あなたは開発メディアganasをご存知だろうか?
「途上国を知る。世界が広がる。」をモットーに、途上国で起きている現実を伝えていくwebメディアである。今回はこのメディアの編集長である長光氏を取材し、途上国の中でもASEANでの経験について、そして ”ganas”にかける思いをお聞きした。
《プロフィール|長光大慈 (ながみつ だいじ)氏 》
NPO法人開発メディア代表理事、開発メディアganas編集長。上智大学卒業後、タイとフィリピンで日本語メディアの立ち上げに参画。日本に戻り、電力業界紙の記者を経てフリーに。青年海外協力隊としてベネズエラで活動した経験をもつ。これまでに住んだ外国は5カ国、訪問したのは40カ国以上。ハンモックのコレクター。座右の銘は「Enjoy life’s adventures」。
ASEANとの出会いと原体験
−長光さんは、海外就職や青年海外協力隊、フリーライターのお仕事などASEAN以外でも様々なご経験をされています。本日はアセナビの取材ということで、ASEANとの関わりを中心にお聞きしていきたいと思います。
まずは、ASEANとの出会いについて教えてください。
はい。ASEANとの出会いは1989年、大学1年生の頃にさかのぼります。
先輩に誘われたのがきっかけで国際交流サークルに入りました。そこでは、大学の提携校から来日するフィリピン人と交流する機会がありました。私は高校時代、アメリカに住んでいてアメリカ文化にはどっぷり浸かっていたという経緯があるので、日本に来ることができる裕福な、いわゆるアメリカナイズされているフィリピン人とは気が合いました。お互いアメリカの影響を受けているので通じるものがあったんだと思います。交流していくうちに、フィリピンという国自体に興味を持つようになりました。
大学2年生になってからはアジア関連やタガログ語の授業を取り、フィリピンを始めとするアジアに関する知識を蓄えていました。そして3年生の時、満を持して初めてフィリピンへ渡航しました。
現地ではマニラ(マカティ)、セブ、ネグロスなどで友人の家にホームステイしました。そうした家は高級住宅街にあったので、家はキレイだしお手伝いさんもいるし、たまに停電する(マカティは当時1日8時間計画的に停電した)こと以外は快適に過ごすことができました。
しかし、スラムにある家にホームステイした時には、その部屋の狭さや衛生状況の悪さに衝撃を受けましたね。家にトイレが無かったので、用を足す時には紙にくるんで、それを外に投げるだけで済ませていました。
裕福な環境と貧困、同じ国とは思えないほどのギャップの違いを経験し、とてもショックを受けました。でも同時に、フィリピンやアジアの国々に強い興味を感じたんです。
それからというもの東南アジアをいっそう好きになりましたね。
—具体的に、東南アジアの好きなところは何でしょうか?
人が優しいところです。
初めてタイに行った時に、アユタヤで地図を買おうとしたら、店員の女の子が「バイクで案内してあげる」って呼びかけてくれたんです。
他の日にも、カンチャナブリに行ったら観光ツアーをしていたタイ人がバスに乗せてくれて、途中まで連れて行ってくれたんですよ。
どちらもお金を請求されることはなく、本当に善意でしてくれたことでした。
同じようなことをマレーシアでも経験して、「アジアはなんて良い地域なんだろう」と感じましたね。
高校時代を過ごしたアメリカでは、日本人なのにアメリカ人のように振る舞って無理をしていたという記憶が残っていましたが、アジアではみんなが優しくしてくれたので、惹きこまれていました。アジアもアメリカも、同じ「海外体験」ではありましたが、相対的に比較した時にアジアの良さ、人の優しさが際立って、印象に残ったのでしょうね。
20年も前に“ASEANで働く”を経験!
