就職活動中、ふと「やりたいことを今やってみたら」という声が聞こえてきたという篠田さん。卒業後イギリスにて語学留学インターンを経験し、カンボジア、シェムリアップでkru khmer botanical社を起業。ハーブを使ったアロマ商品の製造と販売、観光客へのスパ事業を行っている。がむしゃらに突き進んできた篠田さんが語る、新卒で海外に出ることのメリット、デメリットとは。
《プロフィール|篠田ちひろさん》
1984年山口県生まれ。
カンボジアの持続的な地域の成長と、女性の雇用問題解決をミッションに、2009年に現地の伝統文化とハーブを使用したスパ製品のブランド、クルクメールを立ち上げる。
その後2015年伝統医療の知恵とカンボジアの自然、日本流のサービスを融合させたスパ、スパクメールを開業。
2012年9月内閣官房国家戦略担当、古川大臣より「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」プロジェクトの表彰を受ける。
目次
途上国に、ビジネスでお金が回る仕組みを作りたい。
—海外に住むことや、起業を考え始めたのはいつ頃からでしょうか?
高校生の時から海外に関心はあって、海外に住みたいと思っていました。大学生になると学生団体で活動を始め、スタディツアーをやったり、世界の文化、生き方を学校で楽しめるゲームを日本の子どもたちに教えたりしていました。
いつしか、現地に行って貧しい人と一緒になにかやりたいと考えるようになって。非営利ではなくて私はビジネスで、現地でお金が回る仕組みを作ってみたいと思っていました。
なぜビジネスかというと、まず、子どもたちを救うのにまず必要なのは親の安定した収入だから。寄付だけに頼るのはすごく大変なので、できるだけサステイナブルに続けていくことが必要です。
また、ボランティアだけでは生きていけないですよね。無給のボランティアでは続かないので、片手間じゃなく仕事として両足をがっつり入れてやらなければいけないなと思ったんです。そしてそのためには、強力なリーダーが必要。学生時代は、ボランティア活動しながらそんなことを考えていました。
そのように起業に関心があったため、大学3年生になってインターンをし、そこで志高い友達ができたんです。ただ、その友達は「起業」や「株式上場」がゴールになっていて、実際何がしたいのかがすごく弱いような気がしました。会社を作るということは手段のはずなのに、それが目的になっている。そのことにずっと違和感を感じていて、じゃあ私は本当に何がしたいのかということを強く考えるきっかけになりました。
—大学時代から起業を考えられていたのですね。就職活動はされたのでしょうか?
同時進行で就職活動もしていました。身につけたいと思っていたのは営業力。また、どのように経営をしているのか、社長の姿が見えやすいところが良いと思っていました。そこで営業ができ100人前後くらい、社長が魅力的でかつ海外にいけるような会社を中心に探していました。
残念ながら一番行きたかったところには落ちてしまいましたが、内定はいくつかいただけて、就職する予定だったんです。
「やりたいこと、今すぐやっちゃいなよ。」ふと聞こえてきた声。
—その後、なぜカンボジアで起業しようと思われたのでしょう?
就職活動をしながら限られた人生の中でやりたいことを考えていて。でも、まずは日本で社会人経験をしてからと思っていました。
そんな時、カフェでふと、「やりたいこと、今すぐやっちゃいなよ」という声が聞こえてきたんです。人生一度きりだし、いつかと言っていたらいつまでもできない。今自分を止めるものも何もない。気がついたら、内定を辞退していました。
それが大学4年生の12月。その後とった行動は、現場を見てみるということでした。学生のうちに20カ国ほど行ったことがありましたが、その中でも印象に残っていたカンボジアへ、フィールドリサーチに2週間行くことにしました。
カンボジアは、経済的には貧しいのですが、人が幸せそうに住んでいて。全く知らない生き方が学べ、より自分が幸せになるのではないかと思えたんです。
現地では、色々なNGOを回りました。貧しい人たちが楽しそうにものづくりをしているのを見て、私もこういうのが作れたらいいなと思ったんです。「卒業後はものづくりして工房を開いて、地元の人が働けるような場を作ろう!」とただ女の子たちが楽しそう働いている様子を思い描いていました。
でも、それをどうやって作ればいいのか全く分からなかった。「かわいそうだから」と買ってくれるのではなく、きちんとブランディングをしてやっていきたいと思っていたので、マーケティングを学ぶ必要がある。また、英語がしゃべれないことに問題意識を感じていました。
