2015.10.23

海外で働く― 手垢がつくほど使われているこの言葉。果たして、どれほどの人が現実感を持って考えられているのだろうか?シンガポールをはじめ、アジアの都市でレンタルオフィスを経営するクロスコープの庄子氏は、若者に対して海外で働いてほしいと説く。しかし、その意味とは「駐在員として3年くらい海外で働くこと」ではなく、「失敗有りきで、自分のキャリアに対するリスクテイクをしてでも海外でがむしゃらに働くこと」である。元々は海外志向が無かった庄子氏が、そのように考える真意とは一体何だろうか?シンガポールのオフィスにて取材を行った。

 

〈プロフィール|庄子素史氏〉
青山学院大学卒業後、東京ディズニーリゾートを経営する(株)オリエンタルランドにて約8年間、テーマパーク・リゾートのマーケティングに従事。
2006年にソーシャルワイヤー株式会社を共同創業。2011年には同社インキュベーション事業の東南アジア市場への進出の責任者としてシンガポール移住。シンガポール法人立ち上げ後、ベトナム、フィリピン、インド法人/事業の立ち上げを担当し、現在はシンガポールから各国の事業を統括。各国の自社レンタルオフィスを利用している日系企業に対して、アジア進出のアドバイスから商品開発、販売計画、人材採用、税務面まで幅広くアドバイスを行うと共に、日本食の輸出拡大のアドバイザリーも務める。
【主な著書】共著『なぜ、私達はシンガポールを戦場に選んだのか?』(ゴマブックス出版)

  

海外志向ゼロからシンガポールオフィス立ち上げへ。

ー最初は日本で働かれていたと思うんですけど、その時には海外で働くことに興味を持っていたんですか?

全くなかったですね。

海外を意識したのは、2006年にソーシャルワイヤー(株)の創業に日本で参画し、数年して海外展開しようとに決めたときからでした。クロスコープというレンタルオフィスを、海外でも広げようということです。それまではお恥ずかしい話、海外で働きたいとも海外へ出ていく必要があるとも思っていなかったです。

けれど、海外志向の無かった自分が「シンガポールに行く」という決断をした一つのきっかけがあります。それは、シンガポールにいる加藤さん(現クロスコープシンガポール取締役)との出会いです。それが、すごく大きいですね。

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参照:「アジアで大成功した日本人起業家のロールモデルを生み出す」シンガポールのハンズオン投資家、加藤順彦氏

日本で生活する限り、海外を意識するきっかけはあまりありません。事実、私もそうでした。

そのような環境でも海外に関心を抱くのは、「人との出会い」からだと思っていて、そこから海外の視座を手に入れる人がほとんどではないでしょうかそういった出会いがなければきっかけも作れないですが、私の場合、それが加藤さんでしたね。

加藤さんが弊社に役員としてジョインしてくれたタイミングで、加藤さんが社内向けの講演をしてくれました。そこで「ああ、言われてみればそうだな。」と。見えているようで目をそらしていた日本の現実を突き付けられましたね。

「少子高齢化」とよく言われます。でもそれが意味するところは、労働力の減少だけではなくて、消費の減少なのです。人口が減るだけではなく、お金を使うことに対して、歳を取れば取るほど欲求が減ってきます。お金を使うところは老人ホームとかに絞られてくるので、パイの奪い合いが始まってきて日本企業同士が消耗戦を繰り広げる。それが、目をそらしていた日本の現実の意味です。

では、それによってどういうことが起きるのか。

加藤さんは、いわゆる「ベンチャーいじめ」のようなものが起きるという話をしてくれました。軌道に乗って伸びてきた人たちが、上からゴーンっと叩かれる。もし伸びている環境にあれば伸びてくものに対してはみんな寛容だし、それに対して応援するし、だれも損はしません。これは、今のASEANの状況ですよね。

一方、国自体が伸びていかない中で、伸びていく1人だけを見たときに、やはり人間の心理として、「なんでお前だけ伸びているんだよ」という具合に、叩かれてしまう。これは日本の今を表しています。

