前回の取材が2015年の3月。ベトナムで20年以上オフショア開発業界を牽引してきたIVS Co., Ltd.(インディビジュアルシステムズ株式会社)代表の浅井崇氏 氏を取材した。
前回の取材から約3年が経過した今、浅井氏はベトナム市場の変化やIT事業の未来をどうとらえているのか。急成長を続けるベトナムIT市場で活躍する浅井氏を再び取材をした。
≪プロフィール|浅井崇氏 氏≫
兵庫県神戸市出身。花園大学文学部史学科卒業し、ハノイ総合大学へ留学する。1997年ホーチミンに赴任するもアジア危機の影響でベトナムから撤退し、父親と神戸にて一品料理屋を開店する。しかし2000年になり再びホーチミンに戻りITベンチャーへ参画する。
2002年にIndividual Systems Co., Ltd.を設立し、代表取締役としてオフショア開発およびシステム開発に従事する。現在はホーチミン兵庫県人会、ひょうご国際ビジネスサポートデスクホーチミンにて役職を兼任する。
≪会社紹介|IVS Co., Ltd.(インディビジュアルシステムズ株式会社)≫
2002年ベトナム・ホーチミン市にて設立。当初は優秀なベトナム人ITエンジニアをターゲットに日本語教育クラスを開設。以降日本企業向けのオフショア開発およびシステムインテグレーション事業を展開。ベトナム日系IT業界を代表するリーディングカンパニー。
IVS Co., Ltd.のHP:https://indivisys.jp/
目次
オフショア開発に変革を!人月単価ではない仕事の請け方へ
ー前回のインタビューから約3年が経過しました。現在の事業方針はいかがでしょうか?
うちは2つビジネスがありますが、その1つが日本からのオフショア開発です。オフショア開発とはシステム開発のコスト削減や要員を確保したい日本企業の代わりに弊社がベトナムで請け負って開発するというものです。これは中国に続いて今変革期に入ってきていて、将来的にオフショア開発における人件費の上昇などの原因により、ベトナムからの提示価格と日本からの発注価格がつり合わなくなっていくことが懸念されています。
ーオフショア開発の人件費は実際に、いくらかかるのですか?
はじめにオフショア開発の背景についてお話すると、オフショア開発というのは日本から海外に仕事を依頼することで、韓国から台湾、インドの順に発展していきました。当時は1人のエンジニアが月20日間働いた分の対価として、オフショア開発会社が決めた人月単価を依頼主から受けるという仕組みでした。
例えば、オフショア開発の会社が「うちは人月単価いくらいただきます。」と提案し、これに対して依頼主が「高いな、安いな、出そうかな、出さないでおこうかな」と判断した後に支払いをするということです。しかし次に中国へ移ったとき、全て取引において単価相場制になりました。それが、人月単価が日本の3分の1程度の中国式オフショア開発です。もともと私たちがやってるベトナムのオフショア開発というのも、中国から始まったもの、要するに中国式オフショア開発です。
ーオフショア開発における人件費はここ数年でどのような変化があったのでしょうか?
2013年の上半期にアベノミクスによって円安誘導が始まってからは、オフショア開発の会社は円安に苦しめられるようになりました。実はここで大きな変革期を迎えました。それが中国の上海、北京、大連の相場が大きく跳ね上がった2013年半ばです。これまでオフショア開発のしきい値がどこにあるのか誰も知らなかったため、どこまで単価が上がってしまうと中国にオフショア開発の仕事が出せなくなるのかというデッドラインを実は誰も知りませんでした。しかし実際に中国がある一定ラインを超えたとき、依頼主であった東京の会社が「もう出せない」と言ったことで初めてオフショア開発における境界線が引かれたのです。
ーこのような変化の中で、浅井さんはどのような対応をしましたか?
私たちが2013年の半ばから何をしてきたかというと、ベトナムにおけるオフショア開発の相場・私たちの会社の単価がいつデッドラインになるのかを逆算して考え、事業を展開させてきました。デッドラインを超える日をXデーと仮定し、これまで一生懸命やってきましたね。
ーそもそもなぜ中国式オフショア開発が基準となっているのですか?
