2016.4.18
大学3年次を休学し、文部科学省の奨学金制度「トビタテ!留学JAPAN」でマレーシア・クアラルンプールにて1年間修行をした上智大3年の常井裕輝氏。圧倒的な速度で成長をする彼を止められる人は何処にもいない。彼を突き動かし続けるのは飽くなき好奇心、即ち未知への探究心である。大学3年生とは思えない彼が目指す世界とは?
《プロフィール|常井裕輝氏》
1994年5月4日生まれ。空手道松濤流初段。水戸第一高等学校卒。現在上智大学法学部在学中。海外経験は約10ヶ国。これまでに国内外5社で長期有給インターンを経験。webマーケティング、デザイン、コーディング、営業、などを業務で行う。2015年3月から月2016 年3月まで、トビタテ!留学JAPAN2期生として、大学3年次を休学して1年間東南アジア(マレーシア)を拠点に活動していた。2016年3月中旬にマレーシアから帰国。
趣味はミュージカル鑑賞と写真撮影。実家がケーキ屋なため、カフェ巡りとお菓子作りも好き。神話とかオカルトとかそっち系も好き。時々ピアノとウクレレを弾く。
目次
大学3年次を休学し、マレーシアへ
ー休学してまでマレーシアでのインターンを決意したきっかけは何でしょうか?
大学1年の時にすごい先輩に断続的に出会ったことです。彼らは、普通の大学生活を送っていては絶対に勝てないなと感じる存在でした。そこで危機感を持ち、大学1年から長期有給インターンをしていましたが、やはり「このままでは勝てない」と感じました。
ならば、すでに確立した組織や事業に入るというより、自分で事業を創って自分でヒトモノカネを動かす経験をしようと決めました。あとはせっかくやるなら海外の方が面白いはずだと。
そのためには休学が必須だったので、卒業を遅らせることに対しての抵抗は特にありませんでした。一方で親は休学に反対していたので、喧嘩もしました。
ーご両親への説得 は苦労しませんでしたか?
苦労しました。いわゆるベンチャー的なマインドを持っていたり、海外志向ではなかったので、半年間ほど説得し続けました。
それまでの2年間も学業第一という訳でもなかったので、親の目には危なっかしく映ったのでしょう。とにかくずっと「休学することの必要性」を主張し続けました。
ー国内インターンではそのすごい先輩達には追いつけず、海外インターンなら追いつけると思った根拠は何ですか?
彼らはものすごい高いレベルの人たちだった一方で、そこまで出自から差があるという訳でもありませんでした。要は、普通の家に生まれた普通の学生だったわけです。
だからこそ私でも追い越せると思いましたし、そのために海外での修行は必須だと考えました。
ーなるほど。ではなぜマレーシアを選んだのですか?
経済、国際関係、宗教の面からマレーシアに決めました。マレーシアは経済成長中の国です。将来、経済成長地域で事業を回す際の感覚を掴もうと思いました。
さらにマレーシアはハブ国家でもあるので、世界中から人材が集まります。成長できる環境があると考えました。国際関係に関して、日本にとってASEAN地域の重要性は増しているので、深くASEANを知りたいとの思いもありました。
最後は宗教。今後世界人口の1/3を占めると言われているイスラム教のリアルを、現地に溶け込み深く理解したかったんです。
そして文部科学省の奨学金制度、トビタテ!留学JAPANに合格
ー常井さんはトビタテ!留学JAPANの2期生でもありますよね。トビタテ!留学JAPANに応募した理由は何ですか?
金銭面のサポートが手厚かったことと、何よりもメンバーが面白いなと感じたからです。
世界中に散り、様々な分野で留学をする学生のコミュニティに入れるということに計り知れない魅力を感じました。
ートビタテに応募する際に大変だったことは何でしょうか?
