「可能性を0%から1%へ」 教育の機会を平等にするためにチャレンジし続ける橋本博司氏

2016.08.01

「世界の子どもたちに可能性を!」
飲食店経営からキャリアカウンセラーまで様々な経歴を持つ橋本氏。同氏がカンボジアの子どもたちに教育の機会を提供することで、彼らに希望を与えるようになった経緯について伺った。

〈プロフィール|橋本博司氏〉
1978年生まれ。法政大学経済学部卒業。NPO法人HERO代表 兼 株式会社ペイフォワード代表。「旅するように働く」を人生のテーマにカンボジアの教育問題に取り組む。

〈団体概要|NPO法人 HERO
世界各国で経済的・社会的な理由により学校に通えない子どもたちのために、無料で通える学校を作り、各国の現実に応じた学ぶ機会を子どもたちに提供しているNPO法人。
2010年10月にアンコールワットのある「シェムリアップ」から1時間のルサイ村に学校を建設したのを皮切りに、2016年7月現在、カンボジアに12か所の小学校を建設し3500人以上の子どもたちが学校に通うことができている。「可能性0%を1%へ」というミッションを掲げ、世界の子どもたちに希望を届ける活動を続けている。

〈プロジェクト紹介〉
①小学校建設プロジェクト
学校がない、または教室が足りないカンボジアの村に政府に許可された公立の学校を建てることで、教育が受けられない子どもたちに教育の機会を与えている。

②マイクロ養豚バンクプロジェクト
貧困の状況を改善すべくマイクロファイナンスならぬ「マイクロ養豚バンク」事業を立ち上げ、子どもたちが学校に来ることができる環境を創っている。

③医療支援のできるソーシャルクリニック
海外での病院利用のハードルを下げるためにカンボジアで日本人観光客のための病院を設立。病院の売上の一部を使い、農村部の子どもたちのために無料の健康診断や歯磨き教室、栄養のある給食の提供をおこなう。

④スタディーツアー
HEROが建設した学校を訪問。建設を手伝い、子どもたちと交流。その他にも観光を通じて、カンボジアの過去と現在を学ぶ機会がある。

⑤インターン
「カンボジアで72時間以内にビジネスをたちあげろ」という完全実践型ビジネスインターンを実施。

 

ボランティアの限界

HEROを設立した経緯を教えてください。

Hero2

最初のきっかけは、カンボジアの子どもたちとの出会いかな。20歳の時にバックパックでカンボジアを訪れた時に、彼らが急に自分のところに集まってきて「学校の先生が戦争で殺されちゃったから、勉強を教えてほしい」って言ってきたんだよね。

いてもたってもいられなかったから、何人か集めて簡単な英語と算数を教えていたら、子どもたちが先生になりたい、医者になりたいって夢を語りだした。でも、結局彼らは学校に通っていないので、大人になっても読み書きも計算もできない。それでは夢が実現できるわけがない。

当時の自分は夢ややりたいことがなかったので、この現実を目の当たりにしてショックを受けてしまった。そこで学校が無いなら俺が作ってやろうって考えて、その時に手帳に「40歳までにカンボジアに学校をつくる!」って書きなぐったのがきっかけです。

 

カンボジアにはその後も何度か行っていらっしゃったのですか。

初めてカンボジアに行ってから半年後にもカンボジアに行って、植林のボランティアを3週間していた。世界中から15人くらい集まっていたかな。最終日に村のカンボジア人と集まってディスカッションをした時に「木がなくなったらどうしますか?」って聞いたら、「また世界中から来ているボランティアの人が植えてくれればいい」っていう答えが返ってきたんだよね。

そこで初めて現地の人が援助に依存していることを知ったし、ボランティアの限界を感じた。だからボランティアという形じゃなくて、自分が組織を作って、プロジェクトを行う方がいいと思ったし、カンボジアの人々が他の国の援助をあてにするんじゃなくて、自分たちで、カンボジアのことを考えるようにしないといけないと思った。

 

橋本さんはどんな就職活動をされていたのでしょうか。

40歳までにカンボジアに学校を作ろうと目標を立てていたけど、そんな会社はないから、まずは理想の自分になるためには何が必要なのか、全部書き出してみた

書いてみると、語学力、資金、仲間といった感じに20個くらい出てきた。その20個を手に入れることができたら、カンボジアに学校をつくれるけど、一度に手に入らないから、優先順位をつけようと思ったんだよね。

優先順位が一番高かったのが、経営能力。経営の知識と経験、仲間と資金を集める力をつけようと思って就職活動をしていた時に「起業家輩出機関」って謳っている企業に出会った。経営者になりたい人が集まる会社で、当時は、一部上場したばかりでかなりの勢いで成長し続けていたんだ。でも、その会社に入って5ヶ月でやめました(笑)

というのも、結局、経営の勉強をしたかったので、自分で経営するしかないっていうシンプルな思考を持ったから。経営を学ぶために、その会社を辞めてから1年後に借金をして地元の八王子に飲食店立ち上げた。その借金は2年後には返し終わった。

その後にまた、優先順位を見直してみた時に世界を見て回ろうと思ったから、1年間新婚旅行として世界一周してみた。

帰ってきて優先順位を再び見直したら教育と就労支援をしたいなって思っていたんだけど、ちょうどその時にいつもお世話になっている方から連絡が来て「お前はまだ途上国で何かやりたいのか」って聞かれた。「やりたいです」と答えたら、教育と就業支援をするには、企業だと教育研修と採用担当のことだ、一度会社に入って人事の仕事をしてみないか、と言われて、その方が働いている介護系の大手企業に転職することになった。

そこで採用と教育研修の仕事を4年半しながら、HEROを立ち上げた。最初1年間は会社員やりながらHEROの経営をしていたけど、だんだんHEROの活動が忙しくなったから、会社を辞めてHEROに専念した。

 

無料の学校をつくるだけでは、変わらない

Hero4

学校建設を事業内容としているNPOは沢山あると思いますが、HEROさんが他のNPOと差別化している点はありますか。

2つあると思っていて、1つ目は自治体や政府と協力して子どもたちが無料で通える公立の学校をつくっていること。2つ目は、継続性を考えた時に寄付金だけには頼れないので、収益を上げつつ現地の課題を解決できる事業の立ち上げを目指していること。貧困対策の事業として養豚プロジェクト、人々の健康を守るという点でソーシャルクリニック事業もビジネスモデルを組んで、寄付金に頼らない事業を目指しているんだ。まだまだ課題は山積みですけど(笑)

 

-政府と企業、NPO、教育機関が連携することが大切だと思いますが、HEROさんが政府と協力する上で困難なことはありましたか。

あまりなかったと思う。ローカルな教育局は教育省の一番下だから開放的で、話し合いにすぐに応じてくれたので。

そこで許可をもらえれば学校建設と運営を実施できるし、現に我々が実績残すようになると、州知事から依頼がくるようになって事業がスムーズになってきた。

問題点を挙げるとすると、政府として教育インフラの復興に力を入れようとしている一方で、予算が限られているからどうしても都市部に教育インフラが集中してしまったり、地方には、先生の確保ができても、建設費用は出せなかったりする。その事情も理解できるから、僕らは、政府やほかの企業の手が回んないところを支援している。

 

他のNPOとの差別化という点で、学校建設の他にもマイクロ養豚バンクやソーシャルクリニックを事業として取り組まれていますが、それはなぜでしょうか。

無料で通える学校を作れば、機会の平等を生み出せると思ったら、そうじゃなかった。校長先生と話す中で学校に通えていない子どもたちの存在を知った。なぜ無料なのに学校に来ることができない子がいるのか疑問に思っていたが、色んな人に聞いていくうちに、病気とか貧困の問題だということがわかった。

要するに、病気にかかった時に薬を買うことができず、病気が治りにくくなってしまったり、食べ物を確保するために、子どもたちが学校に通わずに食料を探しに行ったりしているという事実があった。

結局は貧困の問題が根っこにあるので、それを解決するために、今までフェアトレ-ドの石鹸作りや、日本の企業と組んで縫製作業所を立ち上げたりもした。しかし、コストの問題や、現地のニーズに合わないといった問題があり、その2つの事業は頓挫してしまった。

その次に目をつけたのが、マイクロ養豚プロジェクト。農村部の人たちに身近な事業と考えたらやはり第一次産業。その中で豚、牛、鶏、魚を軸に現地で調査を行って、豚が一番売値が安定していて、収益が出ることがわかったから、その事業を通じて、所得を得てもらおうと考えた。

ソーシャルクリニックに関しては、病気や不衛生な環境からくる身体の不調が貧困から抜け出せない原因となっているため、そこを解決するために始めた。業務としては、学校で子どもたち向けの定期健診や歯磨き教室を行っている。治療していたらキリがないので、“予防“をメインにして、病気にならない生活習慣を身につけてもらうことを目的にしている。

 

カンボジアに一回行きましょ

Hero3

多くのNPOが資金に困っている中で、HEROさんは資金調達に関してはまったく問題ないように思いますが、どんな工夫をさせているのでしょうか。

設立当初から、個人会員の小さな寄付金よりかは、最低でも一口100万円くらいの規模で企業の社長に営業をしていた。でも、カンボジアに学校立てましょうとか言っても、「なんでカンボジア?」のような反応をされてしまうから、「カンボジアに一回行きましょ」「カンボジア一回見てみましょ」と言って実際に現地に来ていただく方針をとった。

経営者の方々が一緒に来ていただければ、現地の企業の紹介もできるし、カンボジアの魅力を感じてもらえやすい。だから一回現地に一緒に行ったら、ほとんどの場合寄付していただける。去年6月の開校式のときに初めていらした社長も、感動して寄付したいと言ってくださった。

 

私がHEROさんを知ったきっかけがスタディーツアーとインターンシップだったのですが、その事業に関して工夫していることはありますか。

スタディーツアーとインターンシップは夏と春に開催していて、開催の頻度は徐々に増やしていった。

工夫した点は2つあって、1つ目は、あえて学生さんの人数に制限を設けたこと。この夏は参加者が150人くらいを限度に設定した。来年はもっと減らすかもしれない。もちろん、売り上げを伸ばすためには、もっと人数を増やしてもいいかもしれないし、参加者は集まると思うけど、質を高めるため制限を設けている。満足度が高まれば、口コミとかでさらにHEROのことを色んな人に知ってもらえるからね。

2つ目は、今年から社会人向けに短いツアーも開催するようになったこと。春、夏以外で毎月、少人数で来られるような体制にしていきたい。

 

カンボジアへ語学留学!?

HERO②

現時点での課題と今後のビジョンについて教えてください。

課題としては、カンボジアで6万人くらいまだ学校に行けていないことと、小学生の卒業率が47%という低い水準であること。そこを解決するために、学校建設だけでなく、養豚プロジェクトで収入を上げて食料を確保できる状態を作り、医療クリニックで健康を維持できるような仕組みを作りたい。

今後の具体的な方針としては、個人会員を増やすために、日本でカンボジアやソーシャルビジネスについてのイベントを継続して行っていく。

あとは寄付の案件を増やすこと。学校建設は年間3カ所ぐらいはコンスタントに作れるようになってきたから、次の事業を企業に提案していく。今、考えているのが、図書館の立ち上げ。現地の課題を汲み取って、事業化していきたい。そういったことをやって再来年には収益を1億円以上にしたい。それだけの規模を出すために、運営体制も変えていく可能性もあるかもしれないし、新たな従業員を雇うかもしれない。

あと、タイムリーで考えているのがカンボジアでの語学留学。カンボジアで1~2ヶ月間、離島留学みたいな感じでやろうと考えている。講師がいろいろいるから、英語もフランス語もできるし、語学だけではなく、週1度、HEROが運営している村の学校に行って、学校建設に携わったり、子どもたちと触れ合ってもらいたい。

 

カンボジア以外の国で事業をおこなっていく計画はありますか。

ほかの国に展開していくっていうのも大きな目標としてあるけど、どこでやるかは決めていない。自分のライフスタイルが「旅するように働く」だから、自分が居心地のいい環境で働きたい。

例えば、HEROと現地のパートナーどっちをとるかって言われたら、現地のパートナーをとる。それくらい誰とやるかを大切にしている。どこの国でやるよりかは、どの人とやるかだと思う。

 

好きなようにすればいい

最後に読者へ向けてメッセージをお願いします!

キャリアカウンセラーとして働いて色んなアドバイスを学生にも社会人にもしてきたたけど、結局は「好きなようにしてください」につきます(笑)

私が今やっていることも正解かなんてわからない。常にやりながら考えているよ。成長している企業の社長さんでも悩んでいる方ばっかりだしね。何やっても悩むし失敗するから、仕事をするにも何するにも、イヤイヤやるよりは、自分の将来や社会貢献につながっていくことをしていく方が面白いと思うんだよね。だから、みなさんには失敗を恐れずに好きなことをしてほしいですね。

 

取材後記

私は今後、女性の社会進出という切り口から国内外の子どもの貧困やその他の社会問題に取り組んでいくが、今回の取材を通じて、橋本さんから多くの気づきをいただいた。

「学校を建てるだけでは、通えない子どもたちがいる。就労支援と健康がセットで初めて教育の機会の平等が実現できる。」この言葉を聞いて、あらゆる社会問題を解決する際に、何がボトルネックなのかを追及するこの大切さを学ばせていただいた。

私も橋本さんと同様に「機会の平等」を創りだし、子どもたちの多くの可能性を引きだしていきたいと思う。

 




ABOUTこの記事をかいた人

井上良太

中央大学商学部経営学科卒業。大学2年の夏にカンボジアに訪れたことがきっかけでASEANや教育、国際協力に興味を抱くようになる。 3、4年次のゼミでは社会問題を事業で解決している社会的企業を専攻し、インドネシアの社会的企業とのネットワークを広げていた。 現在は株式会社パソナの社員として雇用を通じた社会貢献の方法を勉強中。 将来は国内外で社会的企業のプラットフォーム作りに関わりたいと考えている。