中国式オフショア開発っていうものの骨子は、日本が国内で出していた外注の出し方と同じやり方に中国人が従ってくれることなんです。日本はただ今隣の会社に渡してたものを中国に渡した時に、中国さんできますか、できませんかという話です。それに対して中国の方は漢字をベースに日本語も覚え、一生懸命に頑張りました。だから、このオフショア開発がまかり通ったんです。しかし中国がしきい値を超えてしまったために、一挙にチャイナプラスワンであるベトナムでのオフショア開発が進んだのです。なぜベトナムかと言うと、次にオフショア開発地となれるのが中国式オフショア開発をそのまま引き継ぐことのできる国であって、唯一すべての条件が揃っていたのがベトナムだったからです。
-ベトナムとオフショア開発にはそのような関連があったのですね。
私がベトナムで会社を創立した2002年、単価相場制では人月単価は20万円程度でした。しかしアベノミクスが始まった2014年年末に向けてもう一段円安が来た時に大変苦しい状況に追い込まれました。コストと為替の影響で利益が出なくなってしまったからです。
だから私たちは、コストの積み上げと我々の将来性と将来給料の人件費の上昇率などを掛け算しシミュレーションしたもので人月単価を再計算したんです。今の中国の相場と比較すると、まだまだ我々の相場は競争力がありました。
しかしながら実際問題、我々は単価相場制から脱却しなければならないと思っています。1つ例をあげるとするならば、日本の企業ってシリコンバレーの会社に高いお金を支払ってまで外注出していますよね?なぜなら、お金を出すほどの価値がそこにあると思っているからなんです。それと同じように、我々が特化した価値あるものに対して単価相場制は関係ないと思っています。要するに、中国の後追いで中国式オフショア開発を今後続けていく必要って実際ないんですよね。したがってオフショア開発の目指す方向性は、人月単価ではない仕事の請け方に変革をすることだと私は思います。
システム開発を展開せよ!日系企業10%のシェアを越えるために
ーもうひとつのビジネスとされる、ベトナムにある日本企業向けのシステム開発についてはいかがでしょうか?
私たちはオフショア開発だけでなく、特に日系企業に対してシステム開発もやっています。
具体的に、ベトナムの法令に準拠した給与計算や勤怠管理のパッケージシステムなどを提供しています。現在ベトナムの日系企業は全部で2600社ありますが、うち10%の企業と取引をさせてもらっています。システムの導入ではトップシェアだと思います。
ーベトナムに進出する多くの日系企業さんへ貢献されているのですね!
システム開発が面白いのは、この市場拡大にあると私は思います。日系企業の中でシステムが入っていない会社はまだまだたくさんあるということです。我々はこの日系企業を網羅する必要がありますし、新たなシステムを開発する必要があります。例えば工場の場合、主要となる生産管理システムだけでなく、会計システムや人事給与システムも必要ですよね。
システム開発の業界地図があるなら、その白地図はいつまでたっても埋まりません。ましてや日系が終わると非日系、他の外資系それからローカル全部広がっていきます。ベトナム1カ国だけでものすごく大きいです。ましてやこれは他国に横展開していくと可能性は無限大に広がりますよね。
このように加速してスケールしてくるので、これから一斉に事業計画をドライブさせることだってできると思っています。
ただ我々の会社として現状の進むべき方針は、やはり日系企業さんの支援です。ベトナムに出てこられた日系企業さんがシステムを活用していないことを理由に損をしているなであれば、我々が支援することでベトナムでの業績を上げられるようにします。それから将来はIoTやAIをベトナムのマーケットに展開して行こうと考えています。
私には15年計画という人生設計があり、最終的には地元の兵庫県に繋がるようなビジネスをしていきたいと思っています。そのために、このビジネスに続くような活動をしていきたいと思います。
最小単位は40人!組織が成り立つために必要な数
ー兵庫県といえば、浅井さんはホーチミンで兵庫県人会で活動もされていますよね。
そうですね。私を含め兵庫県出身者の約220人が参加しています。2007年に始まり、どんどん人が増えていったというところでしょうか。ただ基本的には在住者ってほとんどいないので、2年か3年で人数は変動してしまいますが。
そんな中で日本人同士の集まりを作る時に、最小単位は40人だといつも言っています。つまり、40人集められない集まりは作るべきではないということです。そうでないと1年も経てば、メンバーが抜けて入ってを繰り返すうちにチームは空中分解するんですよね。これは実は組織論でもあって、社長が1人で見れる社員の数って言われているんです。40、40、40、40とチームが4つ集まって160人のピラミッドになるんですよ。私の経験論からみても、40という数字は結構大事なボーダーラインだと思います。
ーこの考え方って実際に会社の組織作りを考える際にも活用できますよね!
