「基準をズラして戦っていく」スタイルで何度も拠点立ち上げを経験してきた高野氏が、昨年夏にジャカルタ現地法人代表を退任し、先月アドウェイズを退職した。高野氏のfacebookでは、多くのコメントが寄せられ、周囲の関心の高さが感じられた。なぜ退任に至ったのか、そして今後どのような道を歩んでいくのか。ASEANで働く日本人の一人が手がける、新たなチャプターを紹介したい。

2013年夏にジャカルタで取材した際の記事は、コチラ。”「基準をズラして戦っていく」 (株)アドウェイズ インドネシア 元代表取締役社長 高野勇斗” 

 

《プロフィール高野勇斗(タカノ ハヤト)》

1982年北海道函館生まれ。2007年、株式会社アドウェイズに新卒入社。入社1ヶ月目にして大阪支社を責任者として立ち上げ、その後も同様に責任者として名古屋支社、福岡支社の設立を手掛ける。2011年7月、株式会社アドウェイズインドネシアを設立し、3年半現地法人代表を務めた。2015年4月に株式会社チャプターエイトを設立。将来の夢は市政、道政、国政に参画し、日本ひいては世界の持続発展に寄与すること。早稲田大学卒。

 

立ち上げのみを経験してきた前職

 

ー昨年7月、高野さんが帰国されることをfacebookで知って、大変驚きました。

ジャカルタでの3年半の任期を終え、昨年7月にインドネシアから帰国しました。何年ぶりかに出社して、社長に独立の話を切り出しました。すると、「高野君が一番良いタイミングで独立していい。でも独立するからには、絶対に成功してウチを超えろ」と。

これまで大阪拠点立ち上げ、ジャカルタ現地法人立ち上げを経験してきました。24歳で入社してすぐにリーダーになったので、拠点トップという立場で“立ち上げ”しか経験してきませんでした。大阪拠点立ち上げは、変数で言えば1次方程式を解くようなもの。既存の広告サービスはあったので、根性で営業しまくれば確度は上がっていきました。勤務時間なんて関係なしに、ずっとオフィスに寝泊まりして働きまくってました。

そして、次はジャカルタ拠点。社長から「次行くなら、東南アジアとインドどっちが良い?西日本も日本の西も一緒だよね。」と言われて、当時日系企業が多く進出していると思われる東南アジアを選んだ。基準をズラしてどの国に行こうか考えた結果、当時日系のネット企業がほとんどいないインドネシアにたどり着きました。でも2011年2月当時、アドウェイズの主事業であるスマートフォン、アフィリエイト広告事業の横展開は、市場の特性上できませんでした。

サービスがなければ、営業もできない。変数が2つになりました。どちらの数字もゼロスタート。どちらかの変数が低ければ利益を最大化できません。サービスをゼロからつくり、拡げていく必要がありました。さらに、3つ目の変数として、インドネシアの市場を理解していないこと、日本人でない外国人と仕事としなければならない点があります。英語がほとんど話せない上に、インドネシアのことを全く理解していない僕には本当に苦境、苦痛、苦悩、苦労の連続でした。一次方程式を学び終えた中学1年生が、突然高校の高度な問題を解くような感覚に襲われました。

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拡大しすぎてしまった事業

 

前回、アセナビが取材に来てくれたのは2013年の夏です。実は、その時が一番会社の調子が良い時でした。最初は通訳と自分しかいなかった会社も、いつのまにか26名になり、5つのサービスを運営していました。

結果、何が起きたかというと身の丈以上の経営になり、会社全体としてキャパオーバーに陥りました。私は、各部門の現地人、日本人マネージャーに権限を委譲して、責任も与える。自分ゴトとして仕事を捉えるようになるので、主体性も高まる。それが、私のマネジメントスタイルでした。でも、マネージャー陣が任せられることに慣れていないのに加え、私もコミュニケーション力が足りないのに加え、実務全体をすべて把握できずうまくいきませんでした。

さらに、営業を取ってくるのがほぼ自分。月の受注数が不安定になってしまったのと、納期の調整にうまく対応できず、売上の変動が大きくなってしまいました。従業員を多く抱えていたので、売れない時はコストだけが増えていきました。

