IT企業関係の日本人として最初にベトナムに入り、最後に出ていく覚悟を語る浅井氏。ベトナムで10年以上オフショア開発業界を牽引してきた浅井氏だが、その過去には、阪神淡路大震災、アジア通貨危機、リーマンショックといった多くの予想外の出来事があった。「ベトナムと兵庫県に恩返しがしたい」と話す、大学では歴史を専攻した同氏にインタビューした。

 《プロフィール|浅井崇氏 氏》
1973年1月兵庫県神戸市に生まれる
1995年3月花園大学文学部史学科卒業
1995年、96年ハノイ総合大学語学留学
1997年ホーチミンに赴任するもアジア危機の影響でベトナム撤退
1998年~2000年神戸にて父と一品料理屋を開店
2000年10月ホーチミンに戻りITベンチャーに参画
2002年1月 Individual Systems Co., Ltd.設立
2011年4月ひょうご国際ビジネスサポートデスクホーチミン就任

 

―事業内容を教えてください。

日本からのオフショア開発とベトナムにある日本企業向けのシステム開発が主な事業内容です。前者は、システム開発のコスト削減や要員を確保したい日本企業の代わりに弊社がベトナムで請け負って開発するというものです。多くの日本語が話せるベトナム人IT技術者が在籍しているので、お客様と直接やり取りを行い高い品質を維持しています。後者は、ベトナムに進出している日本企業に対して、ベトナムの法令に準拠した給与計算や勤怠管理のパッケージシステムなどを提供しています。

 

 地元神戸でベトナムと出会う

 

―ベトナムとは長い関係を持つ浅井さんですが、初めてベトナムに行くまでの経緯を教えてください。

私は神戸生まれ、神戸育ちの生粋の神戸っ子なんです。神戸は南京町や異人館があるように、国際色豊かな街なので、昔から華僑、インド人、そして越僑(在日ベトナム人)の方が多くいらっしゃいます。ベトナムに興味を持ったのは、大学3年生の時でした。

バイト仲間にソウちゃんという女の子がいたのですが、私を含めて日本人の友達はてっきり彼女のことを華僑だと思い込んでいました。しかし、バイト帰り思い切って彼女に中国人なのかと聞いてみると、「私はベトナム人だよ。」と言われてとても驚きました。なんせ私はベトナムという国の存在を知らず、アフリカかどこかの遠い国だと思っていましたから。(笑)それがベトナムとの最初の接点です。その後、彼女の家にバイト仲間と遊びに行ったのですが、彼女の家はベトナム式で、家族の方もベトナム人ばかりでした。そこで受けたカルチャーショックがきっかけで、ベトナムという国に興味を持つようになりました。

 

 阪神淡路大震災が思わぬ転機に


ちょうどそのタイミングで、ゼミでの研究活動が始まりました。私はもともと文学部史学科に入るほど歴史を愛する人間で、今も神社やお寺を巡ったりするのが好きです。せっかくなのでベトナムに関連したことを研究しようと思い、「第二次世界大戦中の日本軍の南進論と仏印進駐」というテーマを選びました。

とはいうものの、ゼミの研究以外は遊んでばかりの学生だったので、4年生の後半になっても沢山単位が残っていました。どうせ卒業できないと思っていましたが1995年1月15日に卒業論文を提出して、翌日16日は友達と1日中麻雀をしていました。すると17日の早朝に阪神淡路大震災が起こってしまい、猛烈な揺れに襲われました。後日には卒業をかけたテストがありましたが、震災の影響で受けられず、茫然としていました。

やっと交通手段が復活して卒業認定式に行ってみると、なんとテストを受けられなかった学生に対して「恩赦」という形で単位が出ていて、卒業できることになってしまったのです・・・卒業できないと思っていたので就職活動をしておらず、就職先はありませんでした。でもフリーターはマズいと思って、留学でもしようかと思い、研究していたベトナム、ハノイに2年間留学することになりました。

 

 アジア通貨危機で万事窮す!

