「シンガポールから日本を揺さぶり、刺激を与える。」東南アジアで日本人が起こした企業17社に対し、資本と経営の面より支援を行う加藤順彦氏。経営者として16年間指揮を執った広告会社「日広」の社長を退いた後、アジアの可能性に希望を見いだした。常に風を読み、変化の激流に身を置き続ける加藤氏を取材した。

《プロフィール|加藤順彦氏》
1967年生まれ。大阪府豊中市出身。関西学院大学在学中に(株)リョーマ、(株)ダイヤルキューネットワークの設立に参画。(株)徳間インテリジェンスネットワークを経て1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。2008年、NIKKOのGMOインターネットグループ傘下入りに伴い退任しシンガポールへ移住。2010年、シンガポール永住権取得。
移住前は個人エンジェルとして、日本国内30社超のスタートアップの第三者割当増資 に応じるとともにハンズオン支援してきた(うち8社はその後上場)。現在はシンガポールにて日本人の起こす企業の資本と経営に参画している。
主な参画先は、プレスリリースサービス@press/サービスオフィスCROSSCOOPのソーシャルワイヤー、電子書籍出版のGoma Books Asia、ビットコイン事業のビットバンク、通販物流受託のS-PAL等。著書に『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』(アスカビジネス)、『講演録 若者よ、アジアのウミガメとなれ』(ゴマブックス)。

「なぜ事業をやっているのか」経営者の目線が支援の決め手

 

―加藤さんがシンガポールで行っていることを教えて下さい。

日本人が東南アジアで起こす事業に対して、資本と経営の両面から参画するということを行っています。現在は17社の企業の資本と経営の両方、またはいずれかに関わっています。特徴として、少数株主として少しずつ資本を入れており、支援している企業のうちのほとんどで取締役を引き受けています。現在は、自分が関わっている企業の取締役会等を通じて、経営者と対話し、アドバイスを行っています。経営上の問題や新しい事業内容アイデアに関するディスカッション、時にはリクルーティング活動まで、支援している企業の成長のために幅広い活動くコミットしています。残りの時間は、経営上直接的には関係していないところに時間を割き、次のシナリオを描こうとしています。個人や会社、社歴や事業内容を問わず、多くの人に会って話をしていますね。

―加藤さんが支援される企業はどのような基準で選ばれていますか?

基準は、経営者の目線が正しいかどうかですね。どこを見ているのか、何を考えているのか、なぜ事業を営んでいるのかという点が大切です。ここで言う正しい目線とは、お金を儲けることに対してポジティブなこと、稼いだお金で何をするのかが経営者に腹落ちしていることです。ベーシックなことでいうと、納税したい、利益を出すことで社会に貢献したいなどです。お金が儲からなくてもいいという話は私には通用しないですね。人様がその人に対してお金を払っても良いというモノがないと、商売はうまくいかない。  

事業の内容はそこまで重要ではないと考えています。事業内容は基本的にピボット(軌道修正)してよいと思っています。私が過去に投資し、その後上場した会社は8つあります。その中で、投資した際と上場した際に同じ事業をやっていた会社は2社しかありませんでした。あとの6社は、事業をやっていくうちに違う内容になりましたが、それは当たり前だと思っています。なので、事業内容そのものよりも、経営者の目線で投資を決めています。

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 第40回経済界大賞にてグローバルチャレンジ賞を受賞した、
黒川氏率いるHUGSと加藤氏

 

東南アジアで、命がけで事業を行う経営者に向き合いたい

—加藤さんのこれまでの経歴について教えてください。

私は2008年6月まで、東京の表参道で日広という広告代理店を16年間経営していました。25歳4ヶ月の時に、雑誌広告を専門にした広告代理店からスタートし、1998年にはインターネット広告事業に参入しました。雑誌という旧態依然のメディアから、YahooやGoogle、MSNなど新しいメディアにシフトしていき、お客さんもITベンチャー企業の若い経営者がメインでした。インターネットという急成長する新しい産業の中で、お客さんとリスクをお互いに持ち合うことに、やりがいを感じていました。しかし、2006年に起きたライブドアショックの影響で、IT業界の株価が急激に下がりました。ひどいところだと株価が100分の1にまで下がり、日広は経営上危機的な状況に陥りました。1年ほど経営の立て直しに奮闘しましたが、結果的に自力再建が厳しくなり、2007年よりGMOインターネット株式会社に段階的に事業を譲渡しました。

日広の経営から退いた後、成長するアジアに希望を見いだし、その中心であるシンガポールに移住しました。きっかけは、2006年にGoogleのカンファレンスに参加したことです。それまでインターネットはアメリカやヨーロッパ、日本のものだと思っていました。しかし、実際の参加者は中国、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、インドなどアジア各国から集まっていました。当時のGoogleのCEO・エリック・シュミットさんは、カンファレンスで「これからはアジアの時代。アジアでモバイルに力を入れる。」と宣言しており、Googleの先を読む力に驚かされました。また、同年にニューヨークで行われた別のカンファレンスで、中国語専門の検索エンジン「百度」のロビン・リーさんのスピーチを聞きました。そこで、彼はアメリカでMBAを取得し、アメリカで資金調達を行い、上場の計画を立て、中国で事業を始めるという計画を聞き、その戦略性に驚きました。海外で認められ、自国に貢献する「ウミガメ」と呼ばれるような存在が、日本にも必要であると強く感じました。そこで、私はアジアの中心シンガポールから、日本を揺さぶり、刺激を与えられる存在になりたいと思ったのです。