結果、今後伸びそうな2つの事業以外、撤退を決断。解雇は絶対しない主義なので、例えばプログラマーに広告の運用をやってもらうような職種とかけ離れた配置転換をしました。事業撤退と希望職種外の仕事を任せることは不満に思うスタッフはどんどん辞めていきました。26名いた社員のうち、15人強は辞めていきました。

 

ドン底。そこで、切り拓いた新たなチャプター

 

事業がうまくいかない時は、仕事どころかプライベートでも絶不調になっていきました。未だに自分で取った行動が理解できないのですが、どんどん負のスパイラルに陥り、精神状態がドン底まで落ちました。弱ってるところを社員にバレるとマズいと思い、朝礼のスピーチだけして、会議室や自宅に引きこもることもありました。

その引きこもっていた時に、映画「リンカーン」を観ていたんです。16代アメリカ大統領リンカーンの自伝みたいな内容です。普通、映画って再生ボタン押したら、最後まで見ますよね。でも、日本語字幕がなかったので、英語が完璧にわからない僕は一気に見終えることができず、途中で挫折していました。そしてまた見る時にメニューのチャプターボタンから見ていたのです。

チャプターごとに見ると、リンカーンの人生は苦難の連続です。貧しい家に生まれて、何度も挑戦しては失敗し、挫折し、南北戦争で多くの仲間の犠牲も経験し、幸せな場面なんてほとんどないですよ。でも、自分の夢を果たしたという意味では成功したんだと思います。その時思ったんです。チャプターごとに見たら辛いことも、最後まで挑戦することを諦めず、苦難を乗り越えていけば、最後には成功にたどり着くことができる。そして今まで経験してきた1つ1つのチャプターがすべて成功を彩るために必要な要素だったと思える。それが、自分の人生と重なって見えて、「あれ、コレきたな」と。これは「挑戦をここで諦めたらダメだな」と。

そして、人の人生には終わりがあるけれど、企業には終わりがない。永続的に発展することこそ企業の目的ともいえる。チャプターが永遠につづく。つまり、「Chapter1からChapter∞まで」。縦にすると8であるのと、漢数字で8は末広がりを意味するので、会社名はチャプターエイト(Chapter8)とすることにこの時に決めました。

企業が永遠に続くためには絶対にやらなければいけないことがあります。それは、「挑戦」です。挑戦がなければ、成功も失敗もない。Chapter∞とは、「終わりなき物語」。もっと意訳すると「飽くなき挑戦」となります。

 

何をやるかより、誰とやるか

 

前回のインタビューの際も話しましたが、僕は一人では何もできないんです。そこで、起業することを決心して、一番初めにしたのは、仲間集め。「何をやるかより、誰とやるか」が重要だと信じています。そして、講演やSNSを通じて「20代の若者」に対して、「若者よ、海外へ出よ」というメッセージを発信し続けました。「一緒にやりましょう」とは一言も言わなかったのに、5名の若者たちが集まってくれました。なぜ、20代の若者なのか。それは、「未経験者優遇」であることを最重視しているからです。

これまでアドウェイズにいて一番感謝しているのは、立ち上げの責任を任せてくれたこと。大阪拠点立ち上げの時もインドネシア拠点立ち上げの際も、他に適任者はいたと思います。でも、僕に任せてくれた。未経験者だからこそやらせてもらった部分があると思います。未経験者は、経験者より秀でていることが1つあります。それは怖いもの知らずであること。見るもの聞くものすべてが初めてなので、未経験者の方が、ワクワクして課題に取り組んでいく。つまり、主体性を最大化しやすい。

よく「ディズニーランドのような会社を目指す」と言っているんですけど、ディズニーランドに行く当日の朝にテンション低い人はいないですよね。それと同じように、朝起きたら、会社に行きたくて興奮状態になる。そんな雰囲気のある職場を提供することに全力を注ぎます。リーダーの大事な役割の一つは、「会社の問題を自分の問題と捉えてもらうようにする」。もっと言えば、それだけで十分だと思います。

何事も自分の問題として捉えれば、主体性が上がる。自分の問題意識が会社が目指すビジョンに一致した時、主体性が最も発揮されます。さらに自分の問題意識が日本、ひいては世界が抱える問題と一致したら、とんでもないことになります。それを、“主体性を無限大”にさせる。言い換えて「主体性を集大成」化させると言って会社の経営理念となっております。

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ー今後、どのような事業を展開する予定なのでしょうか?

