2016.06.07
《プロフィール|米林舞香》
2010年夏、大学在学中に海外ブランドの日本市場でのPRを手掛けるPR会社でインターンを経験。その後すぐに渡米し半年間の語学留学を経験。
米国から帰国後、オンラインゲームの企画・開発・運営を自社で行うグレイトフルデイズ株式会社の韓国支社でインターンを経験。
インターンを経て、大学を卒業した後はグレイトフルデイズのベトナム支社を経て、 博報堂ベトナムへ入社し、マーケティングコンサルティング、広告の企画・制作に携わる。
アクセンチュア株式会社へ入社し日本帰国。インバウンド・アウトバウンドビジネス、経営・ITコンサルティング、デジタル戦略を幅広く学び日々奮闘中。
とにかく海外で働きたいという思いが行動の原動力に
ーなぜ、日本で就活せずに新卒で海外に行かれたのですか?
アメリカ留学で身につけた英語力を活かすために、卒業してすぐ海外に出たいという思いがありました。親の反対を押し切って大学を半年間休学し、半年の留学を終えて日本に帰国した後、まずは日本で就職活動を行いました。
海外に関わりが強い企業を調べて様々な企業の説明会に行く度に、人事の方や社員の方に「希望をすれば海外にすぐに行けるのですか?」と質問をしましたが、「少なくとも3年は国内で働くことになりますね」という回答が多かったのを覚えています。また、日本の就職活動では、書類審査、一次面接、二次面接と、とにかく結果がでるまでに時間がかかる。1日でも早く海外へ出たかったので、日本での就職活動を辞め、海外インターンシップを探し始めました。これもまた、親に大反対されたのですが、当時は怖いもの知らずで、自分の意思が強く、反対を押し切って海外に飛び出しました。
今思うと、何てリスキーな道を選択したのだろうと過去の自分の行動に驚きを隠せないですね(笑)
インターンは、中国や韓国をはじめ、香港やシンガポールなどアジアを中心に海外進出している日系企業にコンタクトをはかりました。最初にインターン受け入れのご連絡をいただいたのが、韓国にオフィスがある日系IT企業でオンラインゲームを制作、運営をしているグレイトフルデイズという会社でした。
それからは大学卒業まで、まずはインターンとしてお世話になっていました。大学卒業の直前まで韓国でインターンをして、卒業直前に社長より内定をいただき、グレイトフルデイズに正社員として入社しました。
そして大学を卒業し、いよいよ本格的に韓国で働くぞ!と決意していた矢先、開発拠点を本格的にベトナムへ移すということで日本人のほとんどがベトナムに異動になってしまったんです。そこで言われるがまま、ベトナム・ホーチミンへ。渡航前はベトナムという国をド田舎のガタガタ道みたいなのを想像していました(笑)だからちょっとだけ行くのが嫌だったり...。
でも、実際に行ってみると想像以上に都会で!さらに、社内の人だけでなくプライベートでも素敵な友人とたくさん知り合うことができ、すぐにベトナムが好きになりました。
ーそもそもどうしてそこまで海外にこだわりがあったのですか?
昔から漠然と海外へ行ってみたいと思っていました。ある日、書店でファッションPR会社の社長さんのインタビューを雑誌で読んだことがきっかけとなりました。
「デザイナーがいくらいいものを作っても、伝え方がうまくなければモノは売れない」と言っていて。その会社は、海外ファッションブランドの国内PRに特化していました。国内でも海外でも、どんなにいい商品も伝え方次第では全く売ることができない。日本では有名なのに海外では無名、なんていうことがすごくもったいない。日本の素晴らしい商品を海外に広めたい、また、海外の素晴らしい商品を日本で広めたい、という思いから、すぐに電話をしてインターンをさせてくれないかとお願いしましたね。
その行動力を買っていただいて、夏休みの間お世話になりました。ファッションPR会社のインターンシップでは、海外バイヤーが集まる大きな展示会にも携わらせてもらったのですが、そこで自分がいかに英語を喋れないのか痛感。英語が話せないとこの業界で世界中で活躍できる人材になれないなと思い、夏休みが明けてすぐ休学してアメリカに留学しました。
ーお話を伺っていると、どちらかというと欧米への思いが強いのかなと感じたのですが、どういったきっかけでアジアに目を向けるようになったのですか?