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2年間の留学から帰国後、やはりベトナムに関連する仕事をしたいと思っていたので、ホーチミンに進出予定だったクリーニング会社に第二新卒で就職して、再びベトナム、ホーチミンへと赴任しました。そこでは、大きなホテル事業を始めようとする日本企業を支援するための工場を建設するプロジェクトを担当していました。しかし1997年7月にアジア通貨危機が起こり、タイや韓国が大ダメージを受ける中、ベトナムも間接的にダメージを受け、結果的に事業は中止となってしまいました。この時は、万事窮すという状態でした。結局1997年の年末には撤退することになり、日本に戻ってきました。地元の神戸に戻ってきた安心感はすごかったですよ。(笑)

 

―そんなことがあったのに、なぜ再びベトナムに渡り、突然IT企業を設立するに至ったのでしょうか?

 その後、クリーニング会社を退職し、1998年4月に明石海峡大橋が開通するのに合わせて父と明石で一品料理屋を始めました。その時には時間に余裕があったので、神戸にいるベトナム人達に日本語を教えていました。そのベトナム人達の多くが「IT技能実習生」として日本にきていました。彼らとは飲み仲間として仲良くしていましたが、その中に、コア君という、きりっとした実習生がいて、彼には他のベトナム人とは別格の雰囲気がありました。そんなコア君が帰国する前日の晩、お互い25歳の時に30歳になったら一緒に起業する約束をしました。

ところが1、2ヵ月経ったある日、突然コア君から「浅井さん!僕IT企業を設立しました!」という連絡がありました。「いやいや待て! 30歳って約束したやろ!」と突然の連絡に驚きました。(笑)それから、居ても立ってもいられなくなり、一品料理屋を父に任せてすぐにベトナムに渡りました。

 当時の私の胸には、「自分一人でビジネスをして食って行けるかを試したい。」という思いがあり、ベトナムでできそうな仕事と20万円だけ持ってベトナムに持って行きました。そのお金が尽きたら日本に帰ろうと決めていましたが、儲けて、使ってのサイクルで1年後には20万円がそのまま残っていました。その経験から、なんとか自分でもやっていけるなと確信したので、2001年11月にはコア君とベトナムで起業しました。これが今のIVSの原点です。

 

  ベトナム人IT技術者に “日本語”を教える


IVSの当初の事業内容は、IT事業とベトナム人IT技術者に特化した日本語講座でした。日本語講座を行った理由は、日本にいるベトナム人IT技術者が言語的な理由で立場が弱く、大した仕事を与えられない状況に問題意識を持っていたからです。

 ラッキーなことに、2000年から2002年というのは、ベトナムでインターネットが解禁されて、大学にIT科という学科が創設され始めた時期でした。同時に日本では、第2次ITブームが起こっていて、日本の政府・会社から海外視察をしにベトナムにいらっしゃる方々が多くいました。私自身はまだIT素人だったのですが、当時ベトナムでIT企業を経営している日本人は私だけでしたから、ベトナムを案内させていただきました。まずその方々は私に、「ベトナムで何してるの?」と興味を持ってくださり、私のIT技術者向け日本語講座にも視察に来てくださりました。すると「こんなに日本語が話せるIT技術者がいるなら、ベトナムでオフショア開発したらどうだ?」という提案を受けて、ITのこともよくわからないままベトナム人IT技術者と一緒に四苦八苦しながら、オフショア開発事業に取組み始めました。それが現在のIVSの事業内容の起源です。

 

  リーマンショックで大打撃!


