駐在員として活躍する傍ら、柔道チームを指導。「柔道を通じてミャンマーを変え、最終的にはスポーツを通じて世界を変えたい」

某大手旅行代理店の駐在員としてミャンマー•ヤンゴンで働く戸田祐樹氏。熱い視線が注がれるミャンマーで働くことのリアルと、今後の夢を語ってもらった。「最終的にはスポーツを通じて世界を変えたい」という強い想いを持ちながら、本業の傍らアクションを起こす姿に迫った。

 

ー「ミャンマーに来た経緯をお聞かせください。」

戸田さん
「某旅行代理店の赴任スタッフとしてここに来ました。その経緯を話すと、去年の3月に上司から海外赴任の話が来て、ヤンゴン、イスタンブール、モスクワ、テヘランの4つの選択肢があった。その時は、ミャンマーもテヘランも行く気がなかった。すると、モスクワかイスタンブールかなって思ったけど、イスタンブールも行きたくなかった。なぜかと言うと、僕はミラニスタ(サッカーチームACミランのファン)で、昔ミランがチャンピオンズリーグ決勝で3-0でリードしていたのに追いつかれて逆転されたという「イスタンブールの悪夢」があった地だからイスタンブール(トルコ)には縁がないと思った。しかもサッカー好きな上司はそれで納得してくれたからね(笑)。だから、これはもうモスクワに行くのかなと思っていた。

でもやっぱり、元々アメリカに行きたくて、「僕はアメリカしか行きません」と2度断った。断りながらふと思ったのが、他のスタッフが行きたいと言っても、ここで僕が「はい、行きます」と言ったら、間違いなく行かせてくれるだろうということ。

当時、別会社でシンガポールに赴任する高校の後輩がいたのでミャンマー赴任を相談したんだ。すると、彼は「戸田さん行った方がいいんじゃないですか?行けば一皮、二皮剥けますよ、ミャンマーなら」と。あとは、このまま日本で仕事を続けてても何を得られるのかなって思いが強くなって、やっぱり海外に出たくなった。

ミャンマー赴任をOKして、詳しく話を聞くと、支店立ち上げを任されることになった。注目されてきたので、いち早く出したかったみたい。最初は注目されていると言われても実感湧かなかったけど、ミャンマーがASEANの一番ブームな時期を経験できたから、結果的にはすごく良かった。『あんなに“アメリカ、アメリカ!”と譲らない戸田がミャンマーを選んだのはなんでだ?』とみんな驚いていた。」

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ー「相当アメリカへの思いが強かったと思うんですけど、捨てきれなかったと言うか、アメリカに対する気持ちは変わったのですか?」

戸田さん
「まず、アメリカになんでこだわっているのかというと、大学3年の夏に出会ったハーバード大学院の教授(教育関連)が僕の人生を変えてくれたから。教授の協力によって、赴任前の2012年9月、別の大学院でもあるハーバードビジネススクールの講義に出席させてもらった。どういうところかっていうと、まず、人種が多様で、男性女性はもちろん、アメリカ、アジア、南米、宗教でもユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教、と色んなバックグラウンドを持つ人が来てる。教授は彼らの特性や背景を考慮しつつ、彼らがぽんぽん投げてくる言葉を拾って、紆余曲折しているものを最後1つの形にするだよね。90分のうち75分ディベート、15分で教授がまとめるんだけど、あの講義は一種のショーだよね。学生の発言も凄いけど、教授のハンドリングも素晴らしい。

それ見た後に、ため息というかもう圧倒されて。サッカーの試合で90分終わった後に圧倒的な力の差を見せつけられたみたいに。そのとき、『あ、こりゃ勝てねえよ。日本人来れないわけだ。だからこそ、僕は絶対ここに来たい』って思った。最後講義終わった後に、教授と握手して、『僕は数年後に必ずここに来ます!』って言ったら、ビジネススクールの教授が『君のために席を空けておくよ』って言ったんだ。しゃれたコメントだよね。

『もうこれはミャンマーでやるしかない、成長するしかない!』って思って、むしろ火をつけて帰れた。

世界で戦うためには、日本以外の場所を知らないといけない。キレイな所だけ知ってちゃダメで、汚い所も知らないと世界を変えられない。日本ってスラムみたいな所ってほとんどないでしょ。日本人の価値観だけではやっていけない。例えば、ミャンマーのような信頼の習慣がない国とか、インフラがぼろぼろで何もできないような場で色々学ぶのは大事だし、今後の将来に向けて経験値が増える。

toda photo11(戸田さんとハーバードの教授)


ー「実際にミャンマーに来られたあと、一皮むけたっていう気持ちはありますか?」

戸田さん
「日本だと、クリーンにカッコ良く仕事しなきゃって思ってた部分があったけど、バカになるというかムードメーカーになる大切さを知った。ヤンゴン支店では、チームワークを良くしようと思って、ローカルスタッフと近い距離に身を置くことを心がけている。彼らは仕事は行うが、言われたこと以外やらないし、残業もしない。仕事に楽しみを見いださないから、つまらなくなったら辞めてしまう。厳しい、忙しい、評価されない、だから辞める。でも、会社が楽しければ来るし、チームの士気も上がる。僕の役割は、パッションによってチームの士気を上げることだと思ってる。


ー「特に組織が成長段階にあるときって士気が一番大事なんでしょうね。

ミャンマーでしばらく働いて感じた“ミャンマーで働くことの魅力”ってなんだと思いますか?」

戸田さん
「何もない場所だから自由に動けて、日本でできないようなことを責任持ってできる。毎日違うことが起こるから、魅力的な場でもあるし、大変な部分もある。例えばオーソドックスな所で言うと、ミャンマーは事業やるためのライセンスが降りるのが遅い。法律がコロコロ変わったり、政治リスクがあるので、事業計画書いても計画通り行かないっていうのがある。あとは、ミャンマー人って人が良いって言うけど、表面上は良くても裏は悪いっていうのが多々ある。給料もらった日に辞められるってのはよく聞くよね。」


ー「ミャンマーが刺激的な所ってのは間違いなさそうですね。プライベートもお聞きしたいんですけど、仕事以外の所で力を入れてることはありますか?」

戸田さん
「これ頑張ってると言ったら、柔道になりますね。ヤンゴンの軍の柔道チームでコーチをしている。この生活があるかないかで、ミャンマーの生活が全然違うのは間違いない。

なぜミャンマーで柔道の指導を始めたかというと、小さい頃から柔道一筋でやっていて、ミャンマーの赴任前に高校と大学の先生に挨拶に行った。すると当時4年間地獄のような場でお世話になった監督から一言、『お前ミャンマーでも柔道やるのか?』と。それで『やります。やりたいです!』と答えて、全柔連と講道館国際部を紹介していただいた。国際部の方は10年以上前にミャンマーに行って柔道の指導をしてた方で、今教えているヤンゴンの軍の柔道チームを紹介してもらった。ヤンゴン軍の練習している会場に入った時に、練習環境の良さに驚いた。普通に畳があって、タイマーもある。全部日本からの寄付なんだよね。日本の柔道文化が、今まで“閉ざされてきた国”と思っていたここミャンマーにしっかりと根付いていることに感動した。そして軍の皆さんが好意的に僕を受け入れてくれた。その環境と、チームの練習風景見た時に、『このチームなんとかしてやりたい』という気持ちが芽生えた。考えていくうちに、このチームだけじゃなくて、ミャンマーの柔道、最終的にはこの国をなんとかしてやりたいと思った。


ー「柔道を通じてこの国を変える…ですね?」

戸田さん
「僕は大学でマネージャーであったけど5歳から柔道をやってきた。そのため選手の指導をすることもできる。ただ、指導者が不足しているのは事実だけど、それってもっと強い人が指導したらもっと高度な技とか、良い指導できるかもしれない。次に練習メニューの提案。それはできるけど、先生が元々いるので、口出しするのは抵抗あるかもしれない。

僕が存在価値を発揮できるのは選手のマネジメント。選手のケア的な部分で、テーピング巻いたり、良いタイミングでサプリメント投入したりとか、選手の体調見たりとかする。ポジションとしては選手と監督の間に立つ所。この部分が出来る人がいない。そこのケア的な部分が僕の生きる場所だと思ってる。自分の持ってるマネジメントスキルをこの国にぶち込むことできたら、この国のスポーツは発展する。スポーツが発展すれば国のプライド(国際的な地位)が上がる。

僕が注目したのは、ミャンマーの選手が水分補給の際に水しか飲まないこと。日本だとサプリメントを摂るのが普通だけど、サプリメントを用いるという概念がない。サプリメントの概念を普及させるのが僕にできることだと思う。
クエン酸ってあるよね?クエン酸って独特な色なんだけど、それを飲んでるとミャンマー人が興味深そうに「何飲んでるの?」ってなる。彼らにとっては見たことないものだからね。弱い選手が飲んでても注目しないけど、日本の柔道選手が飲むのを見ることによって自分も飲みたくなる。彼らがサプリメントに対して理解を持たないと何も始まらないから、サプリメントがどれだけ良いものかを伝える。

スポーツの中でも柔道でとっかかりを作ることによって、他のスポーツに波及する可能性がある。そこでミャンマーのスポーツ界でサプリメントを用いることが普及すれば、かなり意義のあることだと思う。」

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ー「今後のキャリアで今後もミャンマーで根を張って生きていくつもりですか?」

戸田さん
「これはミャンマーだけでやろうとは思っていない。ミャンマーを変えるだけではなくて他の国にも波及させたい。スポーツを通じて、国の繁栄に寄与したい。暴動とか戦争もなくしたい。実際にサッカーでコートジボワールがワールドカップ出場を決めた時に、紛争が止まった。

どこまでのレベルを目指していきたいかと言うと、ノーベル平和賞受賞するくらいまでいきたい。それぐらいの活躍をしたいと言った方がいいかな。入社した時に、「僕は世界平和を実現してノーベル平和賞を受賞すること、ホワイトハウスの閣僚になること。それが僕の夢です!」ってポロって言ったの。まぁ飛んでますよね、痛い子ですよねと。でも、それくらい活躍したいのは昔からあった。ミャンマーに来たことでそれを実現するためのチャンスは広がった。今ようやくスタートラインに立てそうなところまで来た。」


—「最後の質問になります。海外に出たいと思ってるけど、ハードルが高いと感じて、もう一歩踏み出せない若者に対してメッセージをお願いします。」

戸田さん
「まず、日本で得られないことが海外にはある。日本を出て、発展途上国に来れば、日本人がどれだけスゴイものか、日本がどれだけ発展しているかが理解できるし、日本人の弱い部分も見えてくる。ジャパンブランドが様々な国で信頼され、愛されていることが理解できる。それを日本に持ち帰って、日本で働いてることに誇りを持って仕事したり、世界に出て活躍してもらいたい。」

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《編集後記》
家に泊めてくれたり、色んな方を繋げてくれたり、ミャンマーで一番サポートしてくれた方です。一見、壮大すぎる話に聞こえてしまうかもしれませんが、自分のビジョンを自信持って主張する姿を見れば応援したくなります。純粋さと想いの強さで周りを巻き込む力は相当強いです。「スポーツで世界を変える」というビジョンを胸に、これからも前に突き進んでいってほしいです。


(インタビュアー•編集:ユーゴ)


ミャンマー情報facebook page『おいでよ!ミャンマー』: https://www.facebook.com/oideyomyanmar

戸田さんが書く連載コラム『ないもの探しの旅』:http://globalastrolive.com/3720

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ABOUTこの記事をかいた人

アセナビファウンダー。慶應SFC卒。高校時代にはアメリカ、大学2年の時には中国、それぞれ1年間の交換留学を経て、いまの視点はASEANへ。2013年4月から180日間かけてASEAN10カ国を周りながら現地で働く日本人130名に取材。口癖は、「日本と世界を近づける」