はじめまして!アセナビメンバー、京都産業大学外国語学部4年の平山麗と申します。
最近はコロナの影響で家で過ごす時間も長いため、料理に挑戦しています。いつか東南アジアの料理を美味しく作ってみたいな~と思ったりしています。
今回は、1年間留学した縁のある、インドネシアとの関わりを軸に私の自己紹介をしたいと思います。
インドネシアに関わるきっかけ
私は大学でインドネシア語を勉強しています。
なぜインドネシア語を選んだのか?
高校生の頃を振り返ると、その理由は「マイナーな言語を勉強したかったから!」だと思います。そこで候補に挙がった言語がインドネシア語とロシア語でした。英語プラスαで、学習者が少なそうな言語が話せるようになれば、面白いのではないかなと考えていました。
その中でも、インドネシア語を選んだのは正直、直感によるところも大きかったです 笑
当時の自分は、インドネシアといえばバリ島くらいしか知りませんでした。しかし、インドネシア語についてインターネットで調べてみると、世界一簡単な言語だと書かれていて、「これだ!」と思い、インドネシア語を選びました。偶然出会ったインドネシアでしたが、今となっては、心の底からインドネシア語を選んで良かったと感じています。
インドネシアの何に興味をもったか
このように、インドネシアについてほとんど知らなかった私ですが、気づけば大学生活はどんどんインドネシア一色に染まっていきました。
特に、私が留学していた中部ジャワの古都、ジョグジャカルタは一言で表すと "Peaceful"な街で、現地の人々の温かく明るい笑顔が印象的で、とても居心地が良かったです。
また日本との「時間の流れ」の違いも、現地で強く感じました。ジョグジャカルタでは時間がとてもゆっくりと流れているように感じられました。温暖な気候や、現地の人々の国民性なども合わさって、そう感じたのだと思います。
現地ではよく「Santai santai」という言葉を耳にしました。辞書には「くつろぐ」と書かれていますが、「なんとかなるさ」という意味合いでよく使われる言葉です。良い意味でゆるく、前向きなインドネシアの人のスタンスが私は好きです。
(留学先の大学でのクラスメートと一緒に撮った写真)
留学中に印象的だったこと
インドネシアでの生活は毎日が新鮮な驚きで溢れていました。毎朝モスクの礼拝の音やニワトリの鳴き声で起きたこともその一つです。日本では体験出来ないような日々を過ごしていく中でも、特に印象的だったことは、ある一人の少年に出会ったことです。
ある日の夜に、現地の友達と賑わっている屋台に行った時に出会った子で、大きいリュックサックにパンパンの飲料水を背負って一人で売っている小学生くらいの少年でした。その子は私のところへ寄ってきて、水を売ることを忘れて目を輝かせながら、「どこから来たの?僕はウルトラマンのポーズ出来るよ!こっちのゲーム教えてあげるね!」と外国人である私に興味津々で話しかけてきました。
初めて見る光景に驚きつつも、彼を見て、何か心からすごく感じるものがありました。純粋無垢で噓偽りのない一人の少年の笑顔を見た一方で、夜中に大人達に声をかけて一人で水を売っている現実から感じたことは、お金がないゆえに幸せを知り得る機会が私の幼少期と比べて少ないのではないかということ。ただ、彼の真っ直ぐで今を生きている目は忘れることが出来ないし、私自身も彼に恥じないように今を生きようと強く感じました。そんな多くのことを教えてくれたインドネシアに心から感謝しています。
(現地の屋台で出会った水を売る小さな少年との写真)
未来への想い
私の周りにはインドネシアと出会って価値観や人生が大きく変わった友人がいます。現地で働きたい人や、現地で大切な人が出来てイスラム教に改宗する人など。
私も大きく価値観が変わりました。それは、 "幸せの価値観" です。現地でホームステイをしていた家族は、本当に暖かく周りの人や一番身近な家族を密接に大切にしていました。今この時間を身近な大切な人と過ごす。これで充分なんだと。私自身も、将来家族が出来たらそんな暖かい家庭を築けたらいいなと思っています。
インドネシアに行く前は、ちょっとしたことで不安になったり狭い世界で生きていたんだと今になって思います。しかし、インドネシアと出会って、前向きで暖かい「なんとかなるさ」精神に触れてから、日々さらに楽しくなっていったと感じています。
多民族国家であるインドネシアは、様々な文化や宗教、民族、言語が入り混じりった国で、私の大好きな国です。まだまだ表面的にしかインドネシアに関われていないかもしれませんが、私の青春は高校時代ではなく、ジョグジャカルタに留学した1年間だと即答できます。
これだけ私を変えてくれたインドネシアに対しいつか恩返し、までとはいかないかもしれないですが、これからもずっとインドネシアに関わっていきたいと考えています。
(現地で大変お世話になったホームステイの家族と一緒に)