次のターニングポイントは2008年のリーマンショックです。実際に影響を受け始めたのは2009年で、急にオフショア開発の仕事が途絶えてしまいました。絶望的な状況でしたが、ここで諦めるわけにはいかないと思い直して、ベトナムにある日本企業向けのシステム開発にも取り組み始めました。

 リーマンショックを乗り切った後も、経営が安定せず、肉体的にも、精神的にも追い詰められました。そこで思ったのは、オフショア開発という下請けの会社はある程度規模が大きくないとだめだなと。規模が小さいままでは、プロジェクトにトラブルが起こるとお客様にも連鎖的影響を与えてしまうので、企業体力をつけるために三桁の社員が必要だと考えました。2009年時点では45人でしたが、2011年には規模拡大に注力して一気に110人に増員し、ベトナムの日系IT企業の最大手となりました。現在は250名の社員がIVSを支えています。

 

―事業を行ううえでの、ミッションや目標を教えて下さい。

外国人が外国でビジネスをするうえで、果たすべきミッションは“その国の発展に貢献すること”だと思います。具体的には、雇用を生むことと、技術を移管することです。弊社はベトナム人社員がほとんどであり、国の発展に貢献していると信じています。

 目標は、ベトナムにある日系企業のうち半分のシェアをとることです。現状はまだまだですが、大手のライバル会社が対応できないような低価格の案件も引き受け、商権を獲得するつもりです。

忘年会IVS社員との忘年会の様子

  兵庫県を「日本一外貨を稼ぐ都道府県」に


―浅井さんは会社とは別にホーチミンの兵庫県人会の幹事と、兵庫県のベトナム進出窓口を担当しておられるそうですが、何か理由があるのでしょうか?

ベトナムと日本の橋渡しをしたいと思っているからです。15年後にはベトナムを中心とするASEANの仕事を兵庫県に引っ張り「日本一外貨を稼ぐ都道府県」にしたいと思っています。少子高齢化で日本の市場が縮小していく中、日本人には海外へ出て外貨を稼ぐことばかりが求められます。

しかし、逆に海外から外貨や仕事が日本に来るというスキームをつくり、兵庫県をモデルケースにして日本を活性化させたいと考えています。外貨を集めて、医療、福祉、教育にお金のかからない県が実現できたら、人が集まり、正のスパイラルが生まれて活性化されるのでいいじゃないですか。私には、「その国で生まれた人はその国で死ぬべき。」というポリシーがあるので、お世話になったベトナムに貢献するとともに、さらには地元神戸のある兵庫県、そして母国である日本に貢献したいと思っています。

 

 ―ベトナムに長くおられる浅井さんにとって、ASEANの魅力は何ですか?

ASEANには6億人のマーケットがあります。やはり、国力は人口に依存していますね。EUが縮小していく一方で、ASEANは全体で上を向いて成長し続けています。世界全体を見てもやはり今一番アツイのはASEANでしょう。

 2015年にはAEC(ASEAN Economic Community)の発足で関税が撤廃され、一つの経済圏ができあがります。その中でベトナムがどのようなイニシアティブを発揮できるかは、ベトナムを支える我々のような日本企業が鍵を握っていると思います。

 

―インターン生を積極的に受け入れて、多くの大学生を鍛え上げてきた浅井さんから若い世代の方々へメッセージをお願いします。

若い人達にはぜひ海外へ行ってみて、選択肢や視野を広げてほしいです。特にベトナムは起業しやすい国だと思います。外資に対する優遇策もありますし、100%外資で会社が設立できる珍しい国です。実際に弊社の役員は日本人もいます。日本でブレークスルーできずに、うずうずしている学生さんは、まず海外へ出てみてはいかかがでしょう?きっとテンションがハイになって、やる気さえあれば生まれ変われますよ。

IVSインターン

インターンを終えた学生達との日本での再会の様子 

【長期インターン生募集中】
担当:松井
連絡先:info@indivisys.jp
HP:http://www.indivisys.jp/
成長意欲、素直さ、ポテンシャルがある方を募集しています。経験が無いのは当然ですし、学歴なんて全く関係ありません。興味がある方はぜひご連絡ください。

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