2016.08.17
留学のきっかけは世界ウルルン滞在記。十数年後、ベトナムでの海外経験を経て長期留学への意志を固めた。そんな吉谷さんが半年間のインドネシア留学を通して学んだ経験、そして社会人になった今考える、「留学」「インドネシア」とは?
《プロフィール|吉谷真子さん》
1993年生まれ。埼玉県出身。2016年千葉大学法経学部総合政策学科卒業業後、証券会社に勤務。大学在学中は英語系サークルやNPO団体Table for Twoでの活動によって国際理解を深める。また、2年次にベトナムでのスタディーツアーを通して現地の子どもたちの問題を目の当たりにし、社会保障制度改革といったアプローチを考えるようになる。その後トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム第1期生として、2014年8月から半年間インドネシア大学経済学部へ留学し、経済学学修、ボランティア活動、政策研究などを行った。
目次
幼少期の憧れから留学へ ―世界ウルルン滞在記ってわかりますか?
―留学を決めたきっかけは何ですか?
世界ウルルン滞在記ってわかりますか?あれを観て、世界に行ってみたいなと思いました(笑)。
2014年3月には,格差問題への興味から5日間だけベトナムでのスタディーツアーに参加して枯葉剤の影響を受けた子供たちと過ごしたことがあるのですが、私個人で現地の状況を大きく変えられるわけはないと感じました。だからこそ、もう少し長い期間、現地で生活することで、問題をより深く知りたいと思いました。
ーなぜ留学先にインドネシアを選んだのでしょうか。
東南アジア圏で社会保障制度を学びたかったからです。以前から、自分の努力でどうにもならない問題で困っている人の力になるにはどうしたらいいんだろうと考えていました。
それで、お金がなくてもきちんと保障してくれる医療や、貧困であっても受けられる教育制度、といったことに興味を持っていました。
経済発展していても絶対それに乗りきれない人がいるだろうなと考えたので、発展する一方で格差が拡大してしまっているインドネシアを選びました。
(友人とジョグジャカルタにて)
トビタテで広がった留学生活―スキルを身に着けてから、いつか向こうに行きたい
ートビタテ!留学JAPANに応募された理由はなんですか?
まずは、お金が必要だったからです。親には「留学してもいいけど、資金調達は自分でお願い」と言われました。
さらに、お金をもらえるだけじゃなくて、留学計画のブラッシュアップや宿泊を伴う研修があって、様々な国に行く同世代の人とネットワークができることがいいと思って、トビタテに応募しました。
ー具体的に留学先ではどのようなことを行ったのですか?
インドネシアの社会保障や教育について経済学の視点から学び、政策立案することが、私の立てた達成目標だったので、アジアの経済と社会保障について研究しました。
2014年8月末にインドネシアに行き、9月から1月までインドネシア大学の経済学部に在籍しました。授業では理論を勉強する一方で、社会保障制度に対する現場の声を知るために、フィールドワークや、学期後にワークキャンプに参加したりしました。
ー研究を通してどのような政策を考えたのでしょうか?
インドネシアの新しい医療保険制度が私の留学した年度(2014年)から開始だったので、その制度がどのようなものか、また、どのような問題があって、次に改革するとしたらこうした方がいいんじゃないか、ということを最後にまとめました。具体的には予防医療の重要性を指摘しました。
ーフィールドワークで意識していたことはありますか?
行く前は、(インドネシアという)途上国に住んでいる学生だからこそ聞ける視点がたくさんあると思っていたんです。でも、インドネシアで大学に行っているような人はけっこうお金がある人たちで,私たち先進国の人とあまり視点が変わりませんでした。
なので、行ったからこそ学べる視点というものが大学の中ではあまり得られず、街に出てコンビニのお姉さんや、食堂のおばさんとしゃべったりすることで、幅広い層の声を聞くようにようにしました。
(ジャワ原人発見の地、ソロのサンギラン博物館にて)
ー学期後のワークキャンプはどうでしたか?
ワークキャンプは、地方都市の郊外に行き、国道沿いの風俗街みたいなところで、sex workerとして働く母親が多く暮らす地域に約2週間滞在して、子供に「何か」教えるものでした。
他の参加者と意見を出し合って、遊びを通して「大きい子が小さい子をいじめちゃいけない」とか「遊ぶときにルールを守ろう」という、マナーの大切さを教えることに決めました。
しかし最後に痛感したのは、こういうキャンプで現地の子どもたちの行動を本質的に変えることはできない、ということでした。たった2週間の滞在でできるわけじゃない。いったん子供たちがルールを守ってくれるようになったとしても、次の週には忘れているでしょう。
だから私は、何か専門分野とか、自分で使えるスキルを身に着けてから、いつか向こうに行きたいなと思いました。
(ワークキャンプのメンバーと)
得られた視点と新たな課題 ―「したいことだからするんだ」―
―留学に行く前と比較して、日本の良いところや、新しく感じた部分はありますか?
