2017.03.01

ASEANで働く、その先へ」第1弾です!

これまで、アセナビではASEANで働く方を中心にインタビューをし、ASEANで働くリアルをお伝えしてきました。この特集では今までとは異なり、ASEANでのキャリアを積んだ後に、日本に戻って活躍してる方やASEANでさらに活躍されている方に焦点を置いています。

そして、彼らが、ASEANでどのようなキャリアを積み、現在はどのようなことをされているのかを発信していきます!

 

「東南アジアでGDPが伸びているからといって、自分のビジネスが150%の成長率をたたき出せるわけじゃない」インドネシア市場で難易度が高いと言われるインターネット広告事業で果敢に挑む、インタースペースの山本氏。東南アジアでひたすらに試行錯誤を繰り返す同氏に「国際協力としてのビジネス」や「東南アジアで働くリアル」などについて話を伺った。

《プロフィール|山本瑞穂氏》
大学在学中にタイに留学し、雑多な東南アジアの空気に魅せられる。卒業後は、インターネット広告事業の株式会社インタースペースで3年間マーケティング職に就いたのち、2014年11月から2年間、JICAの青年海外協力隊としてインドネシア・ロンボク島で観光業に従事。2016年12月からインタースペースに復職し、現在は海外戦略事業部としてジャカルタに駐在中。

国連職員の夢に向けて紆余曲折

ー 山本さんは学生時代から東南アジアと関わりを持たれていたんですか?

小さいころから国際協力に興味を持っていた関係で、難民支援のボランティア活動をしていて、「国連で働きたい」と思っていました。私の頭の中では「国際協力=国連」だったので(笑)。

なので、大学在学中は難民やHIVなど国際協力に関わる事象を幅広く学んでいました。大学2年生の時には、タイの孤児院でボランティアをしながら大学に通うというプログラムに惹かれ、タイで7ヶ月間留学しました。

タイ留学中の山本氏

ーその後、ファーストキャリアをどう選んだんですか?

留学から帰国後は “海外”と “3年間” の2つの軸で就職活動をしていました。

当初は、大学院に進学して国連で働きたいと思っていたんですが、外資系企業で働く父に「社会人になった方が勉強になるぞ、大学院は社会人になってからいつでも行けるじゃないか」とアドバイスされて、納得したんです。

そこで、「とりあえず3年間は社会人になろう」と思い、3年間で色々経験できるベンチャー企業や、世界のビジネスを知れる石油系の商社などを見ていました。何社か内定をもらった中で、現職のインタースペースが当時中国に展開していたため、この会社に決めました!

 

ーでは、当時国連職員になることを諦めていたんですか?

いえ。国際機関で働くためには、大学院の修士と2年間の海外勤務経験が必須だったため、インタースペースを通して海外で働けたら都合がいいと思えたんです。

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。社会人3年目の2014年に、インタースペースがタイとインドネシアに支社を立ち上げたので、社内の重要人物たちを捕まえて「海外事業部に行きたい!」と騒いでいました(笑)。でも、「スタートアップとしては、マネジメントレイヤーじゃないと行かせられない」という判断でした。結局、理想とは違う形で退職することになりましたね。

 

ー退職後のお仕事はどうする予定だったんですか?

大学院に行くか、NGOで海外経験を積むか、とボンヤリしていました。

そんな時にふと、小学生の時から憧れていたJICAの青年海外協力隊(以後、協力隊)のことを思い出したんです。協力隊は理数科教師や料理など職種単位で要請があり、インドネシア・ロンボク島の政府の観光職(任期2年)を見つけました。業務内容が日本人に対するPR活動などだったので、インタースペースでのマーケティング職の経験を生かせると思ったんです。

 

インドネシアでの葛藤「何で私はここにいるんだろう?」

ー協力隊の具体的な仕事内容は?

主に二つ。一つはプロモーション活動で、日本のメディアとの仕事です。テレビ局にロンボク島のPRビデオをつくってもらったり、地球の歩き方のライターさんのアテンドをしたり。日本語とインドネシア語の通訳もしていました。通訳は死ぬほど疲れるから、もう二度とやりたくないですけど(笑)。

二つ目は、ロンボク島のモチベーションが高い住人たちや大学生に対して、観光意識向上のワークショップを開催しました。インドネシアでは政府主導で観光開発が進む例が多く、それに対して住民が自分の意志で “Yes” や “No” を言う力がないように思いました。そこで、政府の案に対して自分たちの意見を言えるようにするためのワークショップを開催していました。

青年海外協力隊員として取材対応をする山本氏

ー仕事上で苦労した点は?

