「お母さん、ちょっとミャンマー行ってくるわ。」と、ミャンマーへ飛び出した野口さん。アパレルの現場がミャンマーへ移る状況を自分の目で確かめた彼は、ミャンマーの仕立屋と日本人ビジネスマンのニーズをマッチングさせ、フルオーダーメイドスーツの事業を始めた。そのスーツ事業の途中で出会ったもの、そして彼が語る“アジアの面白さ”とは!? 野口さんのインタビュー、完結編。

前編はコチラ!→”日本の地方創生×ミャンマーの雇用創出” ダブルで実現をめざしスーツを創る! 現役大学生 野口智瑛氏【前編】

 

思わぬところで出会った 日本の伝統産業

 

― ミャンマーの次は新潟へ!? 詳しく教えてください。

知人に、地方自治体と協働し、地域振興に関わるビジネスを始めた人がいます。安倍政権が“2015年を地方創生元年にする”と発表したように、地方自治体は今、国から補助金を渡され、地域の再活性化をするように促されています。だけど、どうやってそれを使えば効果的なのかわからない状況がよくあるそうです。彼はそこに注目し、自治体に代わり業務委託という形で、インターネットを使った広報や、イベント運営などを通して、地域振興のことはお任せ! というビジネスをしています。その協働する自治体第3弾が、新潟県十日町市役所。十日町市では、毎年、地域振興のためのビジネスコンテストが市役所主催で行われています。

過去に出された案の中に、スーツのプロジェクトがあり、事業化されずに案だけが残っていることを、彼が日本から知らせてくれました。奈良時代から続く、伝統的な麻の高級生地「からむし(和苧)」を使ったスーツです。

ミャンマーでスーツ事業の準備をしていた秋ごろ、ミャンマーまでからむしの生地を送ってくださり、それで試作品として、ミャンマーで“からむしスーツ”を作ったんです。これ、十日町市役所の職員の方々にかなりウケが良かったんですよ。コレは商品化しましょう! と。新潟出張は、からむしスーツ事業に携わる企業側との打合せでした。

からむしスーツがミャンマーでも展開できそうだと感じた理由は、麻の生地の涼しさです。肌触りがヒヤっとします。一方で、からむしは繊維として生地を作ることができるだけでなく、食用としても売られているそうです。生地を提供してくださる企業は、日本国内では繊維業が衰退していく中、戦後ずっと伝統産業としてからむしを守り続けてきた方々。東南アジアの市場では、健康食品として売ったことはあるけれど、本来の衣類用生地に関しては初めての挑戦だそうです。スーツという着想と、東南アジアを絡めることによって、麻が衣類という本来あるべき姿として継続できるビジネスになる、ということをご理解いただけました。

新潟県では、地域振興イベントとしては大規模な、「大地の芸術祭」が今年の夏に開催されます。2000年から3年に1度開催しており、今年2015年が5回目。十日町市の人口が約5万人であるのに対し、イベント期間中に十日町市を来訪する人は、48万人! 人口の10倍が来るって、スゴいことですよね。ここでからむしをPRしようと思っていて、芸術祭に向けて“からむしスーツ”を商品化するという話を進めています。 企業側の社長たちは、「これはあくまできっかけにすぎない」と言ってくれましたね。

参考:越後妻有 大地の芸術祭の里 ― 2015大地の芸術祭 7月26日~9月13日

大地の芸術祭 紹介動画

 

変遷の歴史が凝縮された、ありえないスピード感が面白い

 

― では、野口さんにとっての“ASEANで働く”醍醐味って何でしょう?

ハタチそこそこの学生が、どんなに寝ないで3ヶ月スーツの勉強をしたとしても、東京という世界一オシャレな街の一つでは、僕よりスーツに詳しい人がごまんといるじゃないですか。でも、ミャンマーではスーツ文化自体が未成熟なので、3ヶ月勉強しただけで、ひとつのビジネスモデルが回り始めちゃうんですよ。それがめちゃめちゃ面白いんです。アジアにはそんな面白いきっかけがたくさん転がっています。僕、ヤンゴンの街中を100メートル歩くごとにひとつビジネスを思いつこう、っていう思考のトレーニングをしていました。 ここにはこんなものが“ない”から、あんなビジネスあったら面白そう、と。

全てが未成熟で、競合が少ない。だから、日本だとこの年齢・経験値じゃできないこともミャンマーだったら、何かきっかけが生まれてビジネスが回り始めるかもしれない。非常に面白いですね、僕の原動力です。東京だったら、100を110にすることはできるかもしれない、程度だけど、ミャンマーならゼロを100にできる可能性がある。可能性に満ちた道があるからこそ、ずっとそこでやっていきたいと思えるんです。ただ、いくら競合が少ないからといって、そういうブルーオーシャンな環境をなめてはいけないですけどね。