—大学卒業後のことを教えてください。
就職する時に、「書くこと」と「東南アジア」が好きだったので、出版関係で仕事を探していました。そこで、香港に本社(1994年当時)があって、香港とマレーシア在住邦人向けのメディアをやっている日系の会社に就職することになりました。
就職して1ヶ月ほどで、その会社がタイで現地法人を立ち上げることになったので、一人で現地に向かい、立ち上げを行いました。
今から20年ほど前にはウェブメディアはなかったので、FAXを使って現地の日系企業に発信をするメディア事業をしていました。具体的な内容として、タイの政治・経済や貿易のこと、社会ネタなど。タイに住んでいる日本人は外国語ができない人が多かったので、タイでの情報源が少なかったんです。タイで何が巻き起こっているかを知らせることによって、ローカルの従業員ともコミュニケーションを取ることができるし、駐在員は本社への報告書を書けたわけです。
—立ち上げで大変だったことは何ですか?
今みたいにインターネットが無い時代なので、どうやって会社を設立すればいいのかが全くわかりませんでした。バンコクにJETROの事務所があって、そこには図書館もあったので、そこに行ってタイの会社法が翻訳された資料などを見て勉強していました。コピーはできなかったので、毎日行っていましたね。
ジョイント・ベンチャーのパートナーをどうやって探すかというところや、事務所を借りること、電話回線を確保することなど、大変なことがたくさんありましたが、現地にいる人に聞きまくってなんとかすることができました。当時24歳、バンコクにいる日本人の若者は少なかったので、現地にいる人にお話を聞いたりごちそうになったりと、とてもお世話になりましたね。
—タイで働いたことについて、どう思いましたか?
楽しかったですね!東南アジア好きだったので、夢のようでした。
公共料金の支払いとかめんどうくさいこともありましたが…(笑)
もし日本で働いていたとしたら、一年目なので自分で決断できないし、帰る時間も決められないだろうし、仕事が終わったらすぐに家へ帰ったと思うんですよね。
でもタイでは仕事も、仕事終わりに同僚やタイ人と遊びに行くことも、何をしていても楽しかったですね。
—お話を伺っていると、長光さんは現地に入り込むのがうまいですよね。コツってありますか?
アメリカでの体験に基づいていたんだと思います。私が生活していた地域は、ほとんど白人しか住んでいない場所でした。その環境で暮らしていたので、無意識に白人アメリカ人のマインド、いわゆるアメリカナイズされていったので、いつのまにかメキシコ人やフィリピン人を見下すような態度を取るようになってしまったんです。
でもある時、駐車中の車のガラスに映る自分の姿を見た時に「私はアメリカ人でも白人でもない、日本人なんだ。」ということに気付きました。それから、日本人なのにアメリカ人の気持ちになることがつらく、生きにくく感じるようになりました。つまり、圧倒的なマジョリティが占める中、自分がマイノリティだという体験をしたので、人種とかで人を差別するのが良くないということを、肌感覚でわかっていました。だからでしょうね。
開発メディアganasを運営
−改めて、開発メディアganasってどういうメディアなんでしょう?
モットーは「途上国を知る、世界が広がる。」。
それと「複眼の視点」。
それらを据えて、途上国について発信しています。
現状として、世界70億人の大多数が途上国に住んでいます。日本に生まれて日本で育っていると貧困からはほぼ無縁ですが、世界的スタンダードは途上国にあるんです。だから、途上国の視点が無いと、世界のことを知ることができないと思います。
例えば時間について。
地域差はありますが、途上国だと、時間を守らないことが普通なんです。
時間を守るべきか、それとも守らないべきか。守っていいこととして、相手を待たせないこと、効率的にことを運ぶことができることなど、考えられるメリットはありますよね。
反対に、守らなくて良いこともあります。それは、時間に追われず生きられることです。時間に決められた生活は、時間に支配されているとも考えられるわけです。
例えば人身事故について。電車に乗っていて人身事故が起きて遅延が起きたとき、多くの人は誰かが自殺したという事実よりも、電車が数分遅れることの方を気にしています。その自殺した人には、友だちも家族もいるわけですよ。
人が死ぬことよりも、時間のことを気にしているこの世の中。うつが増えるのも理解できてしまいます。
そういう世の中に生きている人にもっと途上国のことを知ってもらって、複眼の視点を持って自分の世界を広げてほしい。そういう思いでganasをやっています。
−なるほど。”ganas”の由来って何ですか?
