トビタテ!留学JAPAN4期生として1年間、ベトナム・ホーチミンにあるNew World Saigon HotelとFirst Study Japanese Language Schoolでインターンを経験した後、再びベトナムに戻り、2年目の休学では、ダナンのきらら日本語学校にて日本語教師を務めた高岡航介さん。2年間の休学を経て現在大学を退学し、春から日本での就職を決めた高岡さんに、現在に至るまでの経緯とその選択を決定付けた熱い思いを伺いました!
《プロフィール|高岡航介(たかおかこうすけ)さん》
1995年生まれ。神奈川県出身。トビタテ!留学JAPAN4期生。立命館アジア太平洋大学を3年次から2年間休学の後、2018年冬に退学。休学1年目にベトナム・ホーチミンにある五つ星ホテルと日本語学校にて、半年間ずつインターンを経験。日本に一時帰国後、再び渡越。休学2年目は、D-Standard Vietnam Co., Ltd.が経営する日本語学校にて日本語教師を務める。2018年3月から日本にある本社、ディースタンダード株式会社にて就職予定。
すべては一人のベトナム人との出会いから始まった
ー二度の休学をして、ベトナムでインターンをされていた高岡さんですが、そもそもなぜベトナムなのですか?
きっかけは本当にたまたまでした。もともと何もなかった地元を出たいという思いは強くあって。当時第一志望だった大学に落ちて、今の大学に行くことになったのですが、初めて大学の寮に着いたときに、その共有スペースにいて初めて目に飛び込んできたのがベトナム人の女の子だったんです。
それをきっかけに彼女と話すようになったのですが、自分では少し自信のあった英語を「あなたの英語わからないわ」とぶった切られて(笑)。僕にとってすごくショックな出来事でした。そこから猛勉強しましたね。その人を見返したい、自分のことを認めてほしいと思って、とにかくいつも話しかけていました。
彼女と話していくうちに、とても気が合うことに気づき、人としてもとても尊敬できる彼女が育ったバックグランドを知りたくなりました。それまで、ベトナムのことは全く知りませんでした。それで、まずはベトナム語をやってみようと。僕はそんな彼女との交流を通じて、ベトナムについて知るようになります。たった一人のベトナム人との出会いが、僕とベトナムを繋ぎ、新しいアンテナを立てるきっかけになりました。
ーその方との出会いがベトナムを知るきっかけだったのですね。では、そこから休学してベトナムでのインターンシップを行うに至った経緯を教えてください。
大学2年生になったことを節目に、自分が今好きでやっているベトナム語は将来にどう生かすことができるのだろうかと考えるようになりました。そこで、まずは実際にベトナムに行ってみようと思い、2年生の夏休みに1ヶ月間、ベトナム語の学習と異文化交流を兼ねた大学のプログラムを利用してホーチミンに滞在しました。
実際にベトナムに行ったことをきっかけに、さらにベトナムに惹かれるようになります。ここなら僕はいきいきと過ごすことができると思ったんです。とにかく、なんとしてもベトナムに1年間住んでみたいと考えるようになりました。
その時に、当時ホーチミンのNew World Saigon Hotelで1年間インターンシップをしていた友だちに再会し、彼女の紹介もあって、僕もそのホテルでインターンシップをさせてもらえることになりました。
ー休学1年目の途中からインターンシップ先を変更されていますが、それはなぜでしょうか?
ホテルでのインターンシップも確かに充実したものだったのですが、やはり初めてのインターンシップということもあり、「働くとはこういうものか」ということを実感しているだけになってしまっていたのです。
そんなときに、主に日本で学習塾の経営を行っていたファースト・スタディ、後の僕のインターン先になる会社の代表と、縁あって夕食をご一緒させていただく機会がありました。その3時間が本当に熱くて、これが世の中を変えていく人なんだと衝撃を受けました。終わった後の高揚感がすごかったです。
これをきっかけにこの人の元で働きたいと強く思うようになりました。半年という節目もあり、元々働いていたホテルを辞めて、ファースト・スタディのホーチミン校でインターン生として、日本人学校生向けの個別指導と日本語学校での授業を受け持つことになりました。
ローカルがあってこそのグローバル ー自分が本当にやりたいこと
ーベトナムで実際に1年過ごしてみて、高岡さんの中で特に変わった価値観はありますか?
たくさんのベトナム人と関わって気付いたこと、それはベトナムの人たちって、本当に地元や家族を大切にするんですよね。インターン先のベトナム人の社員さんたちも男女問わず、週末になると地元に帰ったり、まめに両親と連絡を取ったり。
その一方で、僕の地元は神奈川県にある秦野市という地方なのですが、全然パッとしないところで、もともと自分の地元がすごく嫌いでした。大学入学をきっかけに実家を出て寮暮らし、ベトナムにも留学してたし、地元に帰ることも両親と連絡をとることもめったにありませんでした。だからこそ、僕にとってベトナムの人たちの考えがとても不思議でしたし、大きな影響を受けましたね。
ーベトナムでの経験を通して、高岡さんは“ローカル”を強く意識するようになったのでしょうか?
たしかに、ベトナムでの経験も大きかったのですが、振り返ってみればベトナムに来る直前から“ローカル”というアンテナは立て始めていたのかもしれません。
中学生の時に、市が実施していた海外の姉妹都市に行って異文化交流を行う企画に、第一期生として参加したことがありました。そしてトビタテ4期生の壮行会の時に、その企画に同じく一期生として参加していた同級生にたまたま再会したんです。
「こうやってトビタテに応募したり、過去を遡ってみたら、あの企画って大きかったよね」そんな会話を通じて、同郷の仲間が、若者が、自分と同じように世界を目指して頑張っている人たちの存在に気付くことができました。自分が嫌いだった地元から世界で活躍する人材が生まれ始めているのは、僕にとってとても嬉しいことでした。
その時に自分の地元が生き残る方法は、これなんじゃないかって思ったのです。自分の地元のような日本のローカルを活性化するためには、世界に目を向けた視座の高い“若者”の力が必要だと。
ーなるほど!トビタテ!留学JAPANの壮行会や1年目のベトナムでの経験を通して、“地方活性化”という高岡さんにとっての大きなテーマが出来上がりはじめていたのでしょうか?