日本がいいなと思ったのは、電車、道路などのインフラの充実。インドネシアでは未だに車の幅の方が道路の幅より大きかったり、道路に穴があったりするのでインフラの違いは大きいと思います。
他にも、アパートのシャワーが水だったのですが、日本はお湯が出るのですごいなと。日本にいると、こういうことって人がやってるんだって気がつかないけど、本当は誰かが仕事しているおかげで仕組みができているんだなと、帰ってきてすごく感じました。
逆に向こうの良さは、そういうシステムの不備を人がカバーしているところですね。留学中、まだインドネシア語を聞き取れない時に、電車が遅れて乗り換えをしなければいけなくなったという連絡を、隣に立っていた人から聞きました(笑)。マンパワーすごいなと思いました。
ー他に、日本に伝えたいインドネシアの魅力はありますか?
日本ではよく、買い物難民とか、隣の人を知らないとか、人間関係の希薄さが指摘されると思いますが、インドネシアでは人と人の垣根が低いように思います。
都市のスラムのような場所を訪れたときに会った、寺子屋をやっている人が「僕が今まで身に着けたことを伝えたい。それは僕にとって負担じゃなくて、むしろしたいことだからするんだ」と言って、小学生を集めて勉強を教えていました。そういう、気づいたらすぐ実行する機動性の高さがいいと思います。
あと街に限って言えば、隣の人を信頼してることが大きいのかな。横のつながりで守られているように感じました。
ー留学後、エバンジェリスト活動(留学経験を発信する活動)は何をしていますか?
留学するか迷っている人に話をしたり、自分の経験を語ったりしています。
ただ、エバンジェリスト活動で気をつけていることは、「絶対留学したほうがいいから」とかは言わないようにしています。迷っている人を引っ張るのは違うかなって。
留学に行ってできることとできないことを比較して、できることが多くて困難も乗り越えられそうだって目途がついたら行くようにと伝えています。私も行って現実を見ましたから。
ー率直に、行ってよかったと思いますか?
それは思います。行かなかったらわからなかったこともあるから。いや、もっと早く留学すればよかった。あと一年くらい政策の勉強をしたかったですが、生計を立てるために就職を選びました。
ーインドネシアのこれからの課題は何だと思いますか?
課題は多いでしょうね。例えば医療保障とか。インドネシアで国民皆保険制度が始まったのは2014年度からです。私がインドネシアから帰る時点で(2015年2月)、カバーしている人口がまだ半分もいかない状態でした。
だから、そういうのをもっと拡充していかないと、病院に行けないで容態が悪化する人がたくさん出てしまうと思います。
また、医療保険は全ての人に平等な医療サービスを保障していますが、被保険者が行ける病院は決まっています。お金があまりない人は保険料が安い分行ける病院のランクも低く、医療の質にも改善の余地があると思いました。
それと、防災も課題です。インドネシアの建物は耐震構造とかがきちんとしていないから、すぐに家から出ろと言われます。多分、コストとか他の項目を考慮すると優先順位が低くなってしまうのかもしれません。
さらに、行政は日本より発達していないんじゃないかなと思います。例えば、私は留学期間中毎月入国管理局に申請を出す必要がありましたが、人が上手く動かなくて、管理局に行ってもなぜか1時間待たされたりしました。だから、公が動くのが遅いということも課題だと思います。
これからの私 ―民間側として、行政ができない部分を補う―
ーこれから日本にどのように貢献していきたいですか?
私は今証券会社で働いていますが、日系企業の投資環境の整備などに取り組みたいと思っています。企業が社会を豊かにしていく側面も大きいことが就活してわかったので。
インドネシアでは株式会社の形をとっているのがまだ中堅企業からだったりするから、今の零細企業が投資市場に参入すれば、将来的な成長は大きいと思います。
証券会社などからインドネシアのいろんな企業にお金がまわれば、企業活動はもっと活発になります。そこから、行政ができない部分を民間が補うようなビジネスチャンスを見つけて、投資商品を開発できたらいいなと思います。