やっぱり、一番働きたいのはアメリカですね。でも、アメリカに留学していた時に、多くのアジアからの学生に出会い、心が動きました。みんな大学を卒業し、MBA取得を目指し、熱い思いや大きな夢を持ってアメリカに来ていて。自分は大学を休学し、短期的な語学習得が目的だったので、彼らの大きな志にとても影響を受けたんです。海外志向で熱心な若者がたくさんいるアジアをいいなって思えましたね。
あとは、単純にビザの問題もあります。アメリカではなかなか就労ビザが取れず、日本人が働きやすい環境とは言えません。とにかく新卒で海外に行きたいという思いが強かったため、ワーキングホリデービザを取得しやすい国を選びました。
初めての東南アジアで念願の広告業界へ
ー韓国のIT企業から博報堂への転職。そのきっかけはなんですか?
前職は日本や韓国向けゲームの開発を中心にしていました。なので、せっかくベトナムにいてもベトナムに向けたビジネスの機会があまりなくて。ベトナムに住んでベトナム人の社員と働いているのに、ベトナムの市場を知れないままで帰るのはもったいない、と思うようになりましたね。
そして昔から広告業界に興味があり、大学でも広告を勉強してたことをずっと公言していたんです。そしたら、たまたま知り合いのリクルーターさんを通して博報堂ベトナムにご縁があり、現地採用していただきました。
(仕事中の米林氏)
ー広告業界、私も興味あります!どんなお仕事をされていたのでしょうか?
業務内容は、一言でいうと日系企業のベトナムの市場でのマーケティング戦略、広告制作をサポートすることです。
マーケティングのコンサルや広告制作など、日本とベトナムのパイプ役としてなんでもやりました!会社にいる日本人はたったの3人で、私は日本人のクライアント様と社内のベトナム人社員の間を繋ぐコーディネーターとして働いていました。広告ひとつとっても、日本人に人気の広告の映像やデザインだからといって、ベトナムでもウケるとは限らないんです。でもベトナム人に何がウケるかなんて、日本人にはわかりませんよね。
例えば、宣伝文句。日本ではいかにかっこいい言い回しをするかが評価されます。でもベトナムでは「おいしい」を伝えたかったら、「おいしいんだ!!!」ということをダイレクトにわかりやすく表現するんです。この違い、面白いですよ。
あとは、日本で有名なものだからといって必ずしも有名になれるわけではないということ。ベトナムでは、バイク=HONDA、ビール=サッポロのように、業界の人気ブランドが代名詞として人々に認知されているんです。ベトナム人の持つイメージを覆すのがまた難しいんですけど、同時にやりがいでもありましたね。
そして、こういったローカルの情報をわかりやすく伝えてくれるベトナム人の同僚たちにはとても助けられました。ベトナム人の社員は20名ほどいましたが、彼らなしではやっていけなかったです。
ー日本とベトナムの違いがそんなところにもあるなんて、面白いですね!他にも、その違いによって大変だったことはありますか?
当り前のことですが、育ってきた環境が全然違うため、日本人との違いには慣れるまで大変でした。日本では時間厳守は当たり前ですが、ベトナムではそうではなく...。
でも、日系企業の方がクライアントになることが多かったので、そのルーズさは許されません。パイプ役として、どう締め切りに間に合わせるか、試行錯誤しましたね。
その結果、提出が遅れることや修正することを念頭に置き、ベトナムの人には本当の締切日よりもわざと早い日にちを言っておいて、ちょうどよく間に合うように調整していました(笑)
ーお仕事は大変充実されていたようですが、プライベートの方はどうでしたか?広告業界は休む暇もないと聞きますが...。
確かに忙しかったですが、日本の本社ほどではないと思います(笑)公私ともにとても充実していたからこそ、ベトナムも好きになりましたよ!