そこで、英語とマーケティングを学びに卒業後の6月に、フェアトレード、エシカルが進んでいるイギリスへ渡りました。8ヶ月間、語学留学とフェアトレードやエシカルな商品を集めて広告しているPR会社でインターンをしました。インターンと言っても、ビラを配るなど、雑用も雑用でしたね。
語学は使わないと習得できません。大変だったけれど、英語のネイティブとしゃべる機会が増えたからこそ上達しました。
また、その会社で世界中のフェアトレード製品を見ることができたのは良かったと思います。その中には素敵なプロモーションをしているところもあれば、そのやり方だと難しいだろうと思うものもありました。ただ、もっと英語が話せれば、より得られるものはあっただろうと思います。
—起業から現在までの経緯を教えてください。
カンボジアで何かするということは決めたものの、現地にいないと行動できず、イギリスにいながら次のアクションをどう起こせばよいかわからない。いてもたってもいられず、カンボジアへ現地調査という名目で行ってみました。
1ヶ月ぐらい旅をしながらヒントを探すために動いていたら、ある方から仕事をもらったんです。旅行と現地で働くのは全然違うし、とにかく働いてみたらどうかと。
こうして晴れて就職先が見つり、一度イギリスに帰った後の2008年の5月末、再びカンボジアに移住。新しい雑貨屋さんのオープンの仕事をしました。カンボジアのことも仕事もわからないし、全くの役立たずで...。
半年間の契約だったのですが、その間にハーブと伝統医療を使ったスパ製品を商品として作ったらどうか、というアイデアが浮かびました。
カンボジア人の友達が赤ちゃんを産んで遊びに行った時に、「チュポン」というハーブのスチームサウナをやっていたんです。興味を持って自分もやってみたら、ハーブの爽やかな香りとともに汗や垢が落ちて、とてもすっきりしました。
調べてみると、アンコールワットが建てられた時代から民間医療の先生たちが、田舎の町医者のような形でやっていたことが分かったのです。「これは面白い!商品開発に生かしたらどうか」と思いました。
契約が終わってから、どういう商品が作れるのかという思考錯誤を半年ぐらい繰り返します。そして移住してから約1年後、2009年の5月末に会社を作りました。
商品開発に半年ほど時間をかけてやっと最初の商品ができ、販売を始めました。2009年の12月くらいから始めたので、販売を始めてからもう約6年経ちましたね!
最初の2年ぐらいは赤字で大変でしたが、だんだん売り上げが上がりスタッフも増えていきました。直営店を2012年の4月に出し、しばらくしてスパを、さらに直営店の2号店も出すことができました!人と繋がり、アドバイスをいただきながら仕事をつくっていきましたね。
—ロールモデルはいらっしゃいましたか?
Body shopを作ったアニータ・ロディックという人に憧れを感じていました。
—カンボジアで起業する時、周りの反対や葛藤はありましたか?
親からの反対はありましたね。
最初からカンボジアで起業することは言わず、まずイギリスに行くと言って、その次カンボジアに行く、そして起業する、というように徐々に出していきました。(笑)最終的に好きなようにしなさいと言ってくれて、今はとても応援してくれています。
バックグラウンドが違うからこそ、相手目線に立って考える。
—具体的な事業内容、仕事内容を教えてください。
ハーブを使ったアロマ商品の製造と販売、観光客へのスパ事業を行っています。
社長なので全部しないといけないのですが、今後会社をどうするかっていうことは常に考えています。新しい事業のことや商品開発など、5年後まではどういうことをするべきか、すでに考えています。
また、マネージャークラスの子たちと密にコミュニケーションをとり、日々のオペレーションの問題などを話し合っています。今日はセールスの子と2時間ぐらいしゃべっていました。スタッフへのマネジメントですね。
日本人は3人いて、そのうち2人はインターン生です。
その他はカンボジア人で、リクルーティングはだいたい知り合いが知り合いを呼んでくる感じですね。大卒から小学校ドロップアウト組まで様々な人がいて、スパや工房には、字が書けないレベルの子もいます。セールスの優秀な子たちがブランドを広めてくれているから、社会的に弱い立場の子にも働く場所が生まれる。持ちつ持たれつですね。
お客さんはスパでは8割ぐらいが日本人で、お店は5割くらいが日本人、残りは世界中からいらっしゃいます。
—カンボジア人スタッフとのコミュニケーションにおいて、心がけていることはありますか?