ベトナムでの1年目の経験があってこそ、今の僕にとっての大きなテーマである「地方活性化」に結びついたのだと思います。
僕は、今のグローバル社会があるのはそういったローカルの社会があるからこそだと思います。そして、グローバルで活躍する人材は最後にローカルで還元できる人です。グローバルで活躍した結果、ローカルに還元される。今、日本のローカルはどこも深刻な人材不足で悩んでいます。でも発展途上のベトナムには多くの若者がいる。その若者たちに日本のローカルをどんどん紹介していって、一緒に盛り上げていくことはできないかなと考えています。
日本のローカルの問題に取り組むことで、日本の技術を伝えることはもちろん、ベトナムの人々の視座を上げることも目的としていて、故郷に帰ったときにその視座を上げた状態で物事に取り組んでほしいのです。お互いの国が活性化する、これが本当の国際協力の在り方だと僕は思います。
ーでは、2年目の休学は、高岡さん自身が本当にやりたいことを突き詰めたうえでの選択だったんですね!
そうですね。もともと旅行をきっかけに大好きになったダナンで何かをやりたいという気持ちは前から強くあって、それが自分のやりたいことの根本にある人材業と結びつきました。そのタイミングで出会ったのが、D-Standard Vietnam Co., Ltd.が経営するきらら日本語学校でのインターンシップです。
ここで僕は、奈良女子大学の学生のみなさんと、京都の茶畑で有名な和束町の方々と共に協力して、大きな一つのプロジェクトに挑戦することができました。
今若い人材を必要としている和束町と、日本に行きたいと考えるベトナムの若者を繋げる企画です。
もともと和束町と繋がりのあった奈良女子大学の学生のみなさんに、実際にダナンにあるきらら日本語学校に来ていただいて、日本語学校の生徒たちに対して和束町の魅力を生で発信してもらいました。
和束町では今、日本も含めた海外からのインターン生を募集していて、地元の若者や地域おこし協力隊と一緒に和束町を盛り上げていこうとしています。この企画を通して和束町に興味を持ってもらって、一人でも多くの生徒が日本へ行くきっかけになることを願っています。
自分が大切にしたいことと“退学”という選択肢
ー高岡さんは今年の冬に大学を退学して、春からインターンシップ先の日本本社であるディースタンダード株式会社に就職されるとのことですが、それまでの決意に至った経緯を教えてください。
もともと僕は起業しようと考えていたのですが、経営がやりたかったというわけではなくて、自分がやりたい事業を行うためには経営をしなければいけないという状況でした。
そんなときに、インターン先でディースタンダード株式会社の代表を務める小関さんが書かれた10年先までの事業計画を読んだのです。それを読んで、僕がやりたいこと、すなわち“人材×地方活性化”という大きなテーマはこの会社で達成できると確信しました。むしろ自分だけでやるよりも、もっと面白くできると思っています。
一旦また大学に戻ると、今まで自分が積み上げてきたもの全てを失うことになってしまう。リセットされてしまうと思うんです。今ちょうど僕は2年間の休学の集大成で、次のステップにいこうとしている段階にある。大学と今の状況を天秤にかけたときに自分が大切にしたいこと、優先順位が明確になって、退学を決意しました。
ー退学という選択に対して、周囲の反応はいかがでしたか?
退学を報告したときに、友人や大学の先生方の多くは「高岡なら大丈夫」と背中を押してくれ、応援してくれました。でもやっぱり最後は家族ですね。両親から大反対されました。1年間の休学でベトナムへと飛び出して行って、さらに休学を伸ばして計2年間。ほとんどまともに連絡もとらず、異国で何をしているかもわからず、家族とのコミュニケーション不足が原因でした。
しかし大学を辞めて就職することは僕の中で絶対に譲れない、それ以外の選択肢は考えられなかったので、なんとか説得しました。
―最後に、高岡さんのこれからについて教えてください!
僕にとっての最終目標は自分の地元の市長になることです。今はとりあえずそのための下地作りが必要だと思っています。僕が春から働くことになっている日本のディースタンダード株式会社は、主にITを展開している会社。もともと興味のあったIT分野に携わることができて、とてもわくわくしています。ここからしばらくはベトナムとの関わりは減ってしまうかもしれませんが、またこれまでとは違う新たなステージに突入していると実感しています。
僕のこれまでの人生は、本当に人との出会いが全てでした。人と出会って話をして、新しいことを知り、新しい興味のアンテナをはることでまた新たな人に出会い、行動する。その繰り返しだと思います。
みなさんもたくさんの人と会っていろんな話を聞いて、自ら行動し、自分が本当にやりたいことを見つけてください。
編集後記
取材を通して、自分自身の軸をしっかりと持ち、どんな時も人との出会いを大切にして行動する高岡さんのまっすぐとした姿勢が強く伝わってきました。
高岡さんとはもともと、ダナンでインターンシップをしているという共通点から知り合いました。私自身も高岡さんと出会ったことでインスパイアされ、新しいアンテナをはり、今まさに行動しようとしている最中です。この記事も誰かのきっかけとなって、その人の新たな選択肢が広がることを願っています。