そうですね。おかげさまで現在、弊社は250名以上にまで拡大しました。0と言うか、1から会社作るにあたって、その中でやっぱり1つ40を超えたっていうのは、組織として1つ大きく成長したという意識がありますね。
今を生きろ!日本の若者があるべき姿とは
ーインターンシップを通して多くの学生を支援してきたとお聞きしましたが、学生がインターンシップに参加する上で大切なことは何ですか?
極論を言えば、海外インターンで選んだ企業に将来就職するべきです。しかし現実問題、それは学生にとっても受け入れ側としても簡単なことではありません。
したがって1番良いのは、学生側はまず休学すること。10ヶ月程度を長期インターンシップに費やすことです。そして学生側と会社側それぞれの負担を減らすような国の助成金が入ること。このようなベストシナリオがあるべきですね。
さらに長期インターンシップの内容についても、ただの雑用業務ではなくモデルケースをいくつか用意するべきたと思います。だからこそ学生側は、私はここまでの仕事をします、私はこういう経験がしたいですってまず自分が何をしたいのか固めた上でインターンシップに参加すべきだと思います。
ー最後に日本の若者に向けてへメッセージをお願いします。
学生の間にできるだけ海外を経験してください。海外インターンでもいい、何かカリキュラムに参加するのでもいい、個人的にバックパック背負って回るでもいいです。そうすれば自分の中で海外に対する感じ方や自分の意見ってまとまるんです。この感覚を持って日本の企業とくに大企業入れと私は言います。なぜなら学生の時点で自分が本当にやりたいことが明確に見つかるとは思わないからです。しかし将来、海外で就職するのか、日本で起業すのか、もしくは海外で起業するのかはあなた次第です。要は、本当にやりたいことがあるかないかが大事なんです。
経営者は綺麗事を言います。綺麗なビジョンを決めて、綺麗な目標立てて、綺麗なゴールを描きます。なぜなら、それさえも果たせない会社は社会的な制度の中で成り立つことができないからです。このビジョンや目標というのは組織が本当に思っていること、まぎれもない事実です。
夢とか希望とかビジョンとか社会貢献とか、これは経営者としてやっていく上で必ず身につきます。なぜなら会社経営において必ず問わないと成り立たないからです。だからこのゴール設定は後回しでできるんです。それよりもがむしゃらにやること、人よりも努力すること、本当に自分がやりたいことを問うことの方が大事だと思います。それが達成できればビジョンは必ず明確化され、次にこのビジョンに賛同する人がついてきます。それが会社経営というものです。だからこそ、学生さんには大きな志を持っていてほしいですね。何かをやり続けてたら、きっといつか実現しますから。
編集後記
「あなたの夢は何ですか?」
この問いに明確な答えを見出すことが出来ない学生は私を含め、日本にはたくさんいると思います。この取材で浅井さんは「ビジョンや目標というのは、もっと現実的なことにある。」と私たち学生にメッセージを残しました。この言葉から、自分が今本当にやりたいことが何かを理解し、それに一生懸命になれる事こそ、自分のビジョンや目標のスタートになるのだと感じました。
ベトナムから日本へ一時帰国中のお忙しい中、二度目の取材を快諾して頂きました浅井崇氏さんに心より感謝申し上げます。