すべての人に対して言えますが、相手がどうやったら自分のやったことを理解でき、結果が出るのか、相手目線に立って考えることをすごく気をつけています。相手の育ったバックグラウンドも、情報量も、考え方も違うわけなので、それを常に考慮しています。同じ日本人だって、違いますよね。
例えば今日、スパの女の子たちの髪の毛が汚い、だらけているという話になりました。でも、「汚い」とか「だらけている」って、人によって定義が違う。では一体、何をもってすれば、私やマネージャーの頭の中にある「きれい」が伝わるのか。
私が提案したのは、注意された本人を私たちの手で完璧にきれいにして写真を撮り、それを壁に貼ることで「これを目指してるんだ」と伝えることでした。できるだけビジュアルで伝えることをはじめとして、人によって違うということを防ぐためのあらゆる努力をしています。
—シェムリアップでの生活について教えてください。
お金はなかったので、それは苦労しましたね。
色々なところに住んだことがあり、木の家や水シャワーしかないところにも住んでいました。今はアパートに住んでいて、すこぶる快適。温水シャワーに当たれて電気が点く日々がありがたいです。
感謝できるハードルが下がったって、ラッキーですよね。
海外では自分から動き、発信しないと誰も気づいてくれない。
—新卒で海外就職・起業することのメリットは何だと思いますか?
新卒で外に出ることはもちろんメリットデメリット両方あると思います。
日本社会はいろいろなルールもあり整えられているから、先輩が手取り足とり教えてくれる。もちろん会社によりますが。だから最初の一年は結果が出なくても、許される環境ではありますよね。
でも海外では自分から動き、発信しないと誰も気づいてくれないし、物事が前に進みません。日本では困っているオーラで先輩が気づいて助けてくれることもありますが、海外では誰も何もしてくれない。
でもそれって、ある程度必要なことだと思うんですよ。言わなくて気づいてくれる社会が世界の9割ならいいんですけど、私が思うにそれが通じるのは日本だけです。
自発的に動くのがデフォルトになる、これが一つのメリットになると思います。そして、バックグラウンドの違う人とやっていく上でコミュニケーション能力もつきますし、精神的にすごくタフになります。
ただし、海外でこのような力をつけると、日本に戻れなくなると思います。ガンガン主張して先輩の言うこと聞かずに動いて、明らかに日本社会では、出る杭になっちゃうんです。起業はさらにイレギュラーで、一回起業家になっちゃうとサラリーマンに戻れないですね。
—日本に馴染めなくなってしまうんですね...。他に、デメリットはありますか?
社会人としての基礎を身につけずに海外に行くことは、基本を知らずにいきなり応用をやれと言われるようなものです。基本を自ら身につけられるような人材であればいいのですが、身につかないまま変に応用をやると、結局役立たずになってしまう可能性もあるでしょう。
少し日本社会で働いて、外に出るというのもありな選択肢だと思います。一経営者として人を採る立場の人間からすると、経営的に大変な状況ではすぐに成果を出してくれる人、すなわち経験者を求めます。
私も、最初は常に自信がなかった。名刺の渡し方、メールの送り方一つとっても、経験がないから自信がないんですよね。こうした不安は、経験することでしか減りません。でも、仕事人生、常に学びつづけなければならない。仕事で成果を出すことにおいて、完璧ということはあり得ないです。
海外に出る覚悟と意志と能力があれば、ものすごいスピードで成長できる。
—描いている今後のキャリアを教えてください。
今の会社が私から手離れできていないので、もっと色々な人が働きやすいようにしていきたいです。私がいなくても会社もスタッフも成長していける場所にしたいですね。
その先は、他の国で何か立ち上げをしてみたいです。0から1が好きなんですよ。スリランカ、ネパール、インドなどに興味があります。あまり事業内容にはこだわっていなくて、それよりも社会的に弱い立場の人と引き続き関わっていきたいですね。
—海外就職・起業に興味があるけれど、迷っている人に対してメッセージをお願いします。
「誰にも頼らず自分の人生選択したんだから、文句なんか言ってられない」っていう覚悟がないと、新卒で海外に出ることはできないと思います。「できないのは教えてくれないからだ」なんて言ってたら無理ですね。指示待ちでは成長できない。周りをみて、盗んでやってみなければなりません。
私は、例えば企画書の作り方であればググってサンプルを集めてみたり、作ったものを周りに見せてこんなものでいいのかと聞いてみたり、自分で全て勉強していきました。逆に言えば、ものすごい勢いで成長できるっていう覚悟と、意志と能力があれば、日本にいる人より速いスピードで成長できます。
まず、現場を見てみるのをおすすめします。新卒で日本企業に採用となると時期が固定化されていますが、長い人生、半年間ニートするぐらい全然良いと思うんですよ。まずは来てみて、いろんな人に会って、本当にやってみたいというものを見つけて、覚悟ができたのであれば来たらいいと思います。
【編集後記】
インタビューを通し、篠田さんが強い信念と覚悟を持って前に進んで来られたことを感じた。自分の心の声に耳を傾け、自ら動き発信する。これからの時代を生きていくためにとても大切なことで、自分もそうでありたいと思った。
一方、今の日本社会では世界のデフォルトである「自発的に動く」人が出る杭となってしまうという事実に、少し虚しさを感じた。今はそうなのかもしれない。でも、10年後20年後、社会はどのように変化していくのだろうか。