「Chapter ∞事業構想案」があるんですけど、一つも僕が思いついたものではなく、全部誰かから着想を得たものです。昔も今も変わらず多くの関わってくれた方や仲間に助けてもらっているんです。僕は斬新なサービスを創ったり、クリエイティブなことが全くできない。パワポもエクセルもいまだ使えないんです。友人から「お前は原宿に住むってキャラじゃないだろ。高田馬場だろ!」と言われるぐらいデザインやクリエイティブのセンスがない(笑)

最初に手掛ける事業は、日本から東南アジア、特にインドネシアを対象としたインバウンド、アウトバウンド事業でプロジェクトベースで進めていこうと思うのですが、まだまだ今は話せる段階にないです。ただ、いつか採算を度外視してもやりたい事業があります。

 

東南アジアの人々に可能性という名の光を

 

ジャカルタ時代に、ある日スタッフのプログラマーから電話がかかってきて、「高野さん、すいません。メガネが壊れたので今日休みます。」と言われました。従業員が些細な理由で休むのは東南アジアあるあるなんですけど、「メガネが壊れたぐらいで休むのか。すぐ来い」と言いました。すると、黒縁のメガネに白いガムテープがぐるぐる巻きにされていました。もう驚愕ですよね?

「スペアのメガネないの?」と聞いたら、メガネは高価なもので買えないようです。そのプログラマーの給料が4万円なのに、メガネが3万円もする。他にメガネかけている人に話を聞いてみると、5年間同じメガネを使っているという話も。ジャカルタを歩いていると、スマホやブラックベリーをいじっている人ばかりです。これは、都市部では目が悪い人が増加していることを意味しています。事故の原因にもなるし、仕事の効率にも影響しますよね。

僕が30歳になった8月に、アウシュビッツ強制収容所に行きました。第二次世界大戦当時、生きることを許されたユダヤ人が収容される時に、全員裸になります。そこで取られたものが展示されているんですけど、正確な順序を記憶はしていないのですが、一階には靴、鞄。二階が義手、義足。3階は、メガネ。その後に、髪の毛が大量に積まれていたと思います。

この中で、なくてはならないものはなんでしょう?義手、義足、あとメガネだと思います。最初の選別で生きることを許された人間の生きるためになくてはならないものが取られてしまう。これをもはや生きることを許されたとは言えない。人間の体の一部を取られたと同じ。そう、ナチスはユダヤ人から人間としての尊厳を奪いたかったんです。

これを見た瞬間、逆説的に言うと、メガネは生きる者に光を与えるものだと思ったんです。見えなかったものが見えるようになる。ないものをあるものにする。仕事や勉強における主体性が圧倒的に上がる。いずれ、東南アジアの若者に良質なメガネを安価に提供して、彼らに可能性という光を与えたいです。会社のロゴであるインフィニティのマーク(∞)には、メガネの形、つまり「若者、貧しい人、社会的弱者に光を与える、機会の均等を与える。」という意味も込められています。

実際のところ、日本からのインバウンドアウトバウンド事業の説明だとウケが良い投資家や経営者に、メガネ事業の話をすると「それ、全然ダメそうだね」と言われます。でも、みんながダメだと言う方向に行きたいのが僕の性格です。無理だと言っている人たちの色眼鏡をぶち壊したい(笑)もちろん、そのためには株主のお眼鏡に合う事業展開をしなければなりません(笑)最後をダジャレでまとめると僕の真剣さが低下するんですけど大丈夫ですかね…

 

ーこれまで何度かゼロイチを経験されてきましたが、今回は正真正銘のゼロイチになります。起業するのは怖くないですか?

