチャー企業」であり続け、常に“成長”を求め続ける。一見クールにそう語るものの、目の奥にはアツイ情熱を燃やしているのは、『週刊ダイヤモンド』にて「2015年優秀企業賞」に選ばれたネオキャリア代表取締役の西澤氏である。なぜそこまで勢いを持ってネオキャリアが “成長”しているのか、その秘訣を伺った。

《プロフィール|西澤 亮一氏》
1978年北海道生まれ。2000年に日本大学商学部を卒業、投資会社に入社。同年11月に同期新卒9名でネオキャリアを創業。設立後1年半で一時倒産危機を迎えたものの、2002年代表取締役に就任し、会社を立て直す。再度リーマンショックによる存続の危機を機会と捉えることで乗り越え、以降、売上、社員数共著しい成長を遂げている。

 

どれだけ成長しても、「ベンチャー企業」であり続ける!

ー事業内容を教えてください。

「人材」、「ヘルスケア」、「WEB」、「海外」の4つを軸に展開しています。

2000年に創業して以来、常に単なる人材会社ではなく、「ベンチャー企業」として「成長し続けること」を信念としてきました。

現在は日本国内に40拠点、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナム、マレーシアといったASEANのみならず、中国と台湾を加えるとアジアに計14の拠点があります。

 

ピンチこそが最大のチャンスである。

ー2000年に創業したばかりで、かつ人材業界という既存の競合他社が多い中、どういった経緯で現在にまで至るのでしょうか?

2回あった倒産の危機を、危機ではなく機会だと捉えてやってきました。

1回目の危機は、創業して間もない2002年でした。当時の創業メンバーは9人で、私は代表取締役としてではなく、取締役の一員として参画していました。しかしすぐに4000万円もの赤字に転落してしまいました。

なんとかして立て直すために、私を代表にしようという創業メンバーからの声があったので、迷いながらも代表となる決意を固めました。その後は「絶対にこの会社を潰さない」というメンバーとの共通の信念のもと、1年半は全員無給でがむしゃらに働いたのです。

そのような努力の結果、黒字化に成功しました。その時にメンバー全員が同じ目標に向かって努力すると、組織は見違えるほど強くなるのだと感じました。

2回目は、2008年のリーマンショック時です。「派遣切り」による人材業界への悪いイメージもあり、多くの人材会社が事業撤退ないしは縮小をしていました。実はこの、一見危機に見えるリーマンショックこそが、私たちにとっての大きなチャンスとなりました。というのは、実際リーマンショック後も派遣に対するお客様からの需要は縮小しておらず、また他社の撤退が著しかった地方の採用ニーズは顕在していたのです。

だからこそ危機時であってもブレーキをかけるのではなく、むしろアクセルを踏みました。思いきって派遣ビジネスをスタートさせ、地方拠点へ展開させた「逆張り戦略」こそが弊社に成長をもたらしてくれました。

 

最高の“成長マーケット”、ASEANでビジネスをするワケ

―なるほど、危機を機会と考えることが鍵だったのですね。ではなぜASEANにも展開されているのでしょうか?

ここでもキーワードは “成長”です。私は常に、“成長マーケット”でビジネスをするべきだと考えています。事業、業界、領域もそうですが、衰退していくマーケットに身を置いて人間は成長できないからです。そう考えるとアジア、とりわけASEANは世界で最高の“成長マーケット”だと言えます。

今は世界の経済基盤がアジア、アメリカ、ヨーロッパで3分の1ずつ持っているような感覚ですが、2030年には経済の規模がアジア50%、アメリカとヨーロッパ約20%ずつになると予測されています。特にASEANにおける人口や経済成長の伸びは著しいですよね。

早くそこへ出て行かないと、他の先進国といったライバルに先を越されてしまいます。少子高齢化で今後成長することが期待できない日本に留まっていることは、あまりにもリスクが大きすぎる。だからASEANへと展開していきました。

2k(マニラオフィスにて。前列左が西澤氏。右はマニラの若手責任者。)

―ASEAN市場を獲得するにあたって、日本人の強みと弱みは何だとお考えですか?