うーん、やっぱり同僚との間に仕事に対する温度差があったことですね。私は任期付の2年間で「なんとかしたい」って想いはあるけど、現地の人に流れているロンボク時間は50年、100年くらいの歴史があるんですよね。そんな中、私だけが生き急いでなんとかしようとしていたんです。

ロンボクの職員たちが「自分たちの仕事が増えるから、観光客いらない」となってしまって、彼らと一緒に働けないことが正直つらくて、「じゃあ、何で私はここにいるんだろう」と、ネガティブになってました。

インドネシアでは仕事以外の関わりも重視されるので、仕事終わりに同僚の村に集まって夜な夜な飲み会をしてたんですけど、あまり仕事には活きなかったですね。

 

ー諦めていた部分もありましたか?

あったかな。やっぱり、公務員のモチベーションをあげるのは難しいと思っていたので、自分が村に行って観光資源を開発することによって、お金がダイレクトに入るような村と付き合おうとしてたかな。

 

国際協力って何?国際機関 vs ビジネス

実は協力隊任期中の当時は、任期後にイギリスで修士をとる計画を立てていました。

 

ーなぜそれをしなかったんですか?

小さい頃から国際協力を志していたけど、大きい国際機関に入れば難民などの社会問題が解決できるって勝手に勘違いしていたんです。それが国連に対する憧れでした。でも現実は、多様なステークホルダーがいるのでそんなに簡単な話ではありません。

そのことに気づいたのは、協力隊での仕事がきっかけです。私の仕事先は政府観光局だったので、私は「インドネシアの政府組織で問題解決をするために仕事をする」という認識でした。しかし、そういう政府組織だからといってみんながモチベーション高く観光客を増やそうとするわけではなく、「観光客が増えたら仕事が増えちゃうよ」という職員がたくさんいたんです。

赴任して7, 8ヶ月後には「あれ?自分が思い描いた国際協力ってこういう感じじゃない」と気づきました。その政府組織を国際機関と照らし合わせて、国際機関に入っても問題が解決できるわけではないんだなって妙に腹落ちしてしまったんです。

その時10年くらい持っていた夢が音を立てて崩れていって、すごく落ち込んで、協力隊を頑張る意味が分からなくなって。帰って今後のキャリアをどうしようかと2, 3ヶ月くらいどんよりしている期間がありました。

そこで、大学院に行く必要もなくなって、宙ぶらりんな状態が続いていましたね。

自分はボランティアとして行っていて、給与はもらわずに生活費だけをもらっていました。そんな協力隊として働いているうちに、自分がやりたいのはボランティアじゃなくて、ビジネスで人を豊かにすることなんだと思うようになりました。

 

ーそのビジネスとは?

もともと、広告の影響力に魅了されて仕事をしていたという背景があったので、広告を通して人を豊かにしたいと思っていました。

協力隊の仕事が1年経った時、穴を埋めるようにロンボクの仕事をメチャクチャ頑張ったんですよ(笑)。それまでは、自分一人で動かざるを得ないことを嫌だなと思っていたんですけど、そのうち、関わり合う人たちが増えていって、日本の会社やジャカルタからも4社くらい、「うちの会社に来て欲しい」「任期終わったらどうするの?」と、オファーを頂けるようになったんです。

しんどかったけど、それでもインドネシアが面白かったので、日本へ帰るイメージは持てなかったですね。JICAの用事で1, 2ヶ月に1回くらい、ロンボクからジャカルタまで飛行機で2時間かけて行くんですけど、ジャカルタに行くたびに新しい発見があってワクワクしたんです。

鉄道のレールが引かれたり、ガッチャガチャだった街がちょっと綺麗になっていたり、ちょっと前までなかったアプリのサービスが2ヶ月間ですごく普及していたりとか、すごく面白かったんです。協力隊の仕事中に、国が成長していく過程を見ることができたので、ビジネスを通してジャカルタでもう少し働いてみたいなって!

その時にちょうどインタースペースのジャカルタCEOが「戻ってきてくれないか」と言ってくださって、復職することにしました。

 

ー現在、ジャカルタ駐在を始めてどうですか?

ロンボク島の経験を生かせているなというのが半分、あとの半分は、今は同僚との共通言語を探すのに苦労をしている感じです。今までインドネシア語の専門的なビジネス用語を使ったことがなかったので、同僚とコミュニケーションをとれても、たとえば、システムの仕様など、突っ込んだ話がまだできないなと思っています。

あと、ロンボク島に行って良かったと思うのは、インドネシアの仕事のスタイルを理解できたことですね。渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本の中に、「人を98%だけ信頼しなさい」という言葉があります。残りの2%を相手が間違った時に許すためにとっておき、相手のために98%信頼しなさいよという意味。

私はそれまで100%相手を信頼してしまっていたけど、この本とロンボク島の経験から、信頼98%のリラックスした人間関係で、ストレスマネジメントがうまくできていると思います。

インターネット広告事業会社の仲間と山本氏

ぶっちゃけ、東南アジアで働くってどうなの?