韓国にいるときは、日本人が多すぎて日本人のコミュニティっていうのは、せいぜい仲の良い人で集まるくらいだったんです。でも、ベトナムは違って、レタントン通りという日本人街があるんですけど、そこでいろんな日本人の方と出会いました。
日本にいたら絶対に接点のないような職業の方や、幅広い年代の方ともお酒を飲んで知りあえて、とっても楽しかったですよ。帰国してからもベトナムつながりでいろんな人に会っています。東京にいる地元の友人の数よりも、ベトナムで知り合った友人の方が断然多いです(笑)
(グレイトフルデイズ社員の皆と記念撮影)
ベトナムでの経験を日本へ、そして日本での経験をまた世界へ
ー海外で働きたいという思いからずっと海外にいらっしゃいましたが、日本へ戻ってこようと思ったきっかけはなんでしたか?
純粋に一度も日本で働いたことがなかったので、そろそろ働いてみたいなと。ベトナムでの生活に不満があったわけではないので、帰国すると言ったときは周りにもびっくりされました。
一番の理由は、博報堂ベトナムで2年間いろんなお客様と仕事をしてきて、ひしひしと感じたことがあります。ベトナムの企業はマーケティングや広告だけでなく、もっと根本的なところにも悩みを抱えていました。その中でも顕著だったのが、利益をあげていくためには、雇った社員をどう育てて、うまくやっていくのか。また、日本と海外で離れていることによる情報伝達や決定のスピードの遅さ、現場が実際に見えないことによる考えの差異などです。つまり、広告よりも経営戦略やマネジメントに関することを必要としていました。
私自身も一緒にお仕事しながら、そのような内部環境をどうにかしなきゃと感じることがよくありましたから。しかし、広告の仕事の範囲では、その問題を解決することができない。だからこそ、広告のことは学ぶことができた今、次はもっとクライアントのパートナーとして、企業全体の経営戦略をコーディネートできる人材になる為に、マネジメントの知識を磨きたいと思ったことが、コンサルティング会社で働く転機となったんです。
そしてコンサル的な視点が身についたら、また海外に行ってその経験を活かしていきたいなと。
ーなるほど。それですぐに転職活動されたんですね。実際にやりたいことの企業に入ることができた米林さんですが、ベトナムでの経験はどう生かされていますか?
新しい事業を立ち上げるときや、新市場を開拓するとき、まずは既存の市場や競合のリサーチからはじめるのですが、広告業界で身につけたリサーチ力というのは、かなり役に立っています!
あと、日本の企業はどんどんASEANへの進出を狙っています。ASEANでの経験と知識を持っているので、重宝されていますよ。
ー今後のさらなる目標はありますか?
また海外に戻りたいですね。次はやはりアメリカへ!
目の前の目標は、日本の企業が海外に進出した際に、日本の代表ブランドとして成功し、世界に影響を与える企業に成長するまで、全力でサポートをしたいです。素晴らしい商品やサービスを持っているのに、経営の仕方次第では全くうまくいかないなんてもったいない。
私には「二番手」であることが合っているんだと思います。広告もコンサルも共通していることは、二番手であること、つまり縁の下の力持ち的な存在であること。表には出ないけれども、未だないサービスや商品を一緒に作り出し、抱えている課題に正面から向き合い解決・改善を行い、企業の成長に貢献できる、信頼されるパートナーになりたいです。
ー最後に、米林さんのように海外へ飛び出していこうとしている読者に向けて、経験者としてのアドバイスをお願いします。
とにかく「直感」に従い、自分に「素直」であること。不安があるのは当然です。でも、海外に行った経験を後悔したという人にあまり出会ったことがありません。
それは不安を上回るものを得られるからだと思います。それに海外では日本でできないことにたくさん挑戦できます。
チャレンジ精神が受け入れられることの方が圧倒的に多い。だからこそ、海外でいろんな経験をして、その経験を日本で生かしていけるような人材がこれからもっと増えていけばいいなと思っています。
編集後記
日本で経験を積んで海外へ出て行く人々は多いが、その逆はあまりなじみがなかった。米林氏のように海外での経験が評価され、日本に戻り転職した方々にはとても興味があった。そしてインタビューをさせて頂いて非常に勉強になった。同氏のような”リターン人材”はこれから増えてくるだろう。海外で得た経験などを日本でどのように活かすのか。今後は日本に帰国された方々にも注目していきたい。