2015.10.01

たくさんの刺激を与えてくれたアジアを選ばずに、あえて日本に目を向けることを選んだ高山氏。
グローバルの重要性が訴えられるその裏で、埋もれてしまっている日本の地方を盛り上げたいという思いを抱く。その思いの根底を流れる、アジアでの原体験とは?

 

〈プロフィール|高山道亘氏〉
1988年大阪生まれ。 2008年、2年間大学を休学し東南アジアへ1人旅に。現地のNPOや企業、ホストクラブで働きながら様々な価値観に触れる。その他、復学後に韓国ソウルにて現地の学生とともに起業し、学生向けのプラットフォームや留学生向けのシェアハウスなど運営。現在は東京都内のIT企業に勤務する傍ら、海外から国内に目を向け、地方創生に関わるプロジェクトに参画中。

 

休学!?アジア!?あえて人がやらないことをした理由

―早速ですが、なぜ休学をしてアジアへ行く道を選んだのでしょうか?

大阪から北海道へと進学し、最初の1年間はいわゆる「落ちこぼれ」状態でした。その状況から脱却したいという思いが芽生え、そこから「旅」に目を向け始めます。

2008年当時は、今ではメジャーとなっている「バックパッカー旅行」というのがちょうど流行り始めたころ。元々旅は好きだったので、「旅に出たら何か変わるかも」と思い、すぐに行動に移しました。

素人目から見ても、アジアがこれから発展していくことが感じとれる状況。それならば、すでに発展しているアメリカのような国に大金をかけて行くよりも、アジアに行く方が面白いと判断したのです。

その当時は、休学さえマイナーだったのにも関わらず、東南アジアを選んだということで、周囲からバカなのかと言われるほどでした。面白いと思ったことはすぐにやってしまう質なのです! (笑)

やってみてから考える。もちろん色々失敗はしますけどね。

 

人生を変えた、アジアでの1年半。その原体験とは?

―旅のテーマは何でしたか?

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旅のプランは細かく決めず、その土地その土地で面白そうなことになんでもチャレンジしていました。強いてテーマがあったとするなら、「人脈づくり」です。当時はFacebookなどのSNSも普及していなかったので、地道にGmailなどを使ってアドレス交換をしていました。

祖父の住んでいる韓国を拠点にして、中国、インドネシア、ミャンマー、ブータン、フィリピン、タイ、カンボジアなどを1年半かけて回りました。

あとは、「宿には泊まらない」というマイルールを設けて、現地の人の家にお邪魔したり、時には大使館の近くで野宿をすることも(笑)。

そもそも英語は得意ではなかったし、東南アジアではローカルになるほど英語は伝わらないので、言葉のないコミュニケーションが中心になりました。子供と一緒にサッカーをして仲良くなったり、バルーンアートを作ってあげたり、子供を味方にして親御さんに泊めてもらうこともありました。逆に死にそうな顔をしていたら、現地の人から声をかけてもらったこともあります。

 

―野宿・・・。すごいですね。旅中は、具体的にどんなことをしていましたか?

滞在中は、現地のNPOに飛び込みで働かせてもらったりしていました。NPOなら、比較的柔軟に受け入れてくれそうだったので、面白そうなものがあったら、とりあえずボランティアベースでやってみました。

例えば、ベトナムでは教育系のNPOに携わることに。英語は喋ることはできないけれど、世界にあるもう一つの共通言語「プログラミング」ならば、自分の得意分野だったので教えることができます。

しかしながら、ベトナムの田舎の学校で中学生にプログラミングを教えるというのは簡単ではありません。そもそもパソコンさえマイナーで、プログラミングという概念がありませんでしたから。そこで、ゲームが作れるんだよとか、身近なところから興味を持ってもらうことに。最初は3人しかいない生徒でしたが、気づけば20人と増え、みんなめきめきと上達していきました。

今ではそのNPOもなくなってしまいましたが、そこの卒業生がエンジニアリングで起業したと聞いています。大変嬉しく思うと同時に、とてもやりがいを感じました。

こうやって、渡航前は自己嫌悪さえ抱いていた自分でも、人に感謝してもらえるということにとても感銘を受けましたね!