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実はシンガポールに行った最初の一年間は、大企業向けに進出の支援や経営コンサルティング事業を行っていました。しかし、その事業を始めてすぐに、自分には向いていないと感じ始めました。大企業向けのコンサルティングでつまらないと感じた理由は、担当者から真剣味が伝わってこなかったからです。新規事業の調査という名目で決裁権を持たない担当者が来て、マーライオンと一緒に写真を撮るなど遊んでいるように見えた。自分は観光ガイドのために事業をやっているではないし、彼らが本気で、命がけで事業をやろうというようには見えなかった。大企業の進出支援に情熱を傾けることができずに、結果的に1年で辞めることになりました。

大企業向けの事業がつまらないと思った自分を振り返ると、それまで最もアドレナリンが出たのは、社長とやりとりをする瞬間だったことに気づきました。それは日広にいる時には気づきませんでしたね。やはり、命がけで事業をやっている経営者に対して向き合うと、自分も真剣になれる。本人が決裁者なので、それだけ責任を持ってコミットする。そう考えた結果、東南アジアで起業する経営者に対して資本と経営に参画することを決めました。それから5年半が経ち、参加している企業数は17社になりました。

これまで海外に出る必要がなかった日本のIT企業

 

―海外で成功している日本のIT企業が少ないイメージがありますが、その原因は何でしょうか?

最大の理由は、日本のIT企業は日本の中で十分ビジネスが成立するので、海外に出る必要がないからだと思います。日広を経営していた16年の間に、私は一度も海外に出るという必要性を感じたことがなかった。それどころか一度も東京を出ようとも思いませんでした。日本国内には十分に内需やビジネスやフィールドがあり、十分に楽しかった。日本という市場の中では言語も通じるし、日本人にとって最もビジネスがしやすい国だと思います。それゆえ、海外に出るIT企業もあまりなく、結果的に成功例が少ないのだと思います。

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フィリピンでモバイル報酬プラットフォームPopslideを運営し
注目を集めるYOYO Holdingsのメンバーと加藤氏 

同時多発的に起業家が生まれる、アジアの「ビットバレー」の布石

 

―加藤さんの今後のビジョンをお聞かせ下さい。

私のゴールは、「海外で大成功した日本人起業家のロールモデルを生み出す」ということです。ロールモデルは沢山いる必要はないと思っており、願わくば支援している会社のから1人、そのような起業家を生み出したいと考えています。1人の成功者が出ることで、その後を追って飛び込んでいく人が現れることを期待しています。90年代後半、GMOインターネットの熊谷さんや、サイバーエージェントの藤田さん、ライブドアの堀江さん等の起業家が、渋谷をITビジネスの中心地とする構想「ビットバレー」のムーブメントを創ってきました。それを追って日本中から若い起業家が渋谷や六本木に集まり、お祭り騒ぎが起き、みんなが一斉にネットベンチャーを起こしました。ここで注目すべきは、成功したロールモデルを追って、日本中から人が集まったことです。ロールモデル達の「毒気」にあおられ、朱に交われば赤くなるように、多くの人が覚醒して同時多発的にITベンチャーを起こしました。

このようにロールモデルが現れると、そこから同時に、爆竹のように会社が生まれる。同じように、アジアで大成功する人が3、4人現れると、「ビットバレー」と同じような現象が起こる。そうすると、アジアで起業しよう、ビジネスをしようという若者が多く現れると思います。すぐに結果は現れないと思いますが、10年程の歳月が経った後に、利息として顕在するのではないかと考えています。渋谷、六本木は2014年で区切りを迎えたと思います。そして今後、GDPが著しく成長するアジアで、ビットバレーのようなホットスポットが起こる布石を打ちたい。そのために、アジアで大成功した日本人起業家のロールモデルを生み出したいと思います。

 

人の行動を変える唯一の方法は、「背中を見せること」

 

私はいつも「正面を向いて語っても、人間の行動は変えられない」ということを意識しています。人の行動を変えられるのは、いつも誰かの背中、つまり行動でしかないんですよ。私がどれだけアツく東南アジアの現状を語ったとしても、それは講釈に過ぎない。しかし、一人でも大成功した人間がいれば、彼は語らずとも、その背中で人々の行動を変えることができる。ロールモデルが必要な理由は、その人に語ってほしいのではなく、その人の行動が私が話すよりも説得力があるからなんです。親父は背中で語るというように、人間は常に誰かの背中を追っていくものなんです。

―最後に、東南アジアに目を向けている日本の若者に対してメッセージはありますか?

とにかく、現地の空気を吸ってほしいと思います。行ってみないと分からないことが非常に多い。インターネットでは全てが手に入った気になってしまいますが、自分で見聞きしない限り、現地のことは分からない。自転車に乗れた時の感覚と似ていますが、シンガポールやホーチミン、マニラの空気、風を受けてみないとわからないことが多いです。この記事を読んで終わりではいけない、何か行動につなげていってほしいですね。

 

<加藤順彦氏関連情報>

■ブログ

・『加藤順彦ポール|Asian視座でいこう』

■著書
・『起業したい君は、まずブラック企業に就職しなさい』

・『若者よ、アジアのウミガメとなれ』

・『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』