今はぜんぜん怖くないですが、怖くなるのはこれからだと思います。今後、仲間の人生や生活を背負わなければならないという意味では、起業と現地法人の立ち上げは重複する部分はあるものの重みが違います。ただ、年齢も今年33歳になるので、20代前半で起業するのとは違いますね。今は事業やビジネス経験もあるし、僕のことを知ってくれている方も増えた。コミュニケーション力や語学力も上がっているし、信頼する仲間も増え、少しばかりの資金もある。それでいて挑戦意欲も減っていない上、病気もしてない。体はピンピンしている。子どももいなし、ローンもないし、何一つ守るものがない。合コンしてよりモテなくなることぐらいじゃないかと思いますが元からそんなにモテないので、ほぼ起業リスクゼロです。

今はワクワクしかないです。サラリーマンとして働いていたとき、赤字でも黒字でも毎月同じ日に同じ給料入るのが自分としては許せないというかやるせない時がありました。これからは全て自己責任。その代わり、得られるものも自分たち次第です。

あと、僕には仲間がいるので安心しています。Chapter8なので、実は8名からスタートしているのですが、僕だけ名刺に役職を書いていないんですね。なぜなら、うちの会社は一人ひとりが主人公というスタンスの元にやっているのに加え、やはり僕が相対的には一番能力が低いんですよ…周りが優秀すぎる。実務は仲間に全てをやっていただいてます。でも、僕だけが唯一できることがあります。それは、“決めること”。

「決めるのは俺。やるのはお前。問題発生したら解決するのはお前。称賛されるのは俺。それでいこう。」これはよくメンバーに冗談半分で口にしてきた言葉です。一見、理不尽なことに聞こえるかもしれませんが、“決断”が苦手な人はけっこう多いので、ここだけをやらせていただいております。

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ー高野さんのようなポジティブな人だと失敗を失敗だと捉えない。でも、致命的な失敗ってあると思うんですよね。もしあるとすれば、何が失敗になると思いますか?

死ぬことですね。死ななければ何度も挑戦できるので、よく言われますが、かすり傷レベルですね。自分の夢、そして組織の夢さえ失わなければ、失敗は失敗ではないです。その瞬間のチャプターだけ見れば失敗かもしれませんが、諦めず次のチャプターに進み、夢さえ追い続ければ失敗とは言えない。

 

ー最後の質問です。海外に行きたいけれども、一歩踏み出せない人に向けてメッセージをください。

去年から「若者よ、海外に出よ」と言い続けています。若い時は未経験だから絶対に失敗する。早く経験して、早く失敗した方がいい。全ては貯金。お金の貯金ではなく、経験の貯金。よく自己投資が一番の投資と言う人がいますよね。「株に投資するな、英語に投資しろ」と。でも、株に投資しても学ぶことはたくさんある。つまり、これも経験に基づく行動。自分の夢につながるような経験をなるべく多くすることが大事です。

海外、特に新興国に行くなら無目的ではいけない。孤独にならないと意味がないと思います。そこで、苦難、苦境、苦悩、苦労、この4つの“苦”を一気に体験してほしい。僕も今すぐ通いたいのですが、ライザップのように精神的に追い込まれ強くなれる環境がそこにはあるはずです。

日本にいても辛い経験はできますが、なかなか主体性を発揮できる環境下という本当の意味でキツイ環境が見つからない。海外であれば、そもそも一緒にいる人が違う。起業でも良いし、現地法人の立ち上げでも良い。プロジェクトでも良い。トップになれる環境であればさらに良い。ライザップでも強くはなれるんですけど、心のマッスルになるためには海外に出た方が良いと思います。

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〈2015年 3月19日 インタビュー実施〉

 

*会社を辞め、ASEANで勝負している方々のインタビュー。

「選択肢の一つとして海外就職を」マレーシアで働く、雌 純徳氏インタビュー 

「価格.com」モデルをインドネシアで展開する日本人起業家の戦略 Pricebook CEO辻友徳氏

「金なし、コネなし、ノウハウなし」の状態で起業し、今では業界トップクラスの企業に。ベトナムで人材会社を経営するICONIC代表 安倉宏明氏

「女性向けメディアECプラットフォームで東南アジアNo.1を目指す」BuzzCommerce CEO 若井伸介氏

日本の“再成長発信基地”をセブ島に!ーUnited Re-Growth 創業者 鈴木光貴氏