ー東南アジアで働くことについて、ネガティブな点とポジティブな点を挙げると?

生活面が不便なことはネガティブですね。渋滞があったり、時間が読めなかったりもするし、治安も日本より悪いので夜は出歩けないし、しょっちゅう流れてくるテロに関する情報と向き合っています。

ポジティブなことは、仕事の方式がガチガチしていないので仕事がしやすく、東南アジアの人たちは家族を大事にするということ。あと大事なことは、世界の競合と仕事が出来るので、自分のキャリアアップにもなること!

 

ー東南アジアで働く上でこういうことに気をつけたらいいよとかありますか?

「百聞は一見に如かず」というように、来る前に色々と情報を集めても、実際に来たら違っているということも色々ありますよね。最近、メディアは東南アジアのGDPの伸びをよく報道しますが、だからといって自分がやりたいビジネスが150%の成長率をたたき出せるかといったらそうじゃない。理想を持ってくることは大事だけど、撤退も多いという現実もあります。地域社会に馴染むのは簡単ではないですね。

 

ーどんな日本人が東南アジアで働くことに合っている?

心の余裕がある人の方がうまくいきますよね。どうでもいいことも笑っていられる人が精神的に、東南アジアに向いていると思います(笑)。

仕事のやり方や考えに柔軟性がない人は合わないですね。日本じゃ想定できないことがこちらでは日常で、それをありえないと思うとストレスになってしまうので。

 

ーではぶっちゃけ、東南アジアで働いている人が日本に戻って働くと、東南アジアでの経験は生きますか?

生きるし、生かさなきゃいけない。東南アジアにいると、仕事だけではなくて家族も大事にしなきゃとか、もうちょっと肩の力を抜いて仕事をしたりとか、大事なことに気づくことができます。でも結局、日本に戻ったらその感覚も戻っていくんですけどね(笑)。長いこと東南アジアに行ってなじむと、日本に戻れなくなる人もいる。

 

ーよくも悪くも選択肢が増えるんですね。そんな山本さんは東南アジアに行って後悔していることはありますか?

何もない!なんだかんだ、どこ行っても楽しめる人は、行ってからしんどいことがあっても、プラスにできるんだと思ってます。

東南アジアは「ホームタウン」!

ー山本さんをインドネシアに引き寄せたものは何ですか?どうしてインドネシアなんですか?

インドネシアは雑で、エネルギッシュだからかな(笑)。雑なのは仕事の仕方だけでなく、街の作り方も雑だし、自然も雑だし、でもだからこそ愛着が湧く。日本みたいにコンクリートで整っていたら、逆に居心地の悪さを感じてしまうけど、インドネシアは雑で心地いい。あと、子どもがすごく多いし、人が新しいものに貪欲だったりするので、そこのパワフルさは日本にはない、いいところですね。

インドネシアじゃなきゃダメな理由はないですね。インドネシア在留邦人たちと「東南アジアでどの国が一番いい?」って話になると、やっぱり「タイ」ってなる(笑)。タイには電車があって、ご飯が美味しくて、夜でも普通にお酒が飲めるような治安ですからね。「トータルでタイだよね」って普通に話すんですよ。

でも、それが言えるのはインドネシアに愛着があるから。それが本当に本音なら、もうその人は日本に帰っているはず。こんなにストレスが溜まるインドネシアだけど、なんだかんだ好きだよね、という不思議な感じ。

 

ー山本さんがインドネシアで「これだけはやりたい!」ということは?

うちの会社で働いているインドネシア人スタッフは20人以上いるので、日本の本社の都合で簡単に手を引くことはできないじゃないですか。まずはビジネスをインドネシアに根付かせて継続させること。あとは、東南アジアのNo1のサービスにするように、インドネシア人スタッフと仕掛けていくことですね。

 

ー最後に山本さんにとってASEANとは、何ですか?

うーん、「ホームタウン」かな。なんだかんだ、色んなタイミングで東南アジアに来ることがあって、東南アジアには第二の家族がいるし、育ててくれた人たちがいるし、なんか帰ってきたって感じがします。

 

編集後記

自分自身も山本さんと同じく、大学で国際関係を学び、ボランティアがきっかけで東南アジアに関心を持った1人として、山本さんのお話を聞く中で共感する回数が多かった。山本さんに語ってもらった東南アジアでの失敗や、東南アジアのネガティブな面もかなり赤裸々だ。現地組織との妥協や気持ちの持ち方という難しいテーマに取り組み続ける山本さんの姿勢はとても清々しい。

 

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