応募書類の準備です。文部科学省のプロジェクトなので提出書類が非常に多いんです。
絶対に獲りたい奨学金だったので全力で取り組んだ結果、相当な時間がかかりました。
ートビタテ応募時に提出した留学計画書の内容を教えてください。
私の場合は少し特殊で、よくある教育機関への留学ではなく自分でプロジェクトを立ち上げ運営する、というものです。 具体的には、
- 日本とマレーシアをつなぐwebメディア(オウンドメディア)の立ち上げ、運営
- 日本とマレーシアをつなぐ奨学金制度(NPO)の立ち上げ、運営
- ASEANでの法人向け研修事業や訪日ツアーの開発、運営
の3本です。どうつながってくるかといと、
まずメディア作って情報発信してマーケティングします。そしてツアーや研修に参加してもらいます。
で、日本人をASEANに、ASEAN の人を日本に送ります。費用や人的サポートの面で難のある人に対してはNPOを通して支援していくというスキームを考えました。
そしてついに2015年3月にマレーシアにトビタツ!
ー始めの1ヶ月は何をしていましたか?実務と生活面の2面から教えてください。
AWAY運営者、山口さんのもとで、現地のデザイン大学と共同でマレーシアのプロモーション動画を製作しました。また、弊社のオウンドメディアであるAWAYメディアの立ち上げも行いました。
ーなるほど。 "AWAY"という海外修行プログラムについて詳しく教えてください。
意識高い大学生のために、海外修行型合宿と海外長期インターンを提供しています。合宿は、大学生でチームを組み、現地で事業立ち上げを経験できる短期集中型のプログラムです。
インターンに関しては、現地でインターン生を募集している主にスタートアップを紹介しています。合宿およびインターンともに、毎週末にアジアビジネスの講義や、現地経営者や大手企業の駐在員などとの交流会、現地大学生とのイベントなど知見を広げたり、幅広い人脈をつくる機会を設けます。
これまでの参加者を見ると、旅行、留学、ボランティアなどを経験した上で、多少なりとも自己研鑽の意欲が高まった学生が参加する傾向にあります。
HP:http://myaway.jp 運営会社:株式会社UNLOCK DESIGN
関連記事:中学生から単身渡米 アクセンチュアを経てマレーシアで起業 。「教育」から日本の若者を変える UNLOCK DESIGN INTERNATIONAL 代表山口聖三氏
ー実務をするにあたって意識していたことは何ですか?
ひたすら仕事ができる人の真似をしていました。守破離という言葉があるように、始めはとにかく上司の仕事を真似しました。そして仕事のやり方を分解し一般化して、新たな仕事に適用するサイクルを回しました。
常に学び、新しい物事を習得し続けることを意識していました。
ー一方で、生活面の点から意識していたことは何ですか?
徹底的に現地人化することです。
まず初めに、インド系が運営する激安床屋で、マレーシアで人気の髪型にしてもらいました。次は文化に馴染むという点から、中東発祥のシーシャや、アメリカ生まれでマレーシアで大流行している、VAPE(いい香りでニコチン無しもある電子タバコ)も試しました。
これはマレーシア人みんな持っているので、初対面で会話を弾ませるツールとして使えます。
他にはダンスと音楽を練習しました。この2つがあれば言葉は通じなくとも仲良くなれます。とにかく最初からマレーシアに溶け込むように常に意識していましたね。
ー2ヶ月目からは具体的にどういうことをしてましたか?
現地で働くビジネスパーソンにインタビューをしてました。日系大手企業のマレーシア法人のトップや経営陣、日本人起業家や現地の起業家にお会いしました。近隣国にもお話を伺いに行きました。
ー海外で活躍するビジネスパーソンを実際に見て感じたことは何でしょうか?
仕事の本質は海外でも、日本でも変わらないと感じました。単純に言語は違いますが、それを以って仕事が大きく変化するということはないでしょう。
また、国外で仕事をするということで、国内と比較して圧倒的に困難な業務はないと思います。
ーこのインターン中で一番難しかったことは何ですか?
まったく業務と関係ありませんが、ベトナムとラオスへの移動が辛かったです。小旅行をした際に、ベトナムとラオスの国境をバスで越えたのですが、あの移動が地獄でした。
もともと15時間と言われていたのですが結局26時間かかり、国境では無駄に2時間ほど待たされ、バスの中では鶏が嘶き、当然トイレはなく、言葉はさっぱり通じません。
英語すら通じないということがこんなにも心細いものなのかと感じ、日本に来た外国人も同じことを体験するのかと思うと申し訳なく思います。
インターン中、彼を動かし続けた志とは
ー1年間超アクティブに活動していた常井さんのモチベーションの根源はどこにあったのでしょうか?