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―今の自分にも影響を与えている旅先でのエピソードを教えてください。

インドでは、3か月ほどIT企業で働きました。1年半の旅の中でも、インドはとても印象深い国の1つです。特に貧富の差が大きいという点でとても驚きました。それは、首都デリーのスラム街を訪れた時に感じたことです。

ゴミは山積み、プレハブのような狭い家に一家族で生活していました。その中である家族と仲良くなり、2週間住まわせてもらうことに。

そこの家族は、6歳の子供が家庭を守らなければやっていけない家庭でした。その子は炎天下の中、信号待ちをする車などにモノを売る仕事をしていました。6歳の子供でさえ、自分が頑張らなきゃ家族を守れないと頑張って仕事をしていて、それを楽しんでいた姿が忘れられません。

さらに、最後の日にはお金がないのにも関わらず、自分のために折り紙をプレゼントしてくれて、そのおもてなし、まごごろに本当に心打たれました。

今までの自分は、やりたいことを実行に移すことができませんでした。というのも、プライドを守るために、失敗を恐れていたから。けれど、その子供の姿を見て、失敗を恐れる自分を情けなく思いました。日本にいれば、たとえ起業に失敗したとしても死ぬことはありません。

一方でその子供は、モノが売れなければ生死に関わってしまうのです。自分がいかに恵まれていて、守られている環境にいるのかを痛感しました。その子供から教えてもらったことは、その後の自分にかなり影響を与えてくれています。

 

帰国後、ASEANを選ばず、あえて日本を選んだ

―帰国後、高山さんの中での変化はありましたか?

人見知りで消極的だった自分が、旅を通じて自然と積極的になれました。

まずは帰国後すぐに、自分で集客をして勝手に大学で講演会を行いましたね。当時、休学というと、就職活動への悪影響が懸念されるなど、マイナスイメージばかり。そこでそのイメージを変えたいと思い、自分の経験を伝えました。

すると、大学内にも友人が増えたことはもちろん、将来的にやりたいことを共有できるような仲間との出会いもありました。

また、大嫌いだったセロリを食べられるようになりました(笑)。

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というのも、海外での経験から自分がいかに恵まれた環境にいるのかということに気づいたからです。自分の嫌いなセロリさえも食べられない人がいることを自分の経験から知っている。そうやって海外での経験をしたことで、このようなこと1つをとっても価値観に変化がありましたね。

 

―ASEANで働くことは考えなかったのでしょうか?

アジアで働くという視野もあったときもありました。帰国後も、夏休みを利用してカンボジアに学校を作るプロジェクトに参加しましたね。けれどその当時は、途上国でボランティア活動をする人が多い風潮がありました。

その時、ふと感じたのです、「自分がそれをやる必要があるのかな」と。

自分は、誰かに必要とされて感謝される喜びをアジアで知りました。でも今は、自分以外の人がアジアで活躍をしてくれている。それならば、自分はもっと身近な人のためにできることがあるのでは、と思い、アジアではなく日本で働くという選択肢を選びました。

もちろん、海外で活動している方のことをとても尊敬しています。ただ、それはそれで、自分は自分。今自分がやりたいことというのを優先させることにしたのです。

 

―なるほど。

近年、「グローバル」という言葉がそこらじゅうで謳われています。自分はその環境に少し違和感を覚えました。

たしかにグローバルに目を向けることも大切です。しかしながら、日本国内でも解決しなければいけないことはあるのです。

そこで日本の「地方」に目を付けました。現在日本には消滅都市といわれる地域がたくさんあります。「日本は終わっていくのか?」そんな疑問もあったけれど、その地方のために頑張っている人もたくさんいる。日本全体を変えるのに東京から変わるよりも、小さいことから変えていくことで、その積み重ねが結果的に良い結果をもたらすと考えています。

 

迷っているのなら、行くべき。

―さいごの質問です。海外に興味を持っているけれど、一歩を踏み出せない若者へメッセージをお願いします!

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やりたいことがあって、そこに海外に行く必要がないのであれば、わざわざ海外へ行く必要はないでしょう。なんでもかんでも、「グローバル」を使っていればいいというわけではない。

だけれども、将来何をやったらいいのかわからない、決まっていないというような学生であれば、迷っているのなら行くべきです。実際に行ってみて、海外でのビジョンが広がったのならその道を選べばいいし、自分にはこれじゃないなと思えば、日本に戻ってくればいい。とりあえず、観光でなんでもいいから行ってみるといいでしょう。現地の人との交流など、付加価値のある経験ができれば、なお面白くなると思いますよ。

 

【編集後記】
北海道からでは東京に行くことさえハードルが高いであろうに、アジアを選ぶことがどれだけ異色な道なのかは、道産子の私は知っている。
グローバルグローバル。
国を挙げて叫ばれているが、その本質に目を向けている人はどれだけいるのだろうか。ふと立ち止まった時に、目を向けられていない日本の存在に気付く。そして、守らなければいけないものがあるということに気付かされる。外国を見たうえで日本を選んだという高山氏の選択もまた、これからの日本にはとても大事になってくることだろう。

ASEANで働くを近くするはずのアセナビだが、今回はあえてASEANで働くことを迷わせる記事となった。しかしながら、読者の方々にももう一度、自分のやりたいことを考えてもらうきっかけとしてほしい。