2016.09.06

いまだASEAN諸国の中で多くの謎を秘めている国、ブルネイ。

あなたは日本とブルネイが良好な国交関係にあることをご存じだったでしょうか?

2014年に日本とブルネイが国交関係を樹立して30周年を迎えました。

日本は長年にわたりブルネイ最大の貿易相手国であり、ブルネイの輸出額全体の約42%が対日輸出です。そして日本は天然資源が豊富なブルネイから石油・天然ガスを多く輸入しています(なんとブルネイが輸出する天然ガスの約90%が日本に輸出されています!)。

ブルネイ 石油採掘の様子

Photo From Travels and Others

2011年に東日本大震災が起こった時には、日本はブルネイ政府から約1億円の義援金と民間から約2300万円の義援金を受けとりました。

安倍首相とブルネイ国王の握手

Photo From 首相官邸ホームページ

このように日本とブルネイはエネルギーを基盤とした良好な国交関係を築いており、お互いが欠くことのできないパートナーとなっています。

今回の記事では日本とブルネイのこのような良好な国交関係を踏まえつつ、私がブルネイ留学で経験したこと、そしてブルネイが親日国である所以についてお伝えします。

 

マレー語の「こんにちは」、わかりますか?

私がブルネイに留学して約3週間が経ち、感じたことは、ブルネイ人の日本への好感度は大変高いことです。

例えばブルネイ人は日本語を良く知っていて、ブルネイ人と挨拶するとき、ブルネイ人は「おはよう」や「こんにちは」、自己紹介するときは「はじめまして」や「よろしくおねがいします」などの日本語を使ってくれます。

逆に日本はどうでしょうか?ブルネイの現地語であるマレー語を少しでもいいので知っているという方は少ないのではないでしょうか(ちなみに「こんにちは」は“Selamat tengah hari”です。)?

他にもブルネイの大学の授業では、何かの例えとしてよく日本の経済や製品について取り上げられたり、またブルネイ人から日本人であるだけで握手を求められたりします。

このようにブルネイの親日的要素を挙げだすと、きりがなくなってしまいます。

なぜブルネイは親日国なのでしょうか?

日本のアニメや漫画に代表されるサブカルチャー、寿司・天ぷらなどの日本食、自動車などの日本製品の影響もありますが親日国ブルネイが生まれた背景には一人の日本人がいました。

 

ブルネイを変えた (かもしれない) 一人の日本人

ブルネイの国旗

その日本人の名前は木村強(きむらつよし)

彼はブルネイの経済を変えただけでなく、ブルネイの人々の心も変えました。

彼とブルネイの物語は第二次世界大戦中までさかのぼります。

1939年、第2次世界大戦が勃発し、日本は1941年から東南アジアのアメリカ・イギリス・オランダなどが植民地とする国や島々を占領していきます。

その占領した国の1つがブルネイ。日本が占領する以前はイギリスの保護領となっていました。日本は占領したブルネイを「日本国ブルネイ県」と制定し、1942年から1945年の3年間統治していました。占領当時のブルネイは現在の豊かな国とは程遠く、世界の中で最も貧しい国の1つ。

1942年、ブルネイ県知事として日本から木村強がやってきます。

木村は就任直後、国王にお願いし、現地に詳しいブルネイ人 (国王の弟) を秘書として1人つけてもらいました。日本の国益だけを考えて占領するのではなく、ブルネイの発展に力を注ぎたいと考えていたため、それを実現するためにブルネイ人をそばに置き、行動することが最善である考えました。

そこから木村はブルネイ人秘書とともにブルネイに対してさまざまな貢献をしていきます。

例えば、ブルネイで天然ゴムが採れることに注目し、現地に工場を建て、新たな雇用を生み出したり、周辺をジャングルに覆われていたブルネイに道路、電気、通信などのインフラ整備を進めました。

また木村はブルネイ人に対する物腰の柔らかさからブルネイ人の信頼を勝ち取っていきます。

ブルネイで信仰されている宗教を尊重し、彼らの自尊心を傷つけない態度を心がけました。

その態度の背景には「日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、批判されることがないように品位を維持すること。そしてそのような態度から日本の国際的信用を高め、長く印象を残しておけばいつか海外に発展飛躍ができる」 そのような強い想いが隠されていたのでしょう。

木村は侵略者としての立場から目先の利益を求め、ブルネイを搾取すればブルネイとの信頼関係を二度と築くことができないことを理解していました。

日本とブルネイの未来の関係を考えたうえでブルネイを搾取するのではなく、ブルネイの発展のために統治にあたった結果、今の日本とブルネイの良好な国交関係は築かれているのではないでしょうか。

木村はブルネイに1年間しかいませんでしたがブルネイの経済、そして人々の心を変えました。

木村がブルネイを去るとき、王様や秘書、政府の幹部が別れを惜しみ、男泣きしたそうです。

それから22年後、木村は再びブルネイにわたり、王様に会うことになるのですが、その王様は当時木村とともに働いた秘書だったそうです!

sultan_omar写真

Photo from History

元秘書 オマル・アリ・サイフディン3世 国王

 

さいごに

親日国ブルネイを作った背景には偉大な1人の日本人の姿がありました。

日本人としてこのような偉大な日本人の先輩がいたことを大変誇りに思います。

私も留学生としてブルネイに来ており、多くのブルネイ人と接する身であるため、日本人としての品位を損なうような行動は慎みます。

また日本についてブルネイ人によく聞かれるため、もっと日本について勉強しようと思いました!

そして最後に今後も私たちが日本とブルネイの2国間関係を発展させていかなければなりませんね。

 

〈参考サイト〉

奇跡体験!アンビリバボー:ブルネイを変えた日本人 – フジテレビ

外務省: ブルネイという国 ~ “豊かな自然と資源に恵まれた平和な国”と日本の絆