主に2つです。
1つは「AWAY を全国に広げて大きくしたい」という思いです。私は大学進学を機に茨城から上京してきたのですが、その時にあらゆる機会格差と情報格差に愕然としました。
人が集まる東京に機会も情報も集中するのは当然ですが、地方にもそれらを広げていきたいと感じました。その一環として、AWAYを通して世界に出る機会を全国に広げたいと考えました。
2つ目は大学1年のときに感じた「同世代のすごい人たちに負けたくない」という気持ちです。そもそもそれが理由で休学しています。彼らは彼らで日々成長し続けているので、妥協できません。
見えないライバルの存在は成長する上で大きいなと感じました。「遠い異国の地で、あいつは今頃こんなことしてるんだろうな」とか考えながら一人で焦ってました。往往にしてその想像を超えてくるのでたまったものではありませんが...。
ーマレーシアでの1年間を振り返って得られた気付き 、学びは何ですか?
たくさんありますが、海外に長期滞在する上で最も重要だと思ったのは
「情報の入手源を複数持つこと」です。
日本語の情報だけを知っていてもそれは日本のメディアのバイアスがかかっていて現地の視点などはわからないですよね。
だからこそ現地のメディアから英語で情報を入手することが重要だと思いました。最低でも現地語メディアの英訳で。
現地人の視点から物事の情報を得て、現地の文脈に思考を委ねつつ多面的に物事を考えるように心がけていました。
ースキル以外にマインド面の変化はありますか?
月並みですが、海外に対するあらゆるハードルが低くなったことですね。
「あらゆる」とは、一人旅するとか住んでみるとか仕事するとか、そういう意味です。
実際に海外に長期滞在して「意外と海外余裕だな。なんとかなるな」と思いました。
自分が想像しているより海外で生活することはハードルは低いものです。
常井氏が次に見据える展望とは
ー常井さんの今後の展望はどういったものでしょうか?
教養と、専門性の高い知識を得たいです。一般的なビジネススキルなどはインターンである程度は身につきます。一方で、専門性の高い知識やリベラルアーツに関してはなかなか身につくものでもないでしょう。しかしこういったところを押さえなければ、人間としての尊敬も得られないでしょうし何より自分の人生が豊かにならないだろうと考えています。
ーなるほど。では短期的なビジョン、目標などはありますか?
1つは、英語 を何不自由なく使えるレベルに最大限に引き上げます。まだまだビジネスの前線で使うには力が足りません。英語は日本にいても伸ばせるので精進します。
2つは、コンピューター言語を6言語を身につけることです。何かと言うと、HTML, CSS, JavaScript, Python, PHP, Swiftです。作りたいものがあるのでそれに向けて一つずつ潰していきます。
ー最後にこの記事を読んでいただいている皆様に一言お願いします。
全員が全員海外に出る必要はないと思います。海外に行きたければ行けばいい。無理に出る必要もないし、出す必要もないと考えています。あくまで個人の選択の問題でしょう。
ただ、少しでも行きたいと思うならば悩んでないでとりあえず飛行機のチケットとればいいと思いますよ。
旅行でもインターンでもトビタテでも、アドバイスできますので何かできることがありましたらお気軽にご連絡ください。
yuki tokoi 又は常井 裕輝とFacebookで調べればすぐわかると思います。
http://www.myaway.jp/people/yukitokoi に詳しいプロフィールもあります。
この記事を読んでいる方の中で海外経験ある方や出ようと思っている方、弊社のメディアで取材させていただくことがあるかもしれません。その際はどうぞよろしくお願い致します。
【編集後記】
常に未来を見据え続け行動を起こし続ける常井氏。同じ94年生まれとは思えないほど圧倒的な存在感を持つ人でした。一方でまるで少年のような素直さ、謙虚さも兼ね備えていてとても学びが大きかったです。彼を別格視せずに私も行動し続け挑戦しよう。そう強く思い刺激を受けました。