まず、日本には高度経済成長を経験した優秀な人が多いです。そして繊細である点や、時間を守るといった、いわゆる社会で働く基礎がきちんと備わっている人が多いのは強みだと思います。日本にずっといると気づかないかもしれませんが、海外に出てみると再認識できます。

逆に弱みは自分の頭で考えて行動する人が少ない点です。人から言われた事はきちんとできるけれど、自ら主体的に行動できる人が少ないように感じます。個人的には、バブル崩壊後の20年で日本の人材の質が下がっていることを懸念しています。これから再度日本人がASEANといった“成長マーケット”で力を発揮するためには、2020年の東京オリンピックまでが踏ん張りどころだと思います。

 

海外で働くからには、日本に帰ってくることができるとは思うな

―アセナビとしては、若い世代が積極的にASEANで働くことを応援したいと思っています。しかし新卒が海外(ASEAN)で働くことに関しては、賛否両論です。西澤さんは賛成、反対どちらですか?

個人的には賛成で、弊社では今年も6人の新卒を駐在として海外へ送り出しています。他社ではよくある「数年日本で働いてから海外赴任」というのは基本なしで、最初に日本か海外かで選んでもらっています。理由は、アジアで日本の大手電気メーカーが他国のメーカーに負けた敗因にあって、そこには人材戦略の違いがあります。

日本の大手電機メーカーは3年〜5年で駐在のトップを変えていきますよね。1年目でなんとなく理解して、2年目で計画を立てて、3年目で「さあ行くぞ!」と思ったら帰任となってしまうので、あまりチャレンジが出来ないのです。

対照的に、他国のメーカーは帰さない方針です。現地に根付いて、家族を持って暮らして、死ぬまで頑張れというスタンスです。だから私は海外を選んだメンバーに、「20代のうちは日本に戻れないという覚悟を決めて手を挙げなさい」と言っています。

3k(定期的に各国へ出張に行き、現地メンバーとコミュニケーションをとることを心掛けている。)

海外で働くのが当たり前になるのも、時間の問題

―なるほど...。ネオキャリアにいらっしゃる社員の方にはそれが通用すると思うのですが、日本全体となると難しくないですか?どうすればそういった人たちを増やせるのでしょうか?

まずは「海外で働く」という選択肢が当たり前の文化になるようにしたいですね。私たちも『世界を動かすアブローダーズ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち』という書籍を出版したり、「ABROADERS」というウェブメディアを通してアジアで働く日本人を応援したりしています。

こういった地道な活動が繋がって、大きな火種になっていくと思うのです。火種を起こすためには、まず優秀な日本人が海外へと出て、ロールモデルを示すことが重要だと思います。

同時に、もう5~10年もすれば、自然と「海外で働く」ことが当たり前になってくるとも思います。なぜなら日本とASEANにおける物価やインフラといった「差」がもはやなくてってくるからです。おそらくタイが伸びてきて、次にマレーシア、インドネシアが横並びになってくるでしょう。ここまでになると、必然的に環境も変わってくると思います。

日本もかなり変わってきていますしね。例えば、『日本経済新聞』にも「アジアBiz」というページがありますし、「アジア」、「ASEAN」というキーワードはもう頻出です。それだけ日本とアジアが近くなっているのだと思います。もはや、時間の問題だと思います。

abroaders『世界を動かすアブローダーズ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち』

「なぜやるのか?」よりも「なぜしないのか?」

―ASEANや海外で働きたいけど、一歩踏み出せない人に向けてメッセージをお願いします

むしろ、必ず当たるであろう “成長マーケット”へなぜ出て行かないの?と聞きたいです。やらないことのほうがリスクであると思っているので、「なぜやるのか」よりも、「なぜやらないのか」を考えたほうがいいと思っています。

挑戦やチャレンジを恐れるのではなく、それをしないとキャリアがなくなってしまうという危機感を抱くことが大切だと思います。むしろアジアを見ていくことが当たり前、というような感覚を持った人が1人でも増えてほしいです。