でも、そのときに僕は、日本が置かれている現状に対して悲観的にはなれず、逆に日本人として、日本を応援したいという気持ちがありました。

ではどうすれば、明るい未来を作れるのかなと思ったときに、伸びている地域にどんどん日本人や企業を送り込んでいくことで、そこで成長していく経験、実績を作るということ。それが、いまの日本にとっては必要なんじゃないかと思いました。

そのとき、加藤さんが一番推していたのがASEANだったんです。自分自身、ASEANに関して全く知識も思い入れもなかったのですが、視察も兼ねてとりあえずシンガポールに行ってみました。

シンガポール 庄子さんPhoto by Peter Gronemann (modified)

それまでは、まさかこんなにビルが立ち並んでいるとは思わなかったですし、こんなに国家が仕組み化されているとは思いませんでした。伸びている企業や優秀な人材を呼び寄せて、来てくれた企業をさらに外に出していって周辺国で稼がせる、このような仕組みが確立しているシンガポール国家の有り様を見たときに、「これはすごい!」と、度肝を抜かれました。
まさに「ヒト・モノ・カネ・ジョウホウ」を調達して適材適所に投資して運営し、利益を捻出するベンチャー企業と同じだと。

そして外国企業や外国人でも区別されることなく、フェアに戦える環境が整っていて、まさにASEANのビジネスハブにふさわしい。

そこで、クロスコープシンガポール進出を決めました。自分たちの会社自体の成長戦略として、国内でレンタルオフィスをまたさらに増やすだけではなく、企業数や人口が増えてきて、ますます成長しているアジア諸国にクロスコープ出していくべきだという確信を得られました。その第一拠点目は、間違いなくシンガポールだというのは、その時点で確信したので、あとは、自分がこっちに移るか移らないかの決断でしたね。

クロスコープ シンガポールPhoto from クロスコープ

—なるほど、その移るか移らないかの決断はどのようになさったのでしょうか?

この大きなきっかけは東日本大震災ですね。ちょうど2011年3月、クロスコープシンガポールのプロジェクトが動き始めていて、オフィスオーナーとの賃貸者契約に関する交渉中であったその時点では、私がシンガポールに駐在する予定はありませんでした。誰かにこっちにいる方にマネジメントをお願いして、出張ベースで立ち上げようと思っていました。

今思えば、すごく甘かったと思います・・・。もしそれくらいの覚悟だったら、立ち上がってなかったとも思います。

実家が仙台なので、思い出のある風景は壊滅状態だったり、兄の店が流されたりしていて、家自体が大きく被災しているわけではなかったものの、他人ごとではありませんでした。

震災後、現地を見に行ったとき、絶句しました。自分の育った町に、土と泥、がれきしかない。それを見たときに、「何かしなきゃいけない」と思いました。

その「何かしなきゃいけない」のが、私の場合は海外に向いたんですね。確かに、家の中の泥をかき出すとかガレキを片付けるとか、貢献の仕方は色々あると思います。でも、私よりもそうやって役に立てる人はたくさんいると思いました。だから、自分自身の得意な分野で貢献したい、と思ったときに、経済を回していく、ビジネスの分野で貢献することを考えました。

せっかくクロスコープシンガポールというプロジェクトが動き出しているのであれば、自分自身が当事者としてシンガポールに出ていって、シンガポールをベースにどんどん大きくなっていく日本の企業を育てること。海外で活躍する企業が増えれば、グローバルに活躍できるリーダーを輩出していくことにも繋がっていくわけですよね。

それによって雇用を生み出して、日本に対して親近感を持ってくれるASEANの人がどんどん増えてきて、最終的に日本に旅行に来てくれたりとか、韓国企業のプロダクトだけではなくて日本企業のプロダクトやコンテンツにもっと興味を持ってくれたりする人が増えるはず。これが、日本の経済に対して私が出来る貢献だと思ったのです。

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震災10日後には、役員に対して、「自分勝手かも知れないが、シンガポールへぼく自身が行きたい」と伝えました。自分が当事者として、このクロスコープシンガポールを成功させたい。成功させたら、それをどんどん横に展開させて、シンガポールをベースに東南アジアをどんどん攻めていく企業をネットワーク化していきたいと。そうすれば、日本企業は強いプレゼンスを発揮することができますよね。お互い助け合ったり新たなビジネスを組んだり、1人で飛び込んで起業するような人をみんなでサポートしたり。

まとめると、きっかけは加藤さんとの出会いと、自分のルーツである地元が被災したと、いうことです。全くそれまで海外に対する使命感がなかった自分が、当事者として使命感を抱いたっていうことですね。

 

シンガポールの駐在員に思うこと。

—シンガポールではどんなことをされているんでしょうか?