スペイン語で「やる気」という意味です。
理由は2つあって、一つはNPO法人を立ち上げる前に、色々な人に話を聞いて回っていた時期がありました。多くの人は大変だよと言ってきたのですが、ある人は「必要なこと、それはやる気だね」と言ってくれました。
もう一つの理由は、青年海外協力隊員でスペイン語圏であるベネズエラに行っていた経験からです。現地ではいかにローカルの人材に「やる気」を出させるかということが難しかったので、毎日のように”ganas”という言葉を使って活動していたんです。
そんな意味合いから”ganas”という名前を付けました。
—募集されている基礎ジャーナリスト講座ではどんなことをするのでしょうか?
「書いて学ぶ記者インターンシップ」です。渡航先はセブ、ホーチミン、ミャンマーから選べます。
小学校やゴミ山、マイクロファイナンス機関や不動産投資の現場などに実際に行って、そこにいる人に取材して記事を書く、というのが概要です。
普通のツアーは、観光地だけ、孤児院だけ、のように限られた場所しか行かない事が多いと思います。
我々のツアーでは、上から下まで色々な立場に置かれている人に取材をできるので、途上国を掘り下げたい人やメディアに関心のある人に是非参加してほしいです。
−このツアーで感じてほしいことは何ですか?
やはりメディアのモットーと同じく「複眼の視点」を持って欲しいということですね。
一つ事例として話すと、今年の春、ハノイに行ってある物乞いの人の家を訪ねたことがあります。彼は、思っていたよりも良い暮らしをしていたんですよ。テレビ・プロパンガスもあったし、周りのどこの家よりも便利な環境で暮らしていました。
たぶん、多くの日本人は、物乞いが良い暮らしするのはおかしいと思うんじゃないかと思います。
物乞いの人は、外にいるときは笑顔も無いし、家で会うときとは全く違った面持ちで、ある意味ものすごい演技力でした。
そう考えると、クラウドファンディングと物乞いはどのように違うのでしょうか?どちらも、共感を集める見せ方みたいなものがあるだろうし。そんなことを考えさせられました。
「途上国を知る。世界が広がる。」
−このプログラムに参加してほしい人へ向けてメッセージをください。
よく途上国の子どもたちの笑顔は素敵だ、という意見があります。
確かに彼らはよく笑っていますが、それはなぜだと思いますか?
−考えたことありませんでした…
そう、そういうことを考えて欲しいんですよ。
先進国に生まれた人には多くの選択肢があります。
もしあなたが総理大臣になろうと思ったり、有名な大企業に入ろうと考えたりしても、できるできないは別にして可能性はあるんですよ。
けれど、途上国には可能性、つまり選択肢が少ないです。
10の選択肢がある方と1しか無い方だと、後者のほうが幸福度で言うと高くなりやすくなります。選択肢が少ないと夢に破れることもないですし、また周りの人と差が付くこともそんなにありません。その結果、幸福度を高めるわけです。
そういうこと、「複眼の視点」で物事を考えて、世界を広げてくれればなと思います。
《編集後記》
長光氏がASEANに行かれた時には、まだぼくは生まれていない。それほど前からASEANやその他の途上国のことを意識されていて、現地で働くという行動も起こしている。そんな長光氏が話す言葉には説得力があって、貴重な学びの機会となった。
多くの選択肢を持つ日本に生まれたからこそ、様々な経験を持つ人のストーリを紡ぎ、もっと多くの人に繋げられるように発信していきたい。そう感じたインタビューであった。
《インタビュアー・編集》磯部俊哉 《カメラ》永瀬晴香 《校正》長田壮哉
取材日時・2015/4/29