もちろん競合はどんどん増えています。初めて行った3年前のミャンマーと、今はずいぶん違いますよ。例えば、多くのミャンマー人はガラケーを知らないんですよ。先進国が、肩からかける携帯電話から始まり、今のスマホにたどり着いた、20~30年かけた変遷のステップが、凝縮されている感覚。市場を開放したとたん、初めての携帯電話として“スマホが”入ってくる、このありえないスピード感。面白い。

そんな最新のデバイスを身に付けながらも、日本でいう明治時代みたいなインフラの中で暮らしてたりするんですよ。最初にミャンマーに行って感じたことって、この浦島太郎のような状況の面白さなのかもしれない、と思ったりしますね。タイムスリップして、ひと昔前の人のような暮らしをしながらも、スマホでパズドラみたいなのをやってる、みたいなね(笑)

 

21歳が叫ぶ、「日本はまだまだつまんなくねえよ」

 

僕、“人件費が安いからアジアに行く”っていうのが嫌なんですよ。

もともと、アパレルに対して、僕は華やかなイメージを持っていました。綺麗な服を着たモデルがランウェイを歩いていて、その服を考えるデザイナーがいて・・・。でも、大量の服を作っている、一番末端の、主に途上国の生産現場はブラックです。ミャンマーで見た、ある工場の従業員は、納期前なんか夜の12時まで働き、工場の床で寝て翌朝7時から働き始めていました。それでいて、月給は8000円なんていう世界です。そんな大量生産・大量消費の裏側をさんざん見てきました。

ほとんどのアパレルメーカーにとって、拠点としてのアジア進出の理由は、人件費の安さであって、その最後の砦がミャンマー。人件費の安い国を求め、縫製の現場はどんどんミャンマーへ移ってきています。経済成長真っ只中だから、生活水準が上がり、必然的に所得も上がるのに、「この国の人件費が安くあってほしい」「どうにか賃金を抑えておきたい」なんて、先進国側のエゴじゃないですか。中国、タイの人件費が高くなってきたからベトナム、ベトナムも高くなってきたから、バングラやミャンマー。じゃあ次はアフリカ? そういう話じゃないと思うんですよ。

350ドル均一のお手頃価格でフルオーダーメイドができます、というのが僕のスタートだったけれど、さらにワンランク上をやりたい。付加価値をうんと高くした、利幅の大きな服を富裕層に販売し、最終的にお金が貧困層にも還元されるようなものを作りたいと考えていたんです。このままだと国内の経済格差はもっと広がります。どうにかして高付加価値のスーツをつくれないかと考えていたときにちょうど出会ったのが、からむし。

後継者が少なくなり、細々と続いてきた日本の伝統的な高級生地を使い、ミャンマーをはじめとしたアジアの富裕層市場を狙えるかもしれない。“人件費が安いからアジア”が嫌なのに、“ミャンマーで350ドル均一のお手頃価格”で売っていた僕にとってモヤモヤしていたものが、解決に近づくんじゃないかなと。本当に良いモノをミャンマーでミャンマー人と作り、付加価値がついた妥当な価格で売る。それを買うことができる富裕層に、価値に気付いてもらって買ってもらうという形で、税制度が腐敗している行政に代わって所得の再分配に貢献できるんじゃないかと思っています。

野口さん4

東南アジアにいると、「日本なんて少子高齢化して人口減少して、もうダメだ! じゃあ、今後伸びそうなアジアへ行こう!」 と言う人がよくいますね。でも、それってすごく悲しいことだと思っていて。ミャンマーに飛び出したからこそ感じますが、やはり日本って素晴らしい国ですよ。日本人で良かったと思うことは多々ありましたし、日本のことがいっそう大好きになりました。だからこそ、そうした日本の将来を悲観する観点から、逃げるように新興国へシフトするっていう捉え方に否定的なんです。

日本のことが大好きな日本人として、衰退しつつある日本国内の地方産業の再興に、伸び盛りのアジアのパワーを組み合わせてみたい。面白いものが生まれそうじゃないですか。日本はまだまだつまんなくねえよ、と。日本で戦えるだけのものづくりができるようになるまで、ミャンマーで成長させて、最後はやっぱり日本に帰ってきたいですね。

 

《編集後記》
目まぐるしく変わるスピード感に自分が飛び込み、アイデアがビジネスになる面白さを語る野口さん。日本の伝統産業を守りながら、アジアの雇用創出へはたらきかける、こんな大きな夢を語る人ほど、自分とは違う世界にいる存在に感じてしまいがちですが、彼はちがう。同じ日本人として、日本を見ている価値観に共感し、ホッとします。自分と同じ世代に、こんなワクワクすることをやってしまう人がいるのなら、と、自分も行動を起こしたい気持ちに駆られます。