シンガポールに初めて進出する企業に向けて、レンタルオフィスを提供しています。

日本国内ではベンチャーを輩出するプラットフォームという立ち位置でインキュベーションを行っていました。

シンガポールのレンタルオフィスには、ベンチャー企業もいらっしゃいますが、皆さんが知っているような大企業も多く入っています。というのも、日本では名の知れた企業だったとしても、シンガポールに来たら誰も知らないですからね。

日本だったら、誰もが知っている大企業でも、シンガポールでは知名度も看板も何も無い中で海外に出てきて、ゼロから立ち上げているわけです。大手の責任者の方が、ベンチャーの起業家と同じような苦労をされているのです。これはもう、私たちがお手伝いするしかないですよね。

クロスコープ 庄子さんPhoto from クロスコープ

—やっぱり、日系企業はシンガポールをハブとして活用される方がほとんどなのでしょうか?

そうですね。パートナーを見つける意味でのハブでもあるし、ASEAN全体を統括するという意味でのハブでもあります。また、飲食業のショーケースとして進出する企業も多いです。

よくあるのは、シンガポールで2,3店舗を出店するケース。シンガポールは人口も少ないので、2, 3店舗で主要な商圏をおさえられるんです。

すると、インドネシアやタイ、ベトナムのお金持ちがシンガポールが見に来るわけですよ。その時に、「この飲食店いいね、ベトナムにこれ作れないか」という話になるんですよ。多文化が混在しているシンガポールで有名ということは、他の地域でも成功できるんじゃないかと。そういう意味でのショーケースなんですよね。

 

—シンガポールでは、これからどんなビジネスが伸びていくと思いますか?

高齢化系のビジネスですね。ASEAN全体では平均年齢が27,8歳くらいなのですが、シンガポールは唯一、日本以上に高齢化が進む国なんです。

今急激に需要が高まり、そして課題も浮き彫りになっているのが、シンガポールのお年寄りの方々に、快適に暮らしていけるような老人介護施設とか、福祉施設ですね。

高齢化の大先輩である日本は、福祉産業や高齢化ビジネスのノウハウが蓄積されています。

日本はまだまだ高齢化ビジネスを国内だけでやっていけるし、この業界に関しては日本のマーケットが伸びているので、海外に出る必要性は無いわけです。でも、日本の高齢化ビジネスが一段落ついてくると、みんなようやく海外かなとか言い出すと思うけれど、それじゃ遅いんですよね。遅い。

Samsungって、スマホとかだけではなく建設もやっているんですよ。いま、シンガポールに建てられているコンドミニアムも、多くはSamsungが作っています。このまま黙っていたら、日本が得意な介護施設とか福祉施設もどんどん他の国に取られていってしまいます。

だから日本は、ソフト・ハードが一体となって、シンガポール政府に提案していく必要があるのかなと。

で、それが成功すれば他のASEAN諸国が高齢化社会になったとき、シンガポールで大成功した日本企業はどんどん横展開していけますよね。そこに日本が勝ち抜くチャンスがあると思っています。

13694061075_379d492ef8_kPhoto from Nicolas Lannuzel

 

—シンガポールの可能性や魅力をお伺いしましたが、日本企業、日本人がよくぶちあたる、問題はありますか?

これはどの国に行ってもそうだと思うんですけど、まずは英語やビザの問題が挙げられますね。

あとは、任期を無難に過ごそうとしている駐在っぽい駐在員では道は切り開けないと思います。無難にミスなく駐在さえすればお給料もらえて帰国時に昇格できるイメージの働き方ね。駐在手当てをたくさんもらって、駐在していればお給料も勿論あって、三年したら日本に戻る。このタイプの働き方では、海外で新たに事業立ち上げられないよね。

ぼくは、駐在員を否定しているわけではありません。

銀行、商社とか、もう何十年もこちらでビジネスを継続されていて、既にきちんと仕組み化がされていて、日本からルーティーンで人が来て、帰っていく。もちろん、入れ替わることによって、人も育つし、良い仕組みだと思います。

だけど、これからの働き方で大事なのは、ベンチャーの起業家と同じマインド、危機意識を持ってやらないといけないのではないかと。ベンチャー企業だろうが、中小企業だろうが、大企業だろうが、海外で事業を立ち上げる時には、みんな条件は一緒です。さっき言ったように、こちらでは知名度はないですから。

そして、ルールが無い成功法則もない中で、とにかく動きまわり、事業機会を創出していくこと。それは、ありとあらゆる機会を創出できるような泥臭い動き方です。そんな動き方ができる人材を見つけ、海外に送ることができるか。それが、駐在に対しての問題意識ですね。

 

 積み上がった失敗の、その上へ。

—なるほど。さいごに、海外で働きたいとは思っているけれど、一歩を踏み出せていない若者へ向けて、メッセージをお願いします!

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若いうちに、海外で働いてほしいというのは間違いない。いま、本当に思います。

それも、銀行とか商社に入って、30歳とか40歳になって、それなりのポストを獲得してから、いずれ駐在員になって赴任して、そして数年で戻ってきます、というキャリアだけではなく、若いうちからリスクを負ってがむしゃらになってやる人。20代で海外に飛び込んで、海外事業を立ち上げる責任者になるとか、自分でなんとかして海外で起業してみるとか。

そういうチャレンジには、海外でもサポートしてくれる人たちは意外といるわけなんですよ。僕もそうだし加藤さんもそうだし。そういう機会を、会社に所属していてもしていなくても“自ら作って”、どんどん海外に出てきてほしいな、っていうのが今の若い人たちに対するメッセージですね。

市場が爆発的に拡大していて、人々の生活水準が年々向上し、物価が上がり、新たなサービスや業態が次々に生まれ、ミリオネア・ビリオネアが次々に誕生する、そんな追い風が吹く場所に自らを投じて挑戦してみて欲しい。

ぼくはそれを押し付けようとは思っていません。恐らく現実は、十中八九は失敗し、敗者が累々と積みあがっていくはず。

けれど、その失敗が積み上がっていくことがすごく重要で、その失敗を次の挑戦者が乗り越えていくようじゃないと、海外では成功できません。強い意志が必要。

でもいつかは必ずそこに、勝てる道が出来てくるということ。

そして、敗者になった人たちもそのまま敗者でい続けるのではなく、日本にまた戻って、海外での失敗を糧にまた再起することも、日本国内でその経験を組織でシェアすることもできます。海外進出していない日本の企業に入って「海外やりましょうよ!」って社長を怒鳴りつけてでも、海外に目を向けさせるとか、そういう動きが出てくると思うんですよね。

だから敗者っていうのは、ゾンビとなって、日本や、またどこかの国で生き返って活躍できるし、一度負けた経験が必ず活きる。

そして、先人がなぜ負けたのかということを分析しながら、乗り越えていく人が出てきて、その中で、1社でも2社でも、ASEANのトップを取る日本企業が出てくれば、いいなと思っています。

 

【編集後記】
「人との出会いによって、海外の視座を手に入れる」と語る庄子さん。日本に留まっているだけでは、なかなか海外に目を向けるきっかけは無いし、日本に対して客観的な視点を持つことも難しいだろう。だからこそ、ウェブメディアを使って、そういうきっかけを得られなかった人に「海外に出る必要性」を感じ取ってほしい。だが、この記事を読むあなたは、すでに海外の視座を持っていて、日本に対してなんらかの危機感を抱いている人だろう。
だからこそ、あなたの言動で、周りを巻き込んでほしい。わずかでもいい。そして、庄子さんのことばを、ひとりでも多くの若者に感じてほしいのだ。これからの日本を支えるのは、私たち若者なのだから。