今回は「ASEANで働く、その先へ」第6弾です!
これまで、アセナビではASEANで働く方を中心にインタビューをし、ASEANのリアルをお伝えしてきました。この特集ではASEANでのキャリアを積んだ後に日本に戻って活躍している方やASEANで更に活躍している方に焦点を当てています。彼らが、ASEANでどのようなキャリアを積み、現在どのようなことをされているかについて発信していきます!
《プロフィール|角森智至氏(つのもり さとし)》
1987年生まれ、島根県出身、文化服装学院バッグデザイン科卒業。2009年 株式会社土屋鞄製造所入社。1年間ランドセル製造の経験を経た後に他社メーカーへ出向。2012年、土屋鞄製造所へ戻り革小物チームの責任者に就任。2013年、 タイの他社メーカーへ出向。通算8ヶ月タイのワーカーと共にOEM事業を経験。海外工場で革小物の生産指示を経験。帰国後、土屋鞄の代表的な製品「OTONA RANDSEL」の生産責任者を務め、計画、調達、管理など製造に関わる全ての業務を経験。同年12月に退職し、2017年から自身のバッグブランド「objcts.io」の立ち上げ準備中。
作り手と管理する側の経験
ー最初に、なぜかばん職人になろうと思ったんですか?また、土屋鞄に入った経緯を教えてください。
実家が呉服屋で、幼少期から着物に囲まれて育ちました。中学生の時に「どうせ社会に出て仕事するんだったら、自分のルーツに関わる仕事をしたい」と考え、ファッション業界に行ってみようと思って文化服装学院に入学しました。
最初の1年に靴とカバンと帽子とジュエリーの4つを学べる課程があったんです。それぞれ勉強してみて、一番楽しいと思えるジャンルに絞ろうと思って、その結果カバンを選びました。カバンが一番自由だったから。
学生の時から土屋鞄に行きたいと思っていました。いずれはブランドの立ち上げに携わりたいなと思っていたので、若い人でも責任ある仕事をやらせてもらえることと、急成長している会社がいいなと思ったときに、どちらも土屋鞄が当てはまったんです。
ー土屋鞄でのキャリアを教えてください。
本当にいろんなことをやらせて頂きました。本当に感謝しています。
1年目の前半はランドセルを作る側にいて、後半は生産しながら指示出しをしていました。次の年には日本の他社メーカーへ出向して、2年くらい革小物の製作を経験しました。その後、土屋鞄に戻って革小物チームの管理者を経験した後、2013年タイに生産工場を持つ他社メーカーへ出向する事になりました。土屋鞄製造所に入社してから退社するまでの7年9ヶ月の間に2回の出向を経験したので、環境が全く違う3つの会社で仕事をさせて頂く事が出来ました。
タイの工場は 自社ブランドを持っている工場ではなく、いわゆるOEMと呼ばれる業態で他社製品を作っているメーカーさんなのですが、今まで作らないようなものを作っていたんです。現地で生産を完了させる事と、他社ブランドの生産経験を積み、自社では得られない知識やノウハウを得るための出向でもありました。
管理側でしたが、もちろん自分でも作業してました。タイには通算8ヶ月滞在していて、帰国後は土屋鞄製造所の革小物チームの管理者をして、最後の1年は『OTONA RANDSEL』の製造責任者を経験させて頂きました。
ータイでの仕事・役割について詳しく教えてください。
役割が二つあって、もちろん生産の指示を出して納期通りに終わらせる事が重要な役目でしたが、僕がいなくても生産を回していけるようにリーダーとなる人を育てる、という役割があったので、タイ人スタッフ2名の育成も担当していました。
ータイでの生活やコミュニケーションはどうしてたんですか?
コミュニケーションは、最初は身振り手振りというか、「もう俺がやるから同じようにやって」という形でやっていました(笑)。彼らもその雰囲気で感じ取ってくれていましたが、僕も言葉の勉強をしないわけにはいかないので、ちょっとした単語や数字を覚えるよう努めました。
すると雑音だったタイ語が少しずつ、なんて言ってるのか分かるようになって、仕事で使う簡単なタイ語は理解できるようになりました。
思い出深い出来事は、生産がギリギリに終わって疲れた顔でお昼ご飯を食べていた時に、ワーカーさんが「お疲れ様!」って言ってコーラを買ってくれたんです。彼らってたくさんのお金をもらってるわけではないのに、自分のお金をはたいて僕にコーラを買ってくれて。
仕事を終えた達成感と、皆とちゃんとコミュニケーション取れていた事を実感出来たのが嬉しくて、ちょっと泣きそうでした(笑)。
ータイで良かったことと悪かったことを教えてください。
良かったことは、工場が70人と大規模だったので、そういうところで仕事をするっていうのはスピード感があってすごく良い経験でしたね。少し判断を間違えると大量の不良品を生み出してしまうプレッシャーの中で素早く綺麗に生産するための流れや人員配置を考え、実行し、成功と失敗を経験出来た事は非常に良い経験でした。
母国語が通じない相手に、出来なかった事を出来るようにさせてあげられた事で感じた喜びも日本では得られない経験だったと思います。
タイは男性と女性の境目がほぼない国で、LGBTと呼ばれる人達と仕事をする事は普通だったので、そういう環境で仕事をすると皆がお互いの性を認め合っている姿を見かける事があります。これもとても印象深い経験でした。
悪かったことは正直あんまりないです。一個あげるとしたら、居心地が良すぎて、多分何年もいたら腐っちゃう。ちゃんと自分はなんのために来てるんだ、とか、その経験を経て何をしようとしているのか、というのが明確にないとダラダラしてしまう環境だなと思いました。
また、タイでメンタルを鍛えられたのも良い経験でした。納期を守れなかったらスケジュール変更をしなくてはいけないんですけど、それはつまり膨大な手間とコストを被ってしまう事なのです。そんなプレッシャーの中でやっていたので最後までやり抜くための精神力を養う事が出来たなと感じています。
タイの生産では、結果的に間に合わなかったことってないんですよ。そこでの成功体験があったから、その後きつい時期があった時も、「しんどいのは今だけだ」と思えるようになりました。
自分のブランドを持つこと
ー現在は会社を離れ、独立してブランドを立ち上げられようとされています。いつ頃からそう思ったんですか?
数年前に、友人とガジェットの話をしていたときに、ガジェットに対して優しくて、格好良いカバンって少ないよねっていう話になったんです。Macbookなど日常的に使用されているガジェットはもちろん、マニアックなガジェットに対しても、面白いアクセサリを作ったりしたらウケるんじゃないかって話になったんです。ガジェットは年々すごいかっこよくなっていってるのに、それを入れるカバンに機能的でかっこいいものがない。じゃあ、機能性とファッション性をちゃんと併せ持ったかばんを作ってみようよ、という話になったんです。
プロトタイプを作るなど、どんどん起こしていった行動が実現化していって、「じゃあほんとにやろうか」となったのが去年(2016年)です。去年、ちゃんとブランドとしてある程度展望を持って、どうなるかわかんないけどブランド運営してみようかとなり、去年末で会社を退職しました。ものづくりを起点にブランドを始めるというのは、土屋鞄だからこそ得られた視点だと思っています。
ーブランド立ち上げは、タイでの経験とつながっていますか?
もちろん、つながってます。タイに行った当時、海外生産=あんまり品質の高くないもの、というイメージがすごくあって。やっぱりそういうものを生み出している人たちも、それ相応の技術の人たちなのかな、と思って行ったんです。
でも、それは全然違っていて、優秀な人がたくさんいたんです。ワーカーさんって、何かものを作る工場に入ったら、それに携わる仕事をずっとしていく人が多いので、仕事をこなしている量が違いました。経験の厚みが違うんですよ。
その時に思ったのが、海外製品に対する品質というか、そもそも品質の良さって何なんだろう、と。クオリティーに関する価値観が変わったんですね。ワーカーさんたちは優秀なので、彼らに動いてもらって、何を生み出すかはもう管理側の責任だなと思ったんです。品質に対する新しい価値観を追求しなきゃいけないと気付かせてくれました。
適正価格を求めて
ーこれからのビジョンを教えてください。
最初は日本で販売すると思うんですけど、早いうちにアメリカでも販売したいなと思っています。アメリカでは、ファッション系のスタートアップがたくさん出て来て、ファッション業界に大きな影響を与えているので、そういう影響力のあるブランドに成長出来たらと思っています。ちゃんと積み上げるものは積み上げて、いけるなと思った時には、リスクを背負ってでも成長を求めていきたいです。
ー今若い人で東南アジアで働いてみたいと思っている人に、東南アジアに飛び込むことはオススメしますか?
絶対いい経験になると思います。僕が品質や製品に対する価値観が変わったのと同じように、何か自分の価値観に影響を与えてくれると思うので。
もしアジアへ行く機会があるのなら、できるだけ現地の人しかいない場所に飛び込むことが大事かもしれません。日本人ばかりいる環境だと、どうしても日本人同士で集まっちゃって、結局日本にいる時とあんまり変わらない、ということが起きがちです。できるだけ現地の人が入るようなところにそのまま入る事で、日本では経験出来ないような体験が出来ると思います。
ー角森さんにとってのASEAN(タイ)を一言で!
自分の周りにあるモノ。品質の価値観を変えてくれた場所。本当の適正価格ってなんなのっていうところを追求しなきゃいけない。適正価格に関してもう一回自分なりの答えを出さなきゃいけないな、と。本当にいいものってなんだろう。いいものを低価格で提供したいんじゃなくて、いいものを適正価格で売りたい。価値と価格のバランスが取れた製品を提供出来るよう努力していこうと思っています。
こういう理由でこういうフローが築かれているからこういう価格でこういう品質が実現できているんです、っていう透明性が大事だと思います。海外の工場にも優秀な人はたくさんいるので、その人たちにどういう意識で動いてもらうかは管理側の問題で。僕らが伝えようとしている事を理解し、具現化しようと努力してくれる人たちがいるチームに自分達の製品を作ってもらいたい。それも現場で実感しました。
取材後記
今回「職人」という立場から東南アジアでのお話を伺い、今までとはまた違った東南アジアを見ることができ、とても興味深かった。自分自身も海外の工場=品質がよくない、というイメージを持っていて、あまりよく思っていなかった。しかしそれは、角森氏がおっしゃっていいたように、透明性を作ることは企業側の努力次第で、海外のワーカーさんたちをいかに輝かせるかは管理側の責任であることを理解することができた。東南アジアのこのような「負のイメージ」を見つめ直していきたいと強く感じた。