2016.01.20
プノンペンに住みながら様々なプロジェクトを手掛けるデザイナーの中村英誉氏。彼は、バックパッカーとして世界を海外を周り、新卒でイギリスの会社に就職。デザイナーとして多方面で活躍しながら行き着いたのは「社会貢献」×「クリエイティブ」という分野である。彼の今までと想いを取材した。
《プロフィール|中村英誉氏》
株式会社HIDEHOMARE代表取締役 任意団体 SocialCompass代表 JC Enter-Media 共同設立者
2004年卒業後、単身渡英。 ロンドンC.H.A.S.Eアニメーションスタジオにてディレクター・キャラクターデザイナーとして3年間勤務。2007年帰国後、フリーランスとして、ショートアニメ・iPhoneアプリなどのデザイン・企画に関わる。2009年12月株式会社HIDEHOMARE設立。 2010年3月東大内ベンチャー企業の株式会社フィジオスのアートディレクター就任。フィジオスアートディレクターとして米国シリコンバレーのビジネスコンテストiEXPOにて最優秀賞を取得。シェアハウスのポータルサイト・東京シェアハウスのデザインを担当。2009,2010年と韓国アニメーション・コンテンツフェアAEC招待。2012年よりJC Enter-Mediaを立ち上げ、カンボジア・プノンペンに渡り、現地デザイナー育成をしながらデザイン・IT・映像案件などを手がける。社会貢献×クリエイティブデザインをコンセプトにキャラクターコンテンツ「アンコールワッティー」を発信したり、プノンペンでプロジェクションマッピングなどを企画中。
新卒でイギリスに就職→日本でフリーランス・起業→カンボジアに移住!
—現在カンボジアに住まわれている中村さんですが、はじめてのカンボジアとの出会いを教えてください。
元々戦場カメラマンに憧れていました。ジャーナリズム観点で世界を見ようと、学生時代はバックパッカーとしてアジアを旅していたんです。
15年ほど前にカンボジア来たことがあるのですが、道を歩いているときにカンボジア人の女性が「I’m みさえ」と話しかけてきました。どうやら、カンボジアでは『クレヨンしんちゃん』の知名度が高かったようなのです!言語もわからないのに日本のアニメでコミュニケーションを取れていることがすごいと感じました。
元々フォトジャーナリズムに興味があったのですが、そんな体験もあり、次第にアニメーションに関心が移行していきましたね。
ー卒業後はどうされていたのでしょう?
大学を卒業してから3年ほど、ロンドンのアニメーションスタジオで働いていました。イギリスでは英語が話せなくて大変だったし、食事はおいしくないし、物価も高いし、とても苦労したことを覚えています。
27歳の時に日本で働く経験もしたかったので、帰国をして『鷹の爪団』のアニメ・映画を作っていた会社に転職をしました。
—なぜそのタイミングで帰国を決意されたのでしょうか?
そもそも3年を区切りとしていたこと、あとは30歳を超えたら日本で上司に怒られにくくなるでしょう?日本と海外だと文化が違いますし、研修も受けていなかったので、日本での働き方がわからない状態です。
今でも当時の上司から言われることがあるのですが、「中村君はホントに空気読めなかったよねえ…。」って(笑)。イギリスだと発言しないとダメな世界だったので、最初は日本に順応できずにいましたね。
ーなるほど......。その後はどうされたのでしょう?
1年働いたあと、フリーランスとして仕事を受けていくことに。当時iPhoneの出始めの時期だったので、勉強をしてiPhoneアプリデザイナーと名乗って仕事を受けていました。
東大発ベンチャーや、おもちゃメーカー・テレビ局などから仕事を受けて働いたり、シリコンバレーのエンジニア系のピッチで入賞したり。色々な経験をさせていただきました。
2011年、東日本大震災が起こります。日本が嫌になったわけではないのですが、イギリスで3年、帰国して4年経っていて住む場所を変えたいなあと思っていたときで。
その時期に、「カンボジアで仕事しないか?」という話があって、軽い気持ちで行ってみました。
当時からプノンペンにはWi-Fi・コンセント完備のカフェが多かったですし一日中いても冷たい目線を浴びないし。「ノマドワーカー*の天国だなあ。」と思って、そのままカンボジアに移住して仕事をするようになりました。
*ノマドワーカー・・・近年、IT機器を駆使してオフィスだけでなく様々な場所で仕事をする新しいワークスタイルを指す言葉として定着した。英語で「遊牧民」の意味。参照:コトバンク
(シェムリアップの自立支援施設NCCC訪問の際の簡単なアニメーションのレクチャー。)
「カンボジアは支援の対象から抜けだなきゃいけない時。」
—カンボジアに来てどんなことをされているのでしょうか?
色々なプロジェクトに関わっています。
JICAさんと一緒に、洪水対策用の地下施設でプロジェクションマッピングを上映するために動いていたり、アンコールワットくんというキャラクターを作って、カンボジアで忘れられかけていたクメール体操というのを復活させて、現地のテレビ局での放映までこぎつけたり。このキャラクターに関わるクラウドファンディングに取り組むこともしていました。
いわゆるオフショア開発では、人件費の安い国で日本人がやらない単純作業をアウトソースしているケースが多いと思いますが、私は、カンボジアでしかできないクリエイティブなことをしていきたいです。
(2015年6月に行われたプロジェクションマッピングの様子。ソーシャルコンパスのメンバーと共に。)
カンボジアって、ダイアナ妃が地雷撤去をしていたし,日本のPKOとして自衛隊が派遣された初めての国であるし、「ボランティア」とか「チャリティ」とかが使われ始めた最初の国なんじゃないかって思うんですよね。けれど、プノンペンを見てもらうとわかると思うんですけど、もはや「支援の対象国」から抜けださなきゃいけないフェーズなのではないでしょうか。
そのためには、デザインの力が必要なのだと思っていて。カンボジアが完全に自立をして自国のクリエイティブで何かを生み出すことができれば、「支援の対象国」というイメージを払拭することができるし、今支援の対象国となっているアフリカのような国々に対してのモデルケースになることができるはずですしね。
—カンボジアで働く上での面白いことと大変なことってどんなことでしょうか?
1番面白いのは「人」ですね。
うちのスタッフで、26歳くらいのカンボジア女性が働いてくれているのですが、彼女の成長が目に見えてわかるのです。徐々に責任感が芽生えてきていて。
また、“カンボジアだから大変“ということはないですね。
例えば、自分が苦手なことをすぐにやらなくてはいけない時にはとても苦労しますが、それはカンボジアに関係なく“働く”という上での大変なことですから。ただ、変化が激しいので、この前までOKだったものは、今日OKじゃないこともあります。けれど、そんなことを気にせず働いていくしかないですよね。
—直近でこんなことをしていきたい、という想いはありますか?
今は、1個ずつ目先にあるプロジェクトに取り組んでいくことに注力していきます。
社会貢献を続けていくべきなのかわかりませんが、この分野においてのクリエイティブをもっと追求していきたくて。「社会貢献」×「デザイン」の可能性を掘り下げていくような活動は続けていきたいですね。
その国は、カンボジアだけじゃないかもしれないし、バングラデシュとか中東になるかもしれないし。
(クメール体操のアニメーションを見ながら体操をするフリースクール・愛センターの子供たち。)
移動距離が長ければ長いほど、能力は上がる。
—中村さんの思う、将来ありたい姿ってどんなものでしょう?
日本に住む、カンボジアに住む、とかではなくて、もっとフットワーク軽くありたいです。それは、ぼくもスタッフも含めて。例えば、昨日はカンボジアで今日は日本、そして明後日はニューヨークというように、その先々で仕事にも社会貢献にも繋げていきたいと思っています。
人って、みんなスペックが違うじゃないですか。じゃあどうやったら最大限に上げられるようになるのかと考えた時に、移動距離が長ければ長いほど、能力は上がっていくと思うんです。豊臣秀吉とか坂本龍馬とか、歴史に名を残す人って移動距離多いですよね。ユダヤ人や華僑の人たちも優秀な人が多いイメージもあります。
ずっと同じ場所にいるよりも安心感が無いので、自分の頭を使わざるを得ないのかなあと思っています。だから、移動し続けるようなライフスタイルが理想ですね。
—「アイデアは移動距離に比例する。」という有名な言葉もありますよね。それでは最後にメッセージをお願いします。
20代の頃から未だに思っていることがあるのですが、よく「失敗を恐れずに挑戦しろ」って言われるけれど、失敗したくないじゃないですか。経験上、少なからず言えるのは、どう進んでいっても失敗はつきもの、どうせ失敗するのなら好きなことやったほうがいいということです。
わざわざ苦労をしようとするのではなく、苦労をしないように努力するのが、成功への近道だと思います。
何が起こるかわからないし、無理して海外に出ろとは言いません。単純に、やりたいことがあるのであれば、やってみたらいいのではないでしょうか?
【編集後記】
「昨日はカンボジアで今日は日本、そして明後日はニューヨーク。」中村さんが目指したいと思うこのような働き方、いわゆるノマド(遊牧民)は、これからのスタンダードになっていくはずだ。これだけインターネットが発達し、どこでも仕事ができる現代。そして、「支援の対象国」のイメージが強いカンボジアも、プノンペンともなればカフェがたくさん立ち並び、仕事するのに困らない環境がそこにはあるだろう。
ノマド的働き方を実践したいのなら、リビングコストの低い東南アジアを選